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第95話 ゼン様のいる場所が……いよいよ近いんだ



レヴの蹄が、乾いた道を一定のリズムで叩く。

そのたびに風が頬へふわりと触れ、草の匂いが流れ込んでくる。


陽光はすでに高く昇り、丘陵の影をすっかり溶かしていた。

けれど森の中とは違う。空気にはわずかに冷たさが混じり始めている。


――山が近づいている証拠だ。


「クレア……さっきから、ちょっと寒くなってきたね」


「標高が上がっていますから。この先、風が急に強くなるはずです」


クレアは短く答え、背負っている外套を少し整えた。

その仕草がいつものように迷いがなくて、思わず見惚れてしまう。


(ほんと……旅慣れてるなぁ。わたしなんか、さっきから外套がずり落ちそうで……)


そんなことを考えていたら、前方の地形が急に変わり始めた。


森を抜けた先に広がっていたのは、どこまでも続く灰青色の岩原――

サンロア高原帯だった。


丘陵の柔らかい曲線は途切れ、代わりに大地がむき出しの岩板へと変わる。

岩肌には斜めに走る白線――古い地殻変動の痕跡が刻まれていて、その白が陽光に反射してきらりと光る。


風は森より強く、吹くたびに外套がはためいた。



サンロア高原帯――


ルミナ高原の北東部に広がる、標高1600〜2000メートルの岩原地帯。

帝都セレスティアの周縁に連なる柔らかな丘陵とはまったく異なる趣をもち、

大陸地図では“ガルヴァ山系の前庭”と呼ばれることもある。


この地域は数千万年前、ガルヴァ巨大隆起帯が形成された際に押し上げられ、その後の浸食によって表層の土壌がほとんど削ぎ落とされた“剥き出しの大地”だ。

地殻が斜めに傾いたまま固まり、表面には何本もの断層線が白く走っている。

それらは陽光を反射してまるで古い彫刻のような輝きを放ち、旅人に“山の威圧”とは別の静かな神聖さを感じさせる。


風は常に強い。

ガルヴァ山系から吹き下ろす冷気が、日中でも絶え間なく高原を横切り、まるで目に見えない川が流れているかのように地面を撫でていく。


植物は少ない――が、皆無ではない。

斜めに削れた岩板の窪みわずかに土が溜まり、

高原苔サンロアモスや乾燥低木がしぶとく根を張る。

厳しい環境ゆえそこに芽吹く緑はほんの一握りだが、

逆にその生命力の強さは、訪れた者の胸を圧倒的な静寂とともに打つ。


古くは帝国の商隊がこの高原を越え、山麓のガルヴァ山郷や東海岸の港へと向かっていた。

その名残として、岩原の中央には今でも“道標”がぽつりと残されている。

かつては旅人や魔導師が刻んだ符号で賑わった石柱だが、いまは風雨と時間に削られ、その表面はほとんど読み取れない。


だが文字が消えても、この地を通った人々の気配は薄く残っている。

サンロア高原帯は、人の営みより自然の力が強い場所。

だからこそ、旅人たちは足を踏み入れるたびにほんの少しだけ背筋を伸ばし、ここが“大陸の地殻がむき出しになった場所”であることを思い出す。


その高原帯へと続く道は、森を抜けた瞬間に劇的に変化する。

柔らかい土の道が終わり、途端に足元は硬く乾いた岩板。

丘陵の穏やかな起伏は消え、代わりに斜めに裂けた地面が目の前に広がる。

視界は開け、遠くには巨大な山脈の陰影が横たわる。


そして何より――


ガルヴァ山系からの吹き下ろしの風は、まるで“山の呼吸”だ。

午前中でも手がかじかみ、外套の裾が大きく煽られることすらある。

そのため、騎獣の扱いに慣れていない旅人はこの地を避け、現在はほとんどが東側の新街道や魔導列車を利用するようになった。


だからこそこの旧街道は、いまでは“静寂の旅路”として知られる。


人の声は風に消え、遠くから聞こえるのは、山の岩肌が軋む低い音と時折空を横切る猛禽類の鳴き声だけ。


サンロア高原帯は帝国の中心からそう離れてはいないにもかかわらず、旅人に“世界の縁に立った”ような感覚を与える地帯だ。


そしてちょうど、ミナとクレアが辿り着いたのは、

そんな高原の南端だった。



「うわぁ……ここ、なんかすごいね」


「ええ。地形的には“高原断層帯”です。

はるか昔、ガルヴァ山系が隆起した時に押し上げられ、削れてそのまま残った区域です」


クレアは淡々と説明しながら、レヴの手綱を慎重に操作した。


「足場が不安定なところもあります。レヴなら問題ありませんが……ミナ様はしっかり掴まっていてください」


「う、うん!」


レヴの背にしがみつきながら進むと、足元の岩がごつごつと形を変えていく。

時々小さな窪地があり、そこにだけ苔と低木がしぶとく根を張っていた。


その生命力が不思議で、胸が熱くなる。


(こんな厳しい場所でも、生きてるものがあるんだ……)


