俺をすすれぇ!
「俺を食うのか」
カップそばがしゃべったぁあああ!
「おい冗談だ。本望だ、気にせず喰らえ」
カップそばがしゃべったぁあああ!
「いいから俺をすすれぇ!」
二十三時三十分。
俺はカップそば相手に一人で大絶叫していた。
「俺だってなぁ、手打ちそば、それも十割そばに生まれたかったわけよ。まぁ、あいつらはそもそも生まれから違う、そば界のサラブレッドだから端っから俺には無理な話なんだけどな。言わば貴族と平民、月とすっぽんそばとうどんよ。おっと、今のは聞かなかった事にしてくれ。うどんの野郎に知れたら面倒だからよ」
日付が変わり零時十五分。
俺はカップそばの半分意味の分からない自分語りを聞かされている。
家賃三万八千円。六畳一間でキッチンはまな板も冷蔵庫も置くスペースも無い。
部屋に扉も無く玄関から丸見えのこの部屋で、俺は今一人、カップそばの半分意味の分からない自分語りを聞かされている。
「たかが女にフラれた位でこの世の終わりみたいな顔しやがってよ。生まれた時から恵まれてねぇこの俺はどんな顔すりゃ良いってんだ」
一時五分。
ようやく自分語りが終わったと思ったら、今度はカップを揺らし怒り始めた。
そばは多少なら自力で動けるのか。
お、怒ったらそばつゆが温まった。
そばの観察日記って論文か書籍を出したらウケるんじゃないだろうか。
……無理だな。上手くいって児童文学か絵本だ。
恐ろしいことに、そんな感想を抱くほどこの状況には慣れた。
「やい、聞いてんのかテメェ! 人の事見下ろしてねぇでなんか言ってみやがれってんだ!」
「いや、お前そばだろ」
そばと会話を試みるほどに、この状況には慣れた。
「なっ! テメェ、俺がそばだからって舐めてんじゃねぇぞ!」
「いや、むしろカップそばさんにはいつもお世話になってます」
一時七分。
俺はカップそばに敬語で話し始めた。
下手に出たからか返答に満足したのか、カップそばは満足そうに胸を張った(ように見える)。
「で、おめぇさん、何そばが好きだい?」
人生でこんなにもどうでも良い質問に神経を使う日が来るとは思わなかった。
「え……カップそ」
「世辞は止めろ」
「海老天そば」
遠慮無く答えてみたが、気分を害した様子はない。
むしろ、何故か何度も頷いて納得している(ように見える)。
実はうどん派ですって言ったらどうなってたんだろう。
きっと一番言っちゃ駄目な言葉だろうな。うん、相当面倒な事になるのだけは分かる。
「『通は盛りだ、海老天かき揚げ野暮天だ』って、怒ってたやつが昔いたなぁ。で、その別れた女とそばは食ったのかよ?」
一時十分。
そばと恋愛の話をする時が来るとは思わなかった。
それも、今日フラれたてホヤホヤの元カノの話。
と言うか何で知ってんだよ。
あと、どうやらカップそばにはカップそば仲間がいるらしい。
買われたのはもちろん俺がはじめてだろうし、前世の記憶とか厄介な物がなければ、たぶんカップそば仲間だとは思う。
いや待てよ、他の食品って線も……もうこの話はいいか。
書籍にする日が来るかもしれない。一応覚えておこう。
「いや、食ってない」
「じゃあしょうがねぇ! 一緒にそばも食えねぇ仲なら縁は無かったって事よ! 未練がましく一人でそば食ってねぇで、もっと良い女捕まえるんだな」
一時十一分。
そばに慰められた記念すべき時間だ。覚えておこう。
「えーと、カップそばさんは」
「俺とお前の仲じゃねぇか。もっとかき揚げみたいにザクッと砕けて呼んでくれ。よそよそしいその口調もよしてくれ」
すみません。
お湯を入れてかなり時間が経ってるから、そのかき揚げなんですが、ザクッとどころかふにゃふにゃにふやけてカップいっぱいに広がってる状況でして……ええ、カップそばさんの顔ってどこだろうなも見えない位ぶよぶよなんですよ、ええ。
でもこのふやけたかき揚げが好きなんだよな。
あと、俺とカップそばさんの間柄ってなんですか。
