0152 竜のアギト
「エト、魔人って、強いの?」
「え……」
涼は横にいたエトに、小さな声で尋ねた。
その問いは、想定外だったのであろう、エトは驚いた声をあげる。
「強い……のだろうとは思うけど、よくわからないというのが実際のところだと思う。この数百年、現れたという記録は無かったはず……」
エトはそう言うと、伝承官ラーシャータの方を向いた。
「そう。君が……エト君だったね、エト君が言う通りだ。前回討伐された記録として残っているのは九五〇年前。もちろん、それ以外にも討伐されて、あえて記録が残されていない可能性はあるけどね。様々な大人の事情から。今回の魔人は、多分その九五〇年前の奴だろう」
「今回の魔人は?」
「そう。王国に伝わる魔人の伝承では、封じられた魔人は二体。一体が、今回の『南に封じられた魔人』。もう一体が、『東に封じられた魔人』。東の方は、恐ろしい強さだったという伝承が、かなりたくさん残っている。王国東部だけではなく、現在のハンダルー諸国連合にかかる地域も、その被害があったらしい」
ラーシャータは、手を顎に当てて、少しだけ考えてから言葉を続ける。
「それを考えると、今回の件……追加で戦力が派遣されてくる可能性があるな」
「騎士団とか……?」
「魔法団とか……?」
「高位冒険者とか……?」
「勇者とか……」
ニルス、エト、アモンが可能性のある『追加戦力』を言い、最後に涼が付け加えると、十号室の三人が、もの凄い勢いで涼を見た。
口を開いたのはニルスであった。
「リョウ、今代の勇者ってのは、西方諸国だ。さすがに、ここにはこねぇよ」
ニルスは自信満々に断言した。
「ふふふ、ニルス、情報が古いですね。実は、勇者ローマンとそのパーティーは、つい最近まで王都にいたんですよ?」
涼は、それを上回る自信満々さで断言する。
仮にも一緒に戦ったのであるから、自信満々であるのは当然であった。
「マジで?!」
大きく目を見開いて問い返すニルス。
「そういえば、この前の王都騒乱では、勇者も中央神殿地下の防衛に協力してくれたらしいね。リョウ君はよく知っていたね」
伝承官ラーシャータは、頷きながらそう言った。
「でも……もう王都を発ってだいぶ経つから……さすがに今回はこないと思うよ」
「そうですか、それは残念です」
涼は全く思ってもいないことを言う。
勇者ローマンは、王都騒乱の後も、何度も涼に模擬戦を挑んできたので、さすがに後半には相手をするのが疲れてしまったのだ。
自分は、何度もセーラと模擬戦をするのに、勇者との模擬戦は避けようとする。
涼はそういう奴なのだ。
五人で、そんなことを話していると、代官ゴローが会議室に戻って来た。
「王都、ルン、カイラディーに、簡単な報告書を送る手配をしました」
(今の短時間で?!)
驚いたのは涼であった。
三十分程度しか経っていないのに、それだけの報告を終えてしまったというのは、かなり凄い事である。
「昨日のうちに、魔人虫らしいとエトさんに言われてましたからね。報告書はほぼ書き上がっていましたし。今日の確定事項を記入して、<転写>をしてもらって、同じ内容のものを関係各所に送っただけです」
そう事もなげに言うと、にっこり笑った。
「仕事のできない私と違って、相変わらず優秀だな、ゴロー。まだ王都に戻る気はないのか?」
ラーシャータはゴローの方を向いて、問いかける。
「まだ戻るつもりはないですね。私は、この村が大好きですし。なにより、コナコーヒーは大好きですからね」
ゴローが言ったそのタイミングで、扉が開き、六人分のコナコーヒーが会議室に運ばれて来た。
会議や報告が終わったらコーヒーを飲む。
まさに至福の時間であった。
「さて、私は一度カイラディーに戻るよ」
至福の時間が終わると、ラーシャータは言った。
「もしかして……」
ゴローは、言い淀む。
「そう、そのもしかしてだ。仕事、途中で放り出して来たからな」
そう言うと、ラーシャータは大笑いした。
「それは悪かったな」
「いいってことよ。おかげで、魔人虫を実際に見ることが出来たんだから。後は、魔人そのものへの対処も、ぜひ見ておきたいから……仕事を終わらせて、すぐに戻ってくる」
