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張子房

 「ああ、またやってしまいましたか。昔から人に分かってもらうように話すのは苦手で。主君にもよく注意されたものです。失礼。私の姓は張、名は良。子房は字です。若輩ですが、崑崙山の仙人の一人です。主に現世の巡察を任されていて……ここに来たのは偶然ということにしておいてください。我々は基本的に地上の諍いに介入することは禁止されていますから」


 自分の登場に初対面の面々が驚いていることを察したのか、張良は自分の身分を明かして、微笑んで見せた。油断ならない不思議な迫力があるが、噓は言っていないことを全員が理解した。


 「アンタ、何故ここに来た?」

 「言った通りです。元始天尊様から拝命した巡察使としての役割を果たしているだけです。魔槍殿が私を信用しきれないのも分かります。歴戦の猛者は兎角用心深い。しかし、貴方たちは太公望様にお会いしたはず。今回の私はあの御方の考えに基づいて動いています。どうか、信用していただきたい」


 張良は改めて拱手すると、そのまま深々と頭を下げた。仙人と言えば中華においては西洋の神々と同格の存在だ。その仙人が見せる殊勝な態度と、理知的な物言いにゲイボルグも一旦信を置くと判断したのか、ピンと張っていた耳と尻尾を少し垂らした。


 「文成候様は我が主、白徳様の御曩祖、前漢の高祖にお仕えした建国の三傑のお一人だ。失礼の無いように頼む」


 子虎が張良の自己紹介に更に補足した。因みに“文成候(ぶんせいこう)”とは張良の諡号(しごう)だ。諡号とは帝王やその重臣などの死後に生前の功績を讃えてつけられる敬称を意味する。


 「えーと……」

 「ああ、子房で構いませんよ。魔剣殿」

 「……子房さんはどのようにしてここへ?それと……洪汎仁が消えたのは……」


 レーヴァテインは考えていたことを当てられて、少し顔を引きつらせたが何とか張良に訊ねた。


 「仙術を少し。太公望様直伝の土遁の術である程度の距離ならば瞬時に移動できます。洪汎仁にも同じ術をかけました。逆に遠くへと追いやるように、ね」


 張良は微笑みを崩さずにさらっと言ってのけたが、距離は則ち空間。空間魔術は人間では踏み入ることのできない“世界の法則”の一つだ。張良の並々ならぬ仙人としての実力がその一言に表れていた。


 「さて、扶桑樹の種の状態を確認しに来たというのは、本来の目的でもあり、方便です。私が今、すべきことをしましょう。まずは、魔剣殿」

 「わ、私ですの?」

 「ええ、今すぐここを出て、貴女の姉君の許へと向かいなさい。貴方にしかできないことがあります。さあ、急いで」

 「っ!!ロザリンさん!ゲイボルグさん!私、お姉様と双魔さんのところへ行きます!」

 「うんうん、双魔を……ティルフィングちゃんをよろしくね?」

 「しっかりな」


 レーヴァテインは張良の言葉に思うところがあったのか、ドレスの裾を持って部屋を飛び出していった。


 「一つは済みましたね。もう一つ。お嬢さん、貴女は近頃、大きな力を扱えるようになりましたね?」


 張良はレーヴァテインの背中を一瞥すると、今度はロザリンを見てそう訊ねた。ロザリンはこくこくと素直に頷く。


 「やはり、貴女の不調の原因は急激な変化に体内を流れる気の流れが変調をきたしているがためです。いま、この場で矯正します。魔槍殿もよろしいですか?」

 「……」


 ロザリンはその翡翠の瞳に張良を映し、やがてコクリと深く頷いた。


 「ロザリンがいいなら俺は何も言わねぇ……ただし……」

 「分かっています。妙な真似も失敗も私はしません。お嬢さんの復調に中華の秩序が掛かているのですから。子龍の末裔、子虎と言いましたね。貴方は念のために警戒を」

 「はいっ!」

 子虎は拱手して首を垂れると涯角槍を手に部屋の外の警戒へと戻った。

 「それではお嬢さん、こちらに背を向けて、そちらの牀へ腰掛けてください」


 ロザリンは張良の指示通りに起き上がると張良に背を向けた。張良はロザリンの背中に手をかざして、ゆっくりと上下に動かした。


 「なるほど分かりました。少し触れます」


 そう言うと張良は懐から一本の針を取り出し、ロザリンの背中を服の上から数か所刺した。


 「……そのまま、貴女の魔眼を解放してください。一瞬で構いません」

 「オイ」

 「ゲイボルグ、大丈夫……ンッ!」


 全快状態とは言えないロザリンに魔眼を解放するように指示した張良にゲイボルグが唸ったが、ロザリンが制した。そして、指示通りに左眼を閉じ、魔力を集中させて開眼した。その瞬間、目に映したものの動きを殺すバロールの禍々しい魔力が迸る。


 「……いいでしょう。上手くいきました。魔眼を収めて構いませんよ。そのまま、ゆっくりと深呼吸を」

 「すーっ……はー……すーっ……はー……」

 「身体の調子は如何ですか?」

 「ん……うん?…………よいしょっ」


 ロザリンは不思議そうに首を傾げて、数秒硬直すると、今度は途端にベッドから飛んだ。天井ギリギリでくるりと一回転すると、スタッと軽やかに床へ着地した。そのまま、ブンブンと両腕を振る。最後に力強く頷いた。


 「治った。前よりも調子いいかも?ありがとう」

 「いえ。このまま、戦場に行きますか」


 ぺこりと頭を下げたロザリンに張良が問うと、もう一度力強く首を縦に振って見せた。


 「うんうん、双魔たちを助けなきゃ。ゲイボルグ」

 「ヒッヒッヒ!無理はするなよ。子房、疑って悪かった。礼を言うぜ!」

 「いえ、ああ、魔槍殿少しお耳を……」

 「あん?」


 駆け出していくロザリンを追うゲイボルグはすれ違いざまに張良に謝罪と感謝を示した。が、それを張良は引き留めた。ゲイボルグも足を止める。張良はゲイボルグの三角の耳に口を寄せると何かを囁いた。ゲイボルグの目つきが鋭くなる。


 「そいつは確かか?」

 「はい。お気をつけて。私の経験則は貴方たちは成し遂げてくれると言っています」

 「中華を誇る軍師様のお墨付きってわけだ!ヒッヒッヒ!あとは任しときな!」


 ゲイボルグはニヤリと笑うと今度こそ部屋を出ていった。その背を張良は微笑みを以て見送った。


 (これで趨勢はこちらに傾きましたね。扶桑樹の種を確認して、一度戻りましょう)


 「子虎、これ以降、ここまで侵入してくる敵はいないはずです。扶桑樹の種をこの目で見た後に貴方の主君のみに解ける道術を施しておきます。貴方は場内を守る者たちの指揮に加わると良いでしょう」

 「はいっ!承知しました。この度は誠にありがとうございました!」


 子虎は片膝をついて最大限の敬意と感謝を表すと、張良の勧め通りに防衛の参謀本部のある謁見の間へと走っていった。


 「さて、それでは…………なんと、これは……」


 一人、白徳の部屋に残った張良は天蓋の奥に厳重に保管された扶桑樹の種の入った箱の蓋を開けた。箱の中を覗き込み、それを目にした張良の穏やかな顔には驚きが露になっていた。



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