許嫁と婚約者
その日の夜。朱雲はまだ慣れない寝台で枕を抱きしめて仰向けに寝そべっていた。天井を見上げて昼間のことを思い出す。
(今日は有意義な一日でしたっ!梓織殿とアメリア殿も楽しいお方でした……愛元は相変わらずでしたが……それに…………双魔殿のお話もしていただけましたし……)
四人で一緒に過ごした時間はとても楽しかった。一人では絶対に入らないお洒落な茶房でご馳走になってしまった。双魔の話も知っている限り話してくれた。
彼が正式に遺物使いになったのは昨年の冬のことらしい。魔術科ではそれ以前から非常勤講師として教鞭を取っていて、どちらかというと魔術師としての側面が強い人だったようだ。しかし、ティルフィングと契約するとめきめき頭角を現し、ついには短期間で“英雄”に追いつくほどになった傑物ということだった。
性格はことなかれ主義の面倒くさがり屋。そのくせお人好しで面倒見がよく、自分を頼ってくる者は基本的に見捨てない器の大きい人物。
『ただ……』
『……最近の伏見先生って言ったら……触れるしかないっスよねぇ……』
それまで普通に話していた梓織が口淀んだ。アメリアも分かっているのか苦笑いを浮かべていた。
『伏見殿は兎も角、モテモテジゴロさんなのでありますよー』
アイスココアをストローで吸っていた愛元がこともなげにそう言ったのだ。詳しく聞くと、双魔は幼馴染の六道鏡華、梓織の親友のイサベル=イブン=ガビロール、評議会室で会った遺物科の議長ロザリン=デヒティネ=キュクレイン。三人の女性とお付き合いしているらしい。さらに、双魔に思いを寄せる者は他にもいるらしい。
(…………そんな風には見えなかったのですが……見かけによらず男らしい方なのでしょうか?)
双魔の顔を思い浮かべてみる。銀と黒の入り混じった特徴的な髪、理知的な燐灰の瞳。整った、どちらかと言えば女性的な美しい顔立ち。浮かべた笑みは優しく確かに何処か気だるげだった。とても女性を何人も囲っているようには見えなかった。
(うう……また身体が熱くなってきました!……何なのでしょうか?)
ロンドンに来てから時々、心臓の鼓動が早くなって身体や顔が熱を帯びる。今まではこんなことはなかったのに。朱雲は不思議でたまらなかった。
(まあ、いいです!今日はもう寝ましょう!週明けには蜀に来てくれる方を双魔殿が教えてくださるはず!気づけばすぐに出発です!体力を温存しなくてはっ!)
純真な少女はまだ自分の身体に起きている異変の原因を知らない。少しすると穏やかな寝息が聞こえてくる。
「…………スー……スー……」
「……何処までも鈍い娘だ……だが、その真っ直ぐさが桃玉の美点……か…………んぐっんぐっ……ふはっ……どうなることやら……」
川面に反射した街の灯が僅かに照らす部屋で、青龍偃月刀は己の契約者の寝顔を肴に酒瓶を傾ける。その瞳には普段の険はなく、ただ朱雲を慈しむ心根だけが湖水に映る月のように浮かんでいた。
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「……双魔君、今日はお泊りだったんですね」
「そっ、アッシュはんの家の別荘に泊ってくる言うてたよ?」
夜、赤レンガアパートの双魔が住んでいる方の部屋のリビングではイサベルと鏡華がソファーに座ってくつろいでいた。お風呂上りなのか、イサベルは可愛らしい水玉模様のパジャマ姿。鏡華は何処か色っぽい白襦袢姿だ。二人の手には湯気の上がるマグカップ。中身はイサベルの淹れたはちみつ入りの紅茶だ。夏とはいえ、冷房が効いていると案外温かいものが飲みたくなるものだ。
「……アッシュ君の別荘に……」
「うん?何や気になることでもあるの?」
「あっ、いえっ!双魔君が外泊なんて珍しいと思って……」
「ティルフィングさんが来る前は時々に外泊なさっていましたよ。坊ちゃまは」
「そうなん?」
畳んだ洗濯物を抱えて通りかかった左文が教えてくれた。その事実は鏡華のとっても意外だったらしい。
