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刻印術師の高校生活  作者: 氷山 玲士
第六章 前世の亡霊篇

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15・覚醒

――PM17:10 明星高校 校庭――

「もうっ!まだ出てくるの!?」


 ワンダーランドを手にした真桜のシルバリオ・ディザスターによって、鬼は一掃されたかに見えた。だが召喚の刻印には並々ならぬ強化と偽装が施されていたため、何度も鬼達が召喚されていた。


「前鬼と後鬼も、けっこう厄介ね!」

「あれを倒そうと思ったら、けっこう印子を集中させなきゃ無理ね。きゃあっ!」

「久美!このぉっ!」

「こっちもいるわよっ!」


 久美の肩をかすめたのは、前鬼のクリムゾン・バレットに似た術式だった。だがクリムゾン・バレットは火属性であり、水属性に適性を持つ久美には効果が薄い。一流の生成者が発動させた術式であっても、久美にダメージを与えることはかなり難しい。だがその久美の肩が、かすっただけだというのに軽い火傷を負わされていた。


「久美に火属性でダメージを与えるなんて!クリムゾン・バレットじゃないってことなの?」

「多分ね!さっきのは炎と言うより、溶岩って感じだったわ!」


 前鬼と後鬼だけではなく、鬼達が使う術式は体系化された今の刻印術ではなかった。属性という概念は昔からあったが、今ほど明確に区分されていたわけでもない。しかも前鬼と後鬼は、それぞれが光と闇に適性を持っているようで、真桜達の術式も威力が殺がれていた。全力で発動させれば確実に倒せるという自信はあるが、印子を集中させる暇がないし、何より前鬼と後鬼がそれを許してはくれそうもない。

 だがその前鬼と後鬼が、突然結界に捕えられた。


「結界?」

「エアマリン・プロフェシーだわ!」

「ごめんなさい、遅くなって!」

「雪乃先輩!」


 ウラヌスには、まだ校舎へ続くルートが確保されている。そこから雪乃が姿を見せ、オラクル・タブレットを生成し、エアマリン・プロフェシーによって前鬼と後鬼の動きを封じてくれたようだ。


「状況は見てたから、だいたいはわかるわ。だけど今は、あのプレハブの中にいる人を止めないと!」

「プレハブの中?まだ誰かいるんですか!?」

「ええ。エンジェル・アイで確認したわ」


 エンジェル・アイは光属性のC級探索系術式で、ドルフィン・アイやモール・アイと同種の術式だ。光が強ければ精度が増すが、弱ければ落ちるため、使い方が難しい術式だが、雪乃は難なく使いこなしていた。


「エンジェル・アイって、いつ覚えたんですか?」


 だが雪乃と同じく、探索系に適性を持つさゆりとしては、いつエンジェル・アイを覚えたのか、まったく知らなかった。


「昨日よ。みんなに言われてから、私は改めてワイズ・オペレーターの特性を見直したの。そんなことはないと思ってたんだけどね」

「ということは、やっぱり!」

「そうみたいなの。だけどその話は後で。あの大きな鬼は私が抑えるから、みんなはプレハブにいる人を止めて!」

「はい!」


 この場を雪乃に任せ、真桜、さゆり、久美はプレハブへ向かって走り出した。


「私にどこまでできるかわからないけど、これ以上勝手なことはさせないわ!」


 雪乃はエアマリン・プロフェシーを、召喚された鬼達にも発動させた。同時にエンジェル・アイを使い、召喚の刻印を探している。

 天使はユダヤ教、イスラム教、キリスト教の伝承に登場する神の使いを指すが、他にも様々な宗教や物語で登場する。天使は翼を持った女性や子供の姿で描かれていることが多いが、時代を遡るほど、翼のない男性の姿となる。神の使いである天使は、肉体を持たない。そして万物を見通し、神に報告する。天使の目は神の目でもあるため、虚偽は通用しない。


