22・福岡
――西暦2097年12月17日(火)PM17:56 博多埠頭――
一口に旅と言っても、早く目的地まで辿りつく必要がある場合もあるし、時間を気にせず、ゆっくりと歩く場合もある。その時の気分で目的地を変更し、わざわざ遠回りすることだってある。高速化した陸上、航空機関の他に、海上機関、つまりは客船が今も現役である理由は、今も昔も変わらない。
埠頭に停泊している、明星高校が宿泊する客船は、全長255メートル、幅42.5メートル、高さは水面46.7メートル、排水量約70,000トンと、今世紀初頭に竣工したクイーン・ヴィクトリア号より一回り小さいが、出力が約10万馬力、最大速度が約30ノットとなっている。総客室数1505室全てがオーシャンビューであり、うち5部屋の内装は、一戸建てに近い構造をしている。無論、病院施設や娯楽施設も併設されている。
「写真で見るよりデカいな……」
明星高校は、各学年約200人7クラスのため、1,2年生あわせても400人を超えない。そのため一人一部屋使っても、まだ1000室以上余る計算になる。
「なんでこんなデカい船なんだよ……」
壮一郎の疑問も当然だ。
「連盟所有の船は全部出払ってるらしくて、これしかないらしい」
連盟に限らず、大きな組織や企業は、船や航空機を所有しているケースが多い。代表者や要人の安全を守るためや、緊急の移動手段としても、これは珍しいことではない。大事なゲストやパーティーなどで活用されることもあるから、これもいいだろう。
だがさすがに、こんな巨大な客船を所有しているとは思わなかった。使用用途がかなり限られるし、維持費だけでも相当のはずだ。
「この船は来年中に廃船にし、海上ホテルにする計画がある。今回の件はデモとシミュレーションを兼ねていると聞いたな」
「そうなんですか?」
「連盟議会のある神戸で、再来年に開業予定だそうよ」
「だから親父がどうとかっていう話があったのか」
「呼んだか、ディア・マイ・サンよ」
いきなり背後からかけられた声に、飛鳥は飛び上がりそうになった。微塵も気配を感じさせずにそんなことをする男は、飛鳥が知っている限りでは一人しかいない。
「だ、代表!?」
「い、いつからそこに!?」
「そんな幽霊みたいに言わないでよ。傷つくじゃない」
「幽霊の方が可愛いじゃない……」
「お、奥様もいらしてたんですね……」
「で、何の用だ、親父?」
「冷たい奴だな。息子に会うのに、理由が必要なのか?」
「仕事はどうしたんだって聞いてんだよ!」
「落ち着け、飛鳥。みんないるんだぞ」
だが飛鳥は、何の前触れもなく現れた父に、怒りゲージがいきなりMAXまで溜まってしまった。
「丁度いい。親父、なんで瞳さんを巻き込んだんだ?」
ここには瞬矢の姉にしてさつきの義理の姉、そしてその兄 勇輝との間にできた勇斗の母 立花瞳も呼ばれていた。確かに一流の実力を持ち、一度だけ連盟の任務をこなしたこともある。その時の戦いぶりを見た菜穂から“ネレイド・ヴァルキリー”と呼ばれ、それが定着してしまっていた。あまり有名ではないが、明星高校生にとってはOGにあたる先輩なので、多くの生徒が知っている。
その瞳は、オウカ、紫苑、花鈴、琴音といった1年生女子風紀委員と一緒に、勇斗の面倒を見ているところだった。
「巻き込んだとは心外だな。勇斗君のことがあるから遠慮はしていたが、それが義務だということはお前も知っているだろう?」
「そっちじゃない。いや、そっちも気になるが、なんで瞳さんまで同行させたのかって聞いてるんだよ」
勇斗はまだ一歳にもなっておらず、本来なら長旅をさせるべきではない。それに壇ノ浦で知盛と教経が襲ってくる可能性が高い以上、飛鳥達と行動を共にするということは、巻き込まれる可能性も高いということだ。
