0132 地下での戦い
翌日。
朝のうちに『王国魔法研究所』を訪れた涼を連れて、アベルは王立錬金工房を訪れた。
昨日のうちにアポイントメントを入れていたおかげで、錬金術師ケネス・ヘイワード男爵は工房にいた。
涼とケネスはすぐに打ち解け、錬金術の話に入っていく。
アベルは、自分の用は済んだとばかりに、『王国魔法研究所』へと帰っていった。
最上階のイラリオン執務室に入ると、朝アベルが出てきたときよりも、人口が増えていた。
約七名ほど。
「ああ、アベルさん、お邪魔してます」
そのリーダーである勇者ローマンが、戻って来たアベルを見て挨拶をしてきた。
「お、おう」
アベルは、それだけしか答えることができなかった。
留守番をしていたリンを見つけて、この人口増加の理由を尋ねる。
「ああ……なんか、フリットウィック公爵邸を出てきたんだって」
リンが聞いたところによると、公爵邸を取り仕切るオスニエル・フレッチャー子爵の秘書ナンシーが、昨日の問題の発端らしい。
アベルに攻撃されて負傷した風を装って、ゴードンにアベルを攻撃させたりしたとか。
だが、事が終わってみると、ナンシーはすでにその場におらず。
しばらくその辺りを皆で探したが見つからず。
公爵邸に戻ってみると、ナンシーは外国の密偵であることがわかったため、公都カーライルに送られたと。
一晩過ぎても、勇者ローマンがフレッチャー子爵のことを信じられないと言ったため、パーティー全員で公爵邸を出てきたと。
ちなみにゴードンは、ここに来ても、ずっと部屋の隅にうずくまったままである。
「ローマンは、勇者というだけあって、そういう直感というか虫の知らせ的なのが強いらしい。って、聖職者のグラハムさんが言ってた」
「なるほど……それで、こんなに人口が増えたのか……」
イラリオン執務室は、けっこうな広さがあるのだが、さすがに三人だったのが十人になると、一気に増えた感じがする。
元々いた三人というのは、アベル、リン、ウォーレンである。
リーヒャは、まだ中央神殿におり、イラリオンは三日前に出かけたきり、まだ帰ってきていなかった。
「まったく……爺さんはどこに行ったのやら」
「そういえば、ストーンレイクからの早馬が来て、伝言を残して行って……その伝言を見て『リョウ』って呟いていたのは覚えてる」
アベルの独り言に、リンが、イラリオンが出かけた日の事を思い出しながら答えた。
「リョウ?」
「うん。でも、リョウって王都にいるよね……」
「ああ。今は錬金工房で、ケネスと錬金術の話をしてるだろ……」
二人がそんな話をしていると、部屋の一角から突然、ウゥゥゥ~という、機械的な音が聞こえてきた。
涼が聞いたら、「ロンドンの空襲警報!」と言ったかもしれない。
だが、この場にいる者は、初めて聞く音であった。
「なに?」
「なんだ?」
リンやアベルが慌てている間に、扉が開いてイラリオンの秘書的立場のスーラーが入ってくる。
そして部屋の一角に行き、そこにある箱のボタンを押すと、空襲警報な音は止まった。
「こちらイラリオン邸です。どうぞ」
スーラーは、箱に向かって話しかける。
すると、箱からも声が返ってくる。
アベルは、潜入の時に持たされた錬金球を思い出した。
こちらの声を拾って、離れた場所にある錬金箱に声を届ける機械である。
「こちら中央神殿。緊急事態です。神殿地下より、人ならざるものが溢れ出てきています。このままでは王都にまで溢れ出ます。大至急ご助力を」
アベルはスーラーの方を向いて、すぐに頷く。
そして勇者ローマンを見ると、ローマンも頷いた。
「現在イラリオン様は不在です。ただ、逗留されているB級パーティー赤き剣と、勇者ローマン様のパーティーが援軍に向かいます」
スーラーが言い切るよりも早く、赤き剣と勇者パーティーは部屋を飛び出していく。
ただ、飛び出しざま、アベルはスーラーに伝言を頼んだ。
「王立錬金工房にいるリョウにも連絡を」
部屋の隅でうずくまっていたゴードンも、すっくと立ちあがり、彼らを追って部屋から走り出た。
王都クリスタルパレス中央神殿。
ナイトレイ王国における、光の女神信仰の中心地。