「じゃあえーと、そば太郎とそば衛門、どっちが良い?」
「洋風な名前にしてくれよ」
「じゃあそば太郎で」
お、今不満な顔したのはわかった。
俺とそば太郎の間柄だから分かるぞ。
「そば太郎は一緒にそば食えるような相手いるのか? あと、お湯足す?」
ヤカンを持ち上げて見せる。
そばとかき揚げが汁を全部吸って、カップに貼り付いてる。
カップそばって、お湯が無いと何故か寒そうに見えるんだな。
まぁ、ずっしり重いかき揚げ布団かけてるから大丈夫だと思うけど。
「生産ラインで前後だったヤツとは良くしゃべったなぁ。カップに詰められてからは誰が最初に買われるかみんなで大騒ぎもしたが、言われてみればそんな相手に出会えず終いなそば生だったなぁ。あ、湯は大丈夫だ。それよりこのかき揚げどかしてくんねぇか」
はい、かき揚げさん退場です。
どうやらそば太郎とかき揚げは別らしい。
長い事同じカップで一緒だっただろうに、邪険にされて可哀想なかき揚げさん。
そば太郎を傷付けないように、そっとスプーンでかき揚げだけすくい取る。
上手いこと綺麗にすくい取ると、すっかり汁を吸ってぐでんぐでんに出来上がったそば太郎が、カップの中で大の字をかいていた。
どことなく、おっさんの入浴に見えるのが残念だ。
「そば太郎が女だったらなぁ……」
「いきなり気持ちわりぃ事言うなよ。そばと人だぞ? いくらなんでも特殊性癖過ぎるだろー。それに女が良かったなんて悲しい事言うなよ。男でそばの俺を愛せよ」
一時三十分。
たぶんこの先一生聞くことはない台詞「男でそばの俺を愛せよ」頂きました。
思った事をうっかり言ってしまったが為に、危うく特殊性癖の人間に認定されるところだった。
いや、むしろこの顔(どこが顔)は認定してる。
「そのぐったり延びてる姿が風呂に入ってるみたいに見えたから、女だったらなぁって」
「女ならそばでも良いのかい。とんだスケベ野郎だな。裸のそばを見たきゃ、スーパーにいくらでも売ってんだろ」
そうか、スーパーにある乾麺。
束ねたそばが半分見える透明な袋に入ってはいるが、あれはそば達からしたら裸なのか。
そう考えたら、スーパーは裸が溢れかえってる場所か。
まぁ残念ながら、だからと言って興奮するような特殊性癖じゃないのだけれど。
「そばの男と女って、何がどう違うんだ?」
「コシが違う。食ってみて美味い方が女だ」
コシって腰? 喉ごしとか麺のコシ? 良くわからんが聞く気になれない。
そしてその理論だと、そば太郎はそこまで美味しくないのか。絶対に言わないけど。
味に違いがあるなら、美味いカップそばの見分け方を教えて欲しかった。
だんだんこの非現実的な状況が楽しくなってきた。
ぶよぶよになったかき揚げをすすりながら、次は何を聞こうか考える。
これは夢かなれない酒を飲んだからか分からないが、自分でもずいぶん意味の分からない幻覚を見ている自覚はある。
なれないと言っても、コンビニで買った梅酒を一缶飲んだだけ。
それだけでこんな幻覚をみるなんて、今日の俺は相当弱っているらしい。
しかし
「なんだぁ? もうオネムかよ」
そば太郎がニヤリと笑いながら(顔どこ)、時計をちらりと見る(顔どこ)。
そう、もう少しこの状況を楽しみたいけど、眠くて眠くてしかたがない。
ただのそばのそば太郎は分からないかも知れないけど、朝から大学でみっちり講義を受けた後、夜までバイトして休む間もなく突然彼女にフラれてやけ酒(一缶だけだけど)したんだ。
そりゃ疲れるよ。
今目を開けてるのが不思議なくらい、心も体も疲れてるんだよ。
「しょうがないだろぉ。そば太郎、悪いけど俺ちょっと寝るわ。話は起きてからな。あ、明日七時に起こしてー」
一時三十五分。
ありがとうそば太郎。
少しの間だったけど、楽しかったよ。
もっと話したかったけど、ごめんな。
どうせ起きられない。明日はサボりだなと思いつつ、そば太郎との別れを惜しみ、俺は寝た。
七時。




