朱雲はいずこ?
夏のギリシア旅行の話し合いをした翌日、双魔は授業後に遺物科棟の階段を下りていた。試験期間前は、学生に集中してもらうといった学園の方針から、基本的に評議会で扱う案件はない。魔術科の講師としての業務も、学科主任であるケルナーの取り計らいで、有給休暇扱いということにしてもらっている。
「さて、いるといいんだが、な……」
一つ階を下りた双魔は、右に曲がった。ここは二年生の階で、朱雲にギリシア旅行の話をするためだ。彼女のクラスは確か一番奥の教室だったはずだ。
「ん?」
ふと、あちこちからあからさまな視線を感じた。悪い類のものはないが、一気に背中がむず痒く思えてくる。
(まあ、上級生が一人で来たらこうなるか……ああ、そう言えば俺って遺物科の副議長か。そう思えば……)
四方八方から視線を向けられる理由に納得すればさほど気になることではない。足取りを緩めることもなく、目的の教室の前に到着する。
(朱雲は……いや、流石に教室の中に入るのはどうだかな……誰かに聞いてみるか)
「えー!ホントー?噓じゃないの?」
「嘘じゃないよー!」
そう思った時だった。タイミングよく、教室から女子生徒二人組が出てきた。渡りに船、双魔は怖がらせないように、なるべく普通を意識して声を掛ける。
「すまん。ちょっと聞きたいことがあるんだが……」
「え?なに?って!えっ!?」
「噓っ!??」
双魔の顔を見るなり、二人は目を大きく見開いてポカンと口を開けたまま固まってしまった。しかも、何の話かは分からないが、「噓じゃない」、と言っていた方が、「噓」と言っている。
「あー、聞きたいことが……」
「伏見先輩ですよねっ!?」
「この前“聖騎士”に叙任されたっ!!」
「あ、ああ……そうだが……」
双魔が答えると、二人組は急速解凍されたかのようにグイッと距離を詰めてきた。瞳をキラキラ輝かせながら。
「私たち学園祭で執事喫茶行きました!先輩!とても素敵でした!」
「そ、そうか。ありがとう……」
「それと!シスター・アンジェリカとデュランダルペアとの模擬戦も観ました!あの“英雄”とあそこまで競り合うなんてっ!ホンッッットに!格好よかったです!」
「あ、ああ……」
どうやら、学園祭で意図せず知名度を上げてしまっていたらしい。邪な気持ちを全く感じさせない純粋な憧れの眼差しを唐突に浴びてしまい、双魔は思わず狼狽えてしまう。そして、そんな双魔の内心に構わず、二人とのやり取りで色々な取っつきにくさが吹っ飛んだのか、わらわらと他の後輩たちも男女問わずに寄ってきた。
「伏見先輩っ!俺、先輩のこと尊敬してます!どうしたら“英雄”に一泡吹かせるくらい強くなれますかっ!?」
「今日は契約遺物のティルフィングちゃんは一緒じゃないんですかっ?」
「も、もし、よかったら今度一緒にお茶していただけませんかっ!?」
「どうしたら女子にモテますか!お願いです!俺も先輩に見たいに可愛い女の子たちのキャッキャウフフしたいんです!アドバイスを!」
「実はオーエン先輩とただならぬ関係……愛し合ってるって本当ですかっ!?本当だって言ってくださいっ!!」
取り囲まれてまともな質問から何を言っているか全く理解できない質問まで、一気に声を掛けられて無茶苦茶だ。こんなものは、かの厩戸皇子でも聞き分けられないに違いない。こういう時は、こちらから大きな声で質問返ししてみるに限る。双魔は軽く息を吸って、その反動のままに声を上げた。
「留学生の関桃玉に用がある!誰か知ってるかっ!?」
「関さんなら暗い顔で図書室に行くって言ってましたけど……」
双魔の突然の大声に驚いたのか、囲んでいた中の誰かがそう言ったのを双魔は聞き逃さなかった。
「助かった!ありがとさん!」
双魔はそう言い残すと青白い淡光を残し、一瞬で囲いの中心から消えた。それに後輩たちは驚きを隠せない。
「えっ!?」
「先輩が……消え……た?」
「あっ!?」
呆然としていると、輪の一番外側にいた生徒が声を上げて階段の方を指差した。全員の視線がそちらへ向く。そこには、階段へと消えていく双魔の背中が半分だけ見えた。
その衝撃と不思議具合に、朱雲のクラスメートたちは、しばらく仲良く固まっていたのだった。





