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水属性の魔法使い  作者: 久宝 忠
第四・五部 帰還編
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0881 ゾルン皇太子と三号君

バーダエール首長国ゾルン皇太子(こうたいし)の朝は早い。

日が昇る前から始まる。


隣に眠る妻を起こさないように、そっとベッドを出る。

ほとんど音をたてずに隣室に移動し、昨晩の内に置いておいた書類の山に目を通す。


近侍(きんじ)の者たちを呼ばず、一人で仕事を進めるのだ。


「私は、父に比べて経験が浅いし、行政に関しても理解が深いとは言えない。少しでも、父との差を埋めたいと考えているのです」

行政長官の一人が、ゾルンの早朝からの政務に関して問うた時に、ゾルンはそう答えた。


周囲に迷惑をかけたくないために、前の晩から用意しておく辺りがゾルンらしいと言えるだろう。



しかしゾルンは知っている。

扉の向こう、廊下にはすでに立っている人物……いや立っている氷のゴーレムがいることを。

そのゴーレムは、どうやってか分からないがゾルンが起床するのを感知し、いつの間にか廊下にいるのだ。

廊下にいるだけで、特に何かをするわけではない。


ただ、ゾルンが出てくるのを待つ。



その後、多くの者が起床し、朝食、ゾルンがいくつかの指示を出し、さらに書類決済の仕事をして、部屋を出た。


今日の大きな仕事の一つ、首長会議への出席のためだ。


当然、部屋の外には氷のゴーレムがいる。

その名は、突撃探検家三号君という。



「三号君さん、首長会議に出ます。ついてきていただけますか?」

ゾルンが問いかけると、三号君は無言のまま頷く。


当然、三号君は話さない。

彼が持つ氷の板にも、文字が浮かぶことはない。

ロンド公爵が持たせた氷の板は、三号君の意思を表示するものではなく、ロンド公爵にこちらの準備が整ったことを伝えるためのもの。

そのため、基本的に三号君が背中に背負ったままだ。



途中、ゾルンが後ろを見ると、ゾルンの供回りの者たちの後ろから、三号君はついてきている。

最初は、供回りの者たちもびくびくしていたが、現在ではむしろ仲間意識すらあるようだ。


正直ゾルンも、最初は監視されているかのような居心地(いごこち)の悪さを感じていた。

それは事実。

だが今では、全く違う。


反抗的な者たちですら、ゾルンの後ろに立つ氷のゴーレムを見て思い出すのだ。

誰が、その後ろ盾になっているのかを。



恐るべき水属性の魔法使い。



最近は、バーダエール首長国にも、吟遊詩人が歌いまわる『ナイトレイ王国解放戦の歌』が広まり、ほとんどの民が聞いたことがあるほどになった。


最初に歌ったのは、東方で活動する吟遊詩人だったらしいのだが、良いものは広がる。

他の吟遊詩人たちが、こぞって歌い広めた……。


そこで謳われる水属性の魔法使い、ロンド公爵。

そのロンド公爵自らが造り出した氷のゴーレムが、ゾルン皇太子の後ろにいる。


ロンド公爵は、『清涼なる五峰』のキンメを一騎打ちで破り、バットゥーゾン首長の身柄を奪っていった。


そんな恐ろしい魔法使いに盾突く?


