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鍛冶師の幽閉島

 この世界には、“狭間”と称される空間がある。広義には全ての人間界とは異なる別世界、例えば幾つかの救世主教の天国や地獄、多神教神話圏の天界や冥界を指す。それらは遥か遠くに存在すると理解するのが最も分かりやすい。


 そして、狭義には妖精や異能の者たちが作り出す、世界と極薄い壁で隔たれているだけにもかかわらず、普通の人間や魔術師、遺物使いでは決して足を踏み入れることのできない世界を指す。これらは世界に無数に存在し、矮小な力の持ち主が構築するお遊びのような物から、強大な力の持ち主が構築する一国と比肩するほどの物まで様々に存在する。


 その中に、“鍛冶師の幽閉島(セーヴァルスタズ)”という島がある。それは、大海のどこかから流れつくことのできる、半径一キロメートル程の小さな島。常に鎚で鋼を叩く甲高い音の響く眠らぬ島。そして、その島に入ることができるのは、()()()()()()()()()()


 クワァーンッ!……クワァーンッ!……クワァーンッ!……


 真っ赤に焼けた鋼が、機械の振り下ろす鎚によって打たれる音が、炉から漏れ出た熱と仄明かりに満たされる石造りの部屋に響いている。部屋の中央の作業机では、“鍛冶師の幽閉島”の主である男が、冷たい瞳で手慰みに腕輪を作っていた。


 鎚を打つことで鍛え抜かれた逞しい腕と、手入れしていない色褪せた茶髪。顎と頬を無精髭が覆っているが、顔立ちは端正である。されど、その傍らには武骨な鉄杖が立てかけられ、脚は哀れなほど貧弱で細い。不機嫌さと諦念を煮詰めたような表情で、黙々と器用に腕輪に装飾を施している。


 クワァーンッ!……クワァーンッ!……ギ……ギギィィィ……


 「……?」


 響いていた甲高い金属音に、石造りの家の重厚な扉が動く音が混じり、男は顔を上げた。しばらくすると、部屋の入口に一人の影が姿を現す。


 年の頃は十八にも届かぬ少女だ。その姿は珍妙の一言で、美しく白い顔の半分は火傷に爛れ、肩にかかる灰緑の髪の上にはイルカのような海獣を模した帽子を被っている。華奢な身体は、普通の人間であれば摩擦によって耐えかねる棕櫚綱で編まれたドレープで包まれ、腰には帯紐の代わりに白い蛇が巻きついている。蛇は鎌首を少女の右肩に擡げて赤く光る眼でこちらを見つめている。


 「お久しぶりね。ヴェルンド。あら?知っている顔と違うワ?貴方……何代目?」


 ”ヴェルンド”とは、古エッダの一つ、「ヴェルンドの歌」に歌われる伝説的な鍛冶師である。彼はその卓越した腕から、神の御業を写すに至り、また、その才能から暴虐なるスウェーデン王ニーズズによって、膝の腱を断たれ、囚われの憂き目を見た人物である。が、気になるのは少女の問い、「何代目?」であるが、その問いにヴェルンドは眉を動かすこともなく応える。


 「……俺は十五代目だ」


 鍛冶師ヴェルンドは自らの神域の技術を子孫に伝えることを望んだ。しかし、神の御業を受け継ぐことには、当然ながら代償が伴う。ヴェルンドはその技術により自らが幽閉された“鍛冶師の幽閉島”を模した“狭間”を作り出し、その中でのみ技術継承が行えるようにした。また、自分と同じように足が不自由になる半ば呪いのような体質も、技術と共に継承されることにより、願望を実現したのだ。


 結果、ヴェルンドを先祖に持つ子孫たちは、神腕の鍛冶師でありながら、人間嫌いで偏屈な人物たちが連なり、五代目からは意志を持つ道具、すなわち遺物以外の者たちは基本的に島を訪れられないようにしてしまったのだ。そして、十五代目と名乗った彼は、先祖と遜色ない超人的な腕を持ち、現代世界に数少ない”遺物の治療”を行える者として、魔導界にその名が伝わっている。


 「そういう、アンタは、アスクレピオスの杖だな?」

 「御明察。いかにもワタクシは医神アスクレピオスの杖だトモ」


 “アスクレピオスの杖”とは、その名の通り、ギリシア神話に名高い医学の神、アスクレピオスの持っていた杖である。その特徴は一匹の蛇が絡みついている点であり、アスクレピオスの印象として、現代における医学のシンボルとしても用いられている。七代目の先祖が記録に残していたので、ヴェルンドは彼女の正体にすぐに気づくことができた。


 「アンタが前に会ったのは、俺の八代前のヴェルンドだ。さて、ギリシアの遺物たちの多くは休眠状態のはずだが……何をしにこんな辺鄙な場所までやってきた?」


 世界と隔絶した“鍛冶師の幽閉島”に住んでいるとはいえ、ヴェルンドも全く外界と繋がりがないわけではない。世界に神秘が復権したことは知っているし、そのせいで、今のように自分を訪ねてくる遺物も増えた。


 ギリシア神話の遺物たちを「休眠状態」と言ったのは、とりわけ強大な力を持つ神話級遺物の多いギリシアでは、神々が自らの手元において、世界の秩序が乱れぬようにしていることによって、現代において遺物使いと契約しているギリシア神話の遺物が極少数であるからだ。


 「蛇は女神ペルセポネの季節になれば目を覚ますものさ。つまり、歴史に変革の熱を感じた。だからワタクシは目覚めた。ここを訪れたわけは……君がワタクシの悲願を叶えたと聞いてね。嫉妬の余りそれを拝見しに来た、といったところだヨ」

 「悲願……合点がいった。アンタが嫉妬するものはそこにある。極東の鍛冶師が、あくどい神に唆されて作った欠陥品を俺が量産したものだ。持っていきたければ、持っていけ。研究するなり、利用するなり、使い道はあるだろうよ」


 そう言って、ヴェルンドは作業机の端に無造作に置かれた小箱を指差した。アスクレピオスの杖は、滑るように机の傍にやってくると、小箱を手に取り、その中身を確認する。


 「なるほど。なかなか興味深い。本当にワタクシが貰っていっても構わないのカナ?」

 「くどいぞ。俺は健常な遺物には興味がない。気が散るからさっさとどこへでも行け」


 ヴェルンドは作業を再開するとうるさい子供をあしらうように言った。


 「手厳しいね。当代のヴェルンドは。それじゃあ、遠慮なく貰っていくよ。また会うことがあったならば、その時はよしなにお願いするヨ」


 ヴェルンドはもうアスクレピオスの杖の声に応えることはなかった。アスクレピオスの杖は苦笑を浮かべてヴェルンドの作業部屋を後にする。


 「これの研究結果によっては、ワタクシの主の悲願を確かなものにすることができる。なに、雷霆に打たれようと目的が達成できれば満足サ」


 そう独り言ちて、アスクレピオスの杖はどこかへと去っていった。


 クワァーンッ!……クワァーンッ!……クワァーンッ!……


 “鍛冶師の幽閉島”には再び鋼を打つ甲高い金属音だけが響き渡るのだった。



 また、間が空いてしまってごめんなさいです……今回から新章です!よろしくお願いします!

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