王都のほぼ中央に位置し、一般の市民から、貴族・王族まで祈りのために昼夜問わず訪れる場所である。
その中央神殿の中でも最奥、最も北に位置する『静の間』……高い天井はドーム状になり、広間も半径五十メートルほどの円状のオーバルルームとなっている。
その中央に、地下墓所、つまりカタコンベに降りる階段が作られている。
現在、その階段の地下二階から地下一階に上がる階段前で戦闘が繰り広げられていた。
「くっ、ダメだ、抑えきれん」
「モンク部隊、退け! それに合わせて援護砲撃!」
王国における『モンク』とは、武装修道士のことである。
光の女神にその身を捧げ、戦い続ける者たち。
神官には、『赤き剣』のリーヒャや、『十号室』のエトのように、冒険者として戦闘に加わる者たちもいるが、あくまで彼らは『後衛』である。
だが『モンク』は、鎧を身につけ、聖なる祝福を受けた杖を持ち、最前線で戦う『前衛』だ。
稀に、冒険者となる者もいるが、その多くは神殿付きとして一生を過ごす。
そのため、決して戦闘経験が豊富とは言えないが、それでも、この中央神殿防衛線においては、前線を張れる貴重な戦力となっていた。
「砲撃、放て!」
「<ライトジャベリン>」
十数本の光の槍が放たれる。
一本の光の槍が、数体を貫く。
それぞれの槍が標的を重ねることなく、効率的に倒せている。
地下四階から、この地下一階手前までの撤退戦で、意思の疎通が取れてきていることの証明であった。
だが、指揮を執るリーヒャの心の中は相当に焦っていた。
(かなり削ってきているはずなのに……全然圧力が減らない)
倒しても倒しても、後から後から出てくるのだ……そう、まるで『大海嘯』の様に。
(もう、この上は地下一階……撤退戦を行うにも『静の間』にまで出てしまうと難しくなる……あそこは広すぎる)
カタコンベ内の幅の狭さ、そして階段の狭さ、それらを活かして接敵面積を狭くしているために、なんとか持ちこたえているが、オーバルルームとも言える静の間にまで出てしまえば、まず数の圧力に屈することになる。
かと言って、そこに達する前にこれらの敵を倒しきれるのかと言えば……、
(まず、無理)
リーヒャは、心の中でそれらの事を考えながらも、表情には決して出さない。
指揮官が弱音を吐けば、その部隊は一気に力を失う。
指揮官が勝てないと言えば、その戦闘は絶対に勝てない。
指揮官が自信のない表情をすれば、その後は一気に押し切られる。
指揮官とは、かくも重要な役どころなのだ。
そもそも、リーヒャが戦闘指揮を執っているのは、王都中央神殿の責任者である大神官ガブリエルに指名されたからだ。
本来は、最上位の地位にある大神官が指揮を執るのが最もふさわしいのであろう。
大神官の威光があれば、中央神殿に属する者は全員従う。
だが、ガブリエルは、自らに戦闘指揮の能力と経験がないことを知っていた。
そもそも、争うこと自体が苦手で、自らの命を危険にさらした経験も多くはない。
そんな人間が、冷静に指揮を執ることなど出来ない……しかも、相当数の人ならざる者たちとの戦闘である。
大神官ガブリエルは、自らそう認識した時、ふと横を見た。
そこには、凛とした表情と意志の強さを表に出したリーヒャが、押し寄せる人ならざる者たちを見ていたのである。
かつて、リーヒャが聖女と呼ばれていたのは知っている。
誰あろう、ガブリエル自身が、リーヒャを聖女に任じたのであるから。
そんなリーヒャが、今この時、ここにいるのは、まさに神のおぼしめし、ガブリエルにはそうとしか思えなかった。
それで、戦闘指揮官に任命したのだ。
そして、自分はリーヒャの下で、その指示に全面的に従って、砲撃部隊を率いる。
その光景は、リーヒャが戦闘指揮官に任命されたことに驚いた者たちをも、リーヒャの下で戦うことを了承させた。
リーヒャの聖女としての名声、大神官ガブリエルの支持、並びにモンク隊隊長グウェインの全面的な支持と相まって、なんとか破綻せずに防衛戦を戦えていた。
「砲撃用意。砲撃後、モンク隊、再突撃」
「おう!」
モンク隊が応じる。
さすがは武装修道士。士気は、まだ高い。
「砲撃、放て!」
「<ライトジャベリン>」
