表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
148/197

第110話 影走機構陣



ここで一度話を戻そう。


黒衣霧装を発動したクレアの一撃がゼンを吹き飛ばしたあの一瞬、——あの場面に一度視点を移す必要がある。


なぜならばクレアの「黒衣霧装」は闇属性というもっとも扱いの難しい領域の純粋な応用形であり、その理解には属性と系統の基礎知識が不可欠だからだ。


────────────────────────


◆1.属性(Attributes)


――魔力の性質を規定する“根源的傾向”

────────────────────────


魔導核は固有の属性を持つ。

七属性は、それぞれ特異な霊素構造を持ち、

術式の出力・挙動・干渉力のすべてを決定する。


火、水、風、雷、岩、光――

そして最後が 闇属性(Dark Attribute)である。


闇属性は一般に以下の性質で知られる。


【闇属性の中核特性】

・吸収

・逆位相干渉

妨害ディストーション

・精神作用

・封印・呪術・記憶操作


もっとも誤解されやすい点だが、

闇属性は“攻撃的”ではなく“情報的”な属性である。

光属性が「秩序と整合」を司るなら、

闇属性はその裏側――「揺らぎと不整合」を扱う。


つまり闇属性の本質は

“情報の扱いそのもの”にある。


────────────────────────


◆2.霊素(Elemental Essence)


――魔導核の生成する“魔力粒子”

────────────────────────


闇霊素ダークエッセンスは、

光霊素に比べて出力性では劣るが、

その代わり“情報密度に干渉する特性”を持つ。


闇霊素の代表的作用には以下がある:


・“感情”や“思考”に伴う魔力波の吸収

・術式構造の乱調(妨害)

・精神波形のずらし(催眠・幻惑)

・記憶領域のゆらぎ誘発


これらはすべて、

世界が知覚・維持する“情報”に干渉する力だ。


したがって、

「情報削減」というクレアの黒衣霧装の特性は、

闇属性の中核作用――吸収・干渉・精神作用――の

“身体内部への応用技術”として成立している。


────────────────────────


◆3.系統(System Types)


――“魔力の使い方”の分類

────────────────────────


八系統のうち、

クレアの黒衣霧装が属するのは 強化系エンハンサー


しかし、闇属性で強化系を扱う例は珍しい。

闇霊素は本来“外部への妨害”や“精神操作”に向いており、筋力増強にも速度増幅にも向かないからだ。


にもかかわらず、彼女の黒衣霧装が成立する理由は単純である。


闇霊素の 「吸収」 と

闇霊素の 「精神干渉」 を

肉体内部の“情報処理”に反転させているからだ。


すなわち:


・余分な情報を“吸収”し

・肉体の認識を“鈍らせる”ことで

→ 身体そのものの制約を外す


という逆転発想である。


これにより、

筋力そのものは強化されなくとも、

脳の安全装置が外れ、動作限界が跳ね上がる。


黒衣霧装は闇属性の根本性質を

“妨害”ではなく“強化”へ転用した、

例外的な技術体系である。


────────────────────────


◆4.共鳴系(Resonance System)との対比


────────────────────────


共鳴系とは、

カイの《雷連共振》や

ヴァインの視界干渉のように、


他者・術式・周波数に“同調”する能力体系である。


雷霊素は振動性が高いため共鳴しやすく、

光霊素は情報整合によって“補正共鳴”を起こしやすい。


一方――


闇属性は“逆位相干渉”を得意とする。

つまり共鳴ではなく “非共鳴” が基本だ。


クレアの黒衣霧装は、

これを極限まで突き詰めた結果――


外界との同調を切り、

世界との接続情報を遮断し、

“ひとりだけ別の周波数で動く身体”を作る。


共鳴の対極に位置する強化術。

これが黒衣霧装の本質である。


────────────────────────


◆5.体系外――ゼンとの差異


────────────────────────


ゼンの《灰式》は闇属性ではない。

むしろ属性そのものを持たない零位座標。


彼の能力は外界との“情報接続”を断つのではなく、


相手の“魔力情報そのもの”を読み、流し、空白に還元する。


闇属性の“削減”ではなく、存在位相の“無化”に近い。


黒衣霧装は闇属性の応用にすぎないが、灰式は体系そのものの外側にある。


────────────────────────


◆6.現在の戦況への反映


────────────────────────


以上の理論を踏まえれば、

クレアの一撃がゼンを後方へ押し返した理由は明白だ。


黒衣霧装による“情報消失”は、

肉体の動作制限を外すことに加え――


闇霊素の逆位相干渉が

ゼンとの“気配読みの接続”を断ち、

一瞬だけゼンの「読み」を鈍らせた。


ゼン自身が、

“そこにあるはずの情報”を認識できなかったのだ。


結果としてクレアの一撃はゼンのガードを成立させながらも、彼を後方へ吹き飛ばすだけの慣性を生み出した。


防御の技量で負けたわけではない。

“情報構造の地形”が一瞬だけ変わったのである。





石畳に散った黒衣の霧片が、淡く揺れていた。


闇霊素の圧はまだ完全に消えていない。

黒衣霧装の核がクレアの身体の深部で静かに脈動し、あたかも第二の心臓のように“存在の揺らぎ”を送り出していた。


ゼンの言葉――

「まだ、お前の刃は“意図”を捨て切れていない」

それは単なる技術批評ではなく、

クレアという戦士の“根幹構造”そのものを貫く言葉だった。


ゆえに。


(……次で、示す)


