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キキキーッ! ドォン! グワッシャッ!
「っ……っ!」「わ…ああっ…!」「くそおっ!」
怒号が飛ぶ、悲鳴が響く。
半身ほど路地から乗り出してみると、オートバイが数台絡むようにして止まり、中には転がっているのもあるのがわかった。しかも、ポリバケツを破壊したらしく、辺りに散乱する生ゴミ塗れ、悪臭とべたべた汚れが一気に撒かれている。
「やっ…!」
たね、と続けたかったが、すぐに腕を引っ張られて後ずさりした。耳元に口を近づけた直樹が叫ぶ。
「あんたもたいがい、無茶な人だな!」
ほら、来たぜ!
直樹が促すまでもなく、バイクに乗っていた男が俺達に気づいて走ってきた。呑気にそちらを眺めていた俺に向かって、気合いとともに拳を繰り出してくる。
「わ!」
その瞬間、足下に散っていた生ゴミで滑った。どすっと尻餅をついたとたん、踏ん張っていた両足が蹴り上がり、相手の脚を引っかける。俺の頭上で相手が呻いてひっくり返る。
落ちてきた男の体を、俺はかろうじて避けた。
「今のうちだぜ、滝さん!」
「ああ!」
俺達は逆方向へ向かって走り出した。
「前!」
「っ」
正面から走り込んできた男を、瞬時の当て身で直樹が倒す。
「そっちだぞ!」「回れっ」「逃がすな!」
叫び声が飛び交う中、俺達は走った。
法治国家日本なんて、誰が言った。世界に冠たる日本警察は何をしてる。息を切らせながら考える。これだけの物音、これだけの騒ぎ。なぜまだやってこない。曲がる角、流れる路地、慌てて逃げ去る野良猫。
二人して細い路地へ再び逃げ込んだ時には、もう話すどころじゃなかった。荒い息を吐きながら、お互いの顔を見るともなく見つめて、同じことを考えているのを知る。
(いつまでもつ?)
「ふ、ぅっ」
深い息を一度吐いて、すぐに再び喘ぐ呼吸になりながら、直樹は膝に両手をついて前屈みになり、体を支えている。左手の甲に改めて紅が糸を引き始めている。
「大丈夫か?」
乱れる呼吸を何とか整えて、肩を上下させている相手に声をかけた。呼びかけに上げた直樹の顔に、まだ不敵な笑みが残っているのにほっとする。
「夜の方が調子…よくってね」
にっと直樹は笑った。
ウワァン、と遠くでバイクが唸る。
「ここもいずれ見つかっちまうな……は、ご大層なこったぜ」
ひねた口調でぼやきながら身を起こす。
「ま、綾野と日本支部にとっちゃ、起死回生の機会だからな」
「キシカイセイ?」
漢字が思いつかない。きっと脳味噌が前代未聞の酸素不足に陥っているんだろう。
「そっ。つまりさ…」
直樹の話すところによると、綾野の失敗は組織全体に響くものだった。綾野一人失脚するのならまだしも、周一郎という敵を引っ張り込み、あまつさえ公的な警察権力の介入を呼び込んだ。壊滅状態になりかけた組織は、綾野に責任を取るように詰め寄り、仕方なしに彼は大勝負に出ることにした。
モレリー・コレクションの密輸だ。
「もれりー・これくしょん?」
「……あんたが言うと、珍獣大紹介みたいな感じがするな」
「ほっとけ」
「モレリー・コレクションって言うのは、無名だが一部のマニアの間で異常に高値で取引されているモレリー家のコレクションで、未来へ残す国家的な美術遺産の一つとして注目されているんだ。ただ、モレリー家の当主はひねくれた老人で、今回全てのコレクションを放出するにはするが、美術館関係者と外国人には一切売らないと言い出した」
直樹はひょいと肩を竦めた。
「もちろん、そのままでは、コレクションは美術愛好家の眼に触れることなく、世界中に散ってしまう。そこでじいさんは少し譲歩したんだな。コレクションの買い手が決まった後、主要各国で各々一週間前後の展覧会を行う、責任はモレリー家のもとにおく、と。この巡業旅行を狙ったのが綾野で、展覧会の間に偽物と取り替えて売買してしまおうって魂胆らしい」
そんな危険なんか、深く考えなくても想像つくだろうに、金持ちの考えることはわからない。
「まあ、自分達の手に入れたものを見せびらかしたい、羨ましがる周囲の顔を見てやりたいってとこじゃねえのか」
「ふうん…」
「そこに、罠を仕掛ける」
再び遠くの方で響いた爆音、ぽつりと呟いた直樹の目が、一つ向こうの路地を駆け抜けた光条を追った。
「罠か…」
お由宇の謎めいた微笑が脳裏を過った。
確かに綾野にとっても大勝負だろうが、こっちにとっても大博打なんじゃないだろうか。へたをすれば、こっちが強盗団に仕立て上げられかねないんじゃないだろうか。いや、それだから、あのアンリとかいうのが関わってきているんだろうか。
ふいに、路地を眩い光が照らし出した。
「居たぞ!」
「滝さん!」「ああ!」
俺達は再び走り出した。それでも、どうしても怪我のせいで一歩遅れた形になる直樹に光が迫る。
「くそっ」
息を切らせながら前をみる、と。
「直樹!」
思わず叫んで後ろを振り返った。前方から突っ込んでくる一台のバイク、その背後に乗用車のヘッドライトらしいものも迫ってくる。思い出したのは京都の竹林、車まで出して狩り込もうというのか。
振り返った視界に直樹が脚をふらつかせるのが映る、その真後ろにライト……。
「っっ!」
俺は直樹に飛びかかった。精一杯伸ばした手で直樹を突き飛ばす。直樹が跳ね飛び、俺はライトの進路に片足残して道路に転がる。
「!!」
轢かれる。
と、前から来ていたバイクがきしり音をたてて斜めに突っ込んで来たかと思うと、俺を轢こうとしていたバイクと俺の間に割り込んだ。突っ込んできたバイクが間一髪、進路を逸らせて急カーブし、手前の路地へ飛び込んで走り去る。
「志郎!」
ぽかんとしている俺に、お由宇のきびきびした声が飛んできた。今まさに轢かれようとするのから助けてくれた乗り手が、バイクを止めてこちらを見ている。フル・フェイスのバイザーを跳ね上げた隙間から、お由宇のくっっきりした顔立ちが覗いていた。
「早く! アンリの車に乗って!」
振り向いたワイン・カラーの乗用車の窓から、顔を出したアンリが叫ぶ。
「ハヤク! 滝サン! ナオキ君!」
お由宇がアクセルをふかし、鮮やかなターンを決めてバイク連中に突っ込む隙に、俺と直樹はアンリの車の後部席に転がり込んだ。
「掴マッテ!」
片目でウィンクしたアンリがハンドルを切り回し、一気に加速する。背後から獲物を捕らえ損なった悔しさに唸るバイク音、追いかけようとしているのをなおも牽制したらしいお由宇のバイクがすぐに追いついてくる。入り組んだ路地のはずだが、くるくると迷路を擦り抜けるように走り抜け、アンリとお由宇は見事に脱出を成功させた。