スケルトン系を中心に、かなりの敵を倒している。
中には、なぜかゴブリンもいるのだが……。
(本当に……どうしてゴブリンがいるの? 百歩譲って、スケルトンなどの骨系やレイスの様な霊系ならまだわからないでもない……地下墓所だし。もちろん、今までそんなことがあったって聞いたことないけど。でも、ゴブリンとか意味が分からないんだけど……。いったい、どこからやって来たのよ。それと……)
「オーガだ!」
砲撃後に突撃したモンク隊が叫ぶ。
(そう! オーガよ。天井まで高くても二メートルちょっとしかないこの地下墓所に、二メートル半のオーガがどうしているのよ……)
身長二メートル五十センチ程度のオーガ……このカタコンベ内では、背を丸めて歩いている。
そのため、その大きさも、膂力の強さも全く活かされていない。
とは言え、元々の耐久力が恐ろしく高いため、一体いるだけで人間側の殲滅速度はガタ落ちになる。
そこで時間がかかっている間に、後ろから詰まってくるのだ。
(前に進めず、どうしても撤退戦になる……。モンク隊も砲撃隊も、士気は高いけど体力と魔力は無限じゃない……できれば交代したいわね。そもそも、王国騎士団はどうして来ないの? 最初に連絡したはずでしょう? 騎士団詰め所はすぐそこなのに……)
リーヒャはそう思って、大神官ガブリエルの方を見る。
ガブリエルも、リーヒャが何を求めているかは理解しているのだが……首を横に振った。
つまり、騎士団はまだ来ない。
リーヒャは奥歯を噛みしめて、目を瞑り、一度深い呼吸を行う。
落ち着くための深呼吸は、とても有効。
そして目を開き、指示を出す。
「オーガを倒しきったら、モンク隊は一度退け。敵が釣り出されたら砲撃」
撤退戦ではあっても、出来る限り、この地下二階と一階の間で、援軍が来るまで時間を稼ぐ。
リーヒャの方針は一貫していた。
地下二階と一階の階段前では、地下三階より下での戦闘に比べて、かなりの時間、押しとどめることが出来ていた。
だが、それもついに限界を迎えようとしていた。
「地下二階を放棄。モンク隊は階段で敵を抑えて。砲撃隊は地下一階、中央部まで撤退して砲撃体勢を。体勢完了後にモンク隊も一階中央まで退く」
「了解!」
ここまで、ケガ人はモンク隊を中心にかなり出ていたが、奇跡的に死者は出ていない。
もちろん、全員が神官なために、怪我はすぐに回復する。
そのため、実質ダメージゼロで戦えているのである。
本来、そんな戦闘はあり得ないのだが、地の利と神官の多さがそれを可能にしていた。
それと、リーヒャが、『犠牲を最小限に時間を稼ぐ』ということを主眼に指揮をしたのが大きいのかもしれない。
だが、モンク隊の体力、砲撃隊の魔力、どちらも限界に近いことをリーヒャは分かっていた。
分かっていても、どうしようもないのである。
時間を稼ぎ、王国騎士団などの、援軍を待つ……他に方策はない。
「砲撃隊、撤退完了。モンク隊、一階中央まで退け」
その号令に合わせて、階段で敵を抑えていたモンク隊が、地下一階に上がって中央部まで走る。
先頭が隊長グウェイン、最後尾が副隊長チェイス。
どちらも、最も最前線で身体を張って来た二人。
つまり、最も体力と精神力を削られた二人。
隊長グウェインが転げるように一階中央部に辿り着く。
だが、最後方で、一人いきなり身長が縮んだ。
副隊長チェイスが転んだのだ。
リーヒャが気付いた時には、ホブゴブリンが、チェイスのすぐ後ろに迫っていた。
リーヒャはライトジャベリンの詠唱を行おうとする。
だが、それを止めるように、後ろから腕を掴まれる。
その瞬間、詠唱が聞こえた。
「風よ その意思によりて敵を切り裂く刃となれ <エアスラッシュ>」
同時に、リーヒャの傍らを、風の様に走り抜けていく剣士が見えた。
リンが放ったエアスラッシュは、狙い違わずホブゴブリンの首を切り裂く。
ほぼ同時に、副隊長チェイスの元に辿り着いたアベルは、チェイスを肩に担いでリーヒャの元に戻って来た。
「アベル……」
リーヒャの目は涙で溢れ、今にもこぼれそうであった。
「待たせたな、リーヒャ」
それは、神官たちが、待ちに待った援軍だった。




