18・武蔵坊弁慶
――西暦2097年11月2日(土)PM14:50 明星高校 生徒会室――
翌日、急遽生徒会が召集された。本来なら今日は明星祭の初日だが、昨日の騒ぎを理由に中止を余儀なくされていた。だが40周年記念や国宝の展示などがあるため、三日の予定を二日に短縮することで許可が出たため、明日から開催される明星祭について話し合っている最中だ。
「ということは、昨日の人達が襲ってくる可能性は、かなり低いとみていいのね?」
「多分としか言えないけどな」
生徒会役員は生徒会長のかすみを筆頭に、副会長の向井、駆、書記の亨、会計の瑠衣、各委員会の委員長と副委員長、水泳部所属の連絡委員会運動部長 檜山 真悟、服飾部所属の文化部長 西原 朱里、そして2年生の生成者で構成されている。現在生徒会室には、各委員会の副委員長を除く全員が招集されていた。
「唐皮の刻印はついでで、狙いはお前だったってことなのか?」
「飛鳥の方がついでで、目的は唐皮の刻印でしょうね。まさかそれと同調して、A級を使ってくるとは思わなかったわ」
風紀委員長の飛鳥は当然、真桜、さゆり、久美、敦も今回は出席した。他人事ではないどころか当事者なのだから、それはいい。敦が昨夜入院していたことも、受けた傷を考えれば当然だ。もっとも本人は、入院する必要はなかったと言い張っているが。
「強度を下げてたとはいえ、私とさゆり、飛鳥君のS級まで防いだものね。それだけでも、狙う理由としては十分だわ」
飛鳥、さゆり、久美のS級を防がれた理由は、唐皮の刻印が属性耐性を上げていたためだった。だが生体領域とは異なり、刻印術の威力と強度に比例して耐性が上がるようだったため、A級とS級を除く刻印術はそれなりにダメージを与えることができていた。もっともこれが、唐皮の刻印が属性耐性を上げていたことに気付くのが遅れた理由でもある。
「あれはビビったな。全くの無傷ってわけじゃなかったのが救いなんだろうが」
壮一郎はさゆりのS級術式ジュエル・トリガーを初めて見た。あんな強力な術式を開発していたことに、心の底から驚いたが、それに耐えた男には、もっと驚いた。あんな術式の直撃を受けたら、確実に灰になる自信がある。
「それでも、プライドがズタズタになったけどね」
「あんな防がれ方をするなんて、夢にも思わなかったからな」
それはS級を防がれた三人にとっても同様で、まさか唐皮にそんな刻印があったとは思わなかったし、900年近く前に、そんな技術が使われていたことにも驚いた。さがそんなことに関係なく、切り札であるS級術式が通用しなかったのだから、三人が受けた精神的ダメージは計り知れない。
「そんなわけで、早急な対策が必要なんだよ」
だから飛鳥もさゆりも久美も、このままで終わらせるつもりは一切なかった。
「連盟や警察に任せておく……わけにはいかないのよね?」
「無理ね。特に飛鳥と敦は、狙われることが確定しちゃったから」
「源義経が三上君、佐藤忠信が井上君の前世って言ってたわね」
「それに真桜の前世が静御前だって言われてたのに、実は久美の前世だったなんてね」
真桜のウラヌス内で怪我人を救出していた生徒会メンバーにも、飛鳥達の前世の人物の名は聞こえていた。真桜の前世が静御前ではないかという説は、前世論でも有力視されていたから、知っている人は多い。
だが真桜の前世は静御前ではなく、義経の正室である郷姫で、久美の前世が静御前だった。さすがにこれは驚いたし、何より久美本人が一番驚いた。静御前は義経の側室と言われているが、実際は側室ではなく、郷姫に仕える舞姫だったようだ。
このことは昨日、雪乃に根掘り葉掘り聞きだされ、真桜から刺殺されるのではないかと思える嫉妬の視線を向けられたのだから、今では自信を持って言える。
「ん?誰が来たんだ?」
