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第105話 ゼン様と…………共同生活!?


挿絵(By みてみん)




暖炉の薪が、ぱちん、と乾いた音を立てて爆ぜた。


その音にフェルミナは小さく目を瞬かせる。


炎の明かりが壁を淡く照らし、ゆらゆらと木の梁を揺らしている。

焚き火の熱はすでに部屋全体に行き渡っていたが、不思議と空気が重く感じられるのは、フェルミナの胸の内が静かに波立っているからだった。


毛布を抱きしめるように身体を丸め、ふと視線を横に向ける。


クレアは窓辺に腰をかけ、膝に膝掛けをかけたまま外の霧を眺めていた。


その姿は静かで凛としたものだったが、どこか見守るような優しさも感じさせる。


フェルミナはしばし迷った末、そっと声をかけた。


「……ねぇ、クレア」


「はい、なんでしょう」


「……わたし、これから……どうしたらいいと思う?」


焚き火の音が、またひとつ弾けた。


その音を遮ることなく、フェルミナはぽつりぽつりと続けた。


「……こうして今夜、ここにいさせてもらってるけど……。でも、ずっとここに居座るわけにはいかないって、頭ではわかってるの」


クレアは黙って耳を傾けていた。


フェルミナは自分の手元を見つめながら、言葉を紡ぐ。


「急に押しかけて、ゼン様の生活に入り込んで……こんなの、迷惑以外の何ものでもないって、普通に考えればわかるはずなのに……」


彼女の声が少しだけ震える。


「でも……戻りたくないの。王宮には……」


ぴたりと止まる言葉。


けれどその沈黙の中に、フェルミナの心の本音が確かに滲んでいた。


“王宮には戻りたくない”


ほんのわずか、それだけを口にしたつもりだった。

だがその短い言葉の奥には、彼女が決して声に出せなかった千の理由が渦巻いていた。


王宮は確かに美しかった。

光の大聖堂の鐘は毎日規律正しく鳴り響き、人々は整然と祈りを捧げ、廊下は磨き上げられた白石で満たされていた。

ひとつひとつが絵のようで、どこへ行っても秩序と清らかさが支配している――表向きは。


けれどフェルミナにとって、それらは“息ができないほどの透明な檻”だった。


誰もが正しい言葉しか話さず、誰もが礼儀正しく、誰もが優しい顔をして――

その実、心の奥では計算と打算が渦巻いている。

王族として育った彼女には、その裏の温度差が痛いほど分かっていた。


(――笑う相手が本当にわたしを見て笑っているわけじゃないって……いつから気づいたんだっけ?)


幼い頃は気づかなかった。

病弱で部屋に閉じ込められていた頃、窓の外から見える王宮の世界はただ輝いて見えた。

けれど大きくなるにつれて、人の視線が“わたし”ではなく、“第七王女フェルミナ”という肩書きに向いていることが分かってしまった。


何を着ても評価される。

どこへ行っても見られる。

息をつくたびに礼儀を求められ、言葉を発するたびに“王女としての正しさ”を問われる。


そして――

婚約が決まったあの日。

彼女の胸に最後の一滴が落ちた。


「あなたは“光の象徴”ですから」

「あなたの笑顔ひとつで外交の風向きが変わるのですよ」

「国のために、自分のために、がんばりましょう?」


彼らは悪意があったわけじゃない。

皆“正しいこと”を言っていた。

帝国の未来のため、平和のため、調和のため――

その“正しさ”に、いつも彼女は押しつぶされそうだった。


(正しいって……何?

わたしの気持ちは、ずっとどこかに置き去りのままなのに……)


婚約発表の直前、王宮は慌ただしくなった。

侍女たちは彼女の衣装を選び、儀礼官はスピーチを用意し、影部隊は裏で監視網を固めていた。


「末姫として、帝国を繋ぐ象徴になってください」


象徴。

光。

聖女。

王女。

役割。

立場。

期待。


そのどれにも“フェルミナ”という少女自身は存在しなかった。

ただのひとりの女の子の「好き」も「嫌い」も、「会いたい人」も「怖いこと」も――全部、“帝国の利益”の下に押し込められる。


(王宮に戻れば……わたしは、わたしじゃなくなる)