「そんなに心配なら、飛鳥が守ってあげればいいでしょう?」
確かに心配だ。だが菜穂の言い方は、どうすれば真桜の嫉妬の火を煽り、炎にすることができるのかを知り尽くしている言い方だ。その証拠に、真桜は飛鳥に詰め寄りそうな勢いを見せ始めている。
「叔母様……」
これはさつきにとっても頭痛の種だ。だがまさか、こんな生徒が大勢いるところで、いつもの調子で振る舞われるとは思わなかった。これでは七師皇としての威厳など、あったものではない。
「代表、あまりお時間はないのでしょう?このままでは飛行機に間に合いませんよ?」
雅人も同様だが、こんなことは初めてではなく、日常茶飯事だ。だから強引に話を戻し、こちらの都合に合わせるようにしなければ、未来永劫話は終わらないことをよく知っている。
「もうそんな時間か。やむをえんな。飛鳥、真桜、こっちに来なさい」
「なんでだよ?」
「何なのよ、いったい?」
だが飛鳥と真桜は、心の底から不満を表した。場所がどこだろうと、周りに誰がいようと、そんなことは既にどうでもいいらしい。
「大事な話があるからだ」
「大事な話?わかった」
飛鳥と真桜が一斗の近くに寄ると同時に、菜穂がサウンド・サイレントを発動させた。どうやら周囲には聞かれたくない話らしい。さらに雅人、さつき、敦、さゆり、久美、雪乃が囲むことで、周囲の目からも隠していた。
「なぜ瞳君に今回の任務を依頼したかだが、彼女は一度、教経と思われる男と接触した」
「教経と?」
「そうか!村瀬燈眞は瞳さんと同い年だから、向こうも無視できなかったのか!」
「そういうことみたいね。襲われたわけじゃなかったけど、勇斗君が誰の子なのかということも知っていたようだから、こっちとしても警戒せざるをえなくてね。だから任務ということで同行してもらって、瞳さんと勇斗君を守ることにしたの」
「理由はわかったけど、なんでそんなことしたの?」
「職権乱用じゃないのか?」
「相手が知盛、教経だからな。先月の明星高校と厳島神社の襲撃事件では、多くの被害者を出してしまったから、これ以上は出したくない」
「そういうことなら、先に言ってよね」
「まったくだ。とりあえず、理由は納得しといてやる。どうせ今日は、もう帰るんだろ?」
「残念ながらな。本当は明日の試合も見たいんだが、雑務があるからな」
「今日だって、けっこう無理を言ってきたものね」
「別に無理しなくてもいいのに」
「だよな。まあ、気をつけて帰れよ」
「あっさりしてるわねぇ」
「今更だろ」
「だよね」
「違いない。ではそろそろ行くか」
「ええ。飛行機の時間もそろそろだしね。じゃあね、飛鳥、真桜。明日は頑張ってね」
「ああ」
「うん。またね、お父さん、お母さん」
真桜の別れの挨拶と同時に、菜穂はサウンド・サイレントを解除した。
「すまなかったな、諸君。では明日の試合、がんばってくれ」
「邪魔してごめんね。それじゃ、また会いましょう」
そして日本刻印術連盟代表とその補佐は、嵐のように去っていった。
「……なんなんだ、いったい」
「あれが三上君と真桜のお父さんとお母さん……?」
「七師皇と三華星で、連盟の代表、よね?」
生徒会の刻印術師である壮一郎、真子、瑠依は、初めて一斗、菜穂と会った。だが日本の七師皇が、あんな性格だったとは思わなかった。と言っても、二人はサウンド・サイレントの中にいたから、何を話していたのかまでは聞き取れなかったが。
「深く考えるな。嵐が去ったと思えばいい」
「嵐というより、台風ね」
だが雅人もさつきも、とても七師皇に対する言葉とは思えない。というか、敬意が感じられない。
「とりあえず、飯にすっか」
「そうね」
「晩御飯、何かしらね」
敦、さゆり、久美もあしらった感がすさまじい。いったい何があったのだろうか。
