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第112.5話 王女、皿を洗う【ゼン視点】



――静けさが長く続くまえに、だいたい面倒事は起こる。


そう思っていたが、今日に限っては珍しく“弟子との立ち合い”から始まった。まあ、クレアの根性試しに付き合った俺もどうかしているが、あいつはあいつで七年間ずっと積み重ねてきた刃を見せてきた。

…結果としてアイツとの演舞は悪くなかった。いや、むしろ良かった。


ただ――


(問題は、その後だ)


丘から食堂に戻った時のフェルミナ。

あれはもうなんというか……“はしゃぎすぎて自滅寸前の子犬”みたいな顔だった。


「は、はいっ!!」

声が裏返るたびに、こっちの背筋がむず痒くなる。

緊張なのか嬉しさなのか、どっちにしろ騒がしい。


俺はただ静かに暮らしたいだけなんだが。


──とはいえ、条件付きとはいえ受け入れると決めたのはこっちだ。


覚悟は必要だ。

そして覚悟というのは大体の場合、何気ない日常を受け入れるところから始まる。

洗い物の音、誰かの失敗、食材を切る音。

それを“騒がしさ”じゃなく、“誰かが生きてる音”として聞けるようになった時――ようやく一歩目を迎えることができるだろう。





厨房へ戻ると、いつものように火と水と食材が揃っていた。

朝の仕込みは余計なことを考えずに済む時間で、俺にとっては瞑想みたいなものだ。


……だったのだが。


その静寂は、フェルミナの「ひゃああああ!?」という奇声で粉々になった。


振り返ると泡だらけになった鍋と、泡だらけのフェルミナと、泡まみれのライルがいた。


(……騒がしい)


「ミナさん、落ち着いてくださいって!」

「無理っ!! 泡が! 泡が逃げてる!!」


泡は逃げねぇよ。


と喉まで出かかったが、言っても理解してもらえなさそうなので黙った。


ライルは慣れたもので、器用に泡をすくい取って処理している。

この少年の順応力は化け物じみている。

できれば姫様よりも先にこの子を保護してほしいレベルだ。


「理論では知ってるんだけどねっ!! 皿洗い!!」


……皿洗いに理論が必要なのか?


そう思いつつネギを切りながら、背中越しに声をかける。


「理論より手を動かせ」


「は、はいっ!!」


返事だけは元気だ。

多分それだけで皿が5枚くらい割れる。


そして案の定――


ガシャーン!


はい6枚目。

ライルが淡々と「これで六枚目です」と報告してくる声が、だんだん慣れてきているのが怖い。


さらにフェルミナが胸を張って言い放つ。


「……王族の腕力を舐めないで!」


いや、舐める以前に厨房が壊れる。

王族の腕力がどれほどのものか知らないが、食堂の備品は庶民仕様なんだ。

耐久度には限界がある。


俺の心の叫びが届く間もなく、次の惨劇は起こった。


「ミナさん、次はネギ切ってください。ほら、そこに並べてあるやつ」


「ネギね! まっすぐ切ればいいのよね!!」


いや、まっすぐ切るだけじゃない。

いや、それ以前に“力の調整”という概念は無いのか?