だから逃げた。

“間違っている”ことは分かっていた。

“わがまま”なのも分かっていた。

でも――


(……わたしはただ、ちゃんと生きてるって感じたかった)


窓の外の空気を、自分で吸い込みたかった。

歩く道を自分で選びたかった。

誰かに決められた未来じゃなく、自分の足で選んだ未来を掴みたかった。


そして――


(ゼン様に……会いたかった)


幼い日の憧れ。

けれどそれはもう“子供の頃の夢”なんかじゃない。

あのとき彼が見せた“自由な背中”の意味を、今のフェルミナは痛いほど理解している。


(……あの人みたいに、誰にも縛られずに……

自分で自分を選ぶ生き方を一度でいいから、してみたかったんだ……)


胸の奥でふつふつと湧く想いを抱きしめるように、フェルミナは毛布をぎゅっと握った。


(でも――戻ったら、きっと全部……またなくなっちゃうんだよね…)


王宮の扉をくぐった瞬間に自分の“本心”はまた置き去りになる。

誰のためでもない“わたし自身の願い”を、また封じ込めてしまう。


だから――


「誰も悪くないってわかってる。宮廷だって、私の立場だって。きっと全部、“正しい”ことなんだと思う。……でも、それでも私は……」


焚き火の明かりが、彼女の頬にわずかに反射する。


「どうしても、ゼン様に会いたかったの。追い返されるとしても、せめてひと目だけでも見て、自分の気持ちに正直でいたかったの」


膝の上に乗せた手を、フェルミナはそっと握りしめた。


「……わかってる。わたし、すごくわがままなことしてる。でも……」


その先が言葉にならないまま、息が小さく滲む。


クレアは立ち上がると、静かにフェルミナの前まで歩み寄り、焚き火の反対側に腰を下ろした。


彼女の瞳はいつものように落ち着いていて、けれどどこか、姉のようなぬくもりがあった。


「ミナ様。あなたがここに来た理由に、わがままの一言で片づけられるものはないと思います」


フェルミナは、少し驚いた顔を向けた。


クレアはその視線を受け止めながら続けた。


「人は、立場や責任で動くこともあれば、感情で動くこともあります。どちらが正しくて、どちらが間違いかはすぐには決められません。ただ――」


「……ただ?」


「正直であろうとしたその気持ちだけは、無価値にはなりません」


その一言が、フェルミナの胸の奥にすっと染み入る。


「……ありがとう、クレア」


小さな声で、でも確かに言葉にしてフェルミナは笑った。


でもその笑顔の奥には、まだ消えない不安がわずかに残っていた。


フェルミナの胸を締めつけていた不安は、決して今日だけのものではない。

それは、ここに来るよりずっと前――クレアと出会うよりもずっと前から抱え続けてきたものだった。


(……クレアは、どう思ってるんだろう。こんなわたしを)


視線を落としたままそっと彼女の横顔を盗み見る。

クレアは変わらず穏やかに火の揺れを見つめていた。

戦いの技術と冷静な判断力を備えながら、こうして寄り添ってくれる優しさも持っている――そんな彼女は、いつしかフェルミナにとって他の誰とも違う特別な存在になっていた。


(……初めて会った時は、本当に怖かったのに)


