39.恋人らしく
朝、いつもの時間になっても、オウガは待ち合わせ場所に現れなかった。
もしかして、体調が悪いのかな。
そんな心配をしていたら、『先に会社へ行っている』というメールがしばらくして届いた。
今日は早起きでもしたんだろうかなんて考えながら、電車に乗って会社へ行くことにした。
「……朝倉さん、ちょっといいか」
会社に着くなり、暗い面持ちで話しかけてきたのは、私とオウガの上司である岡崎課長だ。
ここじゃちょっと話しづらいというので、応接室で向かい合って座る。
「こんなことを聞くのはどうかと思うんだが……桜河くんとうまく行ってないのか?」
「えっ?」
いきなりそんなことを尋ねられて戸惑えば、実はなと岡崎課長が口を開いた。
「桜河くんが、辞表を出した。止めたんだが、国へ帰ると言われてな。いつ戻るかわからないし、迷惑はかけられないから辞めるそうだ。朝倉さんには言うなとキツく言われたんだが……心当たりはないか?」
心の奥がひゅっと冷えたような心地がした。
オウガが……辞表?
国に帰るって、どうして?
「何も……聞いてなかったんだな。一応本人を説得して、休暇という形にした。一ヶ月後に一度戻ってきてもらって、話合いをしようということになったんだが……」
わけがわからなくて固まる私に、岡崎課長がすまなさそうな顔をした。
「ちょ、ちょっと待ってください。オウガに電話をかけて確認しますから!」
これはどういうことなんだろう。
携帯をポケットから取り出せば、オウガからメールが一件届いていた。
『しばらく留守にするから、オレの家には来るな』
そう、一言だけ書かれていた。
電話をかけたけれど、電源が入ってないというアナウンスが返ってきて、愕然とする。
「こんな状態じゃ、朝倉さんも仕事にならないだろう。まだ、家にいるかもしれないし、休んでいいぞ。私は君と桜河くんを気に入ってる。できれば、説得してきてくれ」
「ありがとう……ございます」
岡崎課長にお礼を言い、タクシーを飛ばしてオウガのマンションへと向かった。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
「オウガ、オウガっ! いる!?」
ドンドンとドアを叩いたけど、返事はない。
合い鍵を持っていたので、差し込んでドアを開けて。
そして、目の前の光景を……疑った。
がらんとした室内には、何もない。
白と黒を基調としたオシャレな部屋だったはずなのに、壁紙さえ貼り替えられ、窓にはカーテンすらついてなかった。
オウガがいなくなった。
――国に帰ってしまった。
頭の中でぐるぐると言葉が繰り返されるのに、その意味を脳が理解しようとしない。
この部屋を見れば、オウガがここに戻る気がないことは明らかだった。
どうして?
私が……恋人らしくできなかったから?
最初の日にオウガを拒んだから?
離れたいなんて……言ったから?
嫌だ。嫌だ、嫌だ。
オウガがいなくなったなんて――嘘だ。
想像していた以上の喪失感が、胸を襲っていた。
好きだって言ったくせに、こんなにあっさりいなくなるなんて酷い。
親友のままでいいと思いながらも、恋人になったのは――オウガと一緒にいたかったからなのに。
立っていられなくて、フローリングに崩れるように座り込む。
しばらくの間、そこから動けなかった。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
『メイコ、おひさ! 休み取れたから遊ぼうよ!』
そんなメールが幼馴染のサキからきたのは、オウガがいなくなって三週間目のことだった。
あれから私は、何もないオウガのマンションで……ずっとオウガを待ち続けている。
オウガが、帰ってくるかもしれないと思えば、仕事も手につかなくてミスばかりして。
気を遣った岡崎課長が、私に休暇をくれていた。
いなくなってから初めて、オウガがどれだけ大きな存在だったか思い知る。
オウガの好きに、もっと真剣に向き合って……応えればよかった。
関係が変わることが怖くて、親友という立ち位置の居心地がよくて。
自分が楽だからと、オウガにもそれを強いていた。
何度もそのことを悔やむ。
オウガのことばかり、考えていた。
オウガのこと……サキに相談してみようかな。
相談したところで、何も変わらないかもしれない。
でも、こんな気持ちのままは嫌で、重い気持ちのままオウガのマンションを出た。
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
「へぇ、そんなことになってたとはねぇ。オウガの奴、メイコをあきらめて国に帰ったんだ」
今までの経緯を話せば、サキは驚いた様子で呟いた。
「それでメイコは、オウガがいなくなって寂しいと」
「……うん」
サキの言葉に頷く。
「オウガは……ずっと側にいてくれるんだって、思い込んでたの」
「彼氏ができれば、オウガと今までの関係は続けられないしその逆も一緒だ。前に彼氏ができたときに、気づかなかった? オウガがメイコに恋愛感情を持ってる以上、友達のままずっと側になんて、できるわけないじゃん。それただオウガが辛いだけだし」
甘い私の考えを、サキが一刀両断する。
痛いところをズバズバと突いてくるけれど、それが今はありがたかった。
「メイコがオウガとずっと仲良しでいたいなら、恋人になる以外になかったんだよ。簡単に思いつくことだと思うけどね」
「でも……なんていうか、オウガへの好きは恋愛の好きじゃないというか。恋ってもっとこう、刺激的なものだと思ってた」
私の言葉に、サキが肩をすくめる。
「ゆっくり育む恋もあるでしょ。それに、オウガのほうがメイコに恋してたじゃないの。誰から見てもわかりやすいくらいにね。メイコは想われる側で、想う側じゃなかっただけの話」
サキはまっすぐに私を見つめてくる。
瞳の中を覗き込まれれば、全てを見透かされているような気がした。
「大切なのはメイコにとっての幸せは、何かってこと。幸せの形を思い描けば、きっと未来は見えてくるはずだよ。メイコは……オウガとどうなりたいの?」
私の中にある問いをすくい上げるように、サキが言葉にしてくれる。
不思議と静かな気持ちで、自分の心に向き合うことができた。
「私は……オウガとずっと一緒がいい」
オウガの側だと、楽で。
遠慮なくよりかかって、甘えられる。
どんな情け無い私でも、オウガは受け入れてくれると不思議なくらい信じられたから、安心できた。
ふとした瞬間に、私を呼ぶオウガの優しい声を思いだす。
大きな手で頭を撫でてほしいなって思う。
オウガのくれる愛情に、すっかり慣らされていたんだなと思いしる。
この心地よさを知ってしまったら、手放すなんてできるわけがない。
「でも、オウガの気持ちにずっと気づかないで、気づいても戸惑ってばかりだったから。さすがにオウガも呆れたんだと思う」
自分の言葉で落ち込む。
嫌われてしまったと思うと、苦しくてしかたなかった。
「実はさ……さっきスーツ姿のオウガを、駅で見かけたんだよね」
はぁとサキが大きく溜息を吐く。
バッと顔を上げた私に、面白くないというような顔をした。
「服装からして、会社に行くところだったんじゃないかな」
「ありがとう、サキ!」
サキにお礼を言って、私は喫茶店を出た。