だがそこに、来客があった。生徒会室入口に設置されているインターホンが鳴り、生徒会長席に接続されているモニターに来客が表示され、そこから全役員にも誰が来たのかわかるようになっている。
「三条先輩だわ」
かすみが来客を確認し、ドアのロックを外した。雪乃も当事者なのだから、来てくれたことはありがたい。だが来客は、雪乃だけではなかった。
「お邪魔するわよ」
「さつきさん。雅人さんも。どうしたんですか、こんなところに?」
雪乃と共に生徒会室にやってきたのは、雅人とさつきだった。昨日、卓也から連絡を受けた二人だが、鎌倉市にはいなかったため、すぐに駆けつけることができなかった。盾である二人にとっては、まさに痛恨事だった。飛鳥と真桜は二人を責めたりはしないが、逆にそれが辛い。
「経過報告だ。今回の件、思ったより長引きそうだからな」
昨日のことは失態だが、いつまでも悔やんではいられない。そのため雅人もさつきも、情報収集をいつもより密に行っていた。
「ということは、まだ見つかってないってことですね?」
「いえ、現れたわ。場所は厳島神社よ」
「厳島神社って、広島?なんでそんなとこに?」
厳島神社は広島県にある、世界遺産にも登録されている神社で、海上に立つ大きな鳥居、社殿が有名だ。その社殿は平清盛が整えたと言われているため、平家と縁が深い神社の一つとしても有名だ。
だが歴史に興味がない真桜は、厳島神社と平家の関係も知らないようだ。神社の娘がそんなことでいいのかと思わないでもないが。
「まさか、あいつらの狙いは!」
対象的に飛鳥は、心当たりがあった。厳島神社のような大きな神社に知り合いはいないが、厳島神社にあるもので平知盛と教経が狙うとすればあれしか考えられない。
「そうだ。“小烏丸”を奪われた」
続く雅人のセリフで、自分の予想が当たっていたことは証明された。嬉しくはないが。
「やっぱりか!」
「小烏丸?何なんですか、それ?」
「平家の宝刀だ。元々は文化庁が管理していたが、厳島神社は平家と縁が深い。だから戦後になってから奉納された」
「なんでそこまで考えが及ばなかったんだ……」
知盛は唐皮を狙い、この明星高校を襲撃したのだから、平家の宝刀と言われる小烏丸も狙うだろうという推測は難しくない。
「小烏丸造の太刀は何本かあるから、特定は難しいわ。それでも警戒はしていたのに、あっさりと警戒網を破られたそうよ。幸いなのは、民間人には被害が及ばなかったことね」
さつきの言うように、小烏丸造りの太刀は他にも現存している。厳島神社に奉納された太刀は、文化庁が保管していた内の一振りであり、そちらにもまだ保管されている。
昨日の明星高校襲撃によって、狙いが唐皮だということを知った連盟は、各地の平家縁の武具が奉納されている寺社や施設の警備を強化していた。だが急だったこともあり、万全だったとは言い難い。それは刻印術師の家系ではない厳島神社も同様だった。
「そういえば村瀬……っと、平教経の言葉を信じるなら、あいつの狙いはで三上と飛鳥で、他人を巻き込むつもりはないとか言ってました」
「その証拠かはわからないが、教経と相対した術師は、全員生きている。さすがに重傷を負った者はいるが、命に別条はないらしい」
教経はさゆりと対峙していた際、近くで救助を行っていた壮一郎達を巻き込んだ。だがそれは、教経にとっても不本意なことだったらしく、さゆりが援護している間、一切攻撃することはなかった。
「今更だけど唐皮の刻印から目覚めた知盛はともかく、教経はどうやって目覚めたんでしょう?」
響の疑問は素朴だが、重大なものだった。確かに知盛は唐皮の刻印から目覚めた。だが教経は、かなり前から目覚めていたようだった。いつ、どこで、どうやって、という疑問は、確かに重要だ。
「刻印後刻術、だろうな」
「それしかないでしょうね。つまり原因は、アイザック・ウィリアムってわけね。あの男、本当に余計なことをしてくれたわね」
