0092-2
「三時ですか……アベルに奢ってもらう晩御飯には、まだ少し早いですね」
「俺が奢るの前提かよ……。家探しを手伝うのでチャラとか言ってた気が……」
「僕は、ウィットナッシュの海岸で、アベルの顔を立てて、あの爆炎の魔法使いを殺さないであげたのに……。それについての貸し借りは……」
「ああ、ああ、わかったよ。そうだったな、あの時はありがとうな。ほれ、おやつを奢ってやるから、どこでも好きな店に連れていけ」
半ばあきらめた顔で、アベルは涼に言うのだった。
「好きな店と言われても……おやつが美味しい店とか知らないんですよね。アベルは、どこかいいお店知りませんか?」
「だったら、すぐそこにケーキとコーヒーが美味い店がある。そこにするか」
「コーヒー!?」
涼は、『ファイ』に来て初めて、『コーヒー』という単語を聞いたのである。
いや、もちろん、『コーヒーメーカー』は聞いたが……。
「リョウは、コーヒーを知っているのか?」
「悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、そして恋のように甘い、あの飲み物ですよね?」
「途中よくわからん単語がいっぱいあったが、多分それだ。黒い飲み物な」
タレーランの有名な言葉も、アベルにかかると『黒い飲み物』という一言になってしまうその現実に、涼は打ちのめされた。
「このメニューは、一体……」
二人が入った店は、『カフェ・ド・ショコラ ルン店』。
ただし、店名にショコラとつくにもかかわらず、チョコレートを使ったケーキは無かった。
無いのだが……、
「モンブラン、イチゴのショートケーキ、リンドーのタルト……」
「俺はモンブランだな。コーヒーはブルーマウンテンにしよう」
「コーヒーも……ブルーマウンテン? キリマンジャロ? マンデリンだと……」
(なんだ、この既視感は……。これは転生者がどうこうというレベルじゃないだろ……)
「お決まりになりましたでしょうか?」
素敵なお姉さんが注文を聞きに来た。
「俺はモンブランとブルーマウンテンのセットで」
「ぼ、僕は……イチゴのショートケーキとコナで」
注文を聞くと、お姉さんは去って行った。
「リョウは、ケーキも知ってるのか? ロンドの森にはなかっただろうに……」
「こ、故郷にあったので……」
「そうか……」
出てきたケーキもコナコーヒーも、とても美味しかった。
現代日本でカフェを開いても、問題なくやっていけそうなほどの完成度。
ただ、コナコーヒーは……地球にいた頃に飲みふけっていた『ハワイコナ』ではなかった。
名前だけ適当につけたのだろうと、涼は勝手に判断した。
ただし味は……、
「驚くほど美味しかった……」
「だろう? ギルドと目と鼻の先なんだが、ここ、美味いんだよ」
「絶対、リーヒャ辺りが連れて来てくれたんでしょう?」
「ギクッ」
図星だったようである。
「まあ、美味しかったのでいいんですけどね」
「リョウも、デートで使えばいいじゃないか。セーラ辺りと」
何かを探るようなセリフである。
「セーラとはそういうのじゃないですよ」
「いつの間にか呼び捨て……」
「僕がアベルの事を呼び捨てにしてるのを見て、自分の事も呼び捨てにしろと……。やむを得ない妥協の産物です」
そういうと、涼は小さく首を振った。
「セーラはリョウの先生って言ってたが……そもそも、なんで二人が知り合いなんだ? お前ら接点とかないだろ。セーラってギルドにも顔を出すことないし、騎士団の指南役だし……」
「北図書館でいろいろ教えてもらったんですよ」
「なるほど、図書館か」
涼の説明に、ようやく長年の疑問が解けた、という顔をしたアベルである。
実際には一週間程度でしかなかったのであるが。
「あと、最近は剣の稽古をつけてもらっています。騎士団に稽古をつける前とかに」
「セーラと剣での、模擬戦……?」
「ええ。めちゃくちゃ強いですね。全敗中です」
そういうと、涼は屈託なく笑った。
