16・前世
――同時刻 明星高校 校庭 プレハブ付近――
「ヘルヘイムだとっ!?いったい誰が!?」
「これはヘルヘイムなどではない。無明陣と呼んでもらおう」
「無明陣?」
「まさか、プレハブの中にいる人が使ったの!?」
「知っていたか。その通りだ」
「きゃあっ!」
「え?真桜!」
「久美さん!」
「さ、三条先輩?いつここに?」
「さっきよ。それより真桜ちゃんと久美さんは!?」
「そうだった!大丈夫かっ!?」
「大丈夫!ただ押し出されただけみたいだから!」
「当然だ。あのような所でも貴様らを殺すだけなら容易い。だが万が一にも、傷つけるわけにはいかぬからな」
「傷つける?まさか、あんたらの狙いは!?」
「唐皮よ!」
「気を付けて!その人、刻印法具は生成してないから!」
「嘘っ!?」
「それでA級使ったのかよ!?」
「刻印法具を生成しなくとも、A級を使う方法はあるわ。だけど精度が落ちるし、刻印具が実用化されてからは使う術師もいなくなっていたはずよ」
「多分、唐皮です。あの人が唐皮に手をかざした瞬間、ヘルヘイムが発動しましたから」
「どういうことだよ?」
「こっちが聞きたいわよ。あんなの、見たことも聞いたこともないんだから」
「そうであろうな。この唐皮に施された刻印は、我等平家一門の血を引く者にしか反応はせん。いや、血を引く、では語弊があるな」
「教経よ、そこまでにしておけ。我等は平家を再興するために、再びこの世界に生を受けた。だがそのためには、源氏の血を引く者達を始末せねばならん」
「承知しております。幸い、今生での私の肉体は刻印術師、それも生成者のものです」
「貴様の肉体は、刻印術師のものだったか。私は生前同様、何の印もないというのに」
「申し訳ありません。ですがこればかりは、私にもどうすることもできませぬゆえ」
「わかっておる。だがそうであっても、言わずにはおられぬものだ」
「はっ」
「な、なんだ?あいつら、何言ってんだ?」
「村瀬燈眞が刻印法具を生成したのはわかるけど、なんであっちの男は生成してないの?」
「もしかしたら平氏は、刻印術師じゃないのかもしれないわ」
「その通りだ。我等一門は、刻印術師などではない」
「教経、そこまでにしておけと言ったはずだぞ?」
「はっ。出過ぎた真似をしました」
「確か歴史上じゃ、教経はあなたの従弟であると同時に部下でもあったわね」
「部下って、あいつが誰か知ってるのか?」
「平知盛、と名乗ったわ」
「なんだとっ!?」
「知盛って、清盛の!?」
「ということは平家再興ってのも、ただの妄言の類じゃないってことなのね!」
「十分妄言だと思うけどね。だけどそれは後回し。今はあの二人を止めないと!」
「さすがは静だ。郷と違い、こんな時でも冷静だな」
「だから私は静じゃないって言ってるでしょ!」
「知盛様、ここには佐藤忠信もおります。遅れをとるとは思いませぬが、知盛様はまだ目覚められたばかりです」
「万が一を考えろと申すのか?」
「御意。それに物は、これだけではございません故」
「わかっておる。だがせっかくなのだ。遊ばせろ」
「はっ」
「来るわよ!」
「井上君、唐皮の刻印を壊して!」
「こ、壊すって、どうやって!?」
「バスター・バンカーならできるはずよ!私がサポートするわ!」
「りょ、了解!」
「なら、教経は私が抑える!真桜と久美は、知盛って男をお願い!」
「さゆり、大丈夫なの?」
「そちらも私がフォローするわ。それに刻印を壊せば、井上君も戻れるから」
「わかりました。行こう、久美!」
「ええっ!」
「こっちも行くわよ!」
さゆりはストーン・バレットを四発同時に射出した。教経の前後左右から、教経を中心に交差するよう調整されたストーン・バレットだが、その教経はその場から動かず、生体領域だけで防ぎきっていた。
「生体領域だけで防ぐなんて、けっこうプライド傷つくわね……!」
「さゆり!そいつは土属性だ!忘れてんなよ!」
「そうだったわね!」
平教経が土属性に適性を持つことは、肉体が村瀬燈眞である以上、当然のことだ。失念していたのはさゆりの不覚だったが、敦のフォローにも腹が立つ。
確かに男に外傷はない。だが無傷というわけでもない。その証拠に、男は軽く頭を揺すっている。
「なかなかの精度だな」
「それはありがたいことで!」