「まったくですね」
だが雅人とさつきは、あっさりと予想を口にした。村瀬燈眞は世界刻印術相会談前、アイザック・ウィリアム率いるUSKIA特殊部隊によって拉致され、刻印後刻術という禁忌の術式を施された。刻印後刻術にはどのような副作用があるかよくわかっていないため、燈眞が前世の記憶を呼び覚ましたとしても不思議ではない。
「ちょ、ちょっと待ってください!それって、どういうことなんですか!?」
「アイザック・ウィリアムって、USKIAの七師皇ですよね?そんな大物が、今回の件に関わってるってことなんですか!?」
「それに刻印後刻術って……禁止されてるはずじゃ……」
だが生徒会の面々からすれば、七師皇が直接関与しているよな事件は知らないし、聞いたこともない。しかも問題が大きすぎて、この場で議題に上がるような話でもない。
「アイザック・ウィリアムは、もう七師皇じゃないけどね。って、話してないの?」
「そんな感じですね。飛鳥君、生徒会って、どこまで知ってるの?」
さつきは雪乃の前、雪乃は飛鳥の前の風紀委員長でもあるため、当時の生徒会に、ある程度の情報は開示していた。だがどこまでかは二人の判断に委ねられていたから、現委員長である飛鳥がどこまで話しているのかは、本人に聞かなければわからない。
「俺と敦と三剣士が、USKIAの軍艦を沈めたことぐらいですね」
二人が開示した情報は当然として、それ以外となると総会談関連の事件ぐらいだろう。
「それだけなの?」
だがさつきは、他にも話していたと思っていたから、意外そうな顔をしていた。
「ちょっと待った!それだけって何ですか!?」
「まだ何かやってたの!?」
対象的に壮一郎と真子は、今にも腰を抜かしそうな勢いだ。飛鳥と敦が、刻印三剣士と同じ戦場で戦っていたことも驚きだし、さらに軍艦まで沈めていたのだから、驚くなという方が無理だ。
「あと何かって言ったら、敦と久美、それから雪乃とアーサーさんかしらね」
「私としては、面白くもなんともない話ですけどね」
確かに久美には面白くない話だ。二対一だったとはいえ、不覚をとってしまい、重傷を負わされた。思い出したくないが反省点は多かったから、時折シミュレーションを行って、あの時の反省点と問題点を洗い出すようにしていた。
「後刻印を施された生成者と互角以上に戦える生成者は、そう多くはないはずだぞ。戦時中も、多くの生成者が犠牲になったんだからな」
雅人は久美、さゆり、敦を見渡しながら口を開いた。急激に成長した三人の実力はほぼ互角で、飛鳥と真桜も融合型を生成しなければ勝つことは難しくなっていた。
「あれ?どうしたの、みんな?」
「どうしたもこうしたもあるか!」
「かすみ……この話、私達は知らない方がいいんじゃないの?」
だがどう考えても聞いてはいけない話だ。できることならこの場から立ち去りたいというのが、生徒会の偽らざる本心だった。
「気持ちはわかるし、私もそうしたいんだけど……」
「生徒会で食い止めないと、学校中が大パニックになるんだよ」
「確かになるだろうけどよ……」
元とはいえ七師皇が関わっていたなど、予想外もいいところだ。この話が校内に広まればパニックになるのは当然で、ならなかったら驚くだろう。
「すまないな。俺達としても、みんなを巻き込むつもりはない。ただ向井の言うように、生徒会には防波堤になってもらいたいんだ」
「防波堤、ですか?」
「知らないこと、知らされないことは意味が異なる。それに今回の件に限って言えば、狙われるのが飛鳥達だけとは限らない」
「それって、どういうことなんですか?」
「飛鳥が源義経、真桜が郷姫、久美が静御前、敦が佐藤忠信。これはほぼ確実だろうけど、源氏、特に義経に縁のある者が、他にもいないとは限らないでしょう?」