そう言うと、ラーシャータは「見送り不要」と言って、会議室を出て行った。
「仕事が出来ないとか言っていましたが、あれは嘘です」
少し微笑みながら、ゴローは説明を始めた。
「彼は一度、還俗しています。つまり、神官を辞めたのです、子爵家を継ぐために。しかし、彼の『伝承官』としての資質は余人をもって代えがたしとされ、王家と神殿が特別に、還俗したままでの『伝承官』への復帰を許可したのです」
「それは……考えられないくらい凄い事ですね……」
ゴローの説明を受けて、一番驚いていたのは神官エトである。
「そんなに凄い事なのか?」
「ええ。普通、あり得ないことです。聖人とか聖女でも滅多にない特例、と言えば想像がつきます?」
「ああ……もの凄くあり得ないことだというのは、理解できた」
エトのたとえ話に、ニルスも滅多にないということを理解したらしい。
ラーシャータの『伝承官』としての資質は、聖人や聖女以上に希少なものだということであろう。
そう、中央諸国において、爵位を持ったまま神官になることは、本来ありえないことなのだ。
「さて、とりあえず虫の問題はいったん棚上げです。報告まで終わったので、今後の動きは王都が決めることになるでしょうから。そうなると、残った問題は、失踪事件なのですが……」
そこまで言って、ゴローは明らかに苦い表情になった。
「竜のアギトは、皆さんを敵視してますよね……」
深くため息をつく。
「はい……すいません」
エトが頭を下げる。
「いえ、皆さんに責任があるわけではない……ないですよね? 以前、竜のアギトともめたとかそういうことは……」
「ないですね。ここに来て、初めて会いましたし」
ゴローの確認に、ニルスが答える。
「そもそも、カイラディーの冒険者と会うこと自体が……」
そこまで言って、ニルスの言葉が止まった。
「ニルス?」
涼が妙な表情になったニルスに問いかける。
「いや、カイラディーとの関係って、俺ら……うちの村の依頼受けた時だけだろ。もしかして、それに関係するのかな?」
「ええ、それは私も考えていたんだけど。重傷者を出して撤退したパーティーか、門前払いをされたパーティーの可能性……」
「ああ」
エトの可能性の提示に、アモンと涼が異口同音に頷く。
横で、何も問わずに聞いているゴローに対して、エトが簡単に説明を行った。
簡単に言えば、逆恨みだと。
「なるほど。竜のアギトが、そのパーティーだった可能性はあるのかもしれません。まあ、それだとしても、皆さんには問題はないわけで……。本当は、皆さんにも、失踪事件の方に加わっていただいた方がいいのでしょうが、森の中で何かあっても困りますから……。とりあえずは、皆さんは待機しておいてください。ルンの街にも報告はしてありますので、何か連絡があるかもしれませんから」
こうして、十号室の四人は、代官公認の、つかの間の休息を手に入れたのであった。
代官所に連絡が来たのは、それから二日後。
大会議室に、十号室と竜のアギト、両方の面々が呼ばれた。
そこには、既に、カイラディーから戻った『伝承官』ラーシャータもいた。
ゴローの隣に座っている。
「王都から連絡が来ました。現在の所、王都から戦力が送られることは無いとのことです。代わりに、ルン並びにカイラディーの冒険者ギルドに対して、王国政府から戦力派遣の依頼を発注する。つまり、ルンとカイラディーから、追加で冒険者が派遣されてくる、ということですね」
つまり来るのは、『高位冒険者』
アモンの予測が正解であった。
アモンが、何度も頷いている。
それを横に見て、ちょっとだけ悔しそうなニルス。
だが、それ以上に納得できない人物がいた。
もちろん、十号室の四人ではなく、竜のアギトのリーダー剣士である。
「納得できるかそんなの! これは俺らの依頼だ。それを後から来る奴らに……それも他の街の冒険者にかすめ取られるとか……ふざけるな!」
(気持ちはわかるが、依頼主の前で言うセリフじゃないだろう)
依頼経験が少ない涼ですら、そう思ったのだ。
十号室の他の三人の考えは、推して知るべし。
