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血濡れの手に重なるのは

 ジャキッ!ジャキッ!ジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキジャキ!


 「……すぅーーー…………はぁーーーーーーーーーー…………すぅーーーー……はぁーーーーーーー…………すぅーーー……はぁーーーーーーーーー……」


 愛しい双魔の守護を引き受けた鏡華は依然、“金蛟・億魂散滅剪”を“冥殿小閻魔宮”の結界を展開し続けて、一つの斬撃をも通さずに絶対的な防壁となり、閻魔の姫君としての格を、その雄姿を以て、神話級遺物たる金蛟剪に示し続けていた。


 一定のリズムの呼吸を保ち、自らの身体から発せられる地獄の王の力と浄玻璃鏡の剣気を練り合わせ、増幅させて、陰陽の理から疎外された場を作り出し、万物を両断する金蛟剪の絶対的な力に抗う。


 鏡華は閻魔王の孫娘である。その才智も血筋と約束された将来に劣ることは一切ない、完璧に近いものである。しかし、欠点もある。それは若さによる経験値の不足。つまり、今の鏡華の精神と肉体には、途轍もない負担がかかっている。広く白い額には大粒の汗が止めどなく浮かび上がり、鼻筋や頬を伝って落ちていく。美しく嫋やかな手は、身体を流れる力の奔流に耐え切れずに少しずつ破れた皮膚から、毛細血管の損傷によって流れ出た鮮血で赤く染まっていく。


 「…………すぅーーー…………はぁーーーーーーーーーー…………すぅーーーー……はぁーーーーーーー…………すぅーーー……はぁーーーーーーーーー……」


 それでも、鏡華は一切呼吸を乱さない。それは、信じるが故だった。イサベルをティルフィングを、レーヴァテインを。何より、双魔が自分たちを残して現世を去るようなことを、悲しみだけを与えることなど決してないということを。


 とうに限界は超えている。最早、鏡華をこの戦場に立たせているのは、竜の女神にさえ一切怯まない、双魔への愛から来る意志力のみだった。


 (……婿殿……まだ……か?)


 健気に奮い立ち続ける主の心を尊重する浄玻璃鏡も、口には出さずとも状況は理解している。焦る。双魔には早々に復活してもらわねば。これ以上は本当に主のみが危ういのだ。


 そして、焦りを感じているのは浄玻璃鏡だけではなかった。


 「…………クゥゥゥゥゥッッ!!!!」


 右手に金蛟剪の動柄、左手に静柄を握り締めて一心不乱に腕を動かして斬撃を放ち続けている白姫もまた、焦りを感じていた。


 (どうして……どうしてあの子は倒れないの!?)


 金蛟剪の繰り出す無限とも思える、大地を消し飛ばすほどの猛攻を、自分よりも年下に見える少女は全て防ぎ切っている。白姫は洪汎仁に力を与えられ、金蛟剪と契約しただけ。力を手にしただけで無知であった。それでも、分かることはある。金蛟剪の絶対的な力。少女が既に限界を超えていること。そして、己が身を解き放ってくれた救世主から授かった力も残り少ないこと。


 (嫌!もうあんなのは嫌!!あの御方の力がなくなってしまう……そうしたら……また……)


 記憶が甦る。継母と実父から受けた、自分と妹を人とも思わない、尊厳を奪い尽くされ、病にもがき苦しむことも出来なかった凄惨な生活。そして、突然現れ、さも当然と言いたげに自分を救ってくれた男性、神々しい光に包まれた救世主との出会い。


 自分の中にあの方が下さった。力が宿っている。それが尽きてしまうのが恐ろしい。白姫は、金蛟剪を持つ手により力を籠めた。


 「フーッ!フーッ!金蛟剪!もう遊びはいいでしょう!救世主様のお望みのため!敵を殲滅します!」

 『……よかろう。健気な娘の姿にも見飽きた。我にも慈悲はある。楽にしてやることを許す。ただし、一撃だ。ありったけの魔力を我に注げ』

 「言われずとも……そのつもりですっ!!ハァーーーーーーー!!!!」


 白姫の激情の籠った声を聞いた金蛟剪は、何かを思案したのか、僅かな沈黙の後、敵を仕留めることを承認した。


 白姫は一気に洪汎仁から授かった力を金蛟剪に注ぎこむ。力は全て剣気へと変換され、金蛟剪の刃は巨大化し、その大きさは元々の十倍を遙かに超えるものとなる。そして、二つの刃が敵を滅ぼさんとする蛟龍の顎の如く大きく開かれた。その絶望的な光景は、もちろん、鏡華の紅蓮に染まった両の瞳にも映っている。


 (……流石に……あれは……)


 この攻防の序盤であればどうだったであろうか。鏡華は考えた。されど、それは埒もないこと。今の自分と浄玻璃鏡では防ぎきれない。限界を超えた身体が何とか知覚しているのは巨大化した金蛟剪だけ。耳はもう聞こえない。


 (……玻璃……うち……もう……しまいみたいや…………双魔……)


 声にならない声で浄玻璃鏡に弱音を吐く。そして、守りたかった愛しい人の名を呼ぶ。


 (主っ!)


 普段は絶対に聞けないであろう、浄玻璃鏡の切迫した声が頭の中に直接響いてくる。いよいよ、自分は現世との別れを告げるのかもしれない。それでも、最後の最後まで、双魔を守りたい。その一心で、上がらなくなった腕を無理やり空へとかざし、結界を維持する。


 「消えなさいッ!!“金蛟・万命両断”――――――ッッッ!!!!!」


 金蛟剪の二つの刃が閉じていく。その様がゆっくりと鈍い動きで見える。死が力強く距離を詰めてくる。それでも、鏡華は目を逸らさない。魂魄から生じる力をも費やせば、自分は助からなくとも双魔は助けられるはず。そう信じた。その時だった。


 背後に、誰かが立つ気配があった。その誰かは、壊れ物を扱うように、優しく腰に手を回して鏡華の身体を抱き留める。そして、赤く染まった手に紅氷の聖呪印の刻まれた手が重なる。その温もりは、今の鏡華が何よりも望んでいたものだった。聞こえなくなったはずの耳に、労わるような穏やかな声が流れ込んでくる。


 「鏡華……ありがとう……あとは、俺に任せろ……な」



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