27・壇ノ浦
――西暦2097年12月18日(水)AM11:56 関門橋 壇ノ浦パーキング・エリア――
明星高校生が乗ったバスは関門橋を渡り、壇ノ浦パーキング・エリアに入った。
「ではこれからグループに分かれて、壇ノ浦の合戦の史跡巡りをしてきてもらう。ただしこの後関門橋付近は封鎖されるため、封鎖区域には立ち入らないよう注意すること」
関門橋が封鎖されることは、前からわかっていた。だが明星高校生である飛鳥達が来なければ、相手が行動を移さない可能性もあったため、予定は明星高校の移動に合わせる形で、12時からとなっている。この情報は生徒会で止まっているため、生徒達は知らない。
だが明星祭の前日に、平知盛と教経を名乗る男達が現れ、飛鳥を源義経、真桜を郷姫、久美を静御前、敦を佐藤忠信と呼んだことは、全校生徒が知っている。だから関門橋の封鎖もそれに関係しているのだろうし、軍がここにいることにも、あまり驚いた様子はない。
「それから生徒会と風紀委員会は打ち合わせがあるから、パーキング・エリア内にある軍用テントに集合だ」
「先生、それって俺達1年もですか?」
「そうだ」
京介の質問に、準一が答える。まだ探索系による双方向通信技術は確立されていないため、バス内に設置された刻印具の外付けのオンライン・カンファレンス・システム、通称OCSを使っているが、これは純粋に機械技術の産物で、戦前から広く普及している。
「もし封鎖地域に入っちゃったらどうなるんですか?」
他の生徒からも質問が飛び交っている。前から決まっていたこととはいえ、なぜこのタイミングなのかを知らないのだから、これは仕方がないし、準一もこの質問がくることは覚悟していた。
「逮捕される」
「逮捕って……」
だが準一の簡素な答えに、全員がドン引きだ。そんな単語が出てくるとは思いもしなかった。
「最悪の場合、外交問題に発展する可能性が高いから、これは周辺住民にも徹底されている。そんなわけだから、みんなも迂闊に立ち入るなよ」
さすがにマズいと思った準一が補足したが、それでも簡単に納得できるものではない。だが相手の狙いが狙いなので、このタイミング以外はありえないわけで、納得できなくとも納得してもらうしかない。
「わかりました」
「なお、食事は各自ですませるように。集合は15時厳守。遅れたら置いて帰るからな。では解散」
――AM11:59 関門橋 壇ノ浦パーキング・エリア 軍用テント――
「よく来てくれたな」
生徒会、風紀委員会が揃ってテントに入ると、壮年の男が出迎えてくれた。
「お久しぶりです、上杉さん」
「お、鬼夜叉!?」
飛鳥達は顔見知りだが、生徒会はそうではない。鬼夜叉は刻印管理局局長 上杉の称号であり、日本最強の刻印術師の一人だ。その鬼夜叉が目の前にいるのだから、驚きもするし緊張もする。
「そんなビビらないでよ。その呼び名と違って、普段は温厚な人だから」
「部下にはそうでもないぞ」
傍らには部下の伊達と光理の姿もある。四刃王と三華星を従えるその姿は、日本最強が偽りではないことの証明だろう。
「あ、伊達さんも来てたんですね」
「雅人先輩と光理さんもいるわけだから、もしかして刻印管理局が出張って来たってことですか?」
光理はともかく、伊達までいるとは思っていなかった敦は、単刀直入に疑問をぶつけた。
「出張るという表現は適切ではないが、これは刻印管理局の管轄になる事件だからな」
「ああ、それもそうですね」
刻印管理局は軍の管轄だが、その名の通り刻印術に関する部隊でもあるため、連盟ともつながりが深い。そのため軍でありながら、微妙に指揮系統が異なっている。連盟から出向した術師や生成者が多いことも、その理由だろう。
「中佐、その話は後でもいいかな?」
「はっ。失礼しました」