クレアはゆっくりと立ち上がる。

黒衣の膜は外へ散ったはずなのに、深部ではむしろ 濃さを増していた。

黒衣霧装・第二波――その奥に潜むのは“ただの強化”ではない。


それは――

身体という器を超え、空間との関係そのものを変換する段階。


(団長に、私の“今”を見せる)


ゼンの灰式は、黒衣霧装第二波の斬撃を“剣ではなく概念として受け流した”。

であれば、力を増すだけでは届かない。


必要なのは、“戦士としての自分”を丸ごと“外へ出す”こと。


クレアは双牙を静かに持ち上げた。

刃先に黒衣霧装の残滓が淡く絡み、霧片が糸のように揺らぐ。


ゼンは目を細めた。

ただそれだけで、空気に走る緊張が変わる。


(……まだ霧装は解けていない。だが、これは……?)


周囲の風が止む。

霧の名残はゆっくりと空へ吸い込まれ、

世界の“奥行き”がわずかに沈む。


その沈みの中心にいるのは、ただひとり。


胸の奥――魔導核が、微細に震えた。

闇霊素とは違う霊素が細い光のように混ざっていく。


ゼンの眉がわずかに動く。


(……風霊素……? いや、“混ざって”いるだと?)


クレアは静かに息を吐く。

その呼吸に合わせ、影が薄く揺れた。


王宮護衛として働く中、クレアは“闇”だけでは到達できない領域に挑んできた。

その中でほんのわずかに、風属性の霊素を扱う手法を身につけていた。


本来彼女の適性にはない霊素だ。

だが影走りを極める過程で、どうしても“速度変換”と“位相滑走”という概念が必要になった。


今それが黒衣霧装の深部に食い込み、

闇霊素の“情報削減”と

風霊素の“加速調律”が絡み合っていく。


その瞬間――

空間の表面がふるり、と震えた。


影ではない。

霊素でもない。


これは、術者の“内側の法則”が外界へ滲み始めた時だけに起きる、極めて特異な初期現象。


ゼンの背筋がわずかに粟立った。


(……まさか……)


風と闇の霊素が混ざるだけでは起きない。

これは――


“外界と術者の境界が曖昧になる前兆”。


ゼンは知っていた。

ただし、本来クレアが到達できるはずの段階ではない。

少なくとも“七年で辿れる領域”では、絶対に。


空気が沈む。

霊素が歪む。

影が立ち上がる。


クレアの魔脈が、深部でゆっくりと開いていく。


ゼンは木刀を握る手に、ほんのわずかに力を込めていた。


(……やはり、これは……)