「それに飛鳥君達は、あの人達と違って前世の記憶があるわけじゃないし、そもそも本当にそうなのか、まだはっきりとしてるわけじゃないわ。言ってしまえば、一方的に狙われているようなものなの。みんなは一流の生成者だから自分で自分を守ることができるけど、そうじゃない場合は……」
さつきと雪乃の言うとおりだった。飛鳥達は一流の生成者だが、敦の傷を見てもわかるように苦戦を強いられた。それは刻印術師とはいえ、普通の高校生が対応できる問題ではない。
「あっ……!」
「確かにやべえ……」
瑠依と壮一郎も、それに気が付いた。確かに飛鳥達以外にも、前世の記憶を持っているかもしれない刻印術師はいる可能性がある。もし狙われてしまえば、容易に命を落とすことは想像に難くない。
「じゃあ、先輩達がここに来たのは、うちの生徒を守るため、なんですか?」
「無論、それもある。だが最大の理由は、今年の宿泊研修に関門海峡が含まれているからだ」
「関門海峡があるから?」
「もしかして、壇ノ浦ですか?」
「正解よ。現在、平知盛と教経の行方はつかめていないんだけど、去り際のセリフから推測すると、そこは避けられない可能性が高いの」
「昨日の今日ですから、行方不明っていうのはわかりますが、なんで壇ノ浦が関係するんです?」
「平家が滅亡した地だから、ですね?」
「それも正解。教経はわからないけど、知盛はかなり意識してるようだったわ。だから、そこで仕掛けてくるはずよ」
壇ノ浦の戦いで、知盛も教経も命を落とし、棟梁である宗盛も義経に捕えられ、平家による天下は終わりを告げた。そこは知盛にとっても教経にとっても、まさに因縁の地だ。
「そこで問題になるのが、弁慶が既に死んでいる、ということだ」
武蔵坊弁慶は壇ノ浦の戦いでも、義経と共に戦い、平家滅亡に一役買った。その弁慶が既にいないということは、弁慶も今生に転生し、命を落としたとしか考えられない。
「そういや、そんなようなことを言ってたな。何の事だか、よくわからなかったが」
「それが普通の反応でしょうね」
「俺も前世が佐藤忠信だって言われてなけりゃ、意識しなかっただろうからな」
佐藤忠信も壇ノ浦の戦いを生き延びたし、同じく義経の忠臣だ。奥州平泉から行動を共にしていたのだから、親交が厚かったことも容易にわかる。
「覚えてる、わけじゃないわよね?」
「微塵もないな。だけどそんなことを言われたら、イヤでも意識するもんだぞ」
「それはあるかもしれないな」
「弁慶は義経の忠臣ということで有名だし、その義経と一緒に奥州に落ち延びていたはずだよ。その弁慶が既に死んでるって言われたら、確かに気になるね」
その場にいなかった向井だが、弁慶の逸話は有名なものが多い。だからやはり、その弁慶が死んでいるとなれば気にもなるだろう。
「三条先輩、確か前世論を研究してましたよね?三上が義経、真桜が郷姫、水谷が静御前、井上が佐藤忠信だとしたら、弁慶が誰かってことも、予想ぐらいはついてるんですか?」
歴史研究会にも所属している壮一郎は、源氏と平家についてはそれなりに詳しい。同時に真桜が静御前だと言われていることから、前世論にも興味を持っている。だがこの場では、雪乃以上に前世論を研究している者はいないし、飛鳥達と深く関わっている者もいない。
それでも壮一郎は、雅人以外で弁慶に相応しい人物に心当たりがなかった。一瞬、去年粛清されたという噂の同級生 渡辺誠司の顔が浮かんだが、それはないと脳裏から追い払った。
「一応はね。最初は雅人先輩だと思っていたけど、あの人達の言葉を信じる限り、どうやらそれは間違いだったみたい。だとすれば、該当する人は……」
「ああ、あいつしかいない」
雪乃だけではなく、雅人も一人の人物が脳裏に浮かんでいた。
「あいつって……。雅人先輩じゃないなら、いったい誰が武蔵坊弁慶なんですか?」