「すまなかったね。君が生徒会長の田中さんかな?」
上杉は好々爺の面を崩さず、かすみに挨拶を促した。普段は本当に好々爺なのだから、面というのもおかしいかもしれないが。
「は、はい!明星高校生徒会長の田中かすみです!」
だがかすみは、緊張で今にも心臓が飛び出しそうな勢いを見せていた。
「そう緊張しないでくれ。秋本少佐、彼らを席へ」
見れば他の生徒達も緊張している。あまり緊張されても困るし、彼らを巻き込んでしまうわけだから、しっかりと話は聞いてもらいたい。上杉は光理に、席へ案内するよう促した。
「了解です。こちらへどうぞ」
「は、はい!」
全員が緊張しながら光理の後について行っているが、緊張しなかった一部の者は、何か言いたそうな顔をしていた。
「伊達さん、飯はあるんですか?」
「君のように遠慮がないのも、どうかと思うがな」
敦が口を開いたが、本当に遠慮がない。あそこで緊張して死にそうな顔をしている子達の、爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい気分だ。
「少し早いけど、ご希望なら用意するわよ?」
案内をしていた光理にも聞こえたらしい。刻印具いじりながら手配をしてくれているようだ。
「あ、それじゃ私もお願いしまーっす」
「腹が減ってはなんとやら、ってね。私もお願いします」
真桜と久美も空腹のようだ。本当に遠慮がない。
「お前ら……」
「鬼夜叉に獄炎の射手、ミラージュ・ウィッチ相手に、よくそんなこと言えるわね……」
まさにその通りだ。刻印管理局に日本有数の生成者が揃っている理由は、日本軍の切り札だからだ。当然実力があれば配属されるわけではなく、身元は家族関係から恋人、友人、その家族まで多岐に渡って詳細に調べ尽くされる。優位論者や他国のスパイが紛れ込む可能性を、可能な限り排除しなければならないのだから当然のことだ。
そしてこれは、世間にも公表されている。だからそんな方々に、遠慮のない口を利くこいつらがとても信じられなかった。
“極炎の射手”とは伊達の称号で、真桜のブレイズ・フェザーと同様、刃を持つ弓を生成する。だがブレイズ・フェザーが両舷に刃を持つのに対し、伊達の刻印法具は上弦にしか刃はなく、矢も短い槍に似た形状で使える。だが世間には、形状も名称も公表はされていない。
「緊張してこの後に差し支えがでるよりはマシだがな」
その極炎の射手は、呆れたような顔をしながら笑っていた。
そうしている間に、光理が手配した軍の方が食事を用意してくれた。雅人、さつき、卓也、セシルも帰ってきたようだ。
「みんな、来てたのね」
「あ、さつきさん。お帰りなさい」
「雅人さん、どうでしたか?」
雅人、さつき、卓也、セシルの4人は、前日から壇ノ浦へ来ており、先程まで付近の偵察を行っていた。平教経が目撃されたとなれば、知盛も来ていることも確実だ。並の術師がどうこうできる相手ではないので、4人に偵察を任せることになるのも仕方がない。
「それは食事の後で話そう。しっかり食べないと、いざという時、力がでないからな」
「なるほど、少尉の影響か」
だが伊達は、ここにいる若き生成者達が、雅人の影響を受けていることをしっかりと見て取った。初めて会った雅人も、遠慮していたとは言い難い。
「何のことですか?」
「だいたいの予想はつくが……。ところで、一ノ瀬先生は?」
卓也は明星高校に赴任する前、静岡のホテルで働いていた。大学も教職を取っていたわけではないので、教師としては準一の方がそれらしく見えるだろうという自覚がある。
「呼びましたか?」
その準一は、テントの中に案内されてきたところだった。
「お兄ちゃん、どこにいたのよ?まさか、瞳さんに手を出してたんじゃないでしょうね?」