「見つけた!」


 雪乃のエンジェル・アイは、昨日習得したばかりだ。そのため習熟度はゼロに等しい。だがワイズ・オペレーターは、探索系を効率的に使うことができる。それは習熟度の低さを補って余りある特性だ。

 発見した召喚の刻印に向かって、雪乃はクレスト・レボリューションを発動させた。発動したクレスト・レボリューションは、召喚の刻印に干渉し、刻印の情報を書き換え、生み出した光で包み、そして消し去った。


「やっぱり、そうなのね」


 クレスト・レボリューションは水性S級干渉探索系対象感知術式として開発されていた。

 だが今発動させたそれは、光属性の術式をも組み込まれていた。いや、正確には光属性が表に出てきたというべきだろう。光属性は干渉系と相性がいいため、若干の適性があった雪乃は、自分でも無意識のうちに光属性の術式をクレスト・レボリューションに組み込んでいた。

 つまりこの無性S級干渉対象探索系刻印感知術式と言うべき術式こそが、本当の意味で完成を意味する。

 そしてそれは、複数属性特化設置型刻印法具ワイズ・オペレーターとしての特性が、完全に解放された証でもあった。


「私が複数属性特化型だったなんて、思ってもいなかったわ。ワイズ・オペレーターの特性は掴んでいたと思ってたけど、まだまだだったってことなのね」


 そしてエアマリン・プロフェシーに、同じく覚えたばかりの光性B級干渉攻撃系術式レイライン・リコネクションとスノウ・フラッドを発動させた。


「攻撃系に適性が低い私でも、これを生成することで適性の低さを補える。だから覚えたばかりのレイライン・リコネクションでも、さらに強度を上げることができるのよ!」


 ワイズ・オペレーターは本体以外にも、いくつかのオプションを生成することができる。今手にしているオラクル・タブレットもその一つだ。そして今、雪乃の左肩には、スピーカーのような、アンプのようなものが生成されている。


「ブースター・アンプ、起動!」


 刻印術の強度と精度を増幅させるブースター・アンプと名付けられたそれは、レイライン・リコネクションとスノウ・フラッドの刻印を取り込んだ。一度刻印を取り込むという手間が必要だが、威力は少なく見積もっても三倍に増幅される。しかもエアマリン・プロフェシーの結界は、雅人でさえ容易に破ることはできない強度と精度を持つ。ブースター・アンプに刻印を取り込ませて増幅させる時間を確保することも、難しくはない。その証拠に、前鬼と後鬼でさえエアマリン・プロフェシーの中で動けずにいた。

 増幅されたレイライン・リコネクションとスノウ・フラッドは、光の奔流をともなった激しい吹雪となり、本来のホワイト・アウトとは別の意味で、鬼達の視界を結界ごと白く塗りつぶした。そしてトドメとばかりに発動させたウラヌスによって、氷りついた鬼達の体は砕け散った。


「召喚の刻印も鬼も、これで何とかなったわね。えっ?こ、これはっ!」


 だが一息つく間もなく、突然周囲が闇に包まれた。


「まさか……ヘルヘイム!?いったい誰が!?」


慌ててドルフィン・アイとエンジェル・アイを発動させたが、見たのはプレハブ付近で教経に押されている敦と、そこから出てきた一人の男の姿だった。


――PM17:13 明星高校 校庭 プレハブ付近――

「ちっ!剣の腕じゃ、あんたには勝てないってことか!」


 敦の体には、幾本かの切傷ができていた。致命傷には遠く、動きを妨げるほどのものではないし、それは教経も同様だ。だが教経の方が、傷は少ない。


「恥じることではない。貴殿は徒手空拳を得意としているのだから、私に剣で勝てずとも、それは仕方がないというものだ」

「そんな言い訳が通用するとでも思うのか?」

「潔いな」


 敦は空手部でもあったため、バスター・バンカーを生成してからも装備されている爪を使うことが多かった。杭に支援系を纏わせて剣にすることもあったが、どちらかといえば短剣に近い形状だ。そのため日本刀状の刻印法具である斬鋼刃が相手では、間合いも本来の形状も、何もかもが不利だった。