なめられているわけではない。軽い脳震盪ぐらいは起こしていたようだが、適正属性だったとはいえ、レインボー・バレルから発動したストーン・バレットを生体領域だけで防いだのだから、それだけで力量が高いことはよくわかる。
「見事な精度だな。さすがは虹の戦乙女。だがこれで終わりではあるまい?」
「当然でしょ」
近接戦で敦を苦戦させていたのだから、接近されては太刀打ちできない。そのことをさゆりは理解していた。だからラウンド・ピラーで隆起させた校庭の土をスチール・ブランドで鉄の塊に変え、さらにヒート・ガーデンによって溶かし、教経と自分の周囲に灼熱の海を作り上げた。
「な、なんという恐ろしい使い方をするのか!」
「これで終わりじゃないのよ!」
続けてさゆりが発動させたのは、火性B級広域攻撃系術式バーニング・ロアー。燃え盛る炎は、その見た目だけでも十分恐怖を煽るが、音を加えることによってさらに効果を増す。炎が弾ける度に空気が震え、空気が震える度に炎が勢いを増す。そして音は徐々に大きくなり、海全体から火柱が立ち上り、衝撃波と共に一斉に教経に襲いかかった。
「い、いかん!」
だが教経もさるもので、スプリング・ヴェールを展開させながら、自分を対象にガスト・テイルを発動させることによって灼熱の海から逃れることに成功した。
「まさかガスト・テイルを、そんなふうに使うなんてね!」
ガスト・テイルは風性D級攻撃系術式だが、最大瞬間風速は50メートルを超える突風を生み出す。そのガスト・テイルを連続して自分に発動させたため、灼熱の海を超える距離を跳躍した教経だが、土属性術師の常として、自身も軽くないダメージを負っているようだ。
「だがそれで傷を負っていては、意味がないだろう。もっともあの場に立っていれば、この程度ではすまなかったが」
斬鋼刃を構えている教経だが、さゆりの積層術をかわすために、さらに距離ができていた。遠隔攻撃ができないわけではないが、日本刀状の斬鋼刃と長銃状のレインボー・バレルでは、レインボー・バレルに分がある。
「言っとくけど、私は敦みたいに優しくないわよ?あいつはあんたと同じ土俵で、対等の条件で戦おうとしていた。それがあいつの良い所であり、悪い所でもあるんだからね!」
さゆりは敦の実力が教経より、まして自分より下だとは思っていない。敦は一対一の戦いを好み、できるだけ相手と同じ条件で戦おうとする。それが悪いとは言えないが、そんな状況ではない場合も多々ある。今回もそうだ。敦が教経と一対一で戦った理由は、教経を引き付ける目的もあったが、それだけではないとさゆりは思っていた。
「そのようだ。だがそれは短所ではない。武人としては尊敬に値する行為だ」
「確かにあいつは武人かもね。だけど私は武人じゃないし、こんなことする輩は許せないのよ!」
さゆりにとって、自分の理屈で相手を傷つける輩は敵だと言える。知盛の言ってることはよくわからないが、それが自分本意のものだということはよくわかった。その知盛に従っている教経も、当然だが許せるものではない。
その知盛は、真桜のウイング・ラインと久美のスリート・ウェーブによる積層術を、クリムゾン・レイとアイアン・ホーンの積層術によって相殺し、さらに余波に向けて発動させたダンシング・プラズマによって、大きな火球を作り出し、真桜と久美を攻撃しているところだった。
「こんな使い方をしてくるなんてね!」
「しかも、これで刻印法具なしなんだから、とんでもない化け物よ!」
カーム・キーパーと水性B級広域防御術式フォーリング・カーテンの積層術で凌いだ二人だが、ダメージは軽くない。だが久美にとって驚きなのは、真桜がワンダーランドを手にしているのに、刻印法具のない知盛が、ほとんど互角の威力で刻印術を繰り出していることだ。
「でも真桜、大丈夫?」
「何が?」
「飛鳥君じゃなくて私で大丈夫かってことよ。私と飛鳥君の共通点っていったら、水属性ってことぐらいだし」
「全然大丈夫。やりやすくて助かってるし」
真桜の答えは本心だが、久美はそう思っていなかった。飛鳥と自分とでは、習熟度も法具の特性も何もかもが違う。ほぼ同時期に生成した雪乃のワイズ・オペレーターは複数属性特化型だし、何より雪乃は自分達に合わせてくれるから、同じ属性でコンビを組んでもとてもやりやすかった。久美が飛鳥より勝っている点があるとすれば、支援系に適性を持っていることぐらいだろう。