「……田中、檜山、覚えてるか?去年の夏の、あの日のことを」
飛鳥にも二人と同じ人物しか思い浮かばなかった。だが彼を失ったことは、飛鳥にとって大きな衝撃だった。正直、今でも吹っ切れたとは言い難い。
「あの日って……まさか!」
「会長?檜山部長も……」
「すっごい震えてるけど……大丈夫?」
「大丈夫じゃねえよ……」
かすみと運動部長である真吾は、水泳部に所属している。だから去年の夏のあの日の出来事を、自分の目で見ているし、よく覚えている。
だが同時に、できることなら思い出したくないことだった。一年以上経った今でも、夢に見ることがある。
「武蔵坊弁慶はあたしの兄 立花勇輝だった、ってことね。弁慶の立ち往生と呼ぶに相応しい姿で死んでたし」
答えたのはさつきだった。
「えっ!?」
「さ、さつき先輩のお兄さんって……亡くなられてたんですか!?」
さつきに兄がいたことは、生徒会は知らない。
だがかすみと真吾は知っている。既に死んでいたことも含めて、否応なく。
「ええ。あんまり思い出したくはないんだけど、そういうわけにはいかないみたいだからね」
「田中、檜山。あの時は水泳部にも迷惑をかけたが、今話しても大丈夫か?」
あの日の出来事は、水泳部にも多大な迷惑をかけた。さつきと雅人は直接謝罪に行き、事情も説明したが、それだけでは受けたトラウマの払拭は無理だ。その証拠にかすみも真吾も、本気で怯えている。
「少しだけ、心の準備をさせてください」
「覚悟は決めましたんで、なるべくソフトにお願いします」
だが必要な話だと思ったし、一番ショックなさつきが気丈に振る舞っている姿を見て、二人は覚悟を決めた。なるべくオブラートにくるむように、ソフトな内容に変換してもらうことだけはお願いしたが、これは仕方がないだろう。
「じゃあ雪乃、お願い」
さつきもそれを承諾し、それができるであろう雪乃に任せることにした。
「わかりました。詳細ははしょるけど、去年の夏、ここに侵入しようとしていた過激派を、さつき先輩のお兄さん 勇輝先輩が阻止してくださったの。だけどその時に受けた傷が元で、直後に亡くなられたわ。その後過激派は言いがかりをつけて、亡くなられた勇輝先輩の遺体の引き渡しを求めてきたんだけど、それが飛鳥君、真桜ちゃん、さつき先輩、雅人先輩の怒りを買うことになって……」
「も、もういいです!」
だが瑠依が、泣きそうな声で雪乃を止めた。よく見れば全員が怯えている。
「ソフトめにって言ったのに……」
「十分ソフトだったと思うけどな」
「お前らや先輩達の怒りを買ったって時点で、アウトだろ……」
「そら直接見た水泳部が、頑なに口を閉ざすのも納得だ……」
水泳部は勇輝が死んだ日のことを、誰にも話さなかった。話せないことだという事情もあったが、それ以上に恐ろしかった。だから友人達に聞かれても、頑なに説明を拒んでいたし、1年生の水泳部員にも説明していない。
それはとても納得のいくものだと、生徒会は十分すぎるほど理解できてしまった。雪乃はまだ生成していなかった時期だが、それでも融合型の二人、複数属性特化型の二人が本気で怒り、部隊を壊滅させたのだから、自分でも同じことをしたという確信がある。
「そんなわけで、生徒会のみんなには申し訳ないけど、刻印後刻術が関与している可能性がある以上、国際問題に発展する可能性も高いの」
「つまり、守秘義務ってやつが発生してるわけですか」
だが神槍事件や魔剣事件も経験してしまっていたため、1年生副会長の駆以外は、さつきの話題転換にもなんとかついていけてた。
「ええ。知盛と教経の件は、連盟や軍、そして警察もかなり慎重になってるし、簡単に国際問題になるのよ。教経として目覚めてしまった村瀬燈眞は、USKIAによって刻印後刻術を施されたわけだからね。だけど刻印後刻術の影響だっていうのは、あたし達の推測にすぎないから、そこまで大袈裟な事にはならないと思うわよ」
