0020 魔法制御
涼は目を覚ました。
そう、死ななかったのだ。
気を失っていたのは、ほんの数秒、おそらく一、二秒といったところであろう。
それは、気を失ったことによって手放した竹槍が、まだ涼のすぐそばにあったことから推測できる。
なぜ生きているのか。
それはよくわからないが、今考えるべきことではない。
先ほどの岩陰にいたエビは、カニと対峙している。
すでに涼のことなど眼中にないように見える。
涼は、手を伸ばして竹槍をつかむと、ベイト・ボールから逃れた時に使ったウォータージェット推進で一気に海面まで上がる。
そのまま海面から外に飛び出し、陸地へ不時着。
急いでサンダルを履き、腰布を手に取り、そのまま脱兎のごとく家に向かって駆け出した。
ようやく一息入れることができたのは、結界の中に入ってからであった。
「今度こそ生き残った……」
「それにしても……僕は何て弱いんだ……水属性魔法使いが、水の制御を奪われるなんて」
涼はへこんでいた。
そもそも、相手の魔法生成物を乗っ取ることが出来る、というのは完全に想定外であった。
「おそらくは同じ属性の魔法が使えるものじゃないと乗っ取れないのだろうけど……もし別の属性の物も制御下に置けるのだとしたらそれは脅威だ……」
別の属性の物に関しては置いておくとしても、他者が生成した魔法生成物を自分の制御下に置く、これは身につけなければいけないスキルだということがわかった。
そうでなければ、今回の様に、いいように魔法生成物を奪われる……次から次へとアイスウォールを剝がされたように。
もちろん、目標は相手の制御下に置かれないことだが……正直、どうすれば制御を奪われないのか見当がつかない。
涼は、便宜上『魔法制御』と呼んでいるが、その『魔法制御』が具体的に何なのか、正直まだよくわかっていなかった。
体験としては、ミカエル(仮名)が生成した冷凍肉を解凍する際に、魔法を弾かれたのがまず最初に挙げられる。
そして、今日のベイト・ボールとの海中戦闘だ。
魔物が制御下に置いていたと思われる手と足付近にあった海水。
これが二つ目の事例として挙げられる。
どちらも、涼が魔法をかけようとすると弾かれた。
そして明確に、『弾かれた』というのが涼の頭の中には伝わってきた。
ミカエル(仮名)の冷凍肉を解凍した時はどうやったか。
「そこにだけ魔力を集中する感じで、分子の結合を外す。次にその隣の結合も外す。さらにその隣。さらにその隣。結合の外れた箇所から氷が水に変わっていく。だったっけ」
特に何かをしたわけではなく、多分いつも以上には魔力を込めて、一つ一つ分子レベルでミカエル(仮名)がかけた魔法を解いていった……。
ミカエル(仮名)の冷凍肉の場合は、「ミカエル(仮名)が準備してくれたものだから必ず解凍できる」というある種の確信めいたものを抱いていたために、それを信じて集中することが出来た。
今回の海中戦闘の場合は根本から違う。
まず、そこに集中したとしても解けたかどうかわからない。
解けるという確信が無い中で、一つ一つ、もしかしたら分子レベルで何らかの作業をしなければならない……しかも戦闘中に。
まず無理であろう。
まず無理なのであるが……相手の魔法を制御下における魔物がいる、ということはそれに対抗する力を身につけなければならない。
それは自分の命に直結する。
ではどうやって身に付けるか。
恐らく、分子レベルでの結合や振動の変化など、もっと熟練を上げていくのは正しい方法だと思う。
他には無いか……。
そう、『魔法制御』あるいは『魔力制御』と呼ばれるものの訓練における定番がある。
土魔法であれば、フィギュアの製造、みたいな。
「くっ、土魔法か……なぜ水魔法には……」
隣りの芝生は、常に青く見える。
「うん、ここは氷を使って東京タワーの製作だな」
何かのアニメで見たことがある。
スライムがそんなことをしていた!