風がさらに強まり、外套を引っ張る。

目の前には、段々状の岩棚が広がり、その先には緩やかに上へ向かう斜面。


その向こう――


巨大な影が、大地の端から覗いていた。



ガルヴァ山系だ。



その圧倒的な壁が、手を伸ばせば届くのではないかと思うほど近い。


「……クレア。あれは……」


「はい。ガルヴァ山系の南外縁です。

主峰 《ガルヴァ・ゼノン》は、ここからでは見えませんが……

あの大きな影が“前衛の山壁”です」


言われて改めて見ると、それはまるで、巨大な黒い書物が地平線に立っているようだった。

山肌には無数の亀裂と岩棚が刻まれ、その隙間を冷たい風が抜けていく。


その風が高原へ降りてきて、わたしたちの外套を激しく揺らした。


「ひゃっ……!」


「大丈夫ですか?」


クレアが片腕でわたしの肩を支えた。

その腕は細いのに驚くほど力強くて、思わず胸が跳ねた。


「だ、大丈夫……!」


「これからもっと風が強くなります。気をつけてください」


「うん……」


それは、高原の地平線に貼りついた“影”という言葉では収まらない存在だった。


ただ高いとか大きいとか、そういう次元ではない。

まるで天を支える柱がいくつも連なって“壁”を成しているような――そんな錯覚すら覚えるほどだ。


「すご……」


思わず息を呑んだ。


ガルヴァ山系は、ただの山脈ではなかった。

ルミナ高原と東海岸を分ける“天然の大陸境界”として、何千年にもわたり地形も気候も文明も左右してきた巨大要塞のような存在だ。


近づくほど、その規模の異常さがはっきりしてくる。


まず、山の“幅”が広い。

普通の山脈なら、遠くに稜線が見え、奥の峰々も透けて見えるはずだ。

だがガルヴァ山系は、それ自体が大陸を覆う黒い板壁のようで、奥側の山影はまったく見えない。


「……あれ、本当に山の“外側だけ”なんだよね?」


「ええ。ガルヴァ山系は“多重山脈”ですから。

表層に見えているのは外壁にすぎません。

その裏に、最低でも二十を超える峰群が連なります」


クレアが淡々と言う。


「二十……!? 峰じゃなくて、峰群が……?」


「はい。ガルヴァ山系は《七段山構造》と呼ばれています。

地質的には七層の巨大プレートが互い違いに隆起してできた構造で、

外側から内側へ行くほど標高が上がっていく階段状の山帯です」


「七段……!」


思わず声が裏返った。


眼前に広がる山壁は、わたしの想像とは桁違いだ。


近くで見ると、山肌は複雑にねじれ、崩れ落ちた巨大岩塊が何層にも積み重なっている。

そこを冷たい風が縫うように走り、ひゅうう、と笛のような音を立てていた。


「ガルヴァ山系は“風の通り道”でもあります。

北東から吹き下りる寒風が山壁にぶつかり、

こうしてところどころで風鳴りが起きるんです。

これを《ガルヴァの啼き風》と言います」


「なんか……名前だけで寒くなりそう……」


実際、吐く息が白く混ざりそうなほどの冷気が肌に触れていた。


山肌に点在する白い筋は、積雪ではなく“石灰岩の露出”だ。

何千年も前の海底層が隆起し、その名残が斜めに走る白帯となって残っている。

その筋が陽光を反射し、まるで山が内部から淡く光っているように見えた。


(こんな地形、見たことも聞いたこともない……!)


ガルヴァ山系の根本には、いくつもの巨大な崩落盆地が広がっていた。

その一部には雨水が溜まって淡い湖になり、一部には草地が広がり、野生の四足獣が群れを作っているのが遠くに見える。


クレアが指さした。


「見えますか? 山の中腹に、段々の影があるでしょう」


「うん……なにあれ?」


「《自然棚地》です。ガルヴァ山系の特徴のひとつ。

大地が隆起した際に“階段状”に割れ、

そこに水が流れ込んで土が溜まり、結果として“棚田のような地形”が生まれました。

山郷さんごうは、その自然棚地の上に作られています」


「ということは……あそこに、人が住んでるの?」


「はい。ガルヴァ山郷は“山の外側の村々”の総称で、

何百年も前から商隊と巡礼者を受け入れてきた場所です。

……ゼン様の食堂があるのは、そのさらに奥。

外から見えない“霧のだん”に位置する断崖台地です」


霧の段。

断崖台地。


その言葉は、胸を強く掴むような響きを持っていた。


風景は、帝都とはまるで別世界だ。


高原の金色の草はここで途切れ、かわりに細い灌木と岩が支配する荒涼とした帯に変わる。

そこからさらに上へ行くと、濃い針葉樹林が山肌に寄り添うように広がっていた。


そしてその上――

灰青色の岩壁が天へ突き刺さるようにそそり立つ。


まるで大陸そのものが、巨大な手で持ち上げられたようだった。


「……あれを越えるんだよね、私たち」


「正確には“越える”というより、“回り込んで登る”形です。

崖のように見えますが、古の街道が岩棚の裏に沿って伸びています。

その最初の関門が――エルド峠です」


クレアの説明が、遠い場所の物語ではなく、

“これから自分が歩く現実の道”であることに気づいた瞬間――


胸がぎゅっと縮むように緊張した。


でも同時に、熱く、強く、不思議な昂りが込み上げてくる。


(ゼン様のいる場所が……いよいよ近いんだ)


