反乱の報
中華大帝国内は現在四つに分割されて統治が行われている。北部から東部に魏、東南から南部に呉、西から南西部に蜀の三国。もう一つは古より皇帝が居を構える司隷だ。
本来なら他の国家のように一人の皇帝が君臨するはずなのだが、先の大戦の後、広大な帝国を纏め上げる器量のある者がいないと判断され、群雄割拠の三国時代に習って統治が分けられているわけだ。無論、皇帝たる人物が現れればすぐさま一つの帝国となるわけだが、それも当分はなさそうな状況に置かれている。
──中華大帝国、司隷、洛陽。
中華四千年の歴史において最初に天下を統一した秦の始皇帝がこの地を都と定めてから幾星霜、多くの王朝が揃ってこの要害の地に都を置いてきたことから、司隷は一種の聖域と化していた。皇帝の座が空位の今、この地に住む民はかつてのように多くはない。三国から派遣された官吏や道士、武官たちがそれぞれの国との政治、軍事などの意見交流、連携の要として在地しているくらいである。また、聖域であるが故にその中心に置かれた洛陽宮は中華という国家に所属する魔導界の名立たる者たちの集合場所としての役割も持っていた。
そんな洛陽の玉座、空座でなければならないはずの皇帝の座所に一人の少年が気だるそうに腰掛けていた。
翡翠色の髪と瞳が特徴的な美少年だ。見た目の年頃は十歳前後、青黒い衣と緋色の裙を身に纏い、頭に竜を象った黄金の冠を乗せている。
少年は皇帝ではない、されど、その権威の象徴たる遺物である。
「……また動乱が起きるか?以前の大きなものから……五十年?くらいか?まあまあ、もったではないか……ん?」
人影一つないせいで荘厳というよりだだっ広いという印象の謁見の間を見つめながら少年は呟いた。その時だった。視界の中で異変が起こる。自分の丁度正面、階の下の床がもこもこと盛り上がり始めた。そして、何者かが地中から姿を現す。
一人は黒い頭巾を被り、粗末な衣を纏った白髭の美しい老人、もう一人は白い道服に身を包んだ黒髪の少年だ。ついでに龍と馬と麒麟を足して割ったような霊獣もいる。
二人と一頭の姿を目にした少年は薄開きだった両目をぱちりと開いて、背もたれに預けていた身体を前のめりに起こした。
「おお!太公望!それに打神鞭と四不象ではないか!」
「ひょっひょっひょ!……相変わらず暇そうじゃの?羨ましいぞ……玉璽よ」
「ちょっと太公望!久々に会っていきなり失礼じゃない?」
「はっはっは!構わぬ構わぬ!朕が暇なのは確かだ!」
老人の名は太公望、またの名を姜子牙。世界魔術協会の定めた最高位の魔術師に与えられる“叡智”の称号を保持する、現在世界で二番目に優れた魔術師である。その正体は周の時代から生きる中華屈指の仙人である。色々あって、仙界の最高指導者、元始天尊の指示でこの世に留まっている。黒髪の少年は太公望の契約遺物である打神鞭。霊獣は乗騎の四不象だ。
そして、彼らは迎えた玉座に座る少年姿の遺物の名は玉璽。始皇帝が創らせた皇帝の支配権を司る印璽が時を経て遺物となった存在だ。現在、中華の皇帝は彼の一存で決められることになっている。故に空位の玉座に彼が座っていようと文句を言うものは誰もいない。
「して、今回は何用で参った?やはり、呉で起きている乱のことか?」
玉璽は皇帝を決めることが仕事だが、ここは司隷。三国の情報は余さず耳に入ってくる。呉の国で神の代行者を騙る何者かが反乱を起こし、王家である孫一族が劣勢に陥っていることは知っている。
「ひょっひょっひょ!それもあるが……今回は扶桑のことが主じゃ。引き取り手の目処がついたと報告があった。不安はあるが一段落じゃろうて」