「確かに剣じゃあんたには勝てない。だがこれは剣の戦いじゃねえ!」


 敦はアンタレス・ノヴァを、剣状に発動させた。見た目はファイアリング・エッジと変わらないため、一見しただけではわからないだろう。


「ほう。ほむらだけではなく、いかづちまで纏うとは。今の時代には、そのような刻印術があるのか」


 だが教経は、興味深そうに見ていた。炎の剣、という概念は昔から存在し、比較的メジャーな使用方法でもあったという記述がある。そのため支援干渉系であるファイアリング・エッジやストーム・サーベルといった術式が確立され、光のフォトン・ブレイド、闇のダークネス・セイバーも誕生した。そして敦のアンタレス・ノヴァは、それらの術式を参考にしているのだから、一見してファイアリング・エッジとわからないよう調整することも容易だ。だが敦には、そんな小細工を使うつもりはない。


「それが貴殿の切り札か。ならば私も、相応の刻印術でお相手しよう!」

「なっ!?ヨ、ヨツンヘイムだとっ!?」


 だが教経が発動させた術式は、敦の予想を超えるものだった。


「ヨツンヘイム?ああ、樹震陣じゅしんじんのことか。わかりにくい名をつけたものだ」

「樹震陣だとっ!?」


 敦が驚くのも当然で、かつて日本では、ヨツンヘイムのことを樹震陣と呼んでいた。いつからそう呼ばれていたのかは諸説あるが、どうやら平安時代にはその名称で呼ばれていたようだ。その樹震陣の結界は、敦を中心とした半径5メートルで展開されている。


「私の樹震陣は、平家一門に伝わる刻印術に手を加えたものだ。効果領域は狭くなったが、私の目が届けばそこに死の矢が降り注ぐ。私が“王城一の強弓精兵”と呼ばれる所以だ」

「やってくれるじゃねえか!だがこの程度で勝ち誇ってるんじゃねえぞ!」

「そんなつもりはない。だが貴殿が、私にとっての因縁の相手の一人だということに違いはない。ここで積年の決着、つけさせてもらうぞ!」

「因縁だと!?どういうことだっ!」

「知りたくば、樹震陣を破ってみせるのだな!」

「敦っ!」

「手を出すな!」


 駆け付けたさゆりが、レインボー・バレルを構えている姿が視界に入った。真桜と久美の姿が見えないのは気になるが、自分の援護に来たことはわかる。敦は教経との因縁という言葉が気になっていたから、さゆりに手出しをしてもらうわけにはいかないと考えていた。

 だがさゆりは、止められるとは思わなかったから、一瞬立ちすくんでしまった。


「な、何言ってんのよ!」

「私は構わないのだがな。やはり貴殿は、あの男だということか」


 教経が呟いた言葉は、敦の耳にもさゆりの耳にも届かなかった。変わりとばかりに樹震陣に印子を送り、校庭の土から無数の矢を生成し、それを敦に向かって撃ち出した。


「なろっ!」


 その矢を、敦はガード・プロミネンスとガスト・ブラインドの積層術によって弾き飛ばした。


「やるな。だが、これならどうかな!」


 だが教経は、土の矢を乱射するだけではなく、敦の頭上に集め、全方位からの射撃を行いはじめた。


「そうくると思ったよ!」


 だがこれは、敦の予想通りだった。バスター・バンカーに纏わせたアンタレス・ノヴァを地面に突き立て、ガード・プロミネンスとガスト・ブラインドの積層術に重ね、恒星のような球形結界を作り上げた。


「何っ!」


 敦の積層術は、教経の作り出した土の矢を全て焼き尽くし、徐々に領域を拡大させ、そして内側から樹震陣を吹き飛ばした。


「まさかそのような手で、私の樹震陣を破るとはな……」

「術式破壊は俺の十八番だからな、一応は」


 バスター・バンカーは術式刻印を破壊する特性を持つ。だが今、敦はその特性を使っていない。樹震陣の刻印がどこにあるのか確認することができなかったのだから、使いようがなかった。