自分達を呼び出しておいて遅れるなど、いったい何を考えているのか、といった顔でさゆりが睨んだ。瞳が隣にいることも、その理由だろう。
「人聞きの悪いことを言うな。生徒が全員バスを降りるのを確認してただけだ」
だが準一からすれば、自分のやるべきことをやっていただけなので、言われなき罪を背負わされる理由もない。
「へえ。一ノ瀬君、しっかりと先生してるのね」
「からかわないで下さいよ」
「いいことだと思うがね」
上杉も伊達も光理も、準一とは面識がある。特に光理は、神槍事件の日に準一と行動を共にしていたのだから、互いの法具の特性もよく知っている。そして瞳は、実は上杉と面識があった。瞳が受けた唯一の任務は、上杉と菜穂が立会いを務めたから、上杉も瞳が育児に忙しい時期だということを承知している。
「立花さん、ここにはベビー・ベッドもなくて申し訳ない」
「大丈夫です。どうも興味があるらしくて、ちっとも寝ようとしませんから」
「元気な子ですな。将来が楽しみだ」
「ありがとうございます」
上杉は結婚したことがない。この年になって、結婚しておけばよかったと思うことがないわけではない。だからなのか、子供には非常に優しい。
「では食事が終わってから話を始めよう。久世少尉、報告はあちらで聞く。名村君とアルエットさんも、こちらにお願いする」
「了解です」
「わかりました」
「また後でね」
雅人達は、上杉に指示されたテントの一室に移動した。
「君達はゆっくりしていてくれ。私達がいては、食事も喉を通らないだろうからな」
「す、すいません……」
「気にしないでくれ。では、また後でな」
名立たる刻印術師が立て続けに現れたため、かすみ達の緊張は今にも爆発しそうだ。上杉が気を利かせてくれなければ、確かに食事も咽を通らなかっただろう。だが今でも緊張しているし、忘れがちだがここは臨時とはいえ軍の施設だ。これで緊張しない方がおかしい。
「そこまで緊張するものか?」
だがその緊張していない連中は、普通に運ばれた食事を食べていた。
「どんな神経してるのよ……」
そんな真子のぼやきは、生徒会全員の心情を代弁してくれた。
――30分後――
無事に食事も終わり、ようやく落ち着くことができた一行は、なんとか上杉達にも普通に接することができるようになっていた。やはり慣れとは恐ろしい。
「まずは君達に詫びたい。当初想定していた事態の中で、最悪の事態を迎えてしまったことを」
開口一番、上杉が謝罪し、頭を下げた。こんなことを予想しろと言う方が無理だ。
「な、何のことなんですか!?それより頭を上げてください!」
ここには軍の方々が多くいらっしゃるというのに、そんな中でただの高校生に、局長自らが頭を下げるなど、もっての外だ。かすみが取り乱すのも当然で、むしろ落ち着いているこいつらがおかしい。何度でも言おう。こいつらはおかしい。
「伊東、失礼なこと考えてないか?」
「失礼はどっちだ!?」
心の内を見透かされた壮一郎だが、自分も混乱しているから、本当に失礼なことを考えていたのではないかと、少し自分を疑っている。
「上杉さん、頭を上げてください。確かに明星高校の生徒には迷惑をかけていますが、この事態は私達が望んだものなんですから」
雪乃が間に入ってくれたおかげで、かすみ達生徒会の思考はかろうじて現実に戻ってくることができた。やはりこの先輩は、とても頼りになる。
「それは知っている。だがそれとこれとは別の話だ。なにせ軍も警察も、連盟でさえも平知盛、教経両名の足跡を辿ることができなかったのだからな」
「それって内通者と協力者がいるってことですよね?」
「内通者は見つけたが、一足遅かった。我々は常に後手に回っていたことを理解せざるをえなかったよ」
