我被與天啓
第7部はーじまーるよー!
その男は、神々の加護によって神秘の甦ったこの世界において、神を信じていなかった。
神など名ばかりに過ぎない。弱者を救うと宣って、結局は口だけの連中と同じ妄言の存在だ。
隙間風という生易しい言葉では表せないほどの風が吹き込む、辛うじて家屋の体を為したボロ小屋の中で、一人の男が地面に直に敷かれた腐りかけの筵の上に横たわっていた。
顔色は土のようで継ぎ接ぎだらけの衣の上から見ても分かるほど痩せ細っていた。男は病に罹っていた。普通ならば医者の診療を受け、薬を飲んで数日大人しくしていれば治るような病だ。しかし、男は死にかけていた。医者に掛かる金も、薬を買う金もない。身体は確実に死への歩みを進めている。
そんな中、一人きりの家で虚ろに穴の開いた天井を見上げる男の意識ははっきりしていた。
男は知っている。この世に平等はないと。公平もない。あるのは差別とそれを種にした数多の不幸、それが集まった地獄だけだ。
自分が遥か昔に国を追われた王族の末裔だということは知っている。それが全ての始まりだ。数千年、移民を繰り返す自分たちは何処へ行っても余所者。差別の対象だった。
数年前まで寝る間も、食事の間も惜しんで国に仕官するための勉強に励んでいたが、試験には全て落第した。金持ちの愚鈍な息子たちは受かっていたというのに。公平だと思っていた登用試験にも公平はなかった。
差別による落第に絶望してここ数年は何をしていただろうか。何もなしていない。分からない。はっきりしているのは世界のどん底で今、死にかけているということだけだ。
突然、睡魔が訪れた。否、これは死神が手を引いているのかもしれない。もう、身を任せるほかない。男はゆっくりと瞼を閉じ、乾いていた眼球を潤すことにする。
視界が闇に染められる。いつもとは異なる感覚に男は死がやって来たことを悟った。
しかし、迎えに来たのは禍々しい死神ではなく、神々しい男だった。太陽のように身体から闇を焼き尽くすような光を放ち、同じように光輝く六つの翼を震わせている。男はこの時生まれて初めて神の存在を信じた。
翼の生えた美しい男、恐らく神であろうその者は骨に皮が張りついただけの骸のような男の胸に触れた。熱いその白い手で触れられた胸が熱い。正体は分からないが力が溢れていく。生命力の抜けきった空の器が満たされていくようだった。
やがて、神は男の胸から手を離した。男の身体は最早以前とは別物だった。筋骨隆々、覇気の溢れる、一目で民衆の心を掴む威風堂々たる偉丈夫の姿がそこにあった。
神と思われる者は様変わりした男を見ると満足気な笑みを浮かべた。そして、男の額に触れた。
「汝はこの世の悪を取り除かんために天より遣わされし者。民を導け、権力とは偽りのもの、破壊せよ。この地に神の国……楽園の礎を。いずれは……悪たる邪教の神々を悉く討滅ぼせ……力を授けよう」
重々しく、そう言い残すと神は現れた時と同じように光を纏い、その姿を消した。
「っ!!?」
男はそれを切っ掛けに目を覚まし、身体を起した。瞼の裏にはあの神と思わしき者の姿が鮮明に焼きついていた。恐る恐る、自分の身体を見る。視界には、記憶にある痩せ細った死人のような肉体ではなく、逞しく力に溢れた肉体が映っていた。分厚くなった胸板に手を当てる。神に与えられた力を確かに感じた。
数週間振りに立ち上がる。以前では信じられないしっかりとした足取りで地面を踏みしめる。
小屋の外に出て見ると静かな夜だった。昨晩雨が降ったのか大きな水溜りができていた。月光に照らされて大きな鏡のようだ。
男は水面に映った見違えた自分の姿をまじまじと見た。最後に触れられた額には十字の見慣れない刺青のような物が刻まれていた。夢ではなかった。自分は天の遣いである。人々を救い、楽園を築かなければならない。そのために敵をうち滅ぼさなければならない。
「オオオオオオオオオオオォォォォォーーーーーーーーーーー!!!」
男は自然と両手を合わせ、雄叫びを上げて天に祈った。
これが中華大帝国に大乱を起した男、洪仁汎の目覚めであった。