さすがに元とはいえ七師皇が関与していたとなれば、国際問題どころか戦争にすら発展する可能性が高い。感覚が麻痺してきているとはいえ、この場から逃げ出したい気持ちになるのも当然の話だ。
「脅かしてすまないな。知盛と教経を確保してしまえば、それで解決するだろう。その後どうなるか、どうするかは、俺達の仕事だ」
「脅かさないでくださいよ……」
たとえ脅しであっても、冗談ではすまない内容だ。だが確かに、知盛と教経を確保すれば、雅人の言うとおり解決するだろう。疑問は残るが、それは高校生が関与する問題ではない。
「でも知盛や教経、刻印後刻術のことは、他言無用なんですよね?」
「そうだ」
「まあ、禁忌の術式って言われてるわけだから、それはわかる話ですけど」
刻印後刻術はISC憲章でも禁止されている。だがそれを行ったのが元七師皇となれば、簡単な問題ではない。それに迂闊に口にしてしまえば、自分の身が危なくなる可能性もある。総会談の際、アイザック・ウィリアムが率いていた軍艦と部隊は壊滅したが、正式な理由で駐留しているUSKIA軍は存在するのだから、警戒するに越したことはない。
かつて日本は、軍を持っていなかった。だが第三次世界大戦が勃発してしまい、当時の中国やロシアから攻撃されたことがある。防衛戦に徹し、他国に攻め入ることはしなかったが、それでも隣国から派手に叩かれた。だが何と言われようと、守らなければ占領されるのだから、自衛隊が出動することは当時は当たり前のことで、戦時中にそこから日本国防衛軍が新たに編成されたのは当然の流れだろう。
現在自衛隊は、全て日本国防衛軍に編入されているが、第二次大戦後から日本に建設された旧アメリカ軍基地は依然として存在しており、USKIAは管理という名目で軍を派遣している。地元民は早急な撤去を訴えているが、政府が弱腰のため、いまだ実現の目処は立っていない。
「それにアイザック・ウィリアムっていう元七師皇が絡んでるとなりゃ、ヤバすぎる問題だよな」
「今回の件に、あの男が関与してくることはないでしょうね」
「刻印後刻術を使ったから、ですか?」
「そうだ。だから日本もISCを通して、身柄引き渡しを要求している。とは言っても、元七師皇という肩書があるから、簡単にはいかないが」
アイザック・ウィリアムは、USKIA本国において、刻印後刻術の使用を理由に身柄を拘束されている。日本だけなら突っぱねることもできたが、フランス、オーストラリア、ロシア、中華連合にまで知られてしまったのだから、隠し通すことはできないし、今では多くの国がその事実を知っているだろう。日本政府はUSKIA政府に、アイザック・ウィリアムの身柄引き渡しを要求しているが、元七師皇という肩書を持っているため、USKIAとしても簡単には応じられない。
もっとも日本政府の悪しき伝統、弱腰外交も理由の一つだが。
「どのみち、動けないことに変わりはないでしょうね。そっちは国と連盟に任せるしかないから、あたし達はあたし達で、目先の問題に対処しなきゃね」
雅人が刻印三剣士、さつきが三華星の一人とはいえ、外交に口を出せる立場にはない。それに今回は、全面的にアイザック・ウィリアムに非があるのだから、対応に四苦八苦しているのはUSKIAだ。
「知盛は、飛鳥のミスト・インフレーションを受けている。軽傷だということだが、数日程度で回復する程甘い術式じゃない。その証拠に、厳島神社に現れたのは教経だけだったそうだ」
雅人はミスト・インフレーションの恐ろしさをよく知っている。水属性の術式として開発されているが、実際には熱エネルギーを操ることも可能なミスト・インフレーションは、雅人が開発した氷焔合一の参考にもなっている。もっとも飛鳥はそのことには気付いていないし、ミスト・インフレーションは完成されたS級術式でもある。
