勇者とは①
ランスロット。
かつてアレンと対峙し、そして人の手によりその命を散らされし蒼の騎士。
幼き日。父を失い、たどり着いた湖。その地で加護を受け、蒼の力をその身に宿した女騎士。
蒼の鎖が、水音を立ててアレンの足元に絡みつく。
それは締め付けるための束縛ではない。
暴走する意思を、現実へと繋ぎ止めるための錨。
「ラン、スロット?」
掠れた声で名を呼ぶアレン。
その瞳に宿っていた闇が、わずかに揺らいだ。
女騎士ランスロットは、静かに一歩前へ出る。
剣は抜かない。
構えも取らない。
ただ、真っ直ぐにアレンを見る。
「貴方が今、向けているそれは“敵意”ではありません」
凛とした声。
だが、冷たくはない。
むしろ、哀しみを孕んでいる。
「それは“恐怖”です。奪われることへの。また、失うことへの」
少女が、つまらなそうに首を傾げた。
「あーあ。水の亡霊かぁ。邪魔しないでくれる? 今、すっごく大事なところなんだけど」
「黙りなさい」
ランスロットは、一瞥もくれずに言い放つ。
「貴女は、アレンを“勇者”としてではなく“壊れた器”として完成させたいだけ」
少女の笑みが、わずかに歪んだ。
「へぇ?」
蒼の加護が、静かに脈打つ。
ランスロットは続ける。
「勇者とは、憎しみを力に変える存在ではない。憎しみを越えて選ぶ者」
その言葉。
それにアレンの胸が痛んだ。
思い出す。
血に染まった手。
叫び。守れなかった背中。
「やめろ」
アレンの声は、震えていた。
少女は、嬉しそうに両手を広げる。
「ほらほら!いい感じだよ、アレン。そうやって苦しんで、憎んで、世界ごと消しちゃえば」
その瞬間。
水音が、世界を裂いた。
ランスロットの足元から、蒼き奔流が立ち上る。
それは少女とアレンの心に、明確な“境界”を引いた。
「これ以上、彼に触れるな」
初めて、剣を抜く。
蒼の剣。
それはかつて、裏切りと悪意の中で折れたはずの――信念。
「私は一度、人の悪意に殺されました」
静かな告白。
「それでも私は、信じることを捨てなかった。なぜなら」
視線が、アレンへと向く。
「この人が、“勇者”だからです」
蒼の鎖が、音もなくほどける。
しかし、アレンはもう前へ踏み出さなかった。
拳を握りしめ、歯を食いしばり。
そして、少女を見る。
「消したいのは、お前だ」
低い声。
だが、先ほどのそれとは違う。
「世界じゃない。俺の中の闇でもない」
少女の目が、細められる。
「へぇ。それ、誰に教えてもらったの?」
アレンは、答えない。
ただ一歩。
今度は――自分の意思で、前へ出た。
闇と蒼。
それが交わり、少女へと敵意を向けた。
蒼と闇が交差する、その狭間。
ゼウスは歯噛みしながら、少女の前に立ちはだかる水の奔流を睨んでいた。
先ほどまで向けられていた“玩具を見る目”が、今は完全にアレンへと移っている。
「チッ」
舌打ちひとつ。
だが、もう突っ込まない。
本能で悟っていた。
今、出るべきは自分じゃねぇ。
その背後で、ブライが短く息を整える。
冷静さを取り戻しながら、即座に戦場を把握していた。
(ランスロット卿が“錨”。ゼウスが“壁”。
なら――)
「全員、散開準備!!」
鋭い号令。
「あやつはアレン様を“一点突破”で壊しに来ている! ならば、こちらは“点にさせない”!!」
ブライの言葉に、少女が楽しそうに目を細めた。
「へぇ。人間にしては、悪くない判断」
その瞬間。
空間が、歪む。
少女の背後に、無数の“影の手”が浮かび上がった。
それは攻撃ではない。
干渉だ。
「でもね。人数が増えたところで」
影の手が、ブライへと伸びる。
だが。
「甘い」
低い声と共に、ゼウスが前に出る。
「てめぇが相手してんのはな、“勇者だけ”じゃねぇ」
雷鳴。
ゼウスの拳が地を叩き、雷光が奔流のように走る。
影の手は弾け飛び、空気が震えた。
少女が、初めて小さく目を見開く。
「へぇ?」
「今のは“俺の役割”だ」
ゼウスは、牙を剥くように笑った。
「勇者が前に出るなら、俺はアレンの背中を守る」
その言葉に、アレンの肩がわずかに揺れる。
守られる。
かつて、許されなかった行為。
誰かに背を預けること。
ランスロットが、静かにアレンの横に並ぶ。
「勇者アレン。貴方は“一人で背負う者”ではありません」
蒼の剣を構え、前を向いたまま言う。
「それは、私が命を懸けて証明します」
ブライが、詠唱を始める。
「術式展開――《多重結界・人理縫合》!」
光の陣が、足元に走る。
個々を繋ぐ補助術式。
力を共有し、損耗を分散させる陣。
少女は、くすくすと笑い出した。
「ふふ……いいねぇ。“勇者を勇者たらしめる存在たち”」
視線が、アレンに突き刺さる。
「だからこそ。壊しがいがある」
次の瞬間。
少女の姿が、二つに分かれた。
「なッ!?」
ブライが声を上げる。
「分身体!? いや、違う……概念投射――!」
一体はアレンの前へ。
もう一体は、ランスロットの正面に。
「選びなよ、アレン」
二つの少女が、同時に口を開く。
「“守るために壊れる”か“壊さずに守る”か」
その問いに。
アレンは、剣を握り直す。
震えはない。
闇は、ある。
だが、飲み込まれていない。
「どっちも、違う」
低く、しかし確かな声。
「俺は選ぶ」
蒼の加護が、闇に染み込むように混ざり合う。
それは相殺ではない。融合でもない。
制御。
「守るために壊れる必要はない。壊さずに守る覚悟が、勇者だ」
少女たちの笑みが、初めて止まった。
その刹那。
アレンが、踏み込む。
狙うは――“問いを投げてくる存在そのもの”だった。