そう思った瞬間、聞き慣れない嫌な音が響いた。


――ベキィッ。


ネギを切る音じゃない。

少なくとも、料理において聞きたくない類の破壊音だ。


振り向くと、そこには衝撃的な光景が広がっていた。


まな板が――真っ二つに割れていた。


ネギは無傷。

まな板だけが犠牲になった形だ。


厨房全体の動きがそこで止まる。


クレアは遠い目をして沈黙。

ライルは「ま、まな板……」と呟き、魂が抜けかけている。


俺も思わず深くため息を吐いた。


「……料理は力じゃねぇ」


フェルミナは両手をぶんぶん振りながら、必死に言い訳する。


「ち、違うの! ちょっと力が入っただけなんですっ!!」


「“だけ”で木が真っ二つになるか?」


王族の腕力は、もはや災害指定していいんじゃないだろうか。

自然災害の項目に“王女”を追加しろ、と行政院に投書したくなるレベルだ。


フェルミナはショックで肩を落とすどころか、逆にふんすと鼻息を荒くしている。


「でも、ネギは綺麗に切れたでしょう!? ほら、見て!」


たしかに、ネギは綺麗に刻まれていた。

まな板を両断する勢いで切られたので、断面だけは妙に完璧だ。

だがそれは“料理が上達した”とは言わない。


ライルがそっと俺の袖を引いた。


「ゼンさん……あの、まな板……また買い替えですか……?」


「ああ。あれはもう駄目だ」


「ですよね……。でも、ミナさんは悪気はないんですよ。たぶん……」


「悪気があろうがなかろうが、普通はこんなことにはならんぞ」


ライルは「確かに……」と深く頷いた。

彼は最近悟りの境地に到達しつつある気がする。

この年齢で諦観を身につけるのはどうなんだ。


そんな中、フェルミナは自信満々に新しい包丁を構えようとする。


「次は何を切ればいい!? 根菜!? 肉!? 任せて!!」


「任せねぇよ。休め。クレア、お前が代われ」


クレアはこくりと頷いて前へ出る。

彼女の手元からは、一切の無駄が消える。

動きは静かで速く、切る音も軽やかで清潔。

“刃物を扱うとはこういうことだ”と絵に描いたような職人の所作だった。


それを見たフェルミナは悔しそうに唇を噛みながらも、どこか羨望の眼差しを向けていた。


「……やっぱりクレアって凄いのね」


「当然です。師の教えが良いので」


クレアが淡々と返すと、フェルミナはぎくりとこちらをちらりと見た。


いや、いやいや、こっち見られても困る。

俺は何も教えてない。

むしろ“破壊の才能”をどう抑えるか悩んでいる段階だ。


それでもフェルミナはまな板の残骸を見て拳を握りしめ、妙に前向きに宣言した。


「ごめんなさい。でも、絶対に覚えます! だって働きたいもの!」


ライルが「ミナさん、もう十分働いてます……破壊的に」と小声で呟くが、彼女には届かない。


「……よし、続きやるぞ。昼までに仕込み終わらせる。フェルミナ、皿洗いはライルと一緒だ。絶対に一人でやるな」


「了解!!」


……返事だけは本当に立派なんだよな。



しかし、そのあとが問題だった。


フェルミナが包丁とネギを抱えたまま、俺の背中を見て赤くなり、クレアに向かってとんでもない一言を叫んだ。


「恋してる乙女にそれを言う!?!?」


…………はい、厨房が固まった。


いやいや、待て。

おい、誰だ今の発言を許可したのは。

俺じゃない。絶対に違う。


そもそも“何の話だ”というのが俺の正直な感想だ。

料理の指導をしていたはずなのだが、どこをどう捻ったらそういう単語が飛び出すんだ。


クレアも目を丸くして固まっていたが、数秒の沈黙を経て小さく息を整え、淡々とした声で言い放った。


「……調理の話です」


その瞬間、フェルミナは更に真っ赤になり、

「で、ですよねっ!!もちろん!!」

と、ひっくり返った声で叫んだ。


いや、そんな勢いよく肯定されても困る。

そもそも誰も恋だ愛だの話はしていない。

俺はただ「ネギは丸ごと握らず、根元は落としてから切れ」と言っただけだ。


それがどうしてそういう方向に暴走するのか、まったく理解できない。


……まあ、王女という立場上、日頃から変な言い回しに慣れているのかもしれない。

宮廷育ちは何かと大げさな表現が身につくという話も聞いたことがある。

(たぶんその延長だろう。あれだ、比喩の類だ。うん。)


