傷だらけの女の切望
「ふう、これで国主として最低限の仕事はできたかな?」
雌雄をそれぞれ左右に佩いた白徳は、地上へと落下する黄姫を両手で受け止めてるとそのまま着地して一息ついた。そこに朱雲と翼桓が駆け寄ってくる。
「姉上!」
「まだもう一人残ってるわよっ!!」
「ッ!しまった!!?」
久々の戦場での勝利に興奮してしまったのか、白徳は自分でも信じられないほど油断していた。慌てて、黄姫の援護をしていた赤姫を見る。そこには真っ赤な衣をはためかせ、渦巻く突風に空気を焼き尽さんばかりの炎雲を纏った青雲剣を体側に構える赤姫の姿があった。
(アレは駄目だ!!)
白徳は一目で予想される被害を計算した。最初にアッシュが防ぎ切った十数倍の剣気の塊が獲物に飛びかかろうとする猛虎の如く荒野を焦がしている。“聖騎士”といえど、あの全てを打ち消すのは無理だ成都城城壁と付随する地域が悉く消し炭になってもなお、被害は軽いと思えるほどだ。
「青龍っ!!」
『焼け石に水とは正にこのことだなっ!!』
ジュッ!シュワァァァーーーーーーーー!!
「なっ!?」
『…………これほどとは』
朱雲と青龍偃月刀が水流を放つが、灼熱に当てられた水は赤姫に届く遥か手前で蒸発してしまい、僅かに空気を潤しただけだった。
(なんてこった…………彼女だけは、本当に素質があったのか!)
白徳の見る限り城門の前に姿を現した四人の宝貝使いの内、白い衣を纏った少女以外に宝貝使いとしての才能や力量は感じられなかった。生来のものではなく、後付けされた歪な力で宝貝たちと契約を交わして力を行使していた。故に限界がある。そう踏んでいた。が、現状を見ると赤姫もまた、才があり、それが覚醒したようだった。
並外れた宝貝に並外れた宝貝使いが合わされば、それは一つの都市を脅かす脅威になりうる。万事休すかと思われた、その次の瞬間から白徳と朱雲、翼桓は目を疑う数分の攻防を見せつけられることとなる。
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最初に対応をしたのは城壁の守りを一手に引き受けるアッシュだった。
「……流石にあの密度の剣気が来たら、防ぎきれても熱で不味いことになるよね。双魔もどうにか持ち直してくれそうなのにこれじゃあ……」
『ええ、そうね。でも、獰猛な虎を退治する狩人が復活したようね。右手に』
「え?」
目の前に迫る危機にゴクリと喉を鳴らしたアッシュへのアイギスの返答は実に涼しげだった。
そして、言われるがままに右に視線を送る。
「っ!!アイっ!やるよ!」
『それでいいわ。戦場では冷静さと迅速さが命よ』
視界の端にその影が映った瞬間、アッシュはすぐさま動いた。アイギスから左手を離して、膨大な剣気を渦巻かせる赤姫と青雲剣へとかざす。
「“球体”!」
アッシュは最大の一撃を妨害するための極めて正確な一手を打つ。そして、次に動いたのは……。
「”偽・紅氷剣の・巨蛇”!!」
城壁の下で双魔の救護を終えたイサベルだった。双魔の身体への負担軽減のために取り込んだ魔力と以前、ロキとの闘いの際に双魔から受け取っていたティルフィングの剣気をありったけ注ぎ込んで紅氷の大蛇を作り出して赤姫へと突進させた。全長百メートルは下らない、どこかあの“界極毒巨蛇”を思わせる紅のゴーレムは瞬く間に獲物のもとへと辿り着き、アッシュとアイギスの結界を締め上げるように巻きついた。
この二人の指した手に、成都城の城壁を忌々しい盾の宝貝使いと共に突風と火炎と刃によって破壊してやろうと意気込んでいた赤姫と青雲剣には明らかに動揺した。
『赤姫!一度剣気を霧散させる。このままでは自爆まっしぐらだ!』
意外にも攻撃中止を提案したのは青雲剣だった。人を怖気づかせる厳つい風体には似合わぬ爽やかな声が赤姫の耳に届く。しかし、その提案に震えていた赤姫の手はピタリと止まった。
『赤姫?』
「あ、ああああありがとう……せせ、青雲剣……ししし心配してくれて!でも!私は……私をここで終わらせたいっ!!!」
今まで声を震わせながら言葉を紡いでいた赤姫が、初めてはっきりと言葉を放った。それは、青雲剣の口にした自爆を寧ろ望んでいるような口ぶりだった。
『ッ!馬鹿な考えはよせ!剣気を……くっ!?なんだこれはっ!?まさか…………』
青雲剣はどうにかして剣気を一度霧散させて仕切りなおそうとする。が、何故か自分の剣気が意思に従ってくれない。青雲剣の剣気はすべて赤姫の支配下に置かれていた。それほどまでに、赤姫の、虐げられ身体中に傷を負った悲しき少女の宝貝使いとしての潜在能力は高かった。
「救世主?最初は確かに縋ったけれど……あの人はきっと私たちを駒の一つとしてしか見られていなかった。私は救われるつもりなんて毛頭ない。最初から私は死に場所を探していた。だから、今ここで私は……青雲剣、貴方の力を使って命を断つ」
『もう一度言うぞ!馬鹿な真似は止めろ!俺はそんなことのためにお前と契約を結んだんじゃない!』
青雲剣は叫んだ。元々、自分は殷勢力の仙人の宝貝だった。故に、殷周戦争に敗れ、不名誉な形で崑崙山の宝物庫に封印された。金蛟剪が宝物庫を破る際に同行したのは不名誉を雪ぐため、そこまで大仰でなくていい。一つでも自分の満足を得るためだった。そして、救世主を名乗る胡散臭い男のもとへと降り立った際、契約を結ぶこととなったこの傷だらけの女をどうにか救ってやろうと、心に決めたのだ。
それが自分の力を使って自決しようとしている。力は完全に支配されて止めることは叶わない。不名誉の次は自ら課した誓いさえも壊される。
(天よっ!俺がそれほど憎いのかっ!)
青雲剣は空を睨む。しかし、その向こうにいる天を統べる者は何も答えない。
「やっと終われる……“青雲・風炎刃波濤撃”っ?」
青雲剣の想い虚しく赤姫が我が身ごと周囲に破壊を撒き散らそうと解技を呟いたその時、赤姫の絶望に暗く澱んだ目を輝く深碧の一条が照らしていた。





