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第8話 俺を救った、たった一つの教え



思えば、俺の人生は――波瀾万丈だった。


世界を救うだの、国のために戦うだの。

ことさらに綺麗事を並べようと思えば、剣を手に取った理由なんていくらでも湧いて出てくる。

だが、本音を言えば……俺はただ、平和に過ごしたかっただけだ。


戦わずに済むのなら、それに越したことはない。

人を斬るたびに心がすり減っていくのは、剣士なら誰もが感じる感覚だ。

それでも剣を振るう者が多いのは――ただ生きるためだ。


……あれは、いつだったか?


生まれ育ったアークウェンの村を出て、傭兵として各地を放浪していた頃。

まだ十代の後半。剣の重みをようやく覚え始めたばかりの、ただの若造だった。


あの頃の俺は、ただ生きることに必死だった。


今となっちゃ、「全部がいい思い出だ」なんて言えたらカッコいいかもしれんが――

実際のところ、あれは間違いなく地獄だった。



「おい新入り、盾なんざ捨てて前出ろ!」


「死ぬのが怖いなら、先に首でも落としてこい!」


「寝るな! 飯は戦利品を奪ってからだ!」



ああ、覚えてる。

地獄ってのは、ああいう場所のことを言うんだ。


俺が所属していたのは、とある傭兵団の末端部隊。

名もなければ実績もない。ただし――規律もない。


寝床は洞窟。

食事は、干からびたパンと泥水。

報酬は、あってないようなもの。


それでも、そこには“生”があった。

殺らなきゃ殺られる。

食わなきゃ飢える。

信じなきゃ裏切られる。


毎日が薄氷の上を歩くような日々だった。

油断すれば、夜中に喉を掻き切られる。

気を抜けば、味方の背中に突き刺さる剣。


そんな日々の中で、俺を――ほんの少しだけ救ってくれたものがあった。


それが――一本の剣と、たったひとつの“教え”だった。



その剣は、特別な武具じゃなかった。

鍛冶場の隅に転がっていた、手入れもされていないぼろ剣。

錆びていたし、柄も割れていた。


けれど、俺はその剣に“重み”を感じた。

誰かが、必死で使い続けた跡があった。

柄の凹み、刃の歪み――まるで剣自体が「生き延びてきた」ような気がした。


そして、それをくれたのが――一人の老人兵だった。


「若いの、お前はまだ生きていい」


ぼろぼろの防具を纏ったその老人は、戦場の片隅で小さな火を焚きながら、俺にそう言った。


「お前の剣はまだ濁っていない。濁っていない剣は、誰かを守れる。だが濁った剣は、自分すら斬ってしまう」


「……どうすれば、濁らせずに済む?」


「誰のために剣を振るうかを忘れるな。それだけだ」


それだけの言葉だった。

説教でもなければ、教義でもない。

ただのぼやきのような声だった。


けれどあのときの俺には、それが――すべてだった。


その日から、俺は自分に問い続けるようになった。


(この剣は、誰のために振るっているのか?)


最初は、自分のためだった。

生き延びるため、飢えをしのぐため、寝床を確保するため。


だが、次第にそれは“仲間のため”になり、

“村のため”になり、そして――“世界のため”になっていった。



大義。それは、剣士が最も深く、自らに刻む動機のひとつだ。

誰かのため。

故郷のため。

家族のため。


そして――世界のため。


そう名乗ってしまえば、きっと楽だったんだ。

実際、俺もある時期から“世界を守るために戦っている”と、自分に言い聞かせていた。


それが真実だったかどうかなんて、今となってはもうわからない。


だが確かに俺は、いくつもの戦争を止めた。

魔導帝国との境界で発生した崩壊魔法の暴走を抑え、

天界との大戦では“交渉役”として神の代弁者と剣を交え、

地底種族との誤解による衝突では最前線で外交使者を護衛し、

無数の命が散る中、俺だけが生き残った。


――否、生き残ってしまった。


仲間は次々と倒れていった。

年下の剣士も、憧れてくれていた魔術士も、

俺の後を追って戦場に出た少年兵も――

あの日、あの場所で、誰一人として帰ってこなかった。


記憶の底に沈むその日、血の匂いと硝煙、爆裂の光、そして焼け焦げた空。

俺の中で何かがぷつりと切れたのは、その瞬間だった。



「……俺は、もう十分やった」



あのとき、俺は剣を置いた。

全てを終わらせるために。


皇帝に直談判し、騎士団を辞し、

栄誉も金も地位も全てを投げ打って、ただひとり山へと向かった。


そして今――ここにいる。


山奥の古民家に、鍋と包丁を並べて、客に「うまかった」と言ってもらえる一皿を、今日も作るだけ。


……なあ、どうだ。


英雄と呼ばれた俺が、“定食屋の親父”になってんだぜ。


滑稽だろ?


でもな、俺はこの場所が嫌いじゃないんだ。


火を焚いて米を研いで、味噌を練る。

人が来れば「いらっしゃい」と言い、食べ終えた客が「ありがとう」と笑って帰っていく。


あの頃、命の値段しかなかった戦場とはまるで違う。


たった一杯の味噌汁で、誰かが救われるかもしれない。

なら、俺はそれで十分だと思った。


世界は救った。

だけど自分は、まだ救われちゃいなかったんだろうな。


ふとそんなことを思いながら、客足の絶えない光景につい——、……頭を抱えてしまう自分がいた。


 



その夜。

寝床に入ろうとしたところで、コンコン、と扉を叩く音がした。


「……誰だ? もう閉店してるぞ」


「ゼン親父ー、なんか、手紙届いてたっぽいっすよー」


玄関先には、ライルの手に握られた封筒があった。

見覚えのある赤い封蝋。そして、やたらと丁寧な字体。


(これは……)


帝都・広報出版局からの、返信だった。


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