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第63話 旧アーミット級強襲艇




「で、改造してほしい飛空挺っていうのは?」


イグザスが問いかける。

その声音には驚きも怒りもなかった。ただ、静かに“内容を聞こう”という意志がこもっていた。


カイは腕を組んだまま、視線を外さない。


「“シルヴァ=ヴァルザン”。旧アーミット級強襲艇をベースに、独自の強化を重ねた機体だ。

魔導炉はツィエル式の第二世代、推進機構は複合フィンの反射制御型。

ただし、安定性に難があってな。特に乱流域での操縦が不安定になる」


イグザスの目がわずかに細まる。


「アーミット級……もう二世代前の型じゃないか。

それをまだ現役で使ってるのか?」


「手放せない理由がある」


カイの声は短く、しかし強く響いた。


イグザスの眉がわずかに動く。旧アーミット級――その名を聞いて、記憶の引き出しが開いたようだった。


「アーミット級か……」彼が呟いたその名は、かつて帝国が開発した“突撃型飛空挺”の初期モデル。空賊や傭兵、開拓団にも数多く払い下げられた型であり、戦術的にも非常に汎用性の高い艦だった。


ただし、その設計思想は“速度と機動力を犠牲にした堅牢性”に重きを置いていた。いわば“飛ぶ戦車”。前面装甲と底部の魔力障壁を強化し、突入・強襲・接近戦を前提とした短距離戦特化型。その代償として、乱流域での姿勢制御や長距離飛行時の推進効率には明確な難があった。


そして、その機体に搭載されているという「ツィエル式の第二世代魔導炉」――これは旧帝国魔導工学の中でも、一時代を築いた画期的な設計だ。従来の一次元直列式魔導炉と異なり、ツィエル式は“断続型多重圧縮炉心”を採用し、燃焼効率の波をあえて分散させることで、瞬間的な魔力噴出ではなく“持続的な推進魔力”を生成できる点が特徴だった。


だがこの炉は同時に、調整に非常にシビアで、特に不安定な気流や気圧変動下では魔力の偏りが顕著になる。結果、推進のブレが機体全体に波及し、機動制御に支障を来すのだ。


そこに追い打ちをかけるのが、“複合フィンの反射制御型推進機構”である。これは主翼と補助フィンに独自の反射導線を巡らせ、風の流れと魔力の回流を合わせて飛行姿勢を自動調整するというものだ。理論上は非常に高い追従性を誇るが、導線の精密性と調整精度が求められるため、素人の手では到底扱いきれない。