「お前ら……七師皇相手になんてことを……」
「本当に今更なのよね」
「三条先輩まで……」
まさか雪乃までが、そんなことを言うとは思わなかった。見るからに迷惑そうな顔をしているのだから、本当に何があったか、聞きたくもないし考えたくもない。
「とりあえず、考えるのはやめましょう」
「そうね」
「異議なしだ」
真子が結論を出し、瑠依と壮一郎もそれに賛同を示した。今日のことはカウントしない。七師皇には会ったことがない。これが三人の出した結論だった。
――西暦2097年12月17日(火)AM9:18 福岡ドーム グラウンド――
「なんなんだ、これは……」
福岡ドームは広大だが、グラウンドにいるのはどの学校も生徒会だけで、ほとんどの生徒は観客席に着席している。
宿泊研修二日目、ついに宿泊研修の目玉、交流試合の日がやってきた。だがそのグラウンドは、グラウンドと呼んでいいのかも躊躇われる。
「なんでグラウンドに、森や城があるんだよ……」
「池まであるぞ。いくら野球がシーズン・オフだからって、やりすぎだろ……」
屋内戦用に整備されているとは思っていたが、これでは屋外戦とあまり変わりがない。
「かすみ、何か聞いてる?」
「えっと……なんて言ったらいいのかしら……」
「僕に振らないでよ」
会長と副会長が、互いに譲り合い、擦り付け合っているが、何か聞いていることは間違いなさそうだ。
「何かあったの?」
「えっとね、昨日、代表が来られたでしょう?」
意を決したかすみが、ようやく重い口を開いた。
「来たな。何しに来たのか、まったくわからなかったが」
「それが、今日の試合の下準備のために、昨日はずっとここにいらしたそうなの」
それだけで飛鳥と真桜は、全てを悟った。
「あんのクソ親父!!」
「また余計なことして!」
「どういうことだよ?」
だが迅は、まだわかっていない。昨日の出来事も、自治委員会をまとめていたこともあって、目撃していないのも理由だ。
「ドームのこの状況、代表が手配したってことだろ」
答えたのは敦だが、敦もすさまじく迷惑そうな顔をしていた。
「そうなのか?」
「でしょうね。それより雅人、そういうことなら」
そしてさつきは、いきなりガイア・スフィアを生成した。
「ああ。三条、手伝ってもらえるか?」
「わかりました」
雅人と雪乃も、氷焔之太刀とオラクル・タブレットを生成し、何やら術式を発動させていた。
「先輩、私も手伝いましょうか?」
「いや、瞳さんは観客席に行ってくれ。下手をすれば、勇斗を巻き込みかねない」
「いやいやいやいやいや!ちょっと待ってくださいよ!」
「何の話なんですか、いったい!?」
何の話かさっぱりわからないし、勇斗を巻き込むとはあまりにも穏やかではない話だ。
「代表が絡んでるということは、ここに何かが刻印化されてる可能性があるのよ」
「刻印化って、それって障害物じゃないんですか?」
「違うな。仮にそうだとしても、七師皇が仕掛けたトラップを、普通の高校生が何とかできると思うか?」
響の予想を、雅人が瞬時に否定し、逆に質問を返した。だがその質問は、あまりにも無茶なものだった。
「無理ッス」
真吾が即答した。当然だが生徒会も全面肯定だ。
「いくらなんでも、そんなトラップを仕掛けたりなんてしないんじゃ?」
「普通ならそう考えるし、そう思うわよね。だけどね、代表は普通じゃないのよ。あたし達の斜め上のことを、平気で考えて実行するからタチが悪いわ。でしょ、飛鳥、真桜?」
「本っっっ当にごめんなさい……!」
真桜が本気中の本気で頭を下げていた。飛鳥にいたっては、地に頭をこすり付けるのかという勢いだ。
「俺達が確認に行きたかったんですが……!」
「これも俺達の役目だ。それに選手は時間までフィールドに入れないから、仕方がない」