五年前のこと。

フェルミナが宮廷で一番孤独だった頃――ちょうど政務教育が本格化し、兄姉たちとの距離が広がった時期だ。

周囲の大人たちは彼女に期待ばかりを押しつけ、優しい言葉すら“義務”の気配を帯びていた。


そのとき、父である聖皇に頼み込んだ。


「……ゼン様の弟子を、わたしの側に置いてください」


幼いながらに必死だった。

ゼンが帝国を去った後でも、彼の名前だけがフェルミナを支える唯一の拠り所だったから。

そして“弟子”という存在は、彼女にとって唯一“本物のゼン”につながる人物に思えた。


周囲は反対した。

地下孤児街出身の子供を王族の近くに置くなど前例がなく、危険視する声も多かった。

だが蒼竜騎士団での実績と、若くして異常な戦闘センスを持ったクレアの将来性が高く評価され、最終的に彼女はフェルミナの直属の侍女兼護衛として採用された。


最初の印象――

冷たく、無口で、まるで人形のような少女だった。


目を合わせても何の感情も読み取れず、必要最低限の言葉しか返さない。

フェルミナは怯えこそしなかったが、距離の取り方が分からなかった。


けれど、ある日のこと。


政務教育の一環で、外交儀礼の訓練を受けていたとき。

フェルミナは緊張のあまり失敗し、周囲の大人たちに厳しく叱られた。

胸が潰れそうで涙がこぼれそうになった時――


「ミナ様は、よくできていました」


ぽつりと、クレアが言った。

表情はやはり固いままだったが、その声には確かな温度があった。


「……クレア」


「間違えたのは、練習の順番だけです。落ち着いてやれば、次はできます」


その一言が、どれほど救いになったか。

あの瞬間、フェルミナは初めて“自分を見てくれる人がいる”と感じた。


その日から少しずつ、彼女たちの距離は縮まっていった。


ミナが迷えばクレアが導き、

ミナが失敗すればクレアが支え、

ミナが泣きそうになれば、黙って横に立ってくれた。


いつの間にか、フェルミナは彼女に何でも話すようになり、

クレアもまた――ミナの前だけでは僅かに表情を和らげるようになった。


(……だからクレアは、わたしの“姉”みたいで……

 でも、友達みたいでもあって……)


王宮で“本音を話せる唯一の相手”。

だからこそ、今回の逃亡にも迷わず彼女を選んだのだし、クレアも彼女の願いを否定せずに隣に立ってくれた。


(……そんなクレアに、こんな迷惑をかけてるなんて……)


胸の奥がじくじくと痛んだ。

フェルミナは唇を噛む。


「……クレアはさ。わたしのわがままに、ずっと付き合ってるよね」


ぽつりと零れたその言葉に、クレアは瞬き一つせず答えた。


「わがままだとは思っていません」


「でも――」


「ミナ様が何を選び、どう生きたいか……それを見守るのは、私の役目です」


そう言い切るクレアの声には、迷いがなかった。

彼女にとってそれは“仕事”であり、同時に“自分の意志”なのだ。


「それに……」


クレアは少しだけ視線を落とし、部屋の奥の灯りを見るように静かに言った。


「ミナ様が笑ってくれるなら、それで十分です」


フェルミナの胸がぎゅうっと締めつけられた。


(……こんなの……涙、出るに決まってるじゃん……)


けれど泣くわけにはいかない。

泣いたら本当に子供みたいになってしまうから。


「……ほんと、ずるいよ。クレアって」


小さく笑うと、クレアもほんのわずかに口元を緩めた。

それだけで、この狭い部屋の空気が少しあたたかく感じられた。


――でも、あたたかさは長く続かない。


不安は消えていなかったからだ。


(……でも、明日になったら……どうしよう)


今日だけなら、まだいい。

運が良かっただけ。

勢いでここまで来て、勢いでゼンに会って、勢いで泊めてもらって。


けれど。


明日は?

明後日は?

その先は?


この場所に――

ゼン様のそばに――


今日一日が夢のようだった。


けれど夜が明ければ、現実がまた始まる。


この場所に、彼のそばに“居続ける理由”を――自分は持っていない。


そしてそれが胸を締めつけるような不安となって、フェルミナの心を静かに占めていた。



灰庵亭の客間には、山の静けさが優しく降りていた。

外は霧が深く風がゆっくりと木々を揺らし、まるで世界そのものが眠っているようだった。


フェルミナは布団に潜り込み、胸の上に手を置いたままなぜか全身がぽかぽかと熱くて眠れなかった。


(……だって……今日、あんなに話しちゃったし……

ゼン様の横顔、近かったし……

“逃げたくなる時は誰にでもある”ってあの言葉……あれ、絶対優しさの塊でしょ……?)


胸の奥がドクドクうるさい。


(いや……落ち着けフェルミナ・ルクレティア……!

わたしはただ山に観光に来ただけ……観光……観光……

でも観光にしては心臓がうるさい……観光なのに……!!)


もはや「観光」という言葉の意味が分からなくなっていた。


彼女は布団の中でごろりと転がる。


(……もし、もし……

 もしわたしが、ここにずっと居てもよくて……

 そして、ずっと一緒に暮らせたりしたら……)


そこまで考えた瞬間、顔が真っ赤になって悶えた。


(だめだめだめだめ! 妄想しちゃだめ!!