フェルミナは両手をばたばたさせながら誤魔化しているが、その姿はどう見ても“取り繕う初心者”だった。

見れば見るほど妙に必死で、こっちの胃にくる。


だが――


(……まあ、逃げないで残っているだけ大したものだ)


それだけは認めてやってもいい。


皿を割っても鍋を吹かせても、天ぷらを霧散させても、へこたれずに戻ってくる。

普通なら一時間で心が折れて帰りたがるところだ。


たぶん、あれがこいつの芯の強さなんだろう。


俺の知る“戦場の強さ”とは別の種類。

もっと生活に根ざした、しぶとさというか……とにかく“折れない”。


そういうものを感じながら、ネギを淡々と刻んでいく。


包丁の音の向こうでは、フェルミナがクレアに何か小声で抗議している。

クレアは相変わらず無表情で相手をいなしつつ、手元は完璧だ。


……昼までにひと山、いや二山は確実に来る気配しかしない。


(まあ、いいか)


手間も後片付けも増える。

静けさは削られるわ、仕事は三倍になるわで損の方が多い……はずだ。


だが、妙に悪くない。


静寂だけでは、人の心はゆっくりと錆びていく。

騒がしさというのは時に風を入れるように、淀んだものを飛ばしてくれることがある。


そんなことを思いながら、竈の火を少し強めた。


――今日の灰庵亭は、どうやらいつも以上に賑やかになりそうだ。


……まったく、落ち着かない。





――昼の仕込みを終えたあと、火を落としたかまどの余熱がまだ残っていた。

湯気の向こうにぼんやりと陽光が差し、木の壁に淡い金色の影を描いている。

フェルミナとライルは外の畑で収穫の真似事をしていて、クレアは裏庭で薪を割っていた。

さっきよりはだいぶ静かだ。

……ようやく、少しだけ息がつける。



それにしても、フェルミナ王女、――彼女がここに来てからというもの、どうしても余計なことを思い出す。

特に――帝都で過ごしていた日々のこと。

もう十年以上も前のはずなのに、あの大理石の回廊を歩く音や鎧の擦れる金属音が、今でも耳の奥で残響する。

“光の都”セレスティア。

あの街の白さは、時に雪よりも冷たかった。



俺が蒼竜騎士団に入ったのは二十五の頃だ。

すでに戦場で鍛えられ、傭兵から帝国の正規軍に招かれた時期だった。

表向きは“光の理を守るための騎士団”という名目だったが、実際の任務の多くは粛清と隠蔽だった。

異教徒の鎮圧、魔導事故の処理、そして、神殿の命に背いた者の抹消。

俺はその矛盾に気づきながらも、当時はただ「秩序を守るためだ」と自分に言い聞かせていた。


皇帝――いや、当時はまだ聖王セント=ルクレティア六世。

あの男の前に初めて出たとき、俺は心の底で寒気を覚えた。


黄金の玉座の上で、彼はまるで光そのものが人の形を取ったような存在に見えた。

温かい微笑みと、完璧な言葉。

けれど、その瞳の奥には一切の温度がなかった。

“光が強すぎる場所には、影すら焼き尽くされる”――あの時、初めてその言葉の意味を知った気がした。


「ゼン・アルヴァリード。

 お前の力は、我が国の盾となるべきだ。

 光の秩序を乱す闇を、断ち切れ。」


その声には逆らえなかった。

いや、逆らう理由すら見つけられなかった。

帝国の理、神の言葉、正義の名――そのすべてが、あの王の口から発せられると“真実”のように聞こえた。

俺はその光に酔っていた。

自分の剣が正義の象徴だと、信じていたんだ。


だが、現場は違った。


“光の秩序”のために斬らされたのは、ただの人間だった。

飢えた村の長、信仰を失った神官、魔導実験の被害者。