「つまりそれって、連盟や軍の目を欺ける人なり組織なりが関与してるってことですよね?」
「そうなる。そして内通者は、連盟に保管されていた封刻印をいくつか持ち出していたそうだ」
「まさかっ!?」
「なんつうヤバいもんを……!」
「封刻印?」
「封刻印は日本古来の妖怪や物の怪を封じている刻印のことだ。先だって明星高校を襲った際に現れた鬼達も、その封刻印から召喚されたと推測されている」
「何の封刻印を持ち出したのか、わからないんですか?」
「数が多く、まだ特定はできていないそうだ。文献では一体しか描かれていなくとも、実際には何体もいることもあるからな」
「あ~、そっか。それが最後の一匹っていう証拠もないし、他にもいないっていう理由にはならないんでしたっけ」
「厄介なものを……。では上杉さん、その内通者はどうしているんですか?」
「残念ながら、先日死体で発見された」
「それはいつの話ですか?」
「五日前だ」
「ってことは、切り捨てられたってことですね」
「我々もそう考えている」
「その内通者って、他にはいないんですか?」
「それも今捜索中だが、残念ながら尻尾すら掴めていない」
「ということは、その内通者や協力者は、ここには来てないってことですね」
「そうなるわね。だけどそれがどうかしたの?」
「ええ、しました。余計な邪魔が入らないってことですから」
「そういうことね。確かにあなた達にとっては、そんな連中は二の次でしょうね」
「ははは、そうだな。では中佐、説明を頼む」
「了解です。だが説明の前に、確認したいことがある」
「確認、ですか?」
「そうだ。君達の前世についてだ。知盛と教経は、源義経、佐藤忠信、静御前、そして郷姫という名を出したそうだな?」
「ええ。俺達を見て、そう言ってました」
「真桜ちゃんの前世は静御前ではないかと言われていました。これは前世論を研究している人の間では有名です。ですがその静御前は、実は久美さんで、真桜ちゃんがその主にあたる郷姫ということなので、正直混乱しています。両名の共通点は、源義経の妻ということだけですから」
「その静御前も、義経の妻ではなかったと言っていたのだろう?」
「そう言っていました。ただ先日初めて真桜とコンビを組んだのですが、、初めてではないような、昔からよく知っているような、そんな感じはありました」
「私もです。さつきさんよりやりやすく感じました」
「そうなのかね?」
「そうみたいです。風と水の相性の良さもありますが、あたしと初めて組んだ時よりスムーズにコンビネーションができてましたから」
「つまり君達が郷姫、静御前だということは、ほぼ間違いないと?」
「全て信じているわけではありませんが、飛鳥君と井上君も相会談の際に似たような反応をしていましたから、可能性は高いと思います」
「その飛鳥と敦ですが、あの事件でコンビを組ませましたが、やはり慣れている様子でした。本人達も戸惑っていましたが」
「その上で武蔵坊弁慶が死んでいるということですから、あたしもけっこうな確率で、この子達の前世は確定したんじゃないかと思ってます」
「その武蔵坊弁慶は立花勇輝さん。さつきさんのお兄さんで去年亡くなられている、ということね」
「はい……」
「それも知盛か教経が言っていたことか。おおよそ、納得がいく話ではあるが」
「前世論を研究している学者の先生方は、大喜びでしょうな。だが疑問点もある」
「雅人先輩、さつき先輩、そしてさゆりさん、ですね?」
「そうだ。詳細は話せないが、久世少尉と奥方は、彼らよりつながりが深い。同時に一ノ瀬さんも、無関係とは思えない」
「さつき先輩とさゆりさんの候補は難しいですが、雅人先輩の候補は何人か考えられます。ですが佐藤忠信の兄 嗣信や伊勢義盛、亀井重清、奥州の藤原秀衡。他にも思いつくだけで、両手の指が塞がります」