まだ、負けて悔しがると言うレベルにまで接近できていない証拠である。
それほどに、涼は、強さに圧倒的な開きがあると感じていた。
「あの『風装』というやつは凄いです。セーラの風魔法は完璧ですね。全てのスピードが速くなる。元々の剣技が超絶技巧な上に、『風装』でスピードと重さが加わると、恐ろしく厄介です」
「セーラ、『風装』使ってるのか?」
「ええ。そう言ってるじゃないですか。アベル、ちゃんと人の話を聞かないとダメですよ?」
そういうと、涼は残っていたコーヒーを飲み干した。
(いやいや、『風装』使用時のセーラと戦えるとか、何か間違ってるだろ……。『風装』無しでも、俺はようやく互角……いや互角に戦えるか? 正直自信がない……。リョウって魔法使いのはずなんだが、なんでそこまで剣技を磨くんだ……一体どこを目指しているんだ……)
どこを目指しているのか……それは、涼自身も分かっていないであろう……。
二人は、ケーキセットをおかわりした。
肉体労働者である冒険者の男性には、ケーキセット一つでは足りないのだ。
まあ、ケーキセットでお腹を満たそうという考え方が間違っている気もするのだが。
「そもそも、ギルドの近くにこんなお店があるなんて知りませんでした」
「ここは……ルンの街に出店してきたのは確か去年だな。王都では老舗のカフェだ。確か四十年くらいの歴史があったはず……」
アベルが思い出しながら答えた。
(どう考えても、このケーキとコーヒーのセットなんて、転生者のアイデア……味の再現も完璧となればアイデアだけではなくて、製造にも関わっている……。僕が『ファイ』に来るわずか二十年前に転生者が来ていた? いやいや、そんなわけない。だってミカエル(仮名)は「実に久しぶりの訪問者なのですよ、あなたは」、あの白い世界でそう言って僕を迎えたのだから。二十年程度を、「実に久しぶり」とは言わないだろう? 天使みたいな存在が)
いくら考えても、涼には整合性のある答えを見つけることが出来なかった。
そして次のアベルの質問で、転生者についての思考は打ち切られた。
「リョウ、ウィットナッシュでの事なんだが……」
「はい?」
「爆炎の魔法使い、帝国のオスカーを殺そうとしたよな。リョウがあのままやってれば、殺したんだよな、きっと。あれは、どこまで本気だったんだ?」
「ああ……あれは、まあ売り言葉に買い言葉ですよ? アベルには、僕とあいつとは、それほど差があるように見えましたか?」
涼は二個目のケーキの、最後の一欠片を食べながら答えた。
ついにオスカーの事は『あいつ』呼ばわりである。
「ああ、そう見えた」
「でも実は、それほどの差は無かったと思います。あの時は、あいつの攻撃、僕の防御という状態だったので、全て迎撃してみせて力の差があるように見えたかもしれませんが……逆の立場になって僕の攻撃、あいつの防御になったとしても、簡単にはその防御を突破することは出来なかったんじゃないかな、と思っていますよ」
涼は、あの時の事を思い出しながら答えた。
水属性魔法は、防御に向いているのだ。
例えばアイスウォールなど、最強にして最硬の防御魔法に違いないとすら思っている。
もちろん、それでもたまに破られるが。
「それに、僕の属性が水で、あいつの属性が火だったのも、関係するでしょう。火を打ち消すのは水でしょう? どんな火事でも、大量の水があれば消せます。多分そういった、相性の問題もあったのだと思います」
涼は思い出しながら言葉を継いだ。
「魔法の生成スピードというか構築スピードというか……それは驚くほど速かったですよね、あいつ。なので、こちらが攻撃を仕掛けても、迎撃されてしまう可能性が高い、と思うんです」
「なんでそれなのに煽ったんだ?」
「気が立っていたんでしょうね。お祭りで気分が高揚していた可能性もあります」
そういうと、涼は二杯目のコーヒーを飲み干した。
「うん、リョウが危ない奴というのはよくわかった」
「アベルに比べれば僕なんてまだまだ……」
「なんで俺なんだよ!」