「それじゃ、教えてもらおうか。俺とあんたの間にある因縁ってやつを」

「因縁?」

「いいだろう。とは言っても、貴殿もだいたいの検討はついているのではないか?」

「そうなの?」

「ああ。鉄拐山で俺の前世が、義経に関係する誰かって話があっただろ?」

「ええ。だから雪乃先輩は、誰があんたの前世なのか、けっこう調べてるわね。それがどうかしたの?」

「村瀬燈眞……いや、平教経と戦ってる最中、妙な既視感を感じてな。俺は教経と戦ったことは初めてじゃない」

「夏休みに戦ったはずでしょ?」

「その時は教経の記憶は戻ってなかったから、ノーカンだ。教経と戦ったことって言っただろ?」

「それで?」

「どこかはわからないが、俺は教経に、誰か大切な人を殺されてる気がする」

「大切な人を?」

「なるほど。記憶はまだ戻ってはおらぬようだが、うっすらと感じていたか」

「まさか……正解なの!?」

「その通りだ。私は貴殿の兄を、この手で殺した。もっともそれは、限りない偶然だったが」

「兄貴ときたか」

「そうだ。私は貴殿や貴殿の兄と直接戦ったことはない。私の心残りは、貴殿ら兄弟と戦わなかったことだ」

「意味がわからねえよ」

「それでもよい。重要なのは、私が貴殿と戦うことだ。井上敦……いや、佐藤忠信さとうただのぶ

「佐藤忠信って……義経の重臣!?」

「その通りだ。今生では兄 嗣信とともに義経四天王と呼ばれている佐藤兄弟の弟。それが貴殿の前世だ」


 奥州藤原氏に使える佐藤基治さとうもとはるを父に持ち、第三代当主 藤原秀衡ふじわらのひでひらに仕え、当主の命で義経に随行した佐藤兄弟の弟。最期まで義経に仕えた兄弟の名は、後世でも有名だ。


「つまり俺の前世は、あいつと同じで歴史に名を残す人物だったってことかよ」

「意外っちゃ意外ね。ただの一平卒だと思ってたのに」

「おい……」

「(まさか……)理解できたか?佐藤忠信は壇ノ浦の戦い後、吉野の山で義経を逃がすため、自らを囮として死亡したと言われている。対して私は、壇ノ浦で義経と戦い、義経を道連れにしようとしたものの、残念ながら逃げられ、手近な者とともに海に落ち、命を落とした」

「義経の八艘飛びか」

「そうだ。その隙を作ったのが、義経配下最強の武人 武蔵坊弁慶むさしぼうべんけいだ。だが今生の弁慶は、既におらぬ」

「なっ!?」

「弁慶が……いない!?」


 武蔵坊弁慶、五条大橋で義経と出会い、敗北して以来、義経の臣下として死ぬまで仕えた僧兵だ。腕っぷしも強く、義経の危機を幾度も救ったと言われ、奥州で出会った佐藤兄弟とも親交が深かった。最期は平泉において、義経の命を狙った奥州藤原氏から、単身義経を守り、立ったまま死んだとされ、“弁慶の立往生”として後世に語り継がれている。

 だがその弁慶が、既にいないとはどういうことなのだろうか。


「私としても残念だ。義経、弁慶、そして佐藤兄弟は、私にとって宿敵なのだ。特に弁慶には、幾度も辛酸を舐めさせられた。だから教経としての記憶を取り戻した私は、弁慶がこの世に転生していることを突き詰めた。だが既にいなかった。来世で巡り合う可能性が限りなく低い以上、残念だが諦めるしかなかった。だが同時に、源義経、佐藤兄弟も転生している事実を掴んだ。私は歓喜したよ。弁慶は残念だったが、私の宿敵が全員転生していたのだからな!」

