バカンスへのお誘い
アルバートは着替えてくると言って、爺と自分の部屋に向かった。残された双魔とティルフィングはアッシュの案内で屋敷の廊下を歩いていた。久々に訪れたオーエン子爵家の内装は記憶の中とさして変わらないものだ。壁、扉、床に敷かれた絨毯は上品で良質なものであるのが分かる。所々に置かれた壺やギリシア風の彫刻作品も質素な美しさで廊下を飾り立てている。派手さをあまり感じさせずに豪華さを醸し出すというのは、オーエン家が古くから続く名家であることを示している。
「おお……」
興味津々といった様子で頭が振り子時計のように動いているティルフィングの手をしっかり引いて歩く。万が一美術品に傷をつけてしまうと不味いからだ。振り返ってそんな双魔の顔を見たアッシュはクスクスと笑った。
「アハハッ、大丈夫だよ。曰くつきの物は置いてないから。まあ、ついてたとしてもアイがいるからどんな呪いも裸足で逃げ出すと思うけどね!」
「いや、そうじゃなくてだな……まあ、いいか」
「はい、到着!アイ!入るよー!双魔もティルフィングさんも入って入って!」
アッシュは客間の前まで来ると、ノックもせずに扉を開けて部屋に入った。双魔とティルフィングもそれに続く。部屋に入ると、アイギスが呆れたような表情でこちらを見ていた。
「アッシュ、誰かがいる部屋に入る時はノックをするのが礼儀よ。久々に双魔が来てくれて嬉しいのは分かるけれど」
「なっ!?ノックをしなかったのは悪かったけど!別に双魔が来たからってはしゃいだりしてないよ!」
「なんだ、アッシュ。俺が来ただけでそんなに嬉しかったのか?」
「っ!だから違うって!からかわないでよ!双魔まで!」
「む?我はソーマと一緒にいると嬉しいが……アッシュは違うのか?」
「いや、違うってこともないけど……って!そうじゃなくて!」
「双魔、ティルフィング。座りなさいな。アルバートもすぐに来ると思うわ」
「んじゃ、遠慮なく」
「もう!みんなしてなんなのさーー!」
アイギスに悪乗りしたおかげで、むくれたアッシュを見ることができて満足した双魔は、アイギスに勧められた椅子に腰掛けた。ティルフィングもその隣にちょこんと座る。アッシュと双魔のやり取りがよく分からなかったのか、首を傾げている。
自分以外が全員座ってしまったので、アッシュもプリプリしたままドスンとアイギスの隣の椅子に腰掛けた。
「アッシュ、乱暴に座ると品がないわよ?」
「もうお説教はいいよっ!フンッ!」
そっぽを向いたアッシュを見つめるアイギスの優しい眼差しは、まるで我が子を慈しむ母親のようであった。二人とも普段はあまり見ることのできない様子を見せている。
(実家だと、誰でも気は抜けるもんだな)
学園では品行方正で人気者のアッシュも、表情を大きく動かさないアイギスも、家に帰るとこの様子で、評議会にいる時よりも気が抜けているようで、双魔のなんとなく嬉しい。が、ここで笑うと、面倒臭いモード中のアッシュの矛先が自分に向くので、双魔は頑張って我慢する。
コンッコンッコンッ!