「はい。オーエン様のご実家は空気の良いところに別荘を幾つかお持ちですので。坊ちゃまの身体を気遣ってよくお誘いになってくださいました。最近は坊ちゃまのお身体もすっかり丈夫になって、その上お忙しいですから……久しぶりにご友人同士気兼ねなく楽しんでいるのではないでしょうか?」
双魔が健康になったことを改めて認識して嬉しかったのか、左文は上機嫌で去っていった。一方、イサベルの脳裏には一抹の疑念が降ってきていた。
(…………前から何度もお泊り……まさか……い、いえっ…………アッシュ君の秘密は双魔君は知らないはず……)
「…………」
「……イサベルはん?」
「っ!はっ!はいっ!?」
「突然、難しい顔して……どないしたん?」
「なっ、何でもないですよ?意外だったので驚いていただけです!」
「そっ?」
「はい」
「ふーん……まっ、ええよ。んっ……うん、美味しい」
鏡華はイサベルが嘘を言っているのを見抜いているようだったが、それ以上は聞かずに紅茶を一口飲んだ。
「それよりも……蜀行のことやけど……」
「……それについてなんですけど……本当に……その、双魔君は……」
「ほほほっ……疑ってるん?双魔は本当にイサベルはんにも一緒に来て欲しい思って誘ったんやと思うよ?」
「やっ、やっぱりそうなんですね……」
イサベルはお風呂上りからしばらく経って、身体から引いていた熱が少し戻ってきた気がした。双魔は二人きりの時は素直にいろいろ言ってくれるのだが、他に人がいると無愛想にするところがある。安心したくて、自分よりも双魔に詳しい鏡華に確認してしまった。
「ま、それだけってわけやない……うちはそう思ってるけど」
「……どういうことですか?」
一瞬安心させておいて、鏡華が不安なことを言い出した。
「ああ、イサベルはんやうちと一緒にいたいって言うのは前提に……これ、自分で言うてたら恥ずかしいね?ま、まあ……双魔は多分、穏やかな旅行で終わるとは思ってないんやろなぁ……って」
自分で言って自分で照れて、ぱたぱたと手で顔を扇いでいる鏡華の顔は真剣なものに変わっていた。それはイサベルも同じだった。
「……何か、起こるってことですか?」
「覚悟はしておいた方がええかもね」
「そうですか……ということは、私は双魔君に……その、想われてるし、頼られてるってことですよね?……うん、何か起きても対応できるようにはしておきます!」
「うん、そうしよ」
恋する乙女と魔術師としての顔が入り混じったイサベルの顔を見た鏡華は優しく微笑んだ。しっかり者のイサベルだがこういうところはとても可愛い。まるで、歳の近い妹が出来たようだ。そう思うと悪戯心に火が着いた。
「それよりも……双魔に頼みごとしたって子、双魔のこと好きみたいやね」
「……えーと……本当ですか?」
「うん。ティルフィングはんの話聞いたらそうとしか思えへんもん。双魔のこと思い出すとドキドキして落ち着かなくなる言うて顔真っ赤にしてたって」
「…………何というか……ついこの間、キュクレインさんの話もあったので私も慣れてしまったというか……その、鏡華さんと同じように感じるようになってきたというか……」
イサベルの反応は鏡華が予想していたのと違って、何とも落ち着いたものだった。逆に鏡華がイサベルに「双魔が慕われるのは誇らしい」という考えが分かるようになったらしい。鏡華は自分の考えを押し付ける気はさらさらなかったので、自然とそう思うようになってくれたのが嬉しかった。
「……そっかそっか……イサベルはんも堂に入ってきたねぇ?」
「……そんなことはないですけれど……」
「ほほほ、流石うちらの惚れた人……言いたいところやけど、これからも増えそうやね?クラウディアはんもいるし」
「ああ、そうでしたね……」
「ま、うちの苦労も比例しそうやから。うちの考えを分かってくれるイサベルはんはつよーい味方。これからもよろしゅうね?」
「はい、もちろん!頑張りましょう!……フフフフッ」
「ほほほほ!」
イサベルは自分で言った「頑張りましょう」がなんだかおかしくて笑ってしまった。鏡華もそれにつられて笑顔になる。双魔がアッシュとの友情を確かめているように、同じ双魔を好きになった者同士、鏡華とイサベルは乙女の絆を強くするのだった。