「本当に大丈夫だよ?なんか久美と一緒だと、安心できるもん。私の前世、郷姫だっけ?それと静御前が一緒だからなのかな?」
久美は嬉しかった。足手まといになることが何より怖かったが、真桜がお世辞を言うようなことはしないし、向けられた笑顔を見れば本当に本心だとわかる。もしかしたら前世でも、こんな感じだったのかもしれない。だから久美も、自然と顔がほころんだ。
「そういえば知盛は、静御前は郷姫に仕えてたって言ってたわね。まさか前世じゃ、真桜に仕えてたとは思わなかったわ。だけど不思議と、悪くはないって思うわね」
「なんで?」
「なんでかしらね」
別に久美は、はぐらかしたわけではない。本当にそれもいいかもしれないと思った。前世でも今生でも、真桜のような姫君に仕えることは、むしろ誇れることかもしれない。きっとさつきも、こんな気持ちだったのではないかと思う。
「それよりこの話は後にしましょう。話し終わるまで知盛が待っててくれるとは思えないし」
「そうだね。それじゃ久美、よろしくね!」
「ええ!」
そして真桜はラウンド・ピラーを発動させ、久美がアクア・ダガーを重ねた。隆起した地面が氷を纏い、氷柱のよりも鋭い槍を幾本も作り出している。
「円環柱に流氷刃を重ねるか」
だが知盛はダークネス・カーテンを発動させ、真桜と久美の積層術を防いだ。氷は光を反射するため、相克関係も作用していたが、易々と防がれる組み方でもない。
「さすがに驚いたぞ。まさか私に、闇之衣を使わせるとはな」
だが防いだとはいえ、知盛の心中は穏やかではない。闇之衣はダークネス・カーテンとほとんど同じ術式だが、難易度はこちらの方が高い。平安時代末期の刻印術は、刻印具によって刻印化された術式とは違い、ほぼ全ての刻印術が術者や近しい者によって開発された術式となっている。この闇之衣は知盛の父 清盛が開発し、知盛が改良を加えた術式であり、現代の刻印術に照らし合わせると干渉系と防御系の特性を持っている。同時に知盛の切り札の一つでもあるため、こんな早く使うことになるとは思ってもいなかった。
「ダークネス・カーテンまで!」
「これは面倒ね……!雪乃先輩と敦君はまだなの?」
予想通り、知盛は唐皮の刻印によって刻印術や生体領域を強化しているようだ。もっともそうでもなければ、真桜に匹敵する精度で刻印術を使うことなどありえないのだから、予想が外れてる可能性もないと思ってもいた。となれば対処法も、唐皮の刻印を破壊するか、唐皮そのものを壊してしまうかだ。
「人間ごときの力で唐皮をどうにかできるわけではないが、好きにさせておく必要もない。遊びは終わりだ」
敦と雪乃がプレハブ内に入ったことは、知盛も知っている。普通の人間ならば捨て置いたかもしれないが、目の前にいるのは郷姫と静御前、唐皮を狙っているのは佐藤忠信の生まれ変わりと複数属性特化型の生成者。万が一を考えた知盛は、唐皮に保険を施していた。
――PM17:23 明星高校 校庭 プレハブ――
「また鬼かよ!」
敦と雪乃の前に現れた鬼は五匹、それぞれ体色が赤、青、黄、白、黒だ。
「さっきまでの鬼より大きいけど、前鬼達よりは小さい。それにこの数……まさか、五鬼なの!?」
「何なんスか、それって?」
「前鬼、後鬼の子供と言われている鬼よ」
「ちょっ!?前鬼、後鬼って、確か役小角の!?」
「ええ、そうよ。さっき真桜ちゃん達は、その前鬼、後鬼と戦ったわ」
「つまり倒せないわけじゃないってことですね」
「ええ。だけど前鬼と後鬼は光と闇に強い耐性を持っていたから、五鬼も何かしらの属性に耐性を持ってる可能性が高いわ」
「それは体色から判断してみますか」
「それが無難ね。じゃあ赤鬼から行きましょう」
「了解!」
敦の返事を合図に、雪乃がエアマリン・プロフェシーを発動させた。五鬼は赤鬼が火、青鬼が水、黄鬼が土、白鬼が光、黒鬼が闇に適性を持っている。だがその五鬼も、前鬼と後鬼を閉じ込めた雪乃の結界を破ることはできず、赤鬼を除いた四体は閉じ込められ、結界内で暴れていた。
「さすが先輩!」