彼らが何をしたというのか。

けれど命令は絶対だった。

光の神殿の封印を守るためなら、犠牲は仕方がない――そう教えられてきた。


それでも剣を捨てられなかったのは、あの頃まだ俺が“人を信じていた”からだ。

特に現皇帝ルクレティア七世――当時は王太子だった男に、希望を見ていた。


七世陛下は父とは正反対の人間だった。

冷たい理屈ではなく、人の声を聞こうとする。

俺がまだ蒼竜団の副隊長だった頃、地方で起こった反乱の処理に向かう前、彼が密かに俺のもとを訪れた。


「アルヴァリード将。……どうか、民を斬るな。

 彼らは“光に取り残された者”であって、敵ではない。」


俺はその言葉に驚いた。

そして、初めて“光の帝国にも温もりがある”と思った。

だからこそ、彼に仕えることを選んだ。

蒼竜団を通じて、少しでもこの国の在り方を変えられるかもしれないと信じて。



七世陛下――いや、あの頃の俺にとっては“王太子殿下”だが、

彼について語ろうとすると、不思議と胸の奥がざわつく。

光の帝国にあって、唯一“光を押しつけようとしなかった人”だったからだ。


王宮の人間は例外なく光を語る。

それは義務であり、誇りであり、呪いでもある。

だが七世殿下だけは光を“照らすもの”ではなく、“寄り添うもの”だと考えていた。

その思想は帝都では常に異端で、神官たちからは

「弱い光」「揺らぐ炎」と揶揄されていたほどだ。


初めて彼としっかり言葉を交わしたのは、

蒼竜騎士団が帝都外縁の調査任務から戻った日の夜だった。

任務報告を終え、俺が団舎へ戻ろうとしたとき、

背後から静かに声がかかった。


「……アルヴァリード将。少し、話せるか?」


光ではなく影をまとったような、落ち着いた声だった。

振り返ると、儀礼用の華美な装束ではなく地味な深青のローブ姿の王太子がいた。

周囲に護衛はなく、ただひとり。

王族としては危険すぎる行動だが、彼は常にそれを好んだ。


「あなたの戦い方を見ていた。

 ――斬る前に、必ず間を置くだろう。」


あのとき俺は、胸の奥を見透かされたようで息を呑んだ。


「戦場では“ためらい”は死に直結します。

俺はただ、最善の手を選んでいるだけです」


そう答えると、殿下は静かに首を振った。


「違う。あなたはいつも“斬らずに済む手”を探している。

 私は、それを尊いと思う。」


帝都では光の名のもとに“正義は一つ”と教えられる。

だが彼は、その正義を疑っていた。


「……光とは、ただ照らすだけでは駄目なんです。

 眩しすぎれば、人の影を消してしまう。

 影のない者は、立つ場所を失う。

 私はそれが恐ろしい。」


初めて聞く言葉だった。

光の帝国で、光を恐れる者がいる――その衝撃は大きかった。


以後、殿下はたびたび蒼竜団の訓練場に姿を見せた。

無論、公の視察などではない。

ただ兵たちの声を聞きに来るのだ。

戦場帰りの若い騎士の不満、

下級兵士の疲労、

装備の不備、

街の貧民の状況、

そして、帝国の矛盾。


「国は、民に支えられている。

 だが、民の声は常に高い場所には届かない。

 届かないのなら、聞きに行けばいい。」


そんな当たり前のことを、王族として実践したのは彼だけだった。


ある夜、殿下がふと漏らした言葉を、今でも覚えている。


「私は、父上が恐ろしい。

 あの方は“光の正義”そのものになってしまった。

 正義に疑いを持たない者ほど、残酷になる。」


七世殿下は父王のことを憎んではいなかった。