雅人の本音とは、飛鳥にミスト・インフレーションの真価を極めてもらいたい。だが一ヶ月程度では無理だ。ある意味、新術式の開発に等しい時間が必要だろう。それでも雅人は、いつか必ずミスト・インフレーションの進化に手を貸すことを決めていた。
「つまりミスト・インフレーションを受けた知盛は動けないけど、ジュエル・トリガーを食らった教経は動けたってことか。昨日の今日だっていうのに……」
「知盛はシルバリオ・コスモネイションとノーザン・クロスも食らったんだから、すぐに動かれたりなんかしたらたまったものじゃないわよ。それに再調整してから実戦で使ったのは初めででしょ?」
「確かにそうですけど……」
「一ノ瀬のジュエル・トリガーだけじゃない。水谷のノーザン・クロス、井上のアンタレス・ノヴァ、飛鳥のミスト・リベリオン、真桜ちゃんのシルバリオ・コスモネイションはまだ完成したばかりだし、何より攻撃力が高すぎる。意識して強度を下げるにしても、感覚を掴むにはまだかかるだろう」
飛鳥のミスト・インフレーション、さゆりのジュエル・トリガーだけではなく、久美のノーザン・クロス、真桜のシルバリオ・コスモネイションも効いていたとは言い難い。だが敦のアンタレス・ノヴァも含め、完成からわずか数ヶ月しか経っていない。術式の習熟度はまだそれ程ではないし、構成を変更したり微調整を繰り返したりしているため、その都度習熟度や練度はリセットされている。
「その点は複数属性特化型が羨ましいですよ」
「なんでだ?」
「処理能力はどうしても複数属性特化型に劣るんだよ。なにせ二つの属性を別個に使っても、並列処理のおかげで単一属性型と同等以上の処理能力があるんだからな」
複数属性特化型は、並列処理能力によっていくつもの術式を同時に処理したり、難易度の高い術式を分散処理させることによって、発動までの速度や強度を上げることができる。つまり練度の低さを、処理能力で補っているわけだ。
「雪乃先輩なんて、それに加えて設置型だものね」
設置型の処理能力は、それだけで複数属性特化型に匹敵するが、雪乃の複数属性特化設置型ワイズ・オペレーターは、部分生成したオラクル・タブレットでさえ、融合型を上回る処理能力を発揮している。だから本体がどれほどの処理能力を持っているのか、久美にも想像がつかない。
「え?三条先輩の法具って、複数属性特化型だったの?」
「ああ。昨日の戦闘で確定した」
「自分じゃ、全然気がつかなかったんだけどね」
ワイズ・オペレーターの能力について、雪乃は生成した日からずっと調べ、確認していた。普段使用しているオラクル・タブレットも、先日使用したブースター・アンプもワイズ・オペレーターの一部だし、他にもいくつかある。だが複数属性特化型だと思ったことは、一度もなかった。真桜やさゆり、久美に言われなければ、おそらくこの先も気づくことはなかっただろう。
「刻印法具って、そういうとこありますからね。でも雅人さん、感覚を掴むって、やっぱり慣れるしかないってことですよね?」
「こればっかりはな。融合型の処理能力なら、ある程度まではなんとかなるだろうが、それでも慣れるための修練はしないと、根本的な解決にはならないだろう」
刻印法具、そしてS級術式の扱いに習熟するためには、実際に使ってみて慣れるしかない。使ってみて初めてわかることもあるのだから、これはどうしようもない。
「俺も早く生成したいと思ってたが、話を聞けば聞くほど、気が萎えてくるな」
「同感ね」
だが壮一郎も真子も瑠依も、刻印術師の目標であり憧れでもある法具生成が、とてつもなく面倒で厄介なものに思えてしまった。
「そういう人に限って、さっさと生成できちゃったりもするのが刻印法具なのよね。先祖返りの人達がそうだし」
「前例ありですかい……」
