”我が名はクランの猛犬”
ロザリンが見つめる虚空では渦巻いていた黒煙が球体の形に纏まりはじめ、何かに変化しようとする兆しが現れていた。
『バハハハハハハハッ!一瞬、焦りはしたがそこの魔術師のおかげで余は娘の身体より解放された!改めて、貴様らを葬ってこの空間より脱し、フォーモリアの王国を復活させよう!』
バロールの重々しい哄笑が響き渡る。同時に黒煙が動きを止めた。変化は終わったらしい。
そして、球体の表面に横一文字の切れ目が入ったかと思うとそれは瞼のように、否、それは瞼であり、その下から巨大な漆黒の瞳が姿を現した。
「あれっ……はっ!?…………」
黒煙は巨大な一つの眼球に姿を変えたのだ。そして、艶やか且つ不気味な眼光を向けられた双魔の身体が一気に強張り、上手く声が出せなくなってしまう。
原因は定かではないがゲイボルグのように完全停止には至らないのは不幸中の幸いと言ったところだろうか。
「…………」
隣で支えてくれていたティルフィングはピクリとも動かない。バロールの魔眼に囚われていた。
「……うん、大きな目玉だね」
しかし、バロールの魔眼など意に介さず、吞気な声を出す者がいた。ロザリンだ。バロールの魔眼を真っ向から受けているにもかかわらず、手にしたゲイボルグをくるくると回しながら頬に人差し指を当てて何かを考えるような仕草を見せている。
『……余の純然たる力の前においても屈せぬか……ルーグの末は無礼だなっ!』
忌々し気な声を響かせてバロールは魔眼を輝かせる。
(……ぐっ…………身体が…………)
双魔の身体を襲う魔力が強くなり、重圧も増す。されど、ロザリンにはそれでも効果はないようだった。もう一度、くるりとゲイボルグを回すと何かに納得したように小さく頷く。
「うん、本気出そうかな?……ゲイボルグ、真装発動”我が名はクランの猛犬”!」
ロザリンの力強い声に合わせてゲイボルグから深碧の膨大な剣気が噴き上がりロザリンの全身を包み込む。そして、一瞬のうちに弾けた。
深碧の閃光が消えた後、そこに立っていたのは麗靡俊猛な女戦士だった。
深碧の胸当て、籠手、具足に帷子と言った軽装の鎧に、金色に輝く犬の頭を模った兜を装着。
さらに兜の隙間から生えた犬耳がピンと勇ましく立ち、腰当に包まれた形のいい臀部からは触り心地のよさそうな大きな尻尾が覗いてフリフリと揺れている。
機動力を生かすスタイルのロザリンにはピッタリの真装だろう。一言でいうならロザリンとゲイボルグが融合したような姿だった。
『バハハハハッ!!何をするかと思えば珍妙な姿になっただけかっ!』
バロールの嘲笑を聞き流しながらロザリンは垂直に飛び上がった。
一瞬でバロールよりも高い位置まで上昇する。ロザリンの動きに合わせてバロールの眼もぎょろりと動いた。
『娘っ!何をするつも…………』
この期に及んで、まだ余裕と油断を捨てていないバロールは楽しそうな声を出していた。しかし、それが命取りだった。
「これで、終わり……」
そう呟くとロザリンは手にしていたゲイボルグを放り投げた。そのままゲイボルグを追うように上昇しながら身体を丸め、激しく後方宙返りの要領で高速回転し、その勢いを右脚に一点集中させて渾身の蹴撃をゲイボルグの石突へと炸裂させた。
「”極・死の雲竜柳”!」
真装を身に纏ったロザリン渾身の、正真正銘、全身全霊の魔力と剣気の螺旋が必殺の魔槍を音速の壁を貫通する速さと威力を付与し、バロールへと放たれる。
魔眼に囚われ、瞬きも難しくなった双魔の目に映ったのはロザリンの鎧靴がゲイボルグに触れた瞬間の閃光が映ったかと思うと、次の瞬間、バロールの全身から深碧の巨大な刃が数百、内側から黒い眼球を突き破り、まるで楓の実のように成り果てた姿だった。
『……む……すめ……ロザリ……ン……と言ったか…………余にこの……ような……仕打ち…………流石は……ルーグの……我が末か…………見事……だ……』
ロザリンとゲイボルグによる一撃を受け、己の滅亡を悟ったバロールは呪詛ではなく、ロザリンへの惜しみのない称賛を口にした。
「…………」
鮮やかに着地し、手に戻ってきたゲイボルグをくるりと回し、ロザリンは無言で崩れ行くバロールを見つめていた。
生まれながらに母を、そして自由を奪い去った存在に、ロザリンが何を思っているのか、双魔に見当がつくべくもない。
バロールの力が弱まってきたのか身体が軽さを取り戻す。同じく動けるようになったティルフィングに支えられて双魔はよろよろと立ち上がった。
ふと、既に身体の半分以上が消え去ったバロールの視線がロザリンから双魔に移った。
『……ま……じゅつ……しよ……貴様も……面白いもの……を……見せてもらった……褒美を……下賜す……』
バリンッ!
双魔に何か言いかけていたバロールからガラスが引き裂かれるような大きな音が響いた。そのまま、何も言うことはなく崩れ去る。
空間の上部を満たしていた黒い魔力と巨大な眼球は跡形もなく消え去った。
眼球が消え去る間際、一粒の小さな小さな澄んだ雫がロザリンに落ち、その身体に染み込むように消えたことにロザリン本人は勿論、双魔も、ゲイボルグも、ティルフィングも、誰一人として気づくことはなかった。
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