確信に近い予感が胸を貫く。

クレアの動きでも、霊素でもなく、

“世界の構造”の方が揺らぎ始めていた。


ゼンは低く言葉を落とす。


「……クレア。お前、それを……会得しているのか?」


「はい」


返事は淡々としているのに、胸の奥には燃えるような硬さが宿る。


黒衣霧装の圧が一気に膨張し、

影が――立ち上がった。


いや、影の“形をした空間の欠損”が、地面の上に立った。


風霊素がその縁をすくい、狭間の空気がシャッ、と高周波で擦れる。


ゼンは見誤らない。


これはただの強化でも、隠密の延長でもない。


術者の“内の世界”が、外界へ染み出し始めている。

その領域に踏み込める者は極めて少ない。


驚きとわずかな誇らしさ。

刹那、その両方がゼンの胸に重なった。


クレアは双牙を胸の前で交差させ、

深く沈むように、ひとつ呟いた。



「綻べ、無響の縫い目 (むきょうのぬいめ)――」



その呟きはまだ名を持たない。

だが確かに、世界の構造が変質し始めていた。


── この先に “展開術式” がある。


そしてクレアは、それを“開こう”としていた。




展開術式てんかいじゅつしき


それは術式体系の最終段階であり、

単純な魔法・技術・強化といった枠を超えた“別格の技法”である。


魔導核が生む霊素は、本来術者の肉体や武器に宿し、

「速度」「火力」「治癒」「防御」「感知」などの形に転換される。


だが――


展開術式は、その延長線上にはない。


術者の “内側にある原理” が外界へ溢れ出る技。

霊素を操作する段階から、“法則”を操作する段階へ移行する。


理解しやすく言うなら、こうだ。


◆ 通常の術式

 → 世界に存在する自然法則を利用する技。

◆ 展開術式

 → 術者の内部に宿る“世界観そのもの”を、外界に提示する技。


つまり展開術式とは、


「術者自身の世界を一時的に現実へ上書きする行為」

なのである。


展開術式を使える者は、全世界でもひどく少ない。


理由は単純だ。


霊素操作の熟練、魔脈の拡張、魔導核の制御――

それらは“入口”にすぎない。


最も難しいのは、


自分という存在を “ひとつの法則” として確立すること。


剣士なら剣。

僧侶なら祈り。

魔導師なら術理。

暗殺者なら影。


術者それぞれの“生き方”そのものが、展開術式の根源となる。


その「事象」は突如として現れるわけではない。


発動直前には、必ず“世界の側”に兆しが走る。


それは気配や霊素ではなく、

空気の密度、光の屈折、音の届き方――

世界の感覚そのものが揺らぎ始める。


ゼンが最初に感じ取ったのも、クレアの魔力ではなかった。


“世界そのものが、クレアを中心に沈む感覚”。


これは極めてわずかな魔導核の震え、

霊素の配列変動、魔脈の開放――

それらが引き金となって発生する。


展開術式とは、術者が自身の“内的世界”を外へ提示する行為。


だからこそ、その発動前には必ず――


“外界と術者の境界が曖昧になる”。


クレアの周囲で起きた揺らぎは、まさにその証だった。




────────────────────────


【展開術式】


影走機構陣えいそう きこうじん


────────────────────────



彼女が放った詠唱とともに、世界が一段――軋む。


音ではない。

光でもない。

ただ“存在そのものの圧力”が、石畳の上で形を変えた。



瞬間、世界が――沈んだ。


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 “影が反転する”

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


光源の位置も、角度も、強度も変わっていない。

ただ影だけが、物理法則を裏切るように“持ち上がった”。


影は地面ではなく“空中に貼り付いた面”。

その平面が立体的に折り畳まれ、

まるで無数の“影の板”が空間を形作る。


ゼンがゆっくりと息を吐く。



「……これが、クレアの…」



黒衣の霧が、辺り一面へと静かに散っていった。


しかしそれは霧などではない。

黒とも白ともつかない――“黒の奥に潜む透明”。

光を吸うのではなく、光の存在理由そのものを曖昧にする粒子。


空気の表面を撫でるように揺れ、世界の裏側から滲み出た“影の粒子”が静かに舞い落ちる。


その瞬間、音が止んだ。


止んだという表現さえ不十分だった。

耳が聞こえないのではない。

空気が振動することをやめたのだ。


世界が沈黙した。


石畳の上の霧が、

鳥の声が、

風の流れが――


“影に吸われていく”。


クレアの呼吸が消える。

足音も気配も、温度差すらも――

すべてが“影の奥”へ沈んだ。


影が走る?


違う。


影の“走路そのもの”が作られていく。


地面に落ちるはずの影が、石畳からふわりと“持ち上がった”。


光は変わらない。

角度も距離も強度も変化していない。


影だけが、物理法則を裏切るように――


浮き、

折れ、

重なり、

空間へ刺さる。


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

  “世界が影によって、裏返されていく”

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


木々の影が逆向きに揺れ、空へ伸びる。

石畳の影は地面を離れ、立体の板となって宙に漂う。

影同士が重なり、結び合い、ほどけ、

複雑な幾何学の“黒のみち”を編んでいく。


空間が組み替えられていた。


ゼンはゆっくりと息を吐く。


(……空間位相の再配列。これは――)


世界が二層化している。

“表の空間”と“影の空間”が重なり、

クレアだけがその両方を自由に踏める。


展開術式 《影走機構陣》。


これはただの強化ではない。

術者が自らの属性、哲学、霊素制御を

空間そのものへ書き込む技――

魔導核の究極の表現形。


クレアの世界が、今この場に“展開”されている。


ゼンは視界の乱れを皮膚で感じた。


距離が収束し、

広くなり、

伸び、

縮み、

また収束する。


空気の密度が一定ではない。

影の反射角が正しくない。

そして何より――


“クレアの位置情報が、世界から削れている”。


(……なるほど。これは厄介だな)


声は穏やかだが、僅かな興味と鋭い観察が滲み出る。


影が跳ね、

影が這い、

影が笑うように揺れる。


一つ、また一つと

黒衣の霧が霧散を終えた瞬間――


クレアが、

世界から 消えた。


否。


“影の反転走路”へ滑り落ちたのだ。


影板が音もなく折れ曲がり、

その境界の向こう側から、

ひと筋の気配が走る。


ゼンの前で、影が揺らめいた。


「……来い」


その声に、

影が一斉に震える。


影の走路が三方向へ伸びる。

上へ、横へ、背後へ。

あり得ない角度で繋ぎ目なく伸びる黒の線が、

空間そのものを塗り替えていく。


そして――影が走った。


空間の裏側を、

空気の断層を、

“次の瞬間の位置”を縫うように。


クレアがその中から現れた。


声もなく。

予兆もなく。

速度でも音でもなく。


ただ“存在の縁だけ”が走っていく。


影が凝縮し、刃の形をとった。


黒でも、闇でも、風でもない。


――影そのものが、“剣”になっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