0096-2
中央において、ローマンとフィオナの剣戟が繰り広げられている間、副官マリーも斥候モーリスと近接戦を展開していた。
だがそれは、ある種異様な近接戦であった。
勇者パーティーのモーリスは斥候である。
二本のダガーをそれぞれ両手に持ち、その身のこなしの軽さで戦う。
そのため、比較的正面から当たるよりも、相手の横や背後に回り込んで斬りつける攻撃が主流になるのだが……。
副官マリーを相手に、彼女は背後に回り込むことができなかった。
いや、正確には、回り込もうとするのだが、簡単に対応されてしまう。
それは決して、副官マリーのスピードが速いというわけではない。
もちろん、普通の剣士などに比べれば速い方だが、勇者パーティーで斥候を張っているモーリスに比べれば遅い。
だが、回り込めない。
なぜなら、マリーの周りには、常にダウンバースト、強力な下降気流が存在したからである。
風属性魔法使いのマリーの、一対一の戦い方はとても珍しい。
自分の周りに、ほぼ無意識に強力なダウンバーストを発生させ、相手の動きを阻害しながら戦うのだ。
風速五十メートルの風が吹き荒れる台風の中では、人は思うように歩くことは出来ないであろう?
マリーの周囲では、そんな風が、常に上方から地面に向けて吹きつけている。
身のこなしが軽いとか重いとか関係無しに、まともに動くことすらできないのだ。
しかもこれは、身のこなしの軽さを信条とする斥候モーリスにとっては、最悪の相手とも言えた。
(これはまずいよね。よりにもよって私の相手が、こんなのとか。運が無い……。いや、まさかそこまで計算して、この人を私に当ててきた? 綺麗な顔してあの皇女様、なんてえげつない)
斥候モーリスは、一か所に止まらず動きながら、相手の狙いが定まらないようにしながら攻略法を考える。
シュッ。
カン。
投げナイフを投げてみたが、やはりこの忌々しい風に払い落とされる。
(これ……どうやって倒せばいいの……。近づけないわ、投げナイフも届かないわ……とりあえず私自身が倒されないように、他の人が援軍に来るのを待ってればいいかな?)
そもそもモーリスは斥候だ。
冒険においても、戦闘力は期待されないし、回復役のグラハムと共に、死なないことが役割、そんな面もある。
もちろん、勇者パーティーの一員として、その辺の斥候などは足元にも及ばないレベルの戦闘力を持ってはいるが、パーティーの他の面々に比べればやはり強いとは言えないのだ。
(完全に手詰まり……)
モーリスは、小さくため息をついた。
近接戦は三か所で発生している。
中央の勇者ローマン対フィオナ。
勇者パーティーから見て左方の斥候モーリス対マリー。
そして右方での、エンチャンターであるアッシュカーン対ユルゲン。
『エンチャンター』という職種は、中央諸国には無い。
そもそもどういうものなのか。
魔法によって、仲間の身体や武器に、「一時的に」属性を付加することを、エンチャントと言う。
そしてそれを専門に行う魔法職が『エンチャンター』だ。
なぜ中央諸国には無いのか?
理由は簡単。エンチャントの魔法詠唱が無いから。
涼やセーラ、あるいは帝国皇帝魔法師団の面々は、詠唱無しでの魔法生成を行っているが、これは中央諸国の魔法使い達の中では例外的な存在といえる。
実際、同じ帝国軍に所属する魔法使いであっても、『皇帝魔法師団』は詠唱を行わないが、第一から第八までの『帝国魔法軍』は全員詠唱を行う。
『皇帝魔法師団』が詠唱無しでの魔法発動を常としているのは、ひとえにフィオナとオスカーによるものだ。
詠唱を行えば、初心者でも楽に魔法を発動することができる。
だが、それによって発動される魔法の威力は、誰が唱えてもほぼ一定となる。
一部、上級者が初級魔法や中級魔法を唱えると、想定以上の威力となるという研究もあるが、基本、威力は一定。
また、詠唱する時間が必要になるため、発動までの時間がかかる。
これは、戦闘においては致命的だと言える。
そのため、フィオナとオスカーは、皇帝魔法師団を再編する際、詠唱無しで魔法を生成することを徹底した。
さて、そういうわけで、『魔法詠唱』が無いため、エンチャントは中央諸国には存在しない。
ユルゲンも、今回、初めて見た。
(殿下とエルザは、グラハム殿が徒手あるいは棒術あたりで接近戦は出てくる可能性があると言っていたが、まさかの風属性魔法使いのアッシュカーン殿とは。しかも彼女はエンチャンター……。なるほど、珍しい経験が積めそうだ)
ユルゲンが相対したアッシュカーンは、その身にヘイストをかけてスピードを上げ、手甲と足甲をつけての肉弾戦というスタイルである。
およそ魔法使いらしからぬ戦闘スタイルであるが、きっと「あなたに言われたくない」とユルゲンは言われてしまうであろう。
ユルゲンは、正統派の剣術でそれを迎え撃っているのだから。
ユルゲン・バルテルは、バルテル伯爵家の次男だ。
伯爵家の家督は、八歳年上の兄が継ぐことになっていたが、代々優秀な武人を輩出した家門の常として、幼少の頃より武芸全般鍛えられていた。
そのため小さい頃から漠然と、十八歳になれば帝国騎士団に入るだろうと思っていた。
実際に、剣の腕もかなりのものとなっていたのだ。
十五歳で、伯爵家剣指南役の家庭教師を倒すようになり、十六歳で、父である当主すらも敵わなくなるほどに。
十八歳で成人した時、ユルゲンの周囲で、彼を剣で上回るのは八歳年上の兄だけであった。当時兄は、帝国騎士の中でも最高クラスの者だけが成ることが出来る、皇帝十二騎士に名を連ねていたのである。
そんなこともあって、ユルゲンは皇帝の目にとまった。
十二騎士の兄といい勝負をする。しかもまだ成人したばかり。
それほどの人材に、皇帝ルパート六世が目をつけないはずがない。
詳細な周辺調査とヒアリングの結果、年齢も近いフィオナとオスカーの力となるであろう、ルパートはそう判断した。
そうしてユルゲンは、オスカーの元に預けられて半年の訓練期間で色々と鍛えられ、オスカーの副官としてフィオナ護衛の任に着いた。
それは、フィオナが帝国皇帝魔法師団の師団長に任命される二年近く前の事であった。
ユルゲンが使用している剣は、演習場備え付けの刃を潰した普通の鉄剣。
もちろん、この模擬戦には自分が普段使用している武具を使っても構わない。
だからこそ、フィオナは宝剣レイヴンを使用しているし、勇者ローマンは、聖剣アスタルトを振るっている。
だが、ユルゲンは、寸止めが苦手なことを自覚しているため、もしそのまま当てても殺さないで済むように刃を潰した剣を使うことにした。
上司であるオスカーが聞けば、「おい、凄い自信だな」と嫌味を言われそうだが、苦手なものは仕方がない。
仕方がないからと言って殺してしまっては大いにまずい。
ユルゲンに選択肢は無かった。
基本的にアッシュカーンが攻め、ユルゲンが受けるという形で、二人の戦闘は続いている。
アッシュカーンの体術はかなりのものであるが、ユルゲンからすれば、つけ込む隙はあるように見えた。
あとは、そのタイミング。
タイミングをしくじれば、全てが無駄になる。それはどんなものでも同じだ。
ユルゲンは、アッシュカーンの攻撃を捌きながら、ただそのタイミングを慎重に図るのであった。