「さすがにそんな中から、特定は難しいか」
「さつきさんとさゆりさんに候補すらないのは、当時の女性のことがよくわかっていないからね?」
「はい。むしろ真桜ちゃんと久美さんが珍しいといえます」
「口を挟んですいません。そもそもなんですけど、どうして雅人先輩と飛鳥君達のつながりが、井上君達より深いんですか?」
「幼馴染だとは聞いてますけど、それだけじゃ理由としては弱いですよね?」
かすみと壮一郎の疑問は当然のものだ。飛鳥と真桜がブリューナクの生成者だと知る者からすれば、それは考えるまでもないことだが、そうでもない者には説明が難しい。
だが飛鳥は三上家の嫡男だし、真桜も久世家に縁がある。そして久世の嫡男に嫁いだ立花の長女という組み合わせは、三家の歴史を考えれば、納得のいく話を作ることも難しくはない。
「もっともな疑問だ。だが三上、立花、そして久世家は、昔からのつながりがある刻印術の名家なのだ。だが本家や分家といったつながりではなく、あくまでも対等な関係だ。歴史的には千年以上も遡れると聞いている」
三上、立花、久世三家が鎌倉に居を構えたのは江戸時代になってからだが、それ以前は北にいたとされている。その時代の文献は源神社に遺されているが、消失してしまったものもあるため、正確にはわかっていない。だから飛鳥と真桜の前世についても、半ば強引にこのつながりを持ち出し、世間を納得させるようにしている。
「そんな昔からっ!?」
「まさかこの二人が融合型を生成することも、前世で関係があったってことなんですか?」
二人が融合型の生成者だということも、この説に信憑性を加算している。
「それはまだわからないけど、可能性はあると思ってるわ。私も三上、久世、立花三家の歴史がそこまで古いとは思わなかったから」
「俺も知らなかったな。親父なら知ってたのかもしれないが」
「久世少尉の父上というと信人氏か」
「ご存知なんですか?」
「“ブラッド・スナイパー”と言えば、わかるんじゃないか?」
「ブラッド・スナイパーって、あの久世信人が、雅人先輩のお父さんだったの!?」
「もし射撃系の称号があれば、真っ先にその名を連ねるって噂の……!」
飛鳥が口にした称号は、日本最高のスナイパーのものだった。
雅人の父 久世 信人は、狙撃銃状武装型刻印法具を生成する、一発必中のスナイパーとして有名だ。その腕は世界でも五指に入ると言われている。
「どの噂かはわからないが、確かに俺の親父はブラッド・スナイパーと呼ばれている」
「さすが信人伯父さん。すごい評価ですね」
「親父の評価なんて、こそばゆいだけだ。そうだろ、飛鳥?」
「同感です。でも信人伯父さんは良識のある人ですから、俺からすれば十分羨ましいですよ」
飛鳥も父の評価は飽きるほど聞いている。本性を知っているからすさまじく誇張されていると感じるが、それは信人も同様だ。だが一斗と違い、生真面目な性格をしているため、あまり冗談が通用しない。
「それはあるわよね。でもお義父さんの話は、今は関係ないから飛ばしましょう」
「そうだな。では話を戻すが、彼らの前世は、ほぼ特定されたと言ってもいいだろう。つまり二人の狙いは、ほぼ間違いなく彼らだということになる」
確かに信人の話は、今は関係ない。上杉もそれをわかっているから、すぐに話を戻した。
「ですが彼らを後方に配置しては、おそらく知盛も教経も出てこないでしょう」
「そればかりか、封刻印を無差別にばら撒くことも考えられます」
伊達と光理の予想は、二人の去り際のセリフを考えれば当然のもので、それは上杉も承知の上だった。
「うむ。そうなれば周辺の民間人を巻き込むことになる。君達には悪いが、やはり前線に赴いてもらうことになりそうだ」
「最初からそのつもりです」