「そうなんスよねぇ。って、三条先輩は入っても大丈夫なんスか?」
大河の疑問は当然だ。雪乃はまだ卒業していないから、他校から見れば立派な明星高校の生徒だ。雪乃が漏らすことはしないと断言できるが、それでも不正を疑われても仕方がない。
「それは大丈夫。入る前に聞いたんだけど、他の三校は知ってるばかりか、似たような立地を作って練習してたそうだから」
「ああ、ハンデの一環ですか」
さつきの答えに、なぜか納得してしまった。
「あ~え?」
「勇斗にはまだ難しいわね」
「可愛いっ!」
「勇斗君、もうしゃべれるんですか?」
だが敦の“ハンデ”という言葉を真似した勇斗に、場にいた女子達は胸を撃ち抜かれ、既にそんなことは頭のどこにもなかった。
「さすがにまだ無理よ。真似をしてるだけみたいなの」
「勇斗君、大人気ですね」
「勇輝さんが知ったら、なんて言うかしらね」
勇斗に悩殺された女子役員が、勇斗を抱いた瞳に殺到している。勇斗は昨日から学年を問わず大人気だった。特に瞬矢にとっては甥になるのだから、同じクラスの女子が瞬矢を経由しようと考え、オウカが涙目になる一幕もあった。
ちなみに1年生は、割り当てられた控室で準備をしているため、ここにはいない。
「そういえば今年の1年生って、なんかすごいわよね」
「なんでだ?」
「真桜の妹に瞳先輩の弟、久美の弟、それに先祖返りだからだろ」
今年の風紀委員1年生は、なぜか風紀委員の身内が多い。オウカは真桜の妹、京介は久美の弟、そして瞬矢は、元風紀委員長である瞳の弟だ。姉が優秀だから弟妹もそうだということにはならないが、三人の姉は全員生成者なのだから、やはりそんな色眼鏡で見てしまいがちだ。
「それもすごいが、こっちもすごいだろ。なにせ、歴代の風紀委員長が揃ってるんだからな」
「こっちも全員生成者だし、うちの学校がどれだけおかしいかがよくわかるわよね」
「私が生成したのは、卒業してからだけどね」
そして雅人から飛鳥まで、歴代の風紀委員長もこの場に揃っていた。瞳の法具こそ単一属性型だが、雅人、さつき、雪乃は複数属性特化型、飛鳥は融合型の生成者なのだから、確かにとんでもないし、他校から恐れられるのも当然の話だ。
「次の風紀委員長が、本当に心配になるわね」
かすみにとっては、それが一番頭を痛める問題だった。次の風紀委員長が誰になるかはわからないし、自分の任期が終わってからの話だから、気にしなくてもいいのかもしれない。だが雅人、瞳、さつき、雪乃、飛鳥という一流の生成者が委員長を務めているためか、どうも生徒の感覚が麻痺しているようにも感じられて仕方がない。
そして次の風紀委員長が決まる前に、次の生徒会長が決まる。最有力は現副会長の駆だが、こちらもどうなるかわからない。自分達のように立候補が誰もいない、という事態も十分あり得る。
「先のことを考えても、仕方ないわよ。まずは今を乗り切らなきゃいけないんだから。ねぇ、勇斗?」
「ありがとうございます、瞳先輩」
瞳の言葉と勇斗の笑顔に癒されたかすみは、頭を振って否定的な思考を追い払った。
「それじゃ控室に行きましょう」
「そうするか。あいつら、緊張してなきゃいいけど」
「さすがにしてるでしょう」
「それでもいいけど、無様な姿だけはさらさないように、京介にはしっかりと釘を刺しておかなきゃね」
「瞬矢も怪我しないでくれるといいけど」
「オウカなら大丈夫だと思うけど、ちょっと難しいかなぁ」
だが弟妹に対する姉の言葉は、まさに三者三様だった。
「真桜と瞳先輩は弟や妹を心配してるのに……」
「水谷、お前……ひでえ姉貴だな……」
三人の姉を交互に見やりながら、亨が呟いた。それを合図にしたかのように、全員がゆっくりと控室に向けて歩を進めだした。