刻印法具の生成は、才能だけでも努力を繰り返しても、簡単にできるものではない。確かに才能は必要だし、努力も必要だ。本人の確固たる意志も不可欠だ。だがそれでも、生成できない術師の方が圧倒的に多い。例外は先祖返りの術師だけで、事実として先祖返りの術師は、確認されているだけでもほぼ全員が生成者となっている。生成することができない先祖返りの術師は、浩のようにまだ学生なので、いずれは生成するだろうと考えられている。
「それはそれとして、あんた達も自分で決着をつけたいでしょ?」
「ええ。因縁の決着をつけるとか言ってましたが、あんな真似をされた以上、黙って指を咥えてるつもりはありませんよ」
「その機会があるなら、こっちからお願いしたいですしね」
多大な苦労の果てに開発したS級術式が通用しなかった。これは大事だ。それに自分達が総掛かりだったにも関わらず、取り逃がすという失態まで犯してしまった。七師皇から称号を与えられたことを差し引いても、本人達にとって許しがたい事態なのだから、直接借りを返すことができるなら、絶対に返したいと全員が思っていた。
「好戦的だな、おい」
「私と飛鳥は、プライドを傷つけられたからね。向こうが決着をつけるって言うんなら、望むところよ」
「壇ノ浦で襲ってくる可能性が高いのも、ミスト・インフレーションの傷が癒えるだろう時期と重なるという理由もある」
ミスト・インフレーションのダメージは、体内に蓄積される。雅人は身を以てその事実を知っているし、それは死んだ勇輝も同様だった。雅人は火属性に適性を持っているが、勇輝は土属性に適性を持っていた。水は火を消し、土に堰き止められる、という相克関係から、本来であれば勇輝には効果が薄い。
だがミスト・インフレーションは、相克関係がほとんど意味を成さない。人体の約七割が水分でできているのだから、それを利用しているミスト・インフレーションが相克関係を無効化できることも、ある意味では当然の結果だ。雅人と勇輝がミスト・インフレーションをその身で受けた理由は、相克関係と術式の効果を確かめるためでもあった。
だがその結果、土属性に適性を持つ勇輝さえ、数ヶ月は完全に回復することができなかったのだから、同じ水属性である知盛も、少なく見積もっても勇輝と同程度の時間は回復しないだろうと推測できる。
「だからあたしと雅人、雪乃も同行することにしたわ」
飛鳥と真桜が狙われている以上、雅人とさつきは次の行動も決めていた。雪乃としても、飛鳥と真桜に恩義を感じていたため、自ら同行することを申し出ていた。
「来てくれるんですか!?」
それはかすみや生徒会にとって、まったく予期せぬものだった。これほど心強い同行者はいないのだから、こちらからお願いできないものかと思っていた。
「二人を匿っている人物も、只者じゃなさそうだからな。もちろん、早期解決が望ましいが」
知盛と教経を匿っている人物が誰なのかはまったくの不明だが、確実に存在する。これはこの場の全員の共通認識であり、むしろいないと考える方が無理があることだ。だから早期に解決することは、残念ながらないだろうということも、全員が理解せざるをえなかった。
「わかりました。では何かあれば、先輩方にも連絡をするということでいいでしょうか?」
「そうしてくれると助かる」
「手間かけさせて悪いけど、お願いね」
「とんでもありません!こちらこそ、ありがとうございます!」
先輩方の手を煩わせることは心苦しい。特に雪乃は、年明けには受験を控えている。入試で落とされる事例がほとんどないとはいえ、皆無というわけではない。それに雪乃の成績なら、万に一つも落ちることはないだろう。だがそれでも、受験前の貴重な時間を割いてもらうのだから、感謝せずにはいられない。
かすみは心から三人の先輩に感謝し、深々と頭を下げた。