「他に整理しておくことは……あのエビか……」
涼はどこかで見たことがあるような気はしたのだが……思い出せなかった。
「うん、わからない。これは保留」
切り替えは大切。
「あとは、死ななかった理由だけど……何でだろう。エビさん、僕を気絶させただけで満足したのかな? いやいや、それは都合が良すぎる解釈でしょう」
そもそも、涼はあの時、海全体を敵に回した感覚であった。
そしてその感覚は、間違っていないと思われる。
ベイト・ボールの後、すぐにエビが涼に攻撃してきたことからも、『海に生きるものにとって、涼は敵』という共通認識があったと考えるのが一番しっくりくる。
もちろんそれは、考えなしに、海中でタイっぽいものを殺した涼の自業自得なのであるが。
『海全体の敵』であった涼が、エビの気泡……?で気を失った。
それは涼の纏っていた気配や雰囲気、あるいは意識そのものが消えたということでもある。
もしかしたら、その瞬間に、『無力化され、もはや敵ではなくなった』存在になったのだろうか。そうであれば、『涼という海全体の敵』がいない、いつもの状態に戻り、いつも通りの生存競争による戦いが、エビとカニの間で発生したと考えることは確かに可能だろう。
「う~ん、よくわからないけど、そういうことなのかなあ。でも、それこそ本当に運が良かったとしか言えない……次は無いよね」
もっと、いろいろと鍛えなければいけない部分が多すぎる。
グレーターボア二頭を倒し、ウォータージェットも実用レベルにまで使えるようになって、少し自惚れていたのかもしれない。
この程度では、まだまだだということを、海の魔物には教えてもらった。
そう、涼は考えることにした。
いつまでも、へこんでいても仕方ないのだ!
次の日から、魔法制御の練習をしながら走った。
まあ、その辺りは今までとあまり変わらない。
走りながら行っているのが、掌サイズの東京タワーを氷で造形したり、逆にランニングしているその中心に、巨大な五重塔を氷で構築しながら走ってみたりと。
それ以外に、涼は狩りの際にちょっとした実験を行った。
対象は、その後、美味しくいただくことになるはずのレッサーラビット。
人間の場合、身体の六十%前後は水分だ。
それは魔物においても同様だ。
魔物の種類によって違いはあるようだが、概ね五十%から七十%程度は水分だと思われる。
であるならば、水属性魔法使いの涼なら、魔物の体内にあるその『水分』を直接操作できるのではないのかと考えたのだ。
頭にイメージする。
目の前で飛び跳ねているレッサーラビットの体内にある水分、具体的には体内を巡る血液を凍らせるのだ。
「<血液凍結>」
……。
弾かれた!
ミカエル(仮名)の冷凍肉を解凍しようとした時のように。
そして同様に、涼の頭に「弾かれた」ということがフィードバックされたのだ。
「これは訓練として使える」
その後、ラビット系とボア系を狩る時には、必ず血液を凍らせる訓練を行った後で、とどめを刺すことにした。
ただし血液凍結は、未だに一度も成功していない。
身体から流れ落ちた血液に対しても、血液凍結は成功しない。
ただし魔物本体が死ぬと、凍結に成功する。
その場合には、魔物の身体全体を凍結することが可能になる。
その実験の延長線上で、生きている状態の魔物を凍らせるのはどうか?
より正確に言うと、魔物の周りにある空気中の水分子を凍らせる、というのは可能か?
結果から言うと、涼には出来なかった。
魔物から十センチ離れた空間なら凍らせることが可能だが、それより近い空間の水分子を凍らせようとすると、「弾かれる」。
つまり、その辺りまでの空気は魔物の『制御下』に置かれているのかもしれない。
パーソナルスペースなのか……。
以前、グレーターボアの頭を、近距離から発生させた無数のウォータージェットで串刺しにしたことがあったが、あれはグレーターボアから三十センチほど離れた場所からの発射だったから、成功したようだ。
いろいろ試せば試すほど明らかになっていく魔法。そしてその魔法の制御。
「もっともっと知らなければいけない」
涼は、そう心に誓ったのであった。




