0762 交渉役グラハム
教皇御座船アークエンジェルの出航を見送った二人。
「リョウ、さっき覇権国家の道がどうとか言っていたろう」
「あ、聞こえてしまいましたか。ファンデビー法国が艦隊を率いてやってきて、これから東部諸国に赴く理由を閃いたのですよ」
「多分、それは違うと思うのだが……」
アベルが否定するが、それは涼の耳には届いていない。
「西方諸国を制したファンデビー法国が、ついに暗黒大陸制覇に乗り出してきたということですよね」
なぜか自信満々に自説を披露する涼。
「全てを手に入れ、結果的に世界平和を成し遂げようという、極めて脳筋的ではありますが、信長の天下布武と同じ思考だと思われます」
「……」
「しかしこれは、アベルが望む武力での世界制覇と正面衝突してしまいますから……さて、困りましたね」
「いや、困らんぞ」
「まさか、全面衝突になる前の段階で手を打つ? ああ、この暗黒大陸にいる間に叩き潰すのですね。グラハムさんはかなり厄介な相手ですし、西方教会の力は侮れませんよ。大丈夫ですか?」
涼が胡乱気な視線をアベルに向ける。
それを受けたアベルは、ため息をついて小さく首を振った。
「西方教会とぶつかる気はない。いや、そもそも、グラハム教皇が来たのは暗黒大陸制覇などが目的ではないだろ」
「出ましたね、アベルの安直思考」
「いや、リョウに言われるのだけは絶対に違うと思うんだ」
涼が小さく首を振り、アベルも小さく首を振る。
二人とも同じ行動なのに、その発生理由と帰結地点が全く違うのは非常に興味深い。
「確かにグラハムは、わざわざ艦隊すら率いてやってきた理由は明言しなかったが……」
「ほらぁ! 絶対に軍事侵攻です」
「もしも、本当にもしもそうだったとしたら、わざわざジェルダンに寄ったりしないで、直接攻撃対象国に行くだろ? 一度、ここに寄ったことで、情報がバーダエール首長国に流れたぞ? それはいいことじゃないだろう」
アベルも仕方なくとはいえ、法国の軍事侵攻だったらという仮定で話す。
「そこは分かりませんけど、このジェルダン王国、あるいは街がとても重要なんじゃないですか?」
「どう重要なんだ?」
「さあ? 僕は知りません。むしろ、どうしてアベルは知ってないんですか」
切り返す涼。
「知らん。俺は、このジェルダンの街自体、来てから知ったしな」
「王子様教育、敗れたり!」
「なんだ、それは」
「あれほど完璧を誇ったナイトレイ王家の王子様教育ですが、ジェルダンの街に関する知識をアベルに与えていませんでした。これは大いなる欠陥と言っても過言ではありません」
「なんでリョウが、そんな偉そうに指摘してるんだよ」
涼の弾劾を、ため息をついて受け流すアベル。
もう慣れた、といわんばかりであった。
三日後、バーダエール首長国。
「西方教会の教皇、グラハム一世が来た?」
「はい。十八隻のファンデビー法国艦隊と共に、港の外に」
「何の用だ」
バットゥーゾン首長は考え込む。
しかし、正解を導くには情報が少なすぎる。
どんな理由にせよ、受け入れないわけにはいかない。
「外務会議室に通せ」
「謁見の間ではなく?」
バットゥーゾンの指示に、首を傾げるゾルン皇太子。
「階の上から、教皇を迎えるわけにはいかんだろう?」
バットゥーゾンは顔をしかめながら答える。
「逆に、階の下に降りて、相手を迎えるのもまずい。臣下らは、そんな光景を見たことがない」
そうなのだ。
バーダエール首長国は、首長と同等以上の人物を迎えたことがない。
だから、首長が階の下に降りて『同じレベルで迎える』という光景が、ホソイナの王宮で展開したことはないのだ。
しかし、今回迎えるのは西方教会の教皇。
明確に首長よりも格上というわけではないが、その下に抱える人口、影響を与える範囲を考えると、首長より下だと見て振る舞ってよい相手ではない。
だから、臣下の目が届かない外務会議室に通す。
そこは、外交交渉に使われる会議室であり、謁見の間に比べれば格式としては劣る場所だ。
だがそれは、首長自らが迎えれば問題ないとバットゥーゾンは考えた。
グラハム教皇と側近らが通された外務会議室。
中央の大きなテーブルを挟んで、二国の代表七人ずつが対面で座れるようにイスが置かれている。
