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鏡華編

 三月十三日、ホワイトデー前日の夜。双魔は夕食と風呂を済ませた後、明日の授業の最終確認をしていた。


 「……ん、まあこれで大丈夫だろ。足りない感じだったら、課題出せばいいし。さて、明日は忙しいしな……」


 広げていたノートを閉じ、明日のことを想像して椅子の背もたれに身体を預けたその時だった。


 コンッコンッコンッ。


 『双魔。入ってもええ?』

 「ん、鏡華?いいぞ」

 「そしたら、失礼します」

 「……そんなに改まってどうしたんだ?」


 ノックの後に部屋へと入ってきた鏡華はドアを閉めるとそのまま床に正座をして、こちらを真っ直ぐ見てくる。姿勢こそきっちりとしているが、その表情はいつもの悪戯っぽい笑顔ではなく、大きな期待と小さな緊張が入り混じったような珍しい笑顔だった。


 「……その、双魔は明日忙しいと思って、な?」

 「まあ、暇ではないけどな。授業もあるし……」

 「そうやなくて……その……えっと……イサベルはんもロザリンはんもおるし……」


 (明日は忙しい……イサベル……ロザリン……なるほど)

 

 もごもごと何やら歯切れの悪い鏡華だったが、イサベルとロザリンの名前ができていて双魔も察しがついた。何しろ双魔も一週間前からそのことばかり考えていたのだ。


 「ん、分かった……」

 「え?分かったって……」


 双魔は鏡華に背を向けて、机の一番下の棚から何かを取り出すと、それを手にして鏡華の前に姿勢を正して座った。


 「ホワイトデーのお返しです。少し早いですが、どうかお納めを……」


 芝居がかった口調で首を垂れ、両手で抱えていた真っ赤な薄布に包まれた木箱を鏡華の前に仰々しく差し出した。


 「……どうして、分かったん?」


 鏡華の嬉しそうな声に、双魔は頭を上げた。見ると、鏡華は顔を少し赤くして、嬉しそうな、それでいて少しバツが悪いような顔をしていた。


 「ん、まあ……俺もお返しで頭が一杯だったしな?明日は俺の予定が詰まってるから、気を遣って受け取りに来てくれたんだろ?ありがとさん」

 「双魔がお礼言うんわ……違うよ……それに……別に……気つこうたんやないし……」

 「ん?違うのか?」

 「違う……その、しばらくはお互いに郵便でバレンタインとホワイトデーの贈り物を交換してたやろ?……やから、この前自分の手で渡せて……嬉しかった……でも、そしたら、今度は待ちきれなくなって……子供みたいやろ?」


 なんと、双魔の想像とは違った。鏡華は双魔のお返しが楽しみ過ぎて、フライングをして受け取りに来てしまったらしい。それで、少しバツの悪そうな顔をしていたのだ。鏡華はいつも双魔にとっては年上のお姉さんだった。今日は子供っぽい。それだけ自分を想ってくれている証拠だ。双魔も愛しさがこみ上げてくる。


 「ん……確かに、子どもみたいだな」

 「……改めて言われると照れ臭いから……」

 「それだけ期待してくれてたんだろ?期待に沿えてるか分からないけど……まあ、受け取ってくれると俺も嬉しい」

 「……ありがと」

 「ん」

 「……開けてもいい?」

 「ご自由に」


 双魔が頷いたのを見て、鏡華はおずおずと薄布の結び目を解き、丁寧に畳んで横に置くと、一息ついてからそっと木箱を開けた。中に入っていたのは……。


 「……急須と……お茶?」


 箱の中身を取り出してみる。中に入っていたのは陶器の急須と緑茶の入った袋だった。急須は白く、真っ赤な曼珠沙華が色鮮やかに描かれている。そして、茶葉の袋を裏返した鏡華は思わず笑みを浮かべてしまった。なんと、手作りらしいパッケージには、麦わら帽子を被ってぎこちない笑顔を浮かべた双魔と、抱っこされたユーの写真が貼りつけてあり、下の方に「私が作りました」と書かれてある。


 「……双魔」

 「……いや、うん……冗談のつもりだったんだ」


 察するに、双魔もテンションが上がってやってしまったらしい。冷静になった今は恥ずかしいのか、親指でグリグリとこめかみを刺激していた。鏡華には分かる。ホワイトデーを楽しみにしていたのは自分だけではなかった。双魔もだったのだ。


 「ふふふっ……」

 「あまり笑わないでやってくれ……」

 「ふふふ……しゃあないね。我慢したげる……双魔」

 「ん?」

 「ありがと、嬉しいよ……ほんまに」

 「……それならよかった……来年も期待しといてくれ」

 「はいはい……約束ね」


 鏡華の差し出した小指に、双魔の小指が絡まる。幼い頃からの約束を守る大切なおまじない。少し気の早いホワイトデーは夜と共に過ぎていった…………。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 「……おいしい」


 翌日の朝。いつもより早く起きた鏡華が、真新しい曼珠沙華の急須で、双魔謹製の緑茶でご機嫌に茶事を楽しんでいたことを知っているのは、浄玻璃鏡だけだったとか。

 



 


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