あり得ない。



ゾルンがバーダエール首長国に戻り、権力を掌握(しょうあく)しつつあった頃、襲われたことがある。

供回りの者たちの守りを抜け、凶刃(きょうじん)がゾルンの身に届きそうになった時……三号君が割って入った。


襲撃者の剣を受けても全く傷つかず。

そして右腕を振った一撃で、襲撃者を気絶させた。


結局、襲撃は失敗。



その事件は、ゾルンの力を強くした。



バーダエール首長国内で、ゾルンに反抗的だった有力者たちは、襲撃の容疑者として取り調べられ財産を没収された。

首長国において、財産の消失は権力と地位の消失と同じ意味だ。


これによって、バーダエール首長国内でゾルンに対抗できる者は、完全にいなくなった。


さらに、『ゾルンを守る氷のゴーレムの強さ』も国中に広がっていった。

それはある種、不思議なほどの速度と広がりであった。

まるで権力を掌握しようとしていた者が、あえて広めたかのような……。


もちろん、ゾルンは詳細を発表したりはしない。


恐るべき氷のゴーレム。

それはバーダエール首長国内だけでなく、東部諸国を形成する国々にも広がっていった。




『東部諸国』は、地域の名であると同時に国の名でもある。

何十もの中小国家の連合体、ある種の連合国だ。


その国々の中でも、古くからある八つの首長国は、バーダエール首長国と特別な結びつきを保ってきた。



そんな八つの首長国と、バーダエール首長国の長、九人が集まるのが、首長会議である。


国力差は、バーダエール首長国一国に対して、残りの八つの首長国が合わさっても全然かなわない。

とはいえ歴史的な関係から、バーダエール首長国も他の八つの首長国を無下に扱うことはなかった。


これまでは。



「ゾルン殿下、ここは首長会議の場です。失礼ですが、閣下は首長ではございません」

そう告げたのは、ラッシュン首長国のザン首長。


ラッシュン首長国は、バーダエール首長国に次ぐ国力を持つ国である。

ザン首長も権力志向の強い人物であることが知られてはいるが、バットゥーゾン首長の前ではこれまでおとなしくしていた。


しかし、現在、バットゥーゾン首長はいない。


今こそ、東部諸国の中心に躍り出るチャンス……そう考えているのは、誰の目にも明らか。



「ザン首長、おっしゃっていることは理解できます」

「そうですか。ではお引き取りを……」

「理解できるだけで、言葉を受け入れるつもりはありませんが」

「……は?」

はっきりと言い切るゾルン皇太子、想定外の言葉を返されて驚くザン首長。


「父バットゥーゾンは、現在、国政に(たずさ)わることができません。それは皆さんもご存じの通り。そして私は、首長の代理としての権限を持つ皇太子です。正式にその立場にあります。過去の例から言っても、首長がその任に当たることができない時、皇太子がその全権を代行することは可能です」

「……」

「ですので、バーダエール首長国の代表として首長会議に参加する権利を持っています」

いっそ(おだ)やかな口調で言い切るゾルン。


口調は穏やかだが、誰も抵抗できない。

ザン首長はもちろん、他の七人の首長たちも何も言えない。


彼らは、小さな頃からゾルンを知っている。

優秀な頭脳を持っているのは事実だが、バットゥーゾンほどの度胸と決断力はない……。

そういう認識であった。

むしろ、ひ弱な印象すら持っていた。


それが……。

今、目の前で見せられ、目の前に立たれているこの状況では、その認識が誤りであったと分かる。



ゾルン皇太子は表情を変えぬまま部屋に入り、バーダエール首長国の席に着いた。


他の八人の首長は何も言えないままその行動を見送り……ゾルンの後ろに立ったものに目を奪われる。


「氷のゴーレム……」

(つぶや)いたのはザン首長。


だが、その言葉は、会議室内に無音のまま広がった。

驚きと畏怖(いふ)を伴って。


「例の、水属性魔法使いの……」

「あれが……」

首長たちは何も言わない。

口をついてそんな言葉が出てきたのは、各首長国の官僚たち。


ここにいる者たちは知っている。

なぜ、バットゥーゾンが首長会議に出られないのかを。

なぜ、氷のゴーレムがここにいるのかを。


嫌でも理解させられるのだ。

東部諸国全体が、窮地(きゅうち)(おちい)っているのだということを。


氷のゴーレムは何も言わない。

だが、そこにいる、その存在だけで、首長たちに突きつけている。


権力争いなどしている余裕があるのかと。


「それでは皆さん、首長会議を始めましょう」

ゾルン皇太子の言葉に逆らう者は、もう誰もいなかった。




「ありがとうございました、三号君さん」

ゾルンが執務室に戻ったところで頭を下げる。


三号君はいつものように何も言わずに、小さく頷くだけだ。

まさに「気にするな」と言わんばかりに。



「無事に、首長会議でも議案が通りました」

ゾルンが説明する。


「一週間後、東部諸国全体会議が開かれます。そこでは、私の東部諸国代表就任が最大の議案となります。根回しの感触は十分。問題なく代表になれるでしょう。それがなったら、ロンド公爵様に連絡するつもりです」

ゾルンの説明に、三号君は頷き、背負った氷の板を肩越しに軽く叩いた。

これで連絡しようと。


「はい。その時はお願いしますね」

ゾルンは微笑みながらそう言うと、頷くのだった。


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