それを確認すると、敦はアンタレス・ノヴァを発動させながら赤鬼に突っ込んだ。同属性に適性を持つモノ同士だがこの場は敦が制した。水性広域探索防御系術式として開発されたエアマリン・プロフェシーだが、雪乃はクレスト・レボリューション同様、こちらにも手を加えている。干渉系の要素も加えた今、無性S級無系術式となったエアマリン・プロフェシーは、赤鬼の周囲に干渉し、火の勢いを弱めていた。敦も同じ条件だが、アンタレス・ノヴァは水の中でも使えるようフレイム・ウェブの特性を組み込んでいるため、多少の水なら炎の水掻きが掻き分ける。当然雪乃もそれを知っている。
無系術式はいずれの系統にも該当しない、もしくは四系統以上の術式を組み合わせた場合にそう呼ばれることになる。多くの無系術式は後者に当たり、広域干渉探索防御系として再調整されたエアマリン・プロフェシーも同様だ。
「やっぱり体色が属性を示してるとみて間違いないですね」
「ええ。だけど井上君にあつらえたかのように、風を示す緑がいないわ」
「倒したと考えますよ。それに、そんなこと考えてる余裕はありませんからね」
「切り替えの早さと責任感の強さが、井上君の良い所ね」
「そうでもないと思いますがね。それじゃ、次行きましょう!」
「ええ。次は黄鬼よ!」
雪乃の援護を受けた敦は、次々と五鬼を倒していった。
だが三体目の黒鬼を倒した直後、言い知れぬ悪寒を感じた。
「な、なんだ……これ!?」
「唐皮から、印子が流れている?」
「なんかマズい!先輩!」
「ちょっと待って!あれは……!」
雪乃は急いでドルフィン・アイを発動させ、真桜達の様子を伺った。だがそこで見た光景は、信じがたいものだった。
「井上君!五鬼は後回しでいいから、唐皮の刻印を破壊して!」
「い、いいんですか!?」
「早く!このままじゃ、さゆりさんが!」
雪乃の声が切羽詰っている。余程のものを見たようだが、話は後だ。刻印破壊の邪魔にならないように、雪乃の負担を減らすために五鬼を倒していたが、その余裕がないなら、すぐに唐皮の刻印を破壊することに、敦も異存はなかった。
「了解!」
バスター・バンカーは術式刻印を破壊する能力を持っているが、刻印化された術式も破壊できないわけではない。
だが刻印化された術式は、対象に組み込まれている。刻印具だけではなく、既製品の衣類や家屋、調度品も珍しくはない。杭を打ち込む、という方法を取る以上、刻印の破壊に成功しても、唐皮が無事ではすまないし、下手をすれば完全に壊してしまう。
もっとも、今回はその心配はない。雪乃はエアマリン・プロフェシーの強度を上げ、残っている青鬼と白鬼の行動を完全に封じ、唐皮にはクレスト・レボリューションを発動させた。クレスト・レボリューションは刻印に反応し、剥ぎ取ることも可能だ。その証拠に村瀬燈眞に施された刻印後刻術の後刻印を剥ぎ取ったことがあるし、今も唐皮の刻印を鎧から引き剥がした。残り二体とはいえ、五鬼を抑えながらそんなことをするのだから、敦が国宝を傷つける、もしくは壊してしまうという心配を抱かなくても不思議ではない。
敦はバスター・バンカーに印子を込め、唐皮から剥ぎ取られた刻印に向かってバスター・バンカーを突き立てた。そして印子を炸裂させ、発動させていたアンタレス・ノヴァによって刻印を焼き尽くした。
「これでいいわ。井上君、急いでさゆりさんのところに行きましょう!」
「こいつらはいいんですか?」
「ええ。氷らせてあるから、しばらくは何もできないわ」
その言葉通り、水属性に適性を持つ青鬼と光属性に適性を持つ白鬼が氷像と化していた。どちらも氷には耐性を持っているはずなのだが、その鬼を氷らせるなど、簡単なことではない。
「水と光の鬼を氷らせるとか、すごいですね」
「話は後よ!教経にはさゆりさんのジュエル・トリガーが効かなかったんだから!」
「なっ!?わかりました、急ぎましょう!」
S級術式が通用しない。これは一大事だ。S級術式は生成者が多大な労力の果てに開発した術式であり、簡単に破られるようなことはない。さゆりのジュエル・トリガーは何度か見たことがあるが、雅人とさつき曰く、攻撃力はS級でも上から数えた方が早い威力を持っており、それは敦のアンタレス・ノヴァ、久美のノーザン・クロスも同等だと言っていた。つまりジュエル・トリガーが通用しなかったということは、アンタレス・ノヴァとノーザン・クロスも通用しない可能性があるということだ。三人とも調整を繰り返し、再登録も終わらせている術式だが、それが通用しないとなれば、確かにただごとではなく、プライドを砕かれる重大事だ。
敦は雪乃と共に、急いでさゆりの下へ向かい、走り出した。