それを見ただけで、グラハムはバットゥーゾンの考えを完璧に推測できた。
もちろん馬鹿にするわけではない。
(首長というものも、いろいろと大変だ)
考えたのはその程度。
表面上は、一切の変化を感じさせない。
「バットゥーゾン首長、お忙しいところ、時間を割いていただき感謝いたします」
「いえいえ。西方教会の教皇聖下がおいでになるとなれば、当然のことです」
グラハムとバットゥーゾンは、極めて儀礼的な挨拶を行う。
どちらも、ここにいるのは本人たちを含めて七人ずつ。
側近だけだ。
「一年前……前教皇の、あの就任式に私も招かれておりました。早い段階で、集会場を脱出することができましたが」
「そうでしたか。あれに巻き込まれなかったのは重畳」
グラハムは頷く。
そう、バットゥーゾンは来賓としてあの場に招かれていた。
だが、騒動が起きた早い段階で会場の外に避難することに成功していた。
いくつかの当たり障りのない会話の後、ようやくバットゥーゾンは切り出す。
「それで聖下がお越しになった理由は何でしょうか?」
「いえ、大したことではないのです。ジェルダン王国の併合を、しばらく待っていただきたいと思いまして」
グラハムは何でもないことの様に言う。
言った後、出されたコーヒーを口に含む。
その行動に隠れて、バーダエール首長国の者たちの様子を目の端で探っていた。
さすがにバットゥーゾンは眉一つ動かさなかった。
だが、その隣に座るゾルン皇太子は、ほんの少しだけ表情が強張った。
とはいえ、成人したばかりだと聞いている。その年齢にしては、感情のコントロールは上手い方だろう。
むしろ、二人を除く五人の方が……あまりにも表情に出過ぎていた。
「なぜ知っているのか」と。
「さて……ジェルダン王国の併合と言われましても……」
「ああ、失礼。言葉は正確に使わねばなりませんな。東部諸国に正式加盟せよとジェルダン王国に送られた件です。しばらく、時間をいただきたいのです」
「……時間ですか。どれほどですか?」
「我々が、ヴァンパイアのシオンカ侯爵を討伐するまでです」
「ヴァンパイア……」
さすがにバットゥーゾンも、その単語は想定外だったようだ。
「実は一年前、教皇庁がヴァンパイアに襲撃されたことがありまして。その襲撃を指揮していたのがシオンカ侯爵ディヌ・レスコ。その一党が、この暗黒大陸に拠点を作っていることが分かりました」
「ヴァンパイアが暗黒大陸に……」
「彼の者は、かなりの数のヴァンパイアを配下に置いていると思われます。そう、数百人から一千人を超えるほどの規模」
「そ、そんなに……」
グラハムが示した数に、声に出して驚きを表現したのはゾルン皇太子。
バットゥーゾンも驚いた表情ではあるが、言葉は発していない。
二人以外の者たちは、顔が青ざめている。
当然だろう。ヴァンパイアなど、最下級と言われる『男爵』ですら、普通の人間では相手にならないと言われている。
いやそもそも、ここ百年は、人間とヴァンパイアの争いはほとんど起こっていない……そう言われてきたのだ。
だが、違うらしい。
「実はバットゥーゾン首長が戦場に赴き、捕らえられたという話を聞いた時、相手はヴァンパイアなのではないかと考えました」
「いえ、違います」
「そう、どうも違ったようですね」
グラハムは頷く。
「ですが、人ならざる者」
「……ええ」
「もしよろしければ、何だったのか教えていただけませんか?」
グラハムの口調は丁寧だ。
圧力もない。
だが、西方教会の教皇自らが『教えていただけませんか』と問うているのだ。
どうしても外に洩らせない国家機密ならともかく、今回のはそうではない。
このホソイナの都では噂にすらなっている。
「魔人とその眷属でした」
バットゥーゾン首長ははっきりと言った。
その答えを聞いた時、グラハムは初めて表情に驚きが現れる。
この会議室に入った時から、全く揺るがなかった表情がだ。
もちろんグラハムも、魔人が何かは知っている。
ただし、伝承の中の話として。
一般に知られている以上の情報としては、魔王軍に必ずいる『赤い服の魔物』が、魔人なのではないかと教会の中で研究された過去があることも知っている。
