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歪なる祝福

 彼の地は地上に現れた楽園であった。


 貧困はなく、人々はその日の暮らしに困ることはない。飢餓はなく、人々は何処までも健やかであった。格差はなく、老若男女は皆平等で、血筋に意味などなかった。欺瞞は欠片もなく、罪を犯す者など存在しない。労働の対価は不正に取り立てられることもない。人々は平和と公正を愛し、神の恩寵を享受していた。


 倉廩実ちて則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱を知る。素晴らしき国家には素晴らしき民が住む。


 その国の名は上帝天国、不平等と弱者を食い物にする中華の一角を滅ぼし、神の国を実現する現実的な聖なる一歩として打ち建てられた理想郷であった。


 しかし、主の降臨は最後の日まで訪れない。故にその代行者が、天王が、神の子にして救世主の弟たる洪仁汎が、新たなる救世主として民への慈愛と、邪教への断固たる敵愾心を以て君臨していた。


 新たな主を迎えた建業城、その玉座に一人の青年が腰掛けていた。逞しく美しいその肉体に眩く聖なる輝きを帯び、練り絹一枚を身体に纏って、両の手を合わせて天を仰いでいる。


 その姿を階の下で二人の女が同じように両手を合わせて見上げている。女たちの見目は美しく、そして瓜二つである。違うのは片方は白、もう片方は黒の衣を全身に纏っている。それだけだ。


 楽園、上帝天国の王、洪仁汎は父たる主の啓示を得るために、日に一度こうして天を仰ぎ、瞼を閉じて願いを捧げる。民たちを導く方法を、邪教を討ち滅ぼしこの世界を遍く神の国とするための道筋を乞うているのだ。


 「我が父たる主よ。兄たる救世主よ。子たる我に、弟たる我に教えを与え給え。呉国の地を理想郷の礎としました。次はどのようにすれば、より良い世界を実現できるのでしょうか。どうかお答えください。そして、我が身に力を…………」


 洪仁汎の祈りは、やがて何者かに届いた。輝きが玉座の間を満たし、啓示が仁汎の脳髄を一直線に、突き刺すように降りた。


 「…………」


 仁汎の両の眼が開いた。その瞳には力強く、何処か虚ろにも見える光を放つ。数秒の沈黙。やがて光は仁汎の美しき肉体に引き寄せられるように集まり、染み込むように消えていった。


 もう一度、瞼を閉じ、開く。そこには強き意思が宿り、筋骨隆々芸術品のような肉体は膨大な神気が満ちている。


 「蜀の地に主の、私の秩序を乱す種が存在している。管理者は蜀王。邪なる王は要らぬ。即刻駆逐して、神の国にこの汚らわしき世界を近づける。予定を早めねばならぬ。また……邪神の力を受け継し忌避すべき異邦人が二人……“神器保持者”というのか、神の器は神の子たるこの洪仁汎のみ。速やかに抹殺する。東王姫、西王姫よ。他の三名は?」

 「は、南王と翼王は既に蜀の地を神の国へと変えんがために励んでおりましたが、一度帰還するように通達を」


 東王姫、そう呼ばれた白い衣の美女の返答に仁汎は鷹揚に頷いた。今度はその視線を西王姫、そう呼んだ黒い衣の美女に送る。


 「北王姫は……既に敵の手に落ちておりまする。覇王弓も封じられた模様。報告によりますれば、救世主様のお言葉にあった異邦人に敗れた、と」


 西王姫の言葉を聞いた洪仁汎は僅かに眉をひそめた。そして、悔やむように息をつく。


 「そうか……北王姫は私の祝福を受けなかった。覇王弓の力を十全に発揮できなかったのであろう。仕方のないことだ。しかし、お前たちは私の祝福を受け入れている。よって、万が一にも負けることはない。我が父の理想郷を実現する尖兵たる其方たちがこれ以後、一人として欠けることはあり得ぬ……南王と翼王の帰還を待つ時も惜しい。先に其方たち二人に祝福を授けるとしよう。さあ、我が膝元に来るが良い」

 「「はい、救世主様」」


 血を同じくする美しき双子は、平伏して主の声に応えると、立ち上がり階に足を掛けて恭しく昇っていく。そして、仁汎の間に立つと互いの帯に手を掛けて、取り払った。締めつけを失った滑らかな衣の裾は冷たい石の床を撫でる。


 シュルシュルと絹擦れの音を立て、やがて石の上に白と黒の花が一輪ずつ。妖艶なる二人は生まれたままの姿となり、左右から玉座の上の仁汎に、甘えるように、奉仕するようにしなだれかかった。


 やがて、歪つなる祝福の儀が、享楽の刻が始まる。音のない建業城に王姫たちの熱に浮かされた淫靡な声が響き渡る。その声を楽し気に、そして何処か忌々し気に耳を傾ける影が二つ。


 一刻後、遅れて赤き衣の南王姫と黄衣の翼王姫が玉座の間に入り、嬌声は熱を帯び、勢いを増す。耳を傾ける影も二つ増える。


 それぞれの思惑の交錯する決戦前夜は様々な熱を持って更けてゆくのだった。



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