だが“光という絶対正義”に飲まれていく姿を恐れていた。

彼にとって光とは、導くものではなく――人を狂わせる毒でもあった。


彼の弱さも見てきた。

決断をためらうこともあれば、

自分の言葉が人を救えるのかと悩んで夜更けまで書類に向かうこともあった。

誰も知らない場所で祈っていたことも知っている。


「私は王になる器ではないのかもしれない」と呟いた夜、

その背中は確かに震えていた。

光の帝国の未来を預けられた青年が、

その光の重さに押し潰されそうだった。


だが、俺は思った。


――弱さを知る王こそが、民を救えるのではないか。


強者の言葉には影がない。

だが、弱さを抱いた者の言葉には温もりが宿る。


七世殿下は、まさにその温もりを持った人だった。

俺が帝国に留まり蒼竜団を率いたのは、

“彼の光なら、人を焼かない”と信じたからだ。



……だがその「希望」は、無情にも戦争の火に焼かれて消えていく。


聖王六世が「大陸を統一し、光による平和を」と宣言したとき、

七世陛下は真っ向から反対した。

だが父王の前では、息子であることが最大の罪だった。

彼は王宮の奥に幽閉され、政治から完全に退けられた。


その隙に隣国であるテネブラル皇国が世界経済に台頭し始め、各大陸の情勢はテネブラルを中心に大きな変革期を迎えていく。


俺はその戦いの最前線にいた。

“神の意志”を信じて突き進む同胞たちを守り、そして止めるために剣を振るった。

どちらが正しかったのか、今でもわからない。

だが確かに言えるのは――

あの戦争で、「光」は人を救えなかったということだ。


七世陛下は父の崩御後に即位したものの、帝国はすでに信仰を失い、ただ“形だけの光”を残していた。

彼はそれでも、国を立て直そうとした。

俺を呼び戻そうとしたこともある。

「ゼン、もう一度私の傍に」と。


けれど、俺は断った。

再び帝都に立つ資格はないと思っていたし、何より――もう“光”を信じられなかったからだ。


俺にとって光は、あまりにも多くを焼き尽くしてしまったから。



あの頃の帝国は、確かに“大陸最強”だった。

だがその強さは剣や魔導器の性能じゃない。

恐怖と、光の名を借りた徹底した支配だ。


聖王セント=ルクレティア六世は、表向きは理想の王と呼ばれた。

“大陸を平和へ導く救いの王”――民衆はそう信じていた。

信じざるを得なかったと言った方が正しいかもしれない。

彼は民衆にとっての“希望”そのものだったから。


だが、俺たち騎士団は知っていた。

あの男がどんな方法で“光の平和”を作ろうとしていたのかを。


六世は神の名のもとに、

大陸のすべてを“ルミナの秩序”へ統一すると宣言した。

その言い換えは単純だ。


――帝国に従わぬ者は、すべて敵。


異教徒、学者、反対派、独立派、そして他国。

そのすべてに“闇のレッテル”を貼り、

帝国は各地へ“使徒”と呼ばれる神官部隊と、蒼竜騎士団を派遣した。


俺が覚えている最初の遠征は、

グラシア大陸北部の小さな山岳国家だった。


穏やかで、争いとは無縁の国だと聞いていた。

だが、帝国はそこで「闇の儀式が行われている」という密告を理由に侵攻した。

……今思えば、あれは六世の側近が作った“口実”だ。


俺たちが山を越えたとき、村人たちは武器も持たずに逃げ惑った。

それでも命令は下りた。


「光の名を汚す異端を排除せよ」


俺はその日に“初めて”命令に従わなかった。

村の長老の前に立ちはだかり、味方の剣を受け止めた。

“なぜこの人たちが殺されなければならないのか”