「知ったことか!俺の前世が佐藤忠信だろうと、俺は俺だ!前世の記憶なんぞに支配されてるてめえなんぞに、負けるわけにはいかねえんだよ!」


 前世の記憶によって実力が増すとは思わなかったが、それは自分の努力と経験によるものではない。ある意味では自分の努力と経験だが、それに頼ってしまっては今までの自分を否定することになる。

 敦は今の自分があるのは飛鳥のおかげだと思っている。飛鳥が義経だとは語られていないが、ほぼ間違いない。前世でも今世でも縁があったことには驚いたが、それはそれだ。敦は源義経ではなく、三上飛鳥に恩義を感じてるのだから、前世で主従だったとはいえ、そんなものを持ち出したくはない。


「それでもよい」

「行くぜ、教経!何であれ、お前はここで止める!」


 敦は再びアンタレス・ノヴァを、バスター・バンカーの杭へ発動させた。


――同時刻 明星高校 校庭 プレハブ――

 さゆりと別れた真桜と久美は、目的のプレハブに入ったところだった。


「……中は無事みたいね」

「うん。あっ!あそこに誰かいる!」

「あれは唐皮?何をしてるの?」


 おそらく雪乃が止めるよう指示した男が、唐皮の前に立っていた。だがどう見ても、普通に見てるだけではない。その証拠に、唐皮に何かが見えた。


「来たか。だが遅かったようだな」

「遅かった?」

「誰なの?」

「我は平家最後の棟梁 平清盛たいらのきよもりが四男 平知盛たいらのとももりなり」


 男が名乗った名は、まさかの清盛の息子だった。

 平知盛は清盛の四男で、兄 宗盛むねもりが棟梁の座を継いだ後、平家軍の大将として源氏一門を苦しめていた武将だ。だが宗盛が優柔不断な性格をしていたらしく、配下は知盛が棟梁の座に就くことを望んでいたとも言われている。


「た、平知盛!?」

「教経に続いて知盛まで!どうなってるのよ!?」


 教経だけでも驚きなのに、知盛まで出てくるなど、何と言ったらいいのかまったくわからない。


「ほう。そこにおるは郷姫さとひめか。今生では幼い面立ちだが、やはり義経には勿体ない。それにそこの女は静ではないか」

「さ、郷姫?私のこと?」

「ということは、私が静ってこと?って、それってまさか、静御前しずかごぜん!?」


 続く知盛の言葉に、さらに驚かされた。郷姫はおそらく郷御前のことだろうから、雪乃が予想していた真桜の前世だということになる。だが久美を静御前と言ったことは、驚く以外にできることがない。


「覚えておらぬのか?」

「何のことよ!?」

「ふっ」

「感じ悪いわね!」

「覚えておらぬとは思わんかったのでな。主 郷姫、母 磯禅師いそのぜんじに守られ、私の求愛を拒み続けることができた京一番にして唯一の白拍子しらびょうし。義経の庇護を受けてからは、さらに高嶺の花となったな」

「真桜じゃなく私が静御前だったってことも驚きだけど、その言い方だと静御前は、郷姫さんに仕えてたことになるわね」

「その通りだ。その後どうなったかまでは知らぬがな」


 久美は今年の夏越祭で、鶴岡八幡宮の舞殿へ入ったが、別段何も変わったことはなかった。静御前が鶴岡八幡宮で舞ったことは有名なのだから、多少の違和感や既視感ぐらい起きてもおかしなことではない。

 だが知盛は、静御前は郷姫に仕える白拍子だと答えている。静御前は真桜だと言われていたのだから、久美はそんなことを考えたことは一度もなかった。


「それに郷姫って、なんなのよ!?」

「義経の正室にして、唯一の妻であることも忘れたか。ふっ、義経も不憫だな」

「義経の!?」

「でしょうね。というか真桜、雪乃先輩からさんざん聞かされてたでしょ?」


 郷姫=郷御前は義経の正室であり、雪乃はその女性こそが真桜の前世ではないかと推測していた。だから真桜も、その名は何度も聞かされていたはずだ。久美でさえ聞き覚えがあるのだから、それは間違いない。