「借りは返さなきゃいけませんからね」
だが飛鳥と敦には、逃げるという選択肢は存在していない。あんな真似をされて泣き寝入りできるほど、二人は大人ではない。
「話が早くて、こちらとしては助かるよ」
「望んで前線行きとか、どんだけ好戦的なんだよ」
「ホントよね」
「やっぱりおかしいわよね」
生徒会の刻印術師三人が、驚くを通り越して呆れ果てている。しかも散々な言われようだ。
「伊東も片桐も瀬戸も、生成すれば俺達の気持ちがわかるぞ」
「生成したいって気持ちが、すっごい勢いで失せていくわね……」
敦がさりげなく報復を行い、三人はさらにゲンナリした顔で項垂れた。
「では配置を説明しよう。久世少尉」
「はっ。みんな、これを見てくれ」
「関門海峡の衛星写真ですか」
「ああ。俺達が本州側にいること、教経が目撃されたことから考えると、二人はこの近辺にいるだろう。だがどこにいるかはわからない。よって今作戦は、二人を関門橋におびき出すことから始まる」
「関門橋の上で迎え撃つんですか?」
「それがもっとも被害が少ないと予想されている」
「とは言っても、橋の被害がどうなるかはわからないけどね」
「それが一番不安なんですが……」
橋の上で戦うということは、最悪の場合、橋が使えなくなる可能性があるということになる。橋が使えなくなってしまえば、交通に影響が出るばかりか、物流が滞ることにもなる。空路と海路があるが、それでも経済に与えるダメージは大きいだろう。
「関門トンネルがあるから、最悪の場合はそちらを使ってもらう」
「あ、そういえばトンネルがあったんでしたっけか」
近くにある関門トンネルは、車両だけではなく、遊歩道も敷設されている海底トンネルで、開通してから百年以上経過している。今も現役で、特に遊歩道は地元では人気のジョギング・コースとなっている。こちらを使っても影響がないわけではないが、関門トンネルは海底トンネルという性質上、何年かに一度、必ず補修工事が行われる。しかも都合がいいことに、三年前に補修工事を終わらせたばかりなので、これから十数年は補修を行う必要はない。
「そうだ。だから関門橋を封鎖するという強硬手段を取れたと言える」
「もっとも、関門橋の被害がないに越したことはないんだけどね」
「少佐の言うとおりだ。だが封刻印を手に入れている以上、何が起こるかわからない。街中にも軍部隊を配備してはいるが、生成者の数は少ない。そこで生徒会のみんなには、これを持っておいてもらいたい」
「刻印具、ですか?」
「ああ。この本部へ直通でつながる通信用端末だ。もし史跡巡りをしている最中に襲われたら、すぐにこれを起動させてほしい」
雅人が生徒会に渡したのは、管理局特性の通信用刻印具だった。軍用GPSを使っているため、地下だろうと海中だろうと、すぐに現在地わかり、起動させれば本部の端末に直結で通信ができるため、不慣れな土地や緊急時に外部協力者に貸与することを目的に作られている。
「それだけでいいんですか?」
「自分の身の安全を優先してくれ。どんな妖怪が出て来るかわからないからな」
「わかりました。できる限り安全を確保してから、軍の方が来てくれるまでの時間を稼ぎます」
「無理はしないでくれよ。それから大河、美花ちゃん」
「へ?」
「私達、ですか?」
かすみの返答は予想できていた。だがここで止めても聞かないだろうし、そんな事態に遭遇した場合、迎え撃つにしても逃げるにしても、時間を稼ぐ必要がある。だから釘を刺しつつも、雅人は大河と美花の名を呼んだ。
だが二人は、呼ばれるとは思っていなかったから、かなり間の抜けた返事を返してしまい、バツが悪そうに顔を赤くしていた。
「二人には瞳さんの護衛を頼む。これは俺の個人的な頼みだ」