それを上官に問いただした時、返ってきたのはひとつだけだった。


「神がそう望んでいる」


あの瞬間俺は一度だけ、六世の元を離れようと考えた。

だが、俺は下ろした剣をこの指から離すことが結局できなかった。

“正義を名乗る側”にいた自分が、逆に恐ろしくなったからだ。


遠征は続いた。

光の名のもとに国を併合し、文化を奪い、抵抗者を処刑する。

帝国が“光の使徒”と呼ばせた存在たちは、裏では強制改宗、資源徴収、人口移動を行い、地方の文化は次々と塗り潰されていった。


俺が蒼竜騎士団長になった頃には、すでに帝国は“光の支配者”として大陸に恐れられていた。


だが――

人の心は恐怖で統治できても、永遠には支配できない。


反乱は起きた。

あちこちで火種が吹き荒れた。

そのほとんどが“光による圧政”への怒りからだった。


そして六世は焦った。

自分の正義が揺らぎ始めたと感じたのだろう。

あの男は追い詰められれば追い詰められるほど、光を掲げて民を縛ろうとする性質だった。


ある日、六世はこう言い放った。


「闇は滅ぼさねばならぬ。

 光の時代を完成させるために、

 七大陸すべてが神の名のもとに統一されねばならぬのだ」


それはつまり――

“人間が神になろうとする”という宣言だった。


同じ頃、テネブラル皇国が急速に力をつけていた。

交易網の拡張、魔導技術の発展、

そして独自の“暗黒魔術”の体系が世界の注目を集めた。


六世はそれが気に食わなかった。

“自分以外に光を掲げる者”を絶対に許さない男だった。


帝国とテネブラルとの戦端が開かれたのは、その翌年だ。

それは後に“第一大陸衝突”と呼ばれるが、実態はただの侵略だった。


俺たちは帝国の盾として戦った。

理不尽を覆い隠すために、正義を名乗りながら。

守るために剣を振るったはずが、気づけば奪う側になっていた。


最前線では光も闇も関係なかった。

焼け焦げた大地、泣き叫ぶ子供、崩れ落ちる街。

六世が望んだ“光による平和”の結果がこれか――

そう思った瞬間、胸の奥に何かが音を立てて砕けた。


俺はある夜、陣の外で天幕を出て、

血の匂いが染みついた風の中で空を見上げた。

星も月も曇りに隠れて、空は真っ黒で、世界のどこにも光なんてなかった。


そのとき初めて気づいた。


――光を掲げすぎると、人は周りが見えなくなる。

  闇を恐れ、闇を憎み、

  最後には、自分自身の影すら否定する。


六世は、自分の影に負けたんだ。


やがて戦線は膠着し、帝国は疲弊していった。

各地で反乱が相次ぎ、ついに帝都で内乱が起きた。

六世はそれでも“光の奇跡”を叫び続け、側近たちに支えられながら最後まで玉座を離れようとしなかった。


……その結果がどうなったかは、語る必要もない。

混乱の中、六世は突如崩御し、七世陛下が即位した。


だが、もうその頃には、

帝国の光は完全に“形だけ”になっていた。






……ふと、厨房の窓から差し込む光を見上げた。

昔は、この色が好きだった。

だが今は、あの頃ほど眩しく感じない。

代わりに薪の火や、人の声の方がずっと温かい。


帝国の皇族は、みな“光をどう扱うか”で生き方が決まる。

レグルス殿下は光を武器に変え、

フレイン殿下は光を貨幣に換え、

カシアン殿下は光を影に埋めた。

だがフェルミナ――あの娘だけは違う。

あの子は、光を“人のために使おう”とする。

それがたとえ拙くても、泥だらけでも、まっすぐすぎて痛いほどに。


あの父と兄たちの血を引きながら、

“誰かを照らすより、寄り添おう”とする王族がいること。

それは、俺にとって救いなのかもしれない。


帝国を去ったあの日、俺は「もう誰の剣にもならない」と決めた。

だがあの子を見ていると、――もし光が再び人の手に戻るなら、今度は“守るための光”であってほしいと心のどこかで願ってしまう。


竈に手をかざし、残り火を確かめる。

小さく赤く、まだ燃えている。

灰の中でわずかに輝くその火種を見て、俺はぽつりと呟いた。


「……陛下、あんたの娘は、ちゃんと生きてるよ」


風が山を抜け、木の葉を揺らす。

外からフェルミナの笑い声が聞こえた。

それは帝都の鐘よりもずっと遠く、けれど確かに――

この世界の“光”だった。

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