だって、ゼン様はわたしのこと子供扱いしてるし……

それに……その……夫婦生活とか……)


言葉にした瞬間、頭の中で何かが弾けた。


(……どうしよう……どうすればいいの……?)


クレアの温かいまなざしに背中を押されながらも、不安は尽きない。

ゼン様は優しい。けれど同時に彼はあまりにも“澄んでいる”。

深い湖の底みたいに、覗き込んだら自分ごと吸い込まれてしまいそうで……。


(――もし、わたしが……ここに“居てもいい”理由を見つけられたら……?)


胸の奥に、ちいさな火種みたいな期待がふっと灯った。


(ここで働くとか? 住み込みとか……? い、いやいやいや、王女がそんな……

でもゼン様なら“働くなら別に構わん”って言いそうだし……

というか、もし、もしも……ずっとここにいられたら……?)


ここで生活する。


つまり――


(……ゼン様と…………共同生活!?)


完全に行き過ぎた未来予測が、脳内で爆発的に広がった。


あ、やばい。

これはいけないやつ。

もう止まらないやつ。


(おちおち寝てられない……でも寝たい……でも想像が暴走する……)


そう思っていたら、フェルミナの瞼はいつのまにか重くなり、焚き火の暖かさと共にふっと意識がとけていった。



──気づけばそこは灰庵亭の台所だった。




***




「ミナ、朝飯できたぞー」


まるで雲の切れ間から朝日が差し込むように、

ひょい、と台所の引き戸が開き――

そこに立っていたのは、エプロン姿のゼンだった。


エプロン姿の。

エプロン姿の。

(※大事なので二回脳内で繰り返された)


いつもより袖をまくり上げ、筋張った前腕が覗き、

首元には小さなタオルが無造作に掛けられ、

片手には菜箸、片手には湯気の立つ鍋。


生活感が、彼の周囲にほわほわと漂っていた。


(なっ……なっ……!?

 ぜ、ゼン様が……エプロン……!?

 いや似合う、似合うけど!! でも!!)


フェルミナは目をこすり、夢か現実か分からぬまま周囲を見渡す。


木のテーブル。

薬草の香り。

湯気の立つ鍋と、焼き魚の匂い。

どう見ても灰庵亭の朝の光景。


しかし、明らかにおかしいのは――


「…………え、エプロン……!? わ、わたしも……着てる!? しかも……ゼン様の……!?」


腰を見下ろすと、ぶかぶかのエプロンが巻かれていた。

サイズは完全に彼基準。

歩けば裾を踏み、胸元の刺繍は見覚えのある字体で、


《灰庵亭》


としっかり縫われていた。


(あぁぁぁぁぁ……! この字、ゼン様……!!

 なにこの夫婦感……!? 朝から強すぎる……ッ!)


フェルミナが混乱していると、ゼンが近づいてくる。


「おい、紐緩んでるぞ。転ぶ」


「ひぇっ……!? あ、あの……その……!」


あまりに距離が近くて、フェルミナの脳はとっくに沸騰している。

ゼンは落ち着いた仕草で屈み込み、フェルミナの腰に手を回し――


キュッ、とエプロンの紐を結び直した。


指がほんの少し触れただけで、フェルミナの背中はぴん、と跳ねる。


(ち、ちかいちかいちかいちかい!!

 な、なにこのスキンシップ!?

 こんなの夫婦とか……恋人でもやらないとこだよ!?

 え、もしかしてこれは……新婚……!?)


「……はい、これでよし」


「ひゃ……っ、あ、ありがとうございます……!」


声が妙に甘くなったのは、本人も自覚していた。


ゼンは気にする様子もなく鍋に向かい、箸で味噌を溶きながら言う。


「今日は味噌スープな。合わせ味噌のほうが、お前は好きだろ?」


「す、好き……!? わ、わたしの好み……知ってるんですか……!?」


「毎日作ってるんだから、覚えるに決まってるだろ」


毎日。


毎日。


毎…日…


(ま、まままま毎日って……!?

ちょ、共同生活!?

