第2話 それでも俺は、隠居したい
こうなったらいっそ営業日を減らすか、移転まで考えるか……?
朝の雑草取りを終えた俺は、いつものように薪ストーブの火を起こしながら、しみじみとそう思った。
……いや、俺としてはこの場所は気に入っていて、なにより自前で改装した愛着のある場所だ。山の斜面を切り開いて建てたこの古民家は、梁の一本から天井の飾り板、床の無垢材に至るまで、全部自分の手で仕上げたものだ。釘の打ちミスの跡だって、今となっては味に見える。
人さえ来なければ理想の場所であり、これ以上ないくらい質素で、条件の整った癒しの空間でもある。
隠居生活をしようと思えば他にもいくらでも場所はある。別にこの地方やこの大陸に限らなくてもいい。ようは人の手が届いていない未開の地を探し、開拓すればいいだけの話だ。
……だが。
「それにライルはどうなる?」
無意識に口からこぼれたその名前に、俺はふと、背後の厨房に目をやった。
あいつは今、器用にネギを刻んでいる。背がまだ低くて、台に上って包丁を握る姿がちょっと危なっかしいが、もう何度も教えた手順をしっかり守っている。動きに無駄がない。
俺がいなくなったら、あいつはどうする? 村に戻るかもしれない。でも、食堂で働くことに喜びを感じてるようだった。掃除も皿洗いも嫌がらず、むしろ厨房にいるときが一番楽しそうにしている。
勝手な都合で放り出すのは、あいつに対しても失礼ってもんだ。
――まったく、困ったもんだ。
どうすれば、この現状を打破できるのか。
打破するも何も、開店前に行列っておかしくないか?
ここは山の奥だぞ? いや、もう一度言う。ここは山の奥だぞ!?
帝国にはまずい飯しかないのか?
なんでわざわざこんな山奥まで歩いて来るんだよ。
今日だって、すでに外に二十人は並んでる。
家族連れ、カップル、学生、街の商人、鍛冶屋、吟遊詩人までいる。
……ってどんだけ彩みどりなんだよ。テーマパークか? お前ら正気か!?
しかもだな、うちのメニューは定食一種類だ。日替わりだけど、今日は“山鹿とキノコの麦味噌煮込み”しかない。選択肢なんてないんだ。回転率のいいラーメン屋でもない。
厨房は広くないし、従業員は俺とライルの二人、ほぼワンオペ。どう考えても一日にさばける客数は限られてる。
なのに――
「すみませ〜ん! 初めて来たんですが、予約してなくて……大丈夫ですか?」
出た。予約してない客、その一。
「ちょっとお待ちを。今、店主が……」
「山を越えて、二日かけて来たんです! どうしても親父さんの料理を食べたくて……!」
無理だって言ってるのに……いや、言いたいのに……。
(こんな場所までわざわざ歩いて来たんだよな……)
俺は無言で厨房に戻り、追加の米を炊き始めた。……また今日も、予定以上に炊くことになるのか。
完全予約制にしたのは、実は先月からだ。
あまりに客が増えすぎて、開店時の混乱がひどくなったからだ。
だけど問題は、“予約制という概念を理解してない奴”が多すぎるってことだ。
「えっ、予約って何?」とか「手紙で申し込みましたが(到着予定:3週間後)」とか、果ては「皇帝の命令で来たから予約不要」とか言い出す奴までいた。なんなんだこの世界。
仕方がない。今日も予約客に迷惑がかからないよう、うまく合間を縫って非予約客を滑り込ませる。
結果的に、俺はいつも通り予定の二倍働く羽目になる。
(……こんなのが、毎日続いていいわけがない)
「親父、追加の分、もう切れたよ!」
「……わかった、すぐやる」
ふと視線を感じて顔を上げると、ライルがこっちを見てニコッと笑った。
無垢な笑顔だった。
……うん、これじゃ逃げられねぇな。
この店は確かに理想からは遠ざかってる。でも――
それでも、ここが俺の居場所だと思えるから不思議だ。




