一人で頑張ります!……?
「うう……」
朱雲は一人、薄暗い地下図書室の一角にある机で頭を抱えながら、教科書とにらめっこをしていた。その隣には、いつもいるはずの青龍偃月刀の姿はない。
「ううう……」
朱雲の悲愴な唸り声が、人の気配が極端に少ない図書室に響く。ブリタニア王立魔導学園の図書室は、普通の書籍の他に数多くの封印された魔術書や魔導書があるため、言葉に表すことのできない特異な圧迫感がある。青龍偃月刀に、「試験勉強は一人で頑張ります!」と豪語して、勉強と言えば書庫、と来てみたものの、居心地が悪いし、一人でいることに慣れていないせいかじわじわと寂しくなってくるし、何よりも一生懸命授業を聞いていたはずなのに、教科書やノートの内容が難しくて、ポジティブな朱雲の心はもう少しで折れそうだった。
「こんなことなら……青龍に一緒に来てもらうべきでした……でも、拙も青龍に頼ってばかりでは……」
勉強が不得手な自覚はある。今回は自分で頑張ろうと思ったのだが、苦手なことに一人で立ち向かうのは、難しい。判断が甘かった、と心の中で反省するとさらに落ち込んでくる。その時だった。
「ひっ!!?」
突然、何者かの気配がすぐ近くに現れた。普段なら確認しようと思うところだが、何せ弱気になっているので、身体が強張ってしまう。
カッ……カッ……カッ……
そして、聞こえはじめた足跡はこちらに向かって来る。朱雲はさっきとは違う意味で頭を抱えて、ギュッと目を瞑った。実は勉強だけでなく、おばけも苦手なのだ。
(……助けてください!青龍!義姉上!……双魔殿……)
「おっ、いたいた」
「……え?」
聞こえてきた声に朱雲は、ハッと顔を上げた。すると、そこに立っていたのは、心の中で最後に助けを求めた双魔だった。
「ぞうまどのぉぉ~~……」
「おっ、おいおい……どうしたんだよ……」
自分の顔を見て突然、だばーっと泣きはじめた朱雲を見て、双魔は驚いたようだった。が、慰めようとしてくれたのか、朱雲の頭に手を置くと優しく撫でてくれた。それで安堵感が洪水のように朱雲の胸の中を流れだす。
「ひっく……うう……実は…………」
朱雲は、自分の状況を鼻を啜りながら何とか双魔に説明した。双魔は最後まで黙って聞いてくれた。そして……。
「ん、分かった。んじゃ、俺の準備室で勉強するといい。俺も試験勉強をするから、朱雲が分からないところがあったら一緒に考えよう」
「それは……ありがたいのですが……拙の力で頑張らなくては……」
「何言ってんだか。人の力を借りるのも自分の力のうちだ。ほれ、荷物まとめて、行くぞ」
双魔はそう言うと、ポンッポンッと朱雲の頭を軽く叩いて笑って見せた。
「……はい!」
朱雲は双魔を見上げると、急いで広げていた教科書やノートを片付ける。魔術科で講師をしていると聞いていたが、今の言葉が、双魔の教育者としての度量を表しているように見えた。
(やっぱり、双魔殿は大きな御仁ですっ!)
朱雲はそう思わずにはいられなかった。そして、冷たくなっていた胸が温かくなったように感じた。
その後、双魔は提案してくれた通り、自分の講師準備室に朱雲を連れて行ってくれた。来客用らしいソファーに朱雲を座らせると、お茶とお菓子まで出してくれて、自分は隣で試験教科の教科書を読みはじめた。そして、朱雲が唸りはじめると、それとなく助言をしてくれる。分かりやすくて、一人では太刀打ちできなかった問題がするすると解けていく。そのことを嬉しく思いながら、なぜか朱雲は胸がうるさく高鳴るのを感じていた。
そうして、二時間ほど経った頃、やっと勉強しようとしていた範囲が全て終わった。
「終わりましたっ!」
「ん、頑張ったな」
「はい!……双魔殿、ありがとうございました」
「気にしなくていい。また、何か困ったら遠慮なく頼ってくれ。その方が俺も嬉しいからな」
ぺこりと頭を下げた朱雲の頭を、双魔は優しい言葉と共に、また撫でてくれる。心がほわほわと浮ついてしまう。それがなぜなのか、朱雲には、まだ分からない。
「っと、そうだった。元々、朱雲に用があってな。探しに行ったんだ」
「拙に用が……そうだったのですか?」
双魔が何かを思い出したようだった。朱雲は気になって顔を上げる。
「ん。試験が終わったら、アッシュの親父さんの招待でギリシア旅行に行くことになったんだ。まあ、本来の目的は、アッシュとアイギスさんの女神アテナの神殿への参拝なんだが、そのついでにってことでな。よかったら朱雲と青龍さんもそうかと思ってな」
「ギリシア……ですか?」
きょとんとする朱雲の頭の中にあまりイメージが湧いてないことが分かったのか、双魔は笑いながら追加で説明してくれる。
「ギリシアと言えば、地中海だ。太陽の下、白い砂浜で爽やかな風に吹かれながら海水浴がメインになると思う。どうだ」
「海水浴……ということは!もしや、海ですかっ!?」
朱雲の表情がパァッと明るくなる。蜀の地には大河はあれど、海とは縁浅い。海は一つの憧れと聞いたことがある。
「そうだな」
「ぜひ!行かせていただきます!ありがとうございます!双魔殿っ!」
「礼はアッシュに言ってくれ。それじゃあ、アッシュに伝えておく。もし、準備で困ることがあったらイサベルと鏡華を頼ってくれ。伝えておくから」
「分かりました!関桃玉朱雲、僭越ながらお二人を頼らせていただきます」
朱雲の表情はすっかり明るい。いつもの朱雲に戻ってくれたようで、双魔は嬉しかった。
「っと、その前に。補修にならないように試験はしっかり、な」
「はいっ!頑張ります!」
朱雲はフンスッと鼻息を荒くした。それを見て、双魔は再び優しく微笑むのだった。





