0261 追いつめられる涼
「やあ、アベル王、面会できるようになったと侯爵から聞いて……って、リョウか。いや、失礼、ロンド筆頭公爵もいらっしゃったのですか」
その外見には全く似合っていない敬語を、なんとなくおざなりに使うヒュー。
「ああ、ヒューさん、お久しぶりです。僕はC級冒険者でもあるので、いつも通り、リョウと呼んでください」
「そうか? じゃあ、遠慮なく……」
そんなことを話している間に、ヒューの元にもコーヒーが届いた。
アベルのベッドは、作り付けのテーブルがついているが、涼とヒューのベッド脇にある椅子には、氷製の即席机が生成されている。
そこにコーヒーが置かれた。
「で、グランドマスターが、わざわざ見舞いのためだけに来たわけではないだろう?」
アベルはコーヒーを一口飲み、一息ついた後、そう切り出した。
「まあな。ようやく、王都冒険者ギルドの拡張工事が終わって、いろいろ施設が動き出したんだ。第二演習場、第二宿舎、それと付属学校」
「付属学校?」
涼は、そう呟き、小さく首を傾げた。
そして、心の中で思った。
(もしや、これは、学園編スタートか?!)
「ルンの、ダンジョン講習会の拡張版だ。冒険者なり立てのF級向けに、三か月間の初心者講座を開くための学校だな。講師は、引退した冒険者たちを雇うから、そいつらの再就職先にもなる」
「えっと……それは、僕とかは……」
「リョウはもうC級だろう? それに、リョウみたいな特殊な奴は、講師としても雇わないぞ?」
「が、学園編が……」
そう呟くと、涼はがっくりとうな垂れた。
それを見てアベルは呟いた。
「また、何かよからぬことを企んでいたな……」
学園編が潰れ、失意の淵に沈んだ涼であったが、『カフェ・ド・ショコラ』の今月の新作ケーキ『ミルクレープ改』を食べて元気になっていた。
「アベルやヒューさんの迫害になんて負けません!」
なぜか、国王陛下やグランドマスターへの風評被害を撒き散らしながら、カフェ・ド・ショコラを出て、王城に戻るのであった。
だが、戻った王城図書館で……。
涼が、新たに読む錬金術系の本を探していると、後ろから声を掛けられた。
「ろ、ロンド公爵閣下……」
「はい? ああ、司書長さん、こんにちは」
涼はにこやかに挨拶をする。
初老の司書長ガスパルニーニは、王城図書館の責任者。
涼がいつもお世話になっており、質問にも的確に答え、お勧めの本を教えてくれるとっても善い人だ。
だが、そんな司書長ガスパルニーニさんは、大量の冷や汗を浮かべている。
一目で、普通の状態ではないことが分かった。
「えっと、どうしました?」
「お、怒らずに聞いていただきたいのですが、閣下は、二年前に借りられた『錬金術 その未来と展望 ~生活の全てに錬金を~』を、まだご返却されていないようなのです……」
「え……」
「実は昨日、王立錬金工房のケネス・ヘイワード子爵様がおいでになり、その本を借りられようとなさいまして……。いえ、もちろん、返却期限などはないのですが、子爵様も立場上、ちょっと確認したい内容が載っているはずとかで、一目見ようとお寄りになられただけで……」
「ああ……」
今度は、涼の背中を、冷たい汗が落ち始めた。
確かに借りた記憶がある。
確かに読んだ記憶がある。
確かに……返した記憶はない。
ケネス・ヘイワード子爵は、涼が勝手に錬金術の師匠とも思っている人物であり、ナイトレイ王国のみならず、中央諸国を代表する天才錬金術師だ。
未だ年齢は二十五歳と若いが、すでに中央諸国錬金術師の頂にありながら、さらに将来を嘱望されるという稀有な人材でもある。
怒ったりすることはまったくないため、多分、今回の件でも苦笑する程度だったろう……それでも、借りっぱなしにしていた涼に、責任が無いわけではない。
しかも、司書長は、命の覚悟をして……と、はた目にも見えるほど追い詰められた表情で、涼に伝えたのだ。
それも、さもありなん。
涼は、こう見えても筆頭公爵。
国王の次の権力者……名目だけとはいえ。
そんな人物に『本を返せ』というのは……司書長ガスパルニーニの長い司書歴でも、初めての事だったかもしれない。
それが、涼が背中に大量の冷や汗をかいた理由であった。
「司書長さん、ごめんなさい。確かに借りっぱなしな気がします。探して、すぐに返しに……あ、それよりケネスに直接届けた方がいいですかね?」
「い、いえ、子爵様も、『リョウさんなら仕方ないか。また今度聞いておきますから』と仰っておられましたので、機会のある時にご返却いただければ大丈夫ですので」
「あ、ははは……」
司書長の優しい言葉に、さらに冷や汗の量が増える涼。
こんなに善い人に迷惑をかけていた、自分の行動に恥じ入る……。
すぐに返そう!
そう、心の奥で固く誓うのであった。
涼は王城を出ると、急いでロンド公爵邸に戻った。
王都のロンド公爵邸はアベルが用意しただけあって、王城に近い場所にある。
そこは、公爵家や侯爵家の館が立ち並ぶ、王都の中でも最もハイソサエティな場所……もちろん、涼はそんな話を聞かされただけで、ご近所さんがどなたなのかは、全く知らないのであるが。
アベルの手術以降、涼は基本的に王城に詰めているため、このロンド公爵邸を利用したのは、数えるほどしかない。
当然、そんなところに、借りた本があるわけがない。
「ああ……」
扉をくぐって、それを思い出した涼。
両手両膝をついて絶望のポーズ……になる前に思い出したのだ。
「ルンの家だ!」
本を借りた時、ルンまでの馬車の中で読む本として借りた……それを思い出した。
そして、ルンの家から戻ってくるときには、持ってこなかったことも。
「ルン……遠い……」
結局、絶望のポーズで、館の床に沈むのであった。