「歴史なんかできなくても、生きていけるもん!」


 だが真桜は、本当に覚えていなかったようだ。この分では、学期末試験では赤点を取ってしまうのではないかと思えてしまう。


「今がその生死の分かれ目でしょうに……」

「ふははははっ!今生の郷姫は面白いな。静も手を焼いているようではないか」


 知盛が笑うのも、仕方がないことだろう。遺憾ながら、久美もそこに異議を見出すことができなかった。


「私は静じゃないわよ。前世がどうだろうと、今は関係ないしね。手を焼いてるのは事実だけど」


 融合型の生成者だと知った時は、敬意すら抱けた少女だが、長く接しているうちに実は見た目だけではなく、性格も若干幼いことがわかった。時々オウカの方が姉に見えるのだから困ったものだ。もっとも見た目では、完全に真桜が妹扱いされているが。


「ひっどーい!」

「それで、どうするつもりなの?」


 そんな真桜の非難の籠った声を聞き流しながら、久美は知盛との話を進めた。


「どうする、とは?」

「その鎧、持って行かれると困るんだけど?」

「あっ、そうだった!大人しく事情を説明してくれるんなら、手荒なことはしないけど?」


 軽く頭痛がした。実戦経験では真桜の方が圧倒的に上なのに、それを感じさせないとはどういうことなのだろうかと問い詰めたい。


「困るも何も、この鎧は我が平家一門に伝わるものだ。私が持って行っても不都合はあるまい?」

「あるに決まってるじゃない!平家に伝わる鎧でも、その平家はもう滅亡してるんだから!」

「それは知ってたのね。でも真桜の言うとおりよ。それにあなたが平知盛だという証拠は何もない。前世の記憶がどうとか言ってるけど、それこそ何の証拠にもならないわ」


 その通りだった。前世が平家の人間だから自分に所有権がある、などと言い出してはキリがない。そもそも証明する手段がない。仮にDNA鑑定ができたとしても、転生した肉体なのだから一致することはない。そんなことがまかり通ってしまえば、それに便乗した者が次々と際限なく出てくることは間違いない。


「異なことを。私が知盛であることは事実だ。その私が、一族の秘宝を取り返しに来ても不思議なことではあるまい?」


 だが知盛は、逆に不思議そうに尋ね返してきた。自分が正しいのだからそれのどこが悪い、などという子供の理屈ではあるが、どちらかと言えば優位論者の理屈に近い。


「これはダメね。とても話し合いでなんとかなる相手じゃないわ」


 だから久美は、話し合いが無駄だと悟った。


「実力行使しかないってことか」


 真桜も同意見に達し、ワンダーランドを握り直した。


「そうであろうな。だが教経程度に手こずるようでは、私を倒すことなどできんぞ?」

「確かに敦君が苦戦してるのは驚きだけど、さゆりも行ったから大丈夫でしょうね」


 夏休みは刻印後刻術の影響があったとはいえ、久美一人でも何とかできなかったわけではない。だから敦が苦戦するとは思わなかった。その敦が苦戦していたのだから、目の前の男も相応の実力を持っていることに疑いはない。


「それはこっちも同じ。知盛がどんな人かは知らないけど、私と久美を相手に、簡単に勝てるなんて思わないでよね」


 久美は飛鳥と同じ水属性に適性を持つ。そのため風属性の真桜とは相性がいい。それに久美の実力は、真桜もよく知っている。久美と二人なら、この男を捕えることができると思っていた。

「はたしてそうかな?」


 だが知盛は、ニヤリと笑うと、唐皮に手をかざした。


「え?」

「嘘っ!これって!」

「ヘルヘイム!?」


 知盛が発動させたのは、闇性A級広域対象術式ヘルヘイムだった。

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