アルバート=オーエン
門の目の前でタクシーが徐々にスピードを落とすと、車体の速さとほとんど同じ速度で門がゆっくりと開いていく。いつの間にか、アッシュがタクシーで帰ると連絡していたらしい。
控えていた門番の男性が、一応の確認なのかタクシーに近づいてくる。
「お疲れさま!」
「お帰りなさいませ。旦那様とアイギス様がお待ちです」
窓を開けてアッシュが顔を出して労うと門番は深々と頭を下げて、門の奥へと促した。
「お願いします!」
「承知でさぁ!」
アッシュに声を掛けられて、タクシーは再び滑らかに走り出した。そのまま五分ほど生い茂った林の中を進んでいくと、急に辺りが開けた。目の前には遠くからも見えていた巨大な屋敷が姿を現した。一目見ただけでヴィクトリア様式と判断できる、美しさと遊び心を兼ね備えた洒脱な建物だった。ヴィクトリア様式は近代に創出された、古代ギリシアから始まる各建築様式の優れた部分を折衷した建築スタイルのことだ。
目の前の屋敷は、白のレンガを基調に、赤、黒、黄色のレンガとステンドガラスが豊かな模様を作り出し、五つある尖塔はそれぞれ高さや太さがバラバラだが、不思議とバランスが取れている。言うならばアシンメトリーの美といったところだろうか。
やがて、玄関前の古典ギリシア彫刻を思わせる白い噴水を中心としたロータリーにタクシーは入り、玄関の前で停車するとドアが開いた。
「どうぞ、お降りくだせぇ!」
「ありがとう!乗車賃は詰所で。よかったら一休みしていって!」
「いつもご贔屓にありがたいことです!それでは、また機会がありましたらそのときはよろしくお願いいたしやすっ!」
タクシーの運転手は、双魔たちが全員降りたのを確認すると、帽子を取ってにこやかに一礼して見せた。タクシーは再び走り出し、ロータリーの残りを回ると、そのまま来た道を引き返していった。
「お帰りなさいませ、アッシュ様。双魔様、ティルフィング様も、ようこそいらっしゃいました」
タクシーを見送っていると、後ろから声が掛かった。いつの間にか現れた執事服の老爺が玄関の前で深々と一礼して見せた。オーエン家の使用人頭で、アッシュからは「爺」と呼ばれている人物だ。双魔とも面識があり、ティルフィングのことはアッシュやアイギスから聞いていたのだろう。
「ただいま!爺!お父さんは?」
「旦那様はそちらでお庭いじりを。アイギス様は応接間でアッシュ様のお帰りをお待ちでございます」
「また、庭いじり?もう!この前、腰を痛めたって言ってたじゃないか!」
「ふぅ……庭いじりか……」
アッシュは少し怒った様子で、爺の指差した方へずかずかと歩いて行く。双魔も気になったので、ティルフィングの手を引いてついていく。実は、タクシーに酔って少し気分が悪かったので、庭の緑を見れば、気分がよくなるかもしれない。双魔が会釈をすると、爺はにこやかに微笑んでくれた。
「お父さん!」
「やあ、アッシュ。お帰り」
玄関の左手に回ると、早速アッシュの声が聞こえてくる。返事をするのは、低く落ち着いた朗らかな声だ。見ると、アッシュが仁王立ちで、小さな花壇の前に屈んだ男性を叱っている。
「おや、双魔くん。久しぶりだね」
「お久しぶりです」
アイボリーのズボンについた土埃を手で払いながら立ち上がると、男性は双魔にも挨拶をしてくれる。年の頃は四十くらい。身長は百七十センチメートルほどで、緑色のポロシャツの下から少しお腹が突き出ている。麦わら帽子の大きなつば影には、声と同じ朗らかな笑みが浮かんでいる。
オーエン家現当主にして、アッシュの父、アルバート=オーエン子爵その人だ。アルバートの視線が双魔の顔から少し落ちる。双魔に隠れるように、自分をじっと見つめている少女に気づいたようだ。そして、得心がいったように一つ頷いた。
「お嬢さんが、噂に聞くティルフィング殿かな?私は、アルバート。アルバート=オーエン。アッシュの父親だ。息子がいつもお世話になっているね」
「……我はティルフィングだ。アッシュの父親なのか?あまり似ていないな」
「こらっ」
「むぅ……」
まだ少し警戒しながら、失礼とも取れることを言ってしまったティルフィングの頭を、双魔がくしゃくしゃと撫でると、少し拗ねたような唸り声を上げた。そんな二人の様子を見て、アルバートはにこにこしている。
「ハハッ!……よく言われるからね。気にしていないよ!それよりも、だ。気にかかるのは、この子たちだね……」
アルバートはそう言うと、再び視線を花壇に向けた。そこには茎を真っ直ぐに伸ばした植物が何本も生えている。しかし、その大きな葉は縮れてしまっていて、見るからに元気がない。
「ヒマワリですか?」
「そうなんだ。ここは日当たりも風通しもいいから上手く育つと思ったんだけどね。肥料も腐葉土を混ぜて、ヒマワリ合うようにしたはずなんだけど……」
アルバートは麦わら帽子を取ると、グレージュの頭を困ったようにポリポリと掻いた。
「双魔、なんでか分かる?」
「そうだな……少し見せてもらってもいいですか?」
「ああ、構わないよ」
一応、アルバートの許しを得てから、双魔は花壇の前にしゃがみ込んだ。すると、すぐに異変が目についた。下の方の葉が緑ではなく黄色味がかっていたのだ。
「これは……少し水が足りなかったかもしれませんね。土の水はけがよすぎるのかもしれません。それと日当たりも強すぎるかも」
「言われてみれば……プランターではなく、地植えのヒマワリにはあまり水をやらない方がいいと聞いたものだから」
「普通はそれで合っていますが、今回は具合が違ったようです。少し根も傷んでいるようですし……」
それを聞いて、アルバートは悲しそうな表情になる。
「……諦めるしかないかな?」
「いや、せっかくですし、できる限りのことはします」
双魔はそう答えると、地面に手を当てて、いつものように魔力を送り込む。するとどうだろうか、花壇の土が光輝き、萎れていたヒマワリの葉に活力が戻っていく。それだけに止まらず、茎の天辺に鎮座する花の蕾がむくむくと膨らんでいく。
「おお!」
「わあ!」
アルバートは思わず歓声を上げ、アッシュも声を上げた。流石親子というべきか、タイミングはばっちり重なっていた。
「これで大丈夫だと思います。一応、朝と夕方に様子を見て、根元の方の葉に元気がないように見えた水をやってください。三日以内には綺麗に花咲くと思いますよ」
「いやー!助かったよ!ありがとう!双魔くん!おっと、悪かったね。お客さんに」
「気にしないでください。俺もアッシュには世話になってますから」
双魔の言葉を聞いてアルバートは満足気に頷いた。その後ろでアッシュは少し照れ臭そうにそっぽを向いている。
「おっと、アイギス殿もアッシュを待っているからね。客間でお茶にしよう。私は着替えてくるから、アッシュは二人を案内してあげなさい」
「うん、分かったよ!じゃあ、行こっか!」
「ん」
「うむ!」
アッシュを先頭に玄関まで戻り、屋敷の中に入る。初めての大きな屋敷にティルフィングの足取りを好奇心と期待に、弾みに弾んでいた。