つまり、“旧アーミット級+ツィエル式第二世代+複合フィン”――という構成は、現在では“飛べていること自体が奇跡”と言われるレベルの難物なのだ。


「私が最初に手に入れた艇だ。寄せ集めの部品と壊れかけの炉から始まって、仲間と何度も修理して……今の形になった」


カイが語る言葉には、性能では測れない“重み”があった。数値や仕様ではなく、歴史と感情がその機体に染み込んでいるのがわかる。


「……なるほど」


イグザスが静かに呟いたその声は、技師ではなく、ひとりの“空を愛する者”としてのものだった。


カイは懐から小さな封筒を取り出した。

中から現れたのは、折り畳まれた紙――いや、図面だった。


「これは?」


「“シルヴァ=ヴァルザン”の内部構造図。といっても、いじったのは素人ばかりだ。正直なところ、限界が近い」


イグザスはその図面を開き、目を通す。

やがて、ふっと息を吐いた。


「……無理な増築、過剰な魔力配線、重量の偏り。

……だが、そのすべてが“今まで飛んできた痕跡”だな。

継ぎ接ぎの多さが、逆に“歴史”を物語ってる」


「だからこそ、あんたに頼みたい」


カイの声に、ゼンが小さく目を細める。

いつもの軽口も大声もなかった。ただ、まっすぐに想いをぶつけるだけ。


「今から約1ヶ月後、大陸横断空賊レースに出る。……勝つためじゃない。

“飛ぶため”に、だ。これまで守ってきた機体で、どこまでも飛べるってことを証明したい」


静寂が落ちた。


奥の魔導炉が微かに脈動している音だけが、空気を震わせる。


イグザスは図面の隅に書かれた小さなメモを指でなぞった。

それは、かすれた筆跡で記された一文――「この船で、どこまでも」。



イグザスは黙って図面を見下ろしていた。


彼の目は、設計者ではなく、診断医のような鋭さと慎重さを帯びていた。まるで“機体の声”を聞いているかのように、一本一本の配線、補強のリベット、手書きで修正された注釈まで丁寧に目でなぞっていく。


図面の紙面には何度も折り畳まれた跡や、指の脂で薄れてしまった線があった。それが、この機体が現場で生き延びてきた時間を物語っているようだった。


「……なるほどな」


彼の脳内では、すでに“再構築”が始まっていた。


もし自分がこの“継ぎ接ぎの塊”に手を入れるとしたら――まずは、ツィエル式魔導炉と反射制御推進系との“魔力干渉”の緩衝域を再設計する必要がある。現状では出力がピークに達した際、推進ノードが互いに魔力波を干渉し合い、“反転気流”を発生させている。


次に問題となるのは、機体全体の重量配分だ。前方装甲の追加改修、艦底部の隔壁補強が過剰で、機体の前重心化が著しい。このままでは風の流れに乗れず、常に“抗って飛ぶ”状態になる。風と共にある飛行を実現するためには、意識的に重心を後方に再配置し、尾翼制御を強化せねばならない。


それだけではない。彼が特に注目したのは、船体の側面に記されていた複数の魔導術式の刻印だ。誰が彫ったのかはわからないが、その大半は古い上に、重複や競合が起きており、機体全体の魔力流動に乱れを生じさせていた。


“術式の断片が、機体の呼吸を妨げている”


イグザスは静かにそう結論づけた。彼にとって飛空挺とは、単なる機械の塊ではない。空と対話し、風に愛される“生き物”であるべき存在だ。ならばまず、余計な声――過去の術式を洗い流し、機体の“素の声”を取り戻してやらなければならない。


「……俺の改造は、厳しいぞ」


「…みたいだな。だけど、それでも頼みたい」


「元の構造を維持したまま、飛行安定性と出力効率を改善。

そのうえで、現代水準の結界術式を再配置し、かつ重心バランスを取り直すとなれば……」


イグザスは図面を畳んだ。


「やれる。条件付きだがな」


「……なんだ?」


カイが身を乗り出す。


イグザスは指を一本立てた。


「まず第一に――定期的にこの渓谷にメンテナンスに来い。少なくとも飛行後の三日以内、もしくは異常があった場合は即座に。俺が直接診る」


「けっこう遠いんだが……」


「なら、飛ぶな。俺が手を入れる機体は、未調整のまま野に放たない」


イグザスの声に揺るぎはない。それは命を預かる技術者の誇りでもあった。


「……わかった。続けてくれ」


「二つ目。必要な素材と部品――特にエーテル安定剤と複合導線、それから補助翼の支持骨格用に古代銀のフレーム。これは用意してもらう」


「古代銀って……レア物だぞ?」


「だから言ってる。俺は奇跡を起こす魔法使いじゃない。構造を支えるには、それなりの素材が要る」


「クソ……まあ、なんとか手配しよう」


「三つ目――今すぐすべてを直すのは無理だ。時間がない。だからまずは、コアの再設計と推進部の調整、それと不要術式の除去だけを優先的にやる」


「……つまり、応急処置か」


「違う。“最低限、安全に空を飛ぶための構造”に再構築する。それが済んでから、本格的な“共鳴型改修”に入る」


「共鳴型?」


「そうだ。“風と機体が共鳴する”ような仕組みだ。……その話は、あとでじっくりする」


イグザスの視線は揺るがない。その瞳には、“ただ飛べればいい”という考えなど微塵もなかった。飛ぶからには、その空を“真に感じる”こと。そのための整備であり、そのための改修なのだ。