と、そこで廊下から扉がしっかりとノックされた。
「アルバートね」
アイギスが扉の向こうに声を掛けると、ゆっくりと扉は開き、アルバートが顔を出した。服装はポロシャツの色が青に変わっただけで、先ほどとあまり変わっていないが、シャワーで汗を流してきたのさっぱりとした様子だ。
「待たせてしまったね。双魔くんも変わらずにアッシュと仲良くしてくれているようで嬉しいよ。ハッハッハ!」
アルバートは朗らかに笑いながら、アッシュの隣に腰掛けた。
「改めて、アッシュの父のアルバート=オーエンです。ティルフィング殿、どうぞお見知りおきを」
「うむ!よろしく頼むぞ!」
「双魔くんもさっきはありがとう!無事に花が咲いたらまた、見に来てくれたまえ」
「ええ、その時はお邪魔しますよ」
「うん。ぜひそうして欲しい。ところで、アッシュは何をむくれているのかな?」
「別に!むくれてないよ!」
「そうかな?」
「そうなの!」
「それならいいのかな。いや、それにしても今日双魔くんたちが来てくれて丁度良かった」
流石に父親だけあって、我が子の扱いに慣れているアルバートは、笑顔のままアッシュから双魔の方へと向き直った。
「丁度良かった、とは?」
「実はね、学園の夏季休暇に入ったら、アッシュとアイギス殿はアテネに行くことになっていてね。もしよかったら、双魔くんとお友達たちも招待しようと思っていたんだよ」
「アテネに、ですか」
アルバートの話を聞いて、双魔はアッシュの方を見た。初めて聞いたことではあるが、アテネと聞けば察しはつく。とはいえ、ここは本人の口から説明して欲しいと思ったのだが……。生憎、アッシュはまだ膨れていた。
「アッシュ、いい加減になさい」
「別に僕は拗ねてないから!アテネにだってアイがいればいいから!」
アイギスに宥められても、アッシュの虫の居所は移動してくれないらしく、どう見ても拗ねているのに認めようとしない。
「アッシュ、そう言わないでくれ。今回は……そうだな……双魔くんたちと一緒に行った方がいいと、私は思うんだ。二人ももう“聖騎士”という立場がある。今のうちに思い出を作っておいた方がいいんじゃないかな?少年の日は夏至の夜のように短いものだ」
「お父さん……」
アルバートが顔をくしゃくしゃにしながら語りかけると、やっとアッシュの頬から空気が抜けた。流石、父親というべきか、我が子のことはよく分かっているらしい。真心を籠めればアッシュには伝わるということが。
「俺も、からかって悪かった。すまん」
「……別に、僕は拗ねてなんかいないから!双魔がどうして謝るのか分からないけど!……許してあげるよ!アテネには三年に一回、パルテノン神殿に行ってアテナ様にお祈りしに行くことになってるんだ」
パルテノン神殿とは女神アテナの守護都市、アテナに建立された神殿であり、祀られているのは言うまでもなく女神アテナである。そして、アイギスは女神アテナの盾であり、アッシュがパルテノン神殿に参拝するのは当然なことだ。神話級遺物の中には、遺物使いが遺物と契約することに対して、遺物の所持者である神々が何らかの条件を付ける場合があると授業で聞いたことがある。女神アテナがアイギスの契約者に課したのが、三年に一度の参拝ということなのだろう。それで合点がいく。
「アテナにはオーエン家の所有するヴィラやプライベートビーチがあるからね。そこに招待しよう。もちろん、費用は全額、私が持つ。アッシュと仲良くしてくれているお礼だよ。何人友人を連れてきてもらっても構わないからね」
アルバートにここまで言われてしまっては断るのも申し訳ない。それに、アッシュが来て欲しいと思っているのも分かる。長い付き合いなのだ。
「ソーマ、ソーマ。アテネとはどこだ?」
ティルフィングがシャツの裾を引っ張りながら効いてくる。頭の上には、クエスチョンマークがいっぱいだ。
「そうだな……まあ、海。行ったことないよな?」
「海っ!!あの大きくて水が塩辛い海かっ!?」
「ん、そうだ。この夏は、海に行くことになりそうだ!」
「おおおーーー!!海―――――っ!!」
ティルフィングはテンションが振り切れたのか、ガバッと椅子から立ち上がった。その姿に、双魔たちの顔は一斉に綻んだ。
聖なる地アテナを訪れた双魔たちの身に、またしても神威の試練が待ち受けることを、この時は露ほども知る由はなかった。