「ドゴンさん。口を慎みなさい。これは王国の決定です。あなた方の依頼者である私たちの、さらに上位者による決定です。ここが王室直轄領である以上、王室の決定も同然ですよ。王室に逆らうということは、大逆の罪に問われるというのは理解しているでしょう?」
ゴローは、とても低い声で、これまで十号室の四人も聞いたことのない低い声で、剣士ドゴンの発言をたしなめた。
大逆とまで言われれば、さすがの剣士ドゴンも鼻白む。
そしてその後は、顔面蒼白。
だが、何かを言わないわけにはいかなかった。追い込まれ、このままではまずい、という判断は出来たのだ。
しかし……その判断の結果が『無言』ではなく『稚拙な反論』であったのが、問題ではあったのだが。
「そもそも、木についていた虫が、『魔人虫』とかいうのであること自体、嘘なんじゃないか? そこの、ルンのやつらが、自分たちの功績稼ぎに出まかせを言っている可能性が高いだろう。そいつらの言うことなんて信じられるか!」
その理不尽な指摘を聞いて、十号室の四人が最初の思ったのは、「あちゃ~」であった。
ムカつきや、言い返してやる、などではなく……。
何に対して「あちゃ~」なのかと言うと……、
「その虫が『魔人虫』だと特定したのは私だ。中央神殿で『伝承官』の役を賜っている」
「あ、あんたが、そいつらと結託して魔人虫をでっち上げたってことか!」
(支離滅裂、無茶苦茶だな、剣士ドゴン……。まあ、冷静さを失えば仕方ないのかな)
涼は心の中で、剣士ドゴンのために祈ってあげた。
「私は神官だが……名前は、ラーシャータ・デブォー子爵という。わかるな? 子爵位を持つ、れっきとした貴族だ。そんな口の利き方はしない方がいいぞ」
「な……貴族……」
剣士ドゴンだけでなく、竜のアギトの他の四人も、驚いて言葉を続けられなくなった。
沈黙が会議室を占拠した。
「ルンならびに、カイラディーから追加の戦力が到着するまで、現状維持とします。それ以降の行動は、到着する方々によって変わってきますので、その後に決めましょう。両パーティーとも、それまで村の中でお過ごしください。拘束期間が延長されますので、その分の追加報酬は出させていただきます」
最後の一文を聞いて、十号室の四人が小さくガッツポーズを……心の中でしたことは内緒である。
以上で、会議は終了し、いつものようにゴローはアフター会議のコーヒーを誘う……そして、いつものように竜のアギトの五人はそれを断り、会議室を出て行った。
残されたゴロー、ラーシャータ、そして十号室の四人。
コーヒーが届くと、ラーシャータが口を開いた。
「ゴロー、なんだ、あの竜のアギトの連中は。そりゃあ、この十号室の彼らほどフレンドリーであれとは言わんが、さすがにあそこまで酷い冒険者は、初めて会ったぞ」
十号室の四人は、フレンドリーらしい。
四人は顔を見合わせて苦笑した。
「ああ……。正直、カイラディー冒険者ギルドの評判が、日々落ちて行っていてね……依頼を出す時にも不安だったんだが、的中してしまった。彼らの様な冒険者を寄越すようではね」
ゴローは何度も首を振りながら答えた。
「カイラディーの冒険者ギルドって、ダメなんだ?」
「俺らが寄った時に対応した人は、まともだったがな……サブマスターの……」
「ランデンビアさんだね」
涼が囁くように問うと、ニルスが半端に答え、エトが補足する。
だが、その小さい声も、この人数だと聞こえてしまうらしく、苦笑しながらゴローが言った。
「サブマスターのランデンビアさんは、カイラディーの良心みたいなものだったのですが……半年前にアクレの街のギルドに、ギルドマスターとして赴任したのです。そこから、カイラディーの冒険者ギルドは目に見えて悪く……」
そこで、深いため息をついた。
アクレは、南部最大の街で、ハインライン侯爵領の領都である。
そこのギルドマスターということは、かなりの栄転と言えるだろう。
だが、優秀な人が去った組織と言うのは、えてして悲しい状態になるわけで……。
「まあ、そういうこともあって、今回の依頼はカイラディーとルンの両方に出したのです。この村からだと、わずかにカイラディーが近いのですけど、さっきみたいな理由があるので。それで、手違いを装ってルンの街にも、ね」
代官ゴロー、出来る男である。