「おお!蜀の劉具が持っているあれか。あれもなかなか厄介な代物だ」
太公望は思っていたのとは違う話題を振ってきたが玉璽は深く頷いた。呉の国が抱えている国家存続の問題が反乱なら、蜀の国が抱えているのが扶桑だ。今は無害な存在だが、場合によっては国家どころか世界を塗り替える力を秘めている代物だった。是非詳細を聞きたいところだ。しかし、太公望はスッと視線を自分の後ろに送った。
「が、その前に呉の反乱の話を聞いておくか。詳しい者が来たようじゃ」
「うん?おお!子房ではないか!久しいな!」
太公望とは異なり普通に部屋に入ってきた人物に玉璽の表情はさらに明るくなった。子房と呼ばれたその人物は打神鞭と同じような白の道服を身に纏った若く美麗な人物だった。中性的な顔としなやかな身体つきから一目見ただけでは男か女か判別ができない。
「玉璽殿、太公望様、それに打神鞭殿、四不象殿もお久しぶりです」
恭しく頭を下げる子房の声は普通の者よりはか細く高かったが男の声であった。姓は張、名は良、字は子房。二千年以上の昔、前漢の高祖、劉邦に天下を獲らせた中華史上太公望に次ぐ軍師であり、晩年の修行により仙人に昇った人物だ。今は仙界で巡察使の役目を与えられ、各地を陰から見守っている。職務の一環として反乱が起こっている呉に行っていたことは太公望も把握していた。
「して、反乱はどうであった?」
玉璽の問いに張良その美しき柳眉を顰めた。それを見て、この場の全員が考えていたよりも深刻な事態であることを察した。
「……最早、反乱どころではありません。孫家と首脳陣は既に魏に亡命、民の大半は反乱軍に組しました。首謀者の名は洪仁汎……彼は新たな国を、上帝天国の建国を宣言。自らは天の意思の代行者、天王を名乗りました……何者かが加担しているのか、それとも仁汎一人の力なのかはまだ判断しかねますが……先の大戦以来、最大の脅威が誕生してしまったのは間違いない」
「国家!新たな国家建国と来たか!!はっはっは!この時代にそれほど大仰なことを宣う者がいるとは……」
「事態はさらにややこしい。仙界から幾つか強力な宝貝が姿を消しておる」
「太公望様……それは誠でございますか?」
「うむ……元々戦闘狂の奴らがのう。内乱となれば我ら仙界の者はおいそれと手を出せぬ……魏か蜀に対処させる他あるまい?」
「それならば……蜀でしょうか?」
「何故だ?」
「魏は三国の内最大の力を持ちます。この内乱を機に侵略を仕掛けてくる他国に対して余力は残しておくべきです。故に蜀」
「なるほど、子房の申す通りだな」
「さすれば儂は蜀に向かう。子房は引き続きその上帝天国とやらの動向を見張れ。玉璽、すまんな。扶桑の話は次の機会じゃ」
「構わぬ。扶桑はまだ脅威ではない。足元の火を消すことを優先して当然じゃ。疾く立つが良い!」
「急ぎかい?もう少しゆっくり話したかったけど仕方ないね?それじゃあ玉璽、またな!」
打神鞭の拱手に玉璽は大きく頷いて返事とした。太公望たちはまた床に溶け込むように姿を消した。
「それでは玉璽殿、またお会いしましょう」
「うむ、頼んだぞ」
張良は来た時と同じように一礼するとふわりと宙に浮かんで去っていた。謁見の間には少し前と同じように玉璽ただ一人だ。
「いつの世も何が起きるか分からぬな。それにしても民の大半が反乱に組し、首謀者は似非国家を建てるとは……今回は大仰よな」
一人になった玉璽はだらりと玉座に身体を預け、独り言ちた。
切っ掛けは二週間前、ブリタニアが首都ロンドン。秘匿された彼の一件が、中華で巻き起こった大火にも関わっていたことを知る者はまだ誰もいなかった。





