怒れる霊峰
第七部二章に入っていきますよー!ついにあの人が?
古来、人は山を恐れた。それは崇敬。そして、恐怖の念からであった。東洋では山はそれ自体が神であり、神の住む場所であった。大日本皇国の富士、泰山を筆頭とした中華の五岳が著名である。西洋では怪物・悪魔の住処であり、その代表はシチリア島のエトナ山。彼の地はギリシャ神話最強のテュポーンが主神ゼウスとの死闘に敗れ去った後、封じ込められた神と人の畏怖渦巻く場所であった。
その神威は神代から人の世となって数千年を経た現在でも変わらない。山は世界と共にあり、豊穣と災害を人々にもたらしている。
──ペルシャ王国北部
ガタッ……ガタガタガタガタガタガタッ!ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!
「地震だーーーーー!火を消せーーーーー!」
町に住む少年、アムジは大きな振動と地鳴り、そして父の叫び声で目を覚ました。
「ッ!!?お父さん?」
「アムジっ!起きたか!お前は母さんを!お父さんは周りと店を見てくる!」
「うっ、うん!分かった!」
窓から顔を突き出して、周囲の家に大声で叫んでいた父はアムジに優しく微笑んで妻を託すと家から飛び出していった。アムジの家はドライフルーツ専門店を営んでいる。大きな老舗でそのせいなのか、父はこの地区の区長としてみんなに頼られている。
「僕もお母さんを守らなきゃ!」
アムジも部屋を飛び出す。キッチンに入ると、コンロの火を消したらしい母が必死に流し台に掴まって立っていた。そのお腹は大きく膨れている。アムジの母は妊娠していた。お腹の中には自分の妹がいるのだ。アムジは母とまだ見ぬ妹を守りたいという気持ちを強めた。
ガタガタガタガタッ!
地震はアムジが目を覚ましてから途切れることなく続いていた。キッチンには火の元や刃物、危ないものが多い。早く安全なところに母を避難させなばならない。
「お母さんっ!だいじょうぶ!?」
「アムジっ!お、お母さんは大丈夫よ。お父さんは……」
「お父さんは町のみんなを見に行ったよ!早くこっちに!」
「えっ、ええ!ありがとう……」
アムジは身重の母を身体を支えながらキッチンから寝室に移動した。この部屋のベッドは天蓋付きでとても丈夫だ。例え家が崩れてもこのベッドの中にいれば安心だと父が言っていた。
アムジは母とベッドに潜り込んだ。その瞬間だった。
ピシッ……ビキビキビキッ……パリンッパリンッ!ガシャーン!
目の前の壁に大きな亀裂が走った。それを目にして気丈に振舞おうと懸命な少年の心が恐怖に飲まれそうになる。部屋のガラスも砕け散る。
「…………山が……ダマーヴァンドが怒っているんだわ」
「……山がっ?」
怯えるアムジの手を優しく握ってくれた母がそう呟いた。
ガラガラッ!ドッシャーーーン!
割れたガラス窓の外からは建物が崩れたようなけたたましい音が聞こえてきた。濛々とした土煙が少し部屋の中に入ってくる。そして、大地は猶も揺れ続けている。
「……そうよ…………ダマーヴァンド山には神様の時代に封印された恐ろしい怪物が眠ってるの……その怪物はこうしてたまに怒って大きな地震を起こす……」
「かっ、怪物…………そんな…………」
世界には英雄が魔術師がいて、人々のこと守っていると祖父が言っていた。でも、アムジはそんなものは見たことがない。せいぜいは町にいる占い師の人たちくらいだ。それなのに怪物なんて聞かされても理解が出来なかった。でも、真剣な母の眼差しはそれが真実だと語っていた。
ガタガタガタガタガタガタッ!……ギ……ギギッ…………
収まる兆候のない地震に遂に丈夫なはずのベッドも軋みはじめた。アムジは目をギュッと強く瞑って母に抱きつくことしかできない。
(……誰でもいいから助けてっ!!英雄でも魔法使いでもいいから!早くっ!)
アムジがそう強く祈ったその時だった。唐突に揺れが収まった。そのせいか、船に乗っていないのに身体がふらふらとして気持ち悪い。目が開けられない。
しばらくして、アムジは恐る恐る瞼を開けた。すると、目の前には母の優しい微笑みがあった。
「もう大丈夫みたいね……ありがとう、アムジ。守ってくれて」
「う、うん……僕、もうすぐお兄ちゃんになるんだ!」
「そうね……」
「無事かっ!!?」
アムジが精一杯の強がりで母を心配させまい頑張っていると、物が散乱した部屋に外の様子を見に行っていたはずの父が飛び込んできた。
「貴方!」
「お父さんっ!」
「おお!無事だったか!よかった!!」
「……ううう……うわーんっ!」
父はアムジに抱きついて顔に頬ずりをしてきた。もじゃもじゃの髭がごわごわして少し痛かったが、それが父の存在を強く感じさせてくれてアムジは遂に泣き出してしまった。
「よく頑張った!偉いぞ!エルナーズ、お腹は大丈夫か?」
「ええ……アムジが助けてくれたから……それよりも……町は?」
「ああ……酷い状況だ。建物が多く崩れたし、怪我人も多い。今のところ死者はいないが……どうなるか分からない。それに、地震がこれで終わりとも限らない。ここよりも安全な場所に避難しよう。命あっての物種だ」
「分かったわ」
「アムジ、お父さんは出掛ける荷物をまとめるから、もう少し頑張ってくれ!」
「……ぐすっ……ずずっ!……うん!」
父の大きな手で優しく頭を撫でられたアムジはパジャマの袖で涙を拭い、鼻を啜って力強く頷いた。
結局、一度目以降の地震はなかった。ただし、被害は甚大。町の約四割の建物が損壊し、怪我人も大小合わせて数え切れないほど発生した。唯一の救いは死亡者が出なかったこと。ペルシャ国王は早急に被害の把握と被害地の支援復興に乗り出した。
多くの町、人々に甚大な爪痕を残した大地震は何故起こったのか。崩れ落ちた人間たちの営みを一帯最高にして美しき霊峰、ダマーヴァンド山が静かに見下ろしているのだった。