「そして最後に、これは絶対条件だ」


イグザスは再び指を立てた。声がわずかに低くなる。


「“俺の空”に付き合え。

この渓谷から発つ前に、一度、俺が作った“Ex-XIV”の飛行に同乗してもらう」


カイは一瞬眉をひそめた。まるで言葉の意味を測るように、イグザスの顔をじっと見つめる。


「……同乗ってどういう意味だ?」


その問いに、イグザスは微かに笑みを浮かべた。だが、それは揶揄や皮肉の類ではない。彼の瞳には、ごく純粋な“信頼”と“確認”の意思が宿っていた。


「文字どおりの意味だよ。俺が設計し、自分の手で飛ばそうと思っている機体、“Ex-XIV”に乗ってもらう。風と機体が一つになるとはどういう感覚か――それを実際に体験してもらいたい」


「……ふーん。試乗ってことか?」


カイが僅かに肩をすくめながら問い返す。


「そうだ。そして、その機体で見る空が――お前の求めているものに近いかどうか。それを感じたうえで、もう一度“俺に任せていいかどうか”を決めてほしい」


その言葉には、強要でも命令でもない、確かな願いがこもっていた。機体の性能だけではなく、その“空”を知ってほしい。風を味方にした飛行とはどういうものかを、肌で感じてほしい――そんな技師としての、いや、“空を愛する者”としての本能的な訴えだった。


カイはふっと鼻を鳴らした。


「変わってるな、お前は」


「よく言われる」


イグザスの応えは淡々としていたが、その裏には確かな自負があった。


しばしの沈黙。


カイは天井を見上げ、ゆっくりと息を吐いた。まるで頭の中でこれまでの航路と、これからの進路を天秤にかけるように。そして静かに視線を戻し、真っ直ぐイグザスを見つめて言った。


「……わかった。その空、見せてもらおうじゃないか」


「ハハ。そうか。だが命の保障はせんぞ?まだ一度も飛ばしたことはないからな」


カイはぴしっと眉を吊り上げ、即座に叫んだ。


「えぇぇぇっ!? 一度も飛ばしてないのかよ!? お前、さっき“空を感じろ”とかカッコつけてたけど、実はまだ“感じたことなかった”系の奴か!?」


イグザスはまるで他人事のように肩をすくめる。


「試作機ってのはそういうもんだ。飛ばす前に感性を語って何が悪い。詩人は詩を書く前に恋に落ちる必要はないだろう?」


「いや、空は落ちたら終わりだからな!? 詩人ならせいぜい失恋で済むけど、こっちは“墜落”だぞ!? 詩的どころか物理的に死亡だ!」


ゼンは傍らで腕を組んだまま、呆れたように言った。


「だから言ったろ。こいつは天才だが……飛ばし方は大体“ノリ”だってな」


「信用できねぇぇぇぇぇ!!」


カイが叫んだその声は、渓谷にこだまして鳥たちを驚かせ、どこからか「ギャァ」と魔獣らしき声まで返ってきた。


イグザスはやれやれと図面を脇に置き、工具箱を片手に立ち上がる。


「まあ、死なない程度に抑えるさ。だがこんなことでビビってたら空賊なんて務まらんだろ。お前もゼンも、遊びにここまで来たわけじゃないだろうしな」


「言葉の重みと軽さが行ったり来たりしてんぞ……!」


「さあ、作業の準備だ。命知らずのお姫様、お前の“ヴァルザン嬢”を、美しくドレスアップしてやろうじゃないか」


「今ので一気に“頼れる技師”感が消えたな……!」


そう毒づきながらも、カイは小さく笑っていた。


どこか、安心したような――そんな笑みだった。

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