それってもう……結婚してるのでは!?

え、結婚してるの!?

わたし夢の中で結婚してるの!? やったの!?(※語彙崩壊))


脳内で祝砲が鳴り響く。


ゼンはスプーンを差し出した。


「ほら、味見しろ」


フェルミナは“あーん”されるかと思ったが、普通に手渡された。


(……リアルだなぁぁぁぁああ!!

いやちょっとくらい“あーん”してくれてもいいのに!!

でもゼン様ってそういう人じゃないのがまた……いい……!!!)


スプーンをふうふうと冷まして飲む。


「おいしい……!」


「そりゃよかった。干物も焼くから、テーブル拭いといてくれ」


「は、はいっ!」


台所に立つゼンの背中は、とんでもない安心感を放っていた。

あぁ、なんというか……“家庭の背中”というやつだ。


(な、なんか……こういうの……すごく……いい……っ!)


胸がぎゅううっと熱を帯びる。


すると突然、ゼンが後ろから声をかけた。


「ミナ、ほら。髪、寝癖ついてる」


「ひゃあっ!?」


ゼンが背後にまわり、指先でフェルミナの髪を軽く整える。


ふわり、と髪が揺れ、首筋に微かな指の温度が残る。


(ちょ、ちょっとぉぉぉ!

な、なにこの夫婦らしさ!!

夫婦でも朝からこんな自然に触れてこないでしょ!?

ゼン様!! あなたどれだけ生活力高いの!!)


「まったく、子供の頃から寝癖は変わらんな」


「こ、子供!? わ、わたし、もう二十歳ですけどっ!?」


「二十歳でも寝癖は寝癖だろ」


ぽん、と優しく頭を叩かれる。


その瞬間、フェルミナの理性は完全に機能停止した。

あまりの破壊力に、もはや語彙は三歳児レベルにまで退行している。


そして――

その“追い討ち”はまったく前触れなく訪れた。


「お父さーん! ごはんの匂いするー!」


「「え?」」


二人が同時に振り返ると――

そこには見知らぬ小さな男の子が立っていた。


フェルミナ色の柔らかな髪。

ゼンのような澄んだ蒼灰の瞳。

頬はもちもち、笑顔は天使。


(えっ!? ちょっ……この子だれ!?

え……えええ!? わたしとゼン様の……!?

いやいやいや突飛すぎるでしょ……でも似てる……似すぎてる……!!)


少年は満面の笑みで二人のもとへ駆け寄り――


「お父さん! お母さん! 今日のお魚なに!?」



…お、お、お………お母…さん……?


……お母さん…?


……お母さんってまさか……



フェルミナの精神が真っ白になる。


「お、おか……お母さん!? わ、わたしが!? 母!? 母なの!?」


ゼン「走るな。滑るぞ」


(普通に受け止めたぁぁぁぁぁあああ!!

ゼン様!! 自然に“父”ムーブしてる!!

え、これどんな夢!? 最高すぎるんですけど!!)


少年はそのままフェルミナの手をぎゅっと握った。


「お母さんのスープ、ぼくだーいすき!」


フェルミナ(うわあああああああああああああ!!!!!)


理性終了。


頬は真っ赤、目はうるうる、呼吸は荒い。

完全に幸せのキャパシティを超えた。


そして――

現実世界のフェルミナは、


「む、むにゃ……ふ、ふふ……お、お父さん……?

お母さん……って……わ、わたし……?」


と幸せそうに寝言を漏らし、頬にうっすら涙すら浮かべていた。




***



――現実。


「プロポーズ……ふ、ふえる……お嫁……ふへぇ……」


ゴロゴロ暴れるフェルミナの寝言を聞きながら、

クレアは無表情のまま額に手を当てていた。


(……これは明日も混乱しそうですね)


その裏で、客間の襖越しにゼンが一言だけ言った。


「……なんだこの騒音は。山に獣でも来たか?」


クレアは少し間を置き、静かに答えた。


「……いえ。王女様が“幸せな夢”を見ているだけです」


ゼンは「そうか」とだけ答え、去っていった。


フェルミナは布団の中で、夢の続きを見ながら頬を緩めていた。


(……ゼン様……夫婦農業デート……また……したい……むにゃ……)

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