奇襲と来訪
「…………」
「……ロザリン、どうした?」
自分に寄りかかったまま、そわそわと落ち着きを失いはじめたロザリンに、ゲイボルグは少し身動ぎをしながら聞いた。敢えて、口に出したが、ロザリンが不安を抱えていることはもう、分かっている。
「双魔、大丈夫かな?」
ポツリと呟いたその言葉は、ゲイボルグだけでなくレーヴァテインにも予想できたものだった。先程、飛び起きてそのままの勢いでこの部屋を出ていったイサベルの決死の表情が脳裏に蘇る。何か良くないことが起きようとしている。ロザリンは嫌な確信を持っていた。
(あの二人の様子からして双魔さんに何かが起きたのは間違いありませんわ……ということは……お姉様も……けれど、私はお姉様にロザリンさんとここにある宝物を守りように言いつけられましたし……どうしたら……)
レーヴァテインは激しく葛藤していた。本当ならば今すぐにでもここを飛び出して、ティルフィングのもとへと駆けつけたが、宝物は兎も角、ロザリンは心配だ。あまり話したりすることはないが、こちらを気遣ってくれているのはひしひしと伝わってくる。万が一を考えると迂闊に動くことはできない。白いスカートの裾を両手でギュッと握りしめた。その時だった。
『貴様ッ!グッ……』
バンッ!
部屋の入り口を守っているはずの子虎が何者かと対峙したような声を出した。直後、道術と鍵で厳重に閉じられたいたはずの扉が勢いよく開いた。そして、そこには一人の見知らぬ男が立っていた。襤褸切れを筋骨隆々たる身体に纏い、金色の光を纏うその男は尋常な存在ではなかった。そこにいるのに魔力や気配が一切ない。しかし、同時に圧倒的な力を孕んでいる。
「テメェ……どこぞの神か何かか?名乗りやがれ!」
「ゲイ……ボルグ殿ッ…………この男が洪汎仁ですっ!!」
ゲイボルグがロザリンを守るように前へ出ると、部屋の外から子虎が叫んだ。見ると、槍を構えかけたまま、一切の動きを許されずに彫像のように動かない子虎の姿がそこにはあった。
「チッ!親玉が直接乗り込んで来やがったか!」
「……騒がしいな。確かに私は洪汎仁だ。主の代行者たる洪汎仁だ。五王姫たちばかりに働かせるのは心苦しい。よって、ここにあるという扶桑樹の種子を始末しに来たのだが……これは主の思し召しか。消すべきもう一人の“神器保持者”までもいるとは」
(な、何が起きているんですの……身体が……)
眉根すら動かさず、洪汎仁は淡々と話す。見据えられている、それだけなのに身体が重い。レーヴァテインは困惑するしかない。自分は遺物だ。洪汎仁の正体は分からないが、神格に近い存在も神話級遺物には容易に干渉できないはずだ。ゲイボルグも同じように感じているのか、前傾姿勢で身体の重さを軽減しつつ、すぐに飛び出せるように構えている。
「……“神器保持者”も狙い?」
「そうだ。既に一人は白姫が始末するだろう。そら」
洪汎仁のがそう口にした次の瞬間、城の外から異常な魔力が爆発的に噴き上がった。
「っ!」
「……チッ!」
「これはっ!……双魔さんのっ!?」
洪汎仁の言葉に、その場にいた全員が耳を疑う暇もなかった。膨大な魔力は双魔のものだ。そして、双魔は今のような雑な魔力の解放の仕方はしない。詳細は分からないが、双魔の身に何かが起きたのは間違いない。イサベルと鏡華が飛び出していったことと繋がって線になっていく。想定外のことが起こっている。今、ここでもだ。
「では、神の国を実現するためだ。まずは、“神器保持者”から消えてもらおう。遮るのならば、異教の遺物も消そう。最後にはこの世界に蔓延る同種の物も消去する。結果は変わらない」
「っ!ロザリンさんに手出しはさせません!」
「結果は変わらない、と言ったはずだ。纏めて消えるがいい」
洪汎仁は視界にレーヴァテインたちを捉え、ゆっくりと右の掌を向けた。
「レーヴァテイン!ロザリンを連れて逃げろっ!」
全身の毛を逆立てたゲイボルグは叫びながら洪汎仁へと飛び掛かる。が、洪汎仁は身動ぎすらせず、やはり眉根も動かさない。
「遅い」
洪汎仁の掌に金色の輝きが集中する。ゲイボルグは僅か、百分の一秒だが間に合わない。静かに、この場にいる者のみ知りえる絶体絶命の危機。
「遅いのは貴方だ。今の動きも、この中華の秩序を乱そうとする、その動きも」
「っ!」
突如、部屋に新たな声が響いた。穏やかさの中に絶対的な理性を感じさせる、少し高い男性の声。
レーヴァテインの蒼い瞳に映った洪汎仁は初めて眉をひそめ、その次の瞬間、跡形もなく姿を消した。代わりに姿を現したのは白の道服を身に纏った若く美麗な人物だった。長く伸ばした艶やかな黒髪を簪と櫛で纏め、中性的な顔としなやかな身体つきから男にも女にも見えるが、先ほどの声を聞いて男なのだと分かる。
「っ!貴方様はっ!」
洪汎仁の謎の威圧から解放され、部屋に飛び込んできた子虎は畏敬の念を以て片膝をつき拱手する。
「子龍の末裔は私を知っていますか。当然ですね。そちらのお嬢さん、魔槍殿、魔剣殿はお初にお目にかかります。私は……そうですね。気まぐれに扶桑樹の種を見物に来た子房という者です。以後、良しなに」
子房と名乗った不思議な男性は、朗らかな笑みを浮かべて、ロザリンたちに拱手した。それを見て、レーヴァテインは思わず口をポカンと開けてしまうのだった。