それとて、もはや数百年以上前の話。
しかし、その伝承の中の魔人が現れ、しかも目の前の首長は捕らえられていた。
そう、捕らえられていた。
過去形だ。
「ホソイナの防衛戦で撃退したと。それによってバットゥーゾン殿は解放されたと聞きました」
「はい」
「失礼ですが、そんな伝承に登場するような者を……どうやって?」
グラハムが正面から問う。
「見ていた者たちは知っていますし、少し調べれば分かることですから正直に言いますが……その時、たまたまホソイナに滞在されていた方々が」
「たまたま滞在されていた方々?」
バットゥーゾンの言葉は、とてもありえないこと。
グラハムも一瞬、疑う。
しかし、なぜか考えるまでもなく謎が解けた。
「そうか、だからジェルダンにいたのか」
その呟きは、辛うじてバットゥーゾンの耳に届いた。
しかしバットゥーゾンが反応する前に、グラハムが言った。
「ナイトレイ王国のアベル王と、ロンド公爵ですね」
その言葉は、さすがにバットゥーゾンの動かない表情すら動かした。
ゾルン皇太子や、他の五人に至っては口を開けたまま動けない。
「なぜ、聖下は……」
「先日、ジェルダンの港でお会いしたからです」
「彼らと、お知り合いで?」
「ええ。彼らのことはよく知っています」
グラハムは微笑みながら答える。
そしてバットゥーゾンの表情から読み取っていた。
彼らは、ホソイナに滞在している時に、目の前の首長にかなりの衝撃を与えたようだと。
それを利用しない手はない。
「私が勇者ローマンのパーティーに所属していた頃、中央諸国にも行くことがありまして。そこでアベル陛下……まだ当時は王ではありませんでしたが、それとロンド公爵たるリョウ殿と知遇を得ることができました。そうそう、リョウ殿とは、あそこでヴァンパイアの伯爵を共に倒したりもしましたね」
「……」
「それに一年前の就任式。首長も出席されたあそこに、リョウ殿もナイトレイ王国からの来賓としていらっしゃいました。それこそ、最後にとどめを刺したのは彼です」
「……それは知りませんでした」
バットゥーゾンの表情は渋い。
自分の知らない情報が多すぎることを認識したのだ。
「今、かの一行もジェルダン王国に滞在されています」
「え……」
「話を最初に戻します。バットゥーゾン陛下、ジェルダン王国を東部諸国に正式加盟させるのを、少し待っていただけませんか」
グラハムは、ここで大上段から切り出した。
それは言外に、自分たちとナイトレイ王国の一党、両方を敵に回す覚悟はあるのか。
今、ジェルダン王国にちょっかいを出すのは、そういうことだぞ。
そう言っているのだ。
「永遠に、待ってほしいというわけではありません。シオンカ侯爵を討伐するまでです。いかがでしょうか」
グラハムは優しい声音で告げる。
さすがにバットゥーゾンも、即決はできない。
西方教会とナイトレイ王国という、二つの勢力を敵に回したくはない。
とはいえ、今踏み込むと決めたのは、西部諸国連邦の元首が行方知れずになっているからだ。
トップのいない組織はもろい。
ジェルダン王国を飲み込み、そのまま西部諸国へと拡大していく。
そんな青写真を描いた。
それを捨てるのは……。
バットゥーゾンが逡巡しているのは、グラハムには手に取るように分かった。
こういう場合、最後の一押しは大切。
「そうそう、バットゥーゾン陛下は、ゴーレムを見たことはありますか」
「はい?」
突然の話題転換に驚くバットゥーゾン。
一瞬驚いたが、すぐに理解する。
もちろんバーダエール首長国には、ゴーレムは無い。
だが、その強力さは聞いたことがある。
しかも、西方諸国の中でも最も強いゴーレム兵団を抱えるのはファンデビー法国……。
「今回、ヴァンパイアが相手ですので、本国からゴーレム兵団を連れてきました」
「……なんですと」
「そのせいで、二十隻もの艦隊でくるはめになったのです」
そう言うとグラハムはにっこりと笑った。
その情報が、決定打となる。
「グラハム聖下……ジェルダン王国の件、要請を受け入れます」
「そう言っていただけると思っていました。感謝いたします、陛下」
こうして、ジェルダン王国の東部諸国への正式に加盟する要請は延期された。