大河と美花の腕は、雅人もよく知っているし、瞳の実力も同様だ。本来なら瞳にも手伝ってもらいたい。だが瞳には勇斗がいる。勇斗は親友である勇輝の忘れ形見なので、できることなら巻き込みたくはない。だが今回に限っては、教経が狙ってくる可能性がある。だから雅人は、個人的なことだと断りながら、大河と美花に護衛を頼んだ。
「わかりました」
「俺達で役に立てるなら」
今や二人は、刻印具に組み込まれたA級術式を使いこなし、生成者とも渡り合えるのではないかという実力を身に付けている。一流の生成者が相手でも、そう簡単にやられるようなことはない。それに雅人は、できないことをやれとは言わない。本当に二人ならできると思っているから、頼まれたのだと思ったし、頼まれなくともそのつもりはあった。だから二人は、すぐに首を縦に振り了承した。
「頼む。次に久美」
「なんでしょうか?」
「君は秋本少佐や準一さんと共に、別行動をとってくれ」
「私が、ですか?さゆりや雪乃先輩じゃなくて?」
別行動をとれということは、おそらく知盛、教経と戦う機会はなくなるだろう。驚いた久美は、雅人と光理の間で視線を彷徨わせ、そして少し赤くなりながら、一度だけ準一にも視線を向けた。
「ああ。君が適任だ」
「わかりました」
雅人に見抜かれた、とは微塵も思わない。これは正式な作戦なのだから、そんなことが入る余地もないはずだ。だから本当に、自分が適任と判断されたのだろう。何より久美は、ノーザン・クロスが通用しなかった理由を正確に理解している。新しいS級を開発したが、それは前から開発していたものなので、この日のためのものでもない。だから飛鳥やさゆりほどのショックを受けてはいなかったし、何より久美は大人だった。だから自分のやるべきことをやることに異存はなかった。
「詳細は秋本少佐から聞いてくれ飛鳥、真桜ちゃん、敦、さゆり、雪乃は、俺達と一緒に、橋の中央で待機」
「はいっ!」
「わかりましたっ!」
「腕がなるぜっ!」
「この日を待ってたわよ!」
「なんでそんなに好戦的なのよ……」
四者四様に、すさまじくやる気を見せている。呆れているのは同級生の皆様だ。
「名村さんとセシルさんは九州に渡り、そこで待機をお願いします」
だが雅人は、構わず話を続けた。
「了解しました」
九州側から襲ってこないという保証はない。同時に九州へ上陸させないための保険でもある。四刃王のエグゼキューターとサクレ・デ・シエルのコンビなら、不足は一切ない。
「雅人さん、上杉さんと伊達さんはどうなるんですか?」
だがそこで、上杉と伊達の名前がないことに飛鳥が気が付いた。
「局長と中佐は、街の中を優先してもらうことになっている。そうですよね?」
「その通りだ。封刻印の対処を請け負うと考えてもらえばいい」
上杉と伊達は、封刻印が街中で使われた場合に備えるようだ。確かに上杉はこの場の最高責任者、伊達はその補佐なのだから、前線に出るわけにはいかない。
「それって、けっこう大変なんじゃ?」
「私はともかく、伊達中佐には大した手間ではないよ」
「それにいざというときは、私か一ノ瀬君が駆け付けることになっているわ」
どうやら極炎の射手とミラージュ・ウィッチは、そういった状況に適した刻印法具を生成するようだ。
「作戦はすぐに開始ですか?」
「うむ。移動時間を考慮して、1320から開始する。伊達中佐、秋本少佐、周辺の部隊にも徹底しておくように」
「了解です」
刻印管理局の四強が一斉に敬礼した。
「よし、俺達も行こう」
「ああ。因縁の決着だかなんだか知らないが、きっちりと借りを返さないとな」
敦の差し出した拳に、飛鳥も拳を合わせ、二人は静かに闘志を燃やした。その二人の姿に、源義経と佐藤忠信の姿が重なって見えた。主従ではなく対等な立場として。