ガルヴァ山系の巨大な影は、まるで旅人を試すように黙ってそびえ立っていた。



しばらく進むと、高原の中央に古い石柱が一本だけ立っているのが見えてきた。

風雨で削られ、文字はほとんど消えている。


「これ……なに?」


「《古ガルヴァ街道の道標》です。

かつて商隊の目印として使われましたが……今は象徴的な遺構ですね」


クレアが説明しながら、石柱に手を触れた。


その動作には一瞬、敬意のような気持ちが宿っていた。


(こういう場所……クレアは昔もよく通ってたのかな……)


ふと、クレアがわたしの方を向いた。


「ミナ様。少し速く歩きます。

昼までに“エルド峠関所”へ近づかないと、封鎖される可能性が高くなります」


「……うん。わかった」


レヴが地を蹴り、高原の上を軽やかに走り始めた。

岩肌を蹴るたびに小石がはじけ、乾いた音を立てて斜面を転がっていく。

風はますます強まり、耳元で高く低く唸りながら流れ続けていた。


ガルヴァ山系の外壁は、近づけば近づくほどその規模を増していく。

“壁”というより、いまではもう“空の一部”だった。

視界の上半分が岩に覆われ、空はそのわずかな切れ目にだけ見える。

圧迫感ではなく、むしろその途方もない広大さに胸が震える。


(……すごい。あの断崖の、さらに奥まで人は行ってきたんだ……)


レヴは慎重に足場を選びながら、細い岩棚の道へと進んだ。

岩棚の先で、急に風の流れが変わる。

鼻を刺すような冷気とともに、視界の向こうにそれが現れた。


――エルド峠。


ガルヴァ山系の外壁の最初の“切れ目”。

高原と山郷を結ぶ唯一の通過点にして、古来より数千年にわたり旅人たちがこの大陸を横断するための生命線として使い続けてきた関門。


そしていまその入口が、静かに、——重々しく、わたしたちを待っていた。


「着きました。……ここが《エルド峠関所》です」


クレアがそう呟くとともに風がふっと弱まり、あたりを静寂が包んだ。


目の前には、岩壁を削って作られた半円状の広場がある。

広場の中央には石を積み上げて作られた古い砦――

いや、砦というより“山の一部をそのまま建造物にしたような防壁”がそびえ立っていた。


城門は木製ではなく、分厚い金属で補強された岩板。

左右には古代文字が刻まれ、いまは苔に覆われている。

門前には背の低い監視塔が二つ、岩肌に張りつくように建っていた。


圧倒的な“静寂”の砦だった。


人の気配がほとんどない。

だけどそれが余計に“ここは警戒のための場所だ”と訴えていた。


ミナは思わず息を呑んだ。


「……こんなところに、関所があるんだ……」


「はい。ここは大陸でも最も古い《自然境界関所》のひとつです」


クレアはレヴを止め、岩場から降りて、ゆっくりと説明を始めた。




■ エルド峠・関所


エルド峠の関所は、“行政機関”というより“地勢上の必然”として生まれた場所である。


ガルヴァ山系は大陸を南北に走る巨大な屏風のような地形であり、平地から山郷へ入るための“数少ない切れ目”がエルド峠だった。


ゆえにこの峠を押さえることは、すなわち


「ルミナ高原と東海岸の物流・軍事を間接的に掌握する」


という意味を持つ。


古代から中世へ、王朝がいくつ滅んでも、

この関所だけは常に維持され続けてきた。


近代ルミナス聖皇国においても、

エルド峠は軍事的重要拠点として認識されており、


・移動する商隊の登録

・山郷への移民・巡礼者の管理

・山道での魔獣被害の報告

・東海岸との物資中継地点

・巡礼宿・補給地点としての役割


など、政治・軍事・宗教が混ざった独特の機能を持っていた。


特に重要なのは、峠に沿う独自の風――


《ガルヴァ風脈》


と呼ばれる強烈な季節風だ。


この風は夏と冬で吹く方向を変え、それによって峠の通行可能日数が大きく左右される。

ゆえに、関所には“風読み司”と呼ばれる専門官までいる。



――文明が発達した現在でも、エルド峠は決して“時代遅れの遺物”ではなかった。


むしろその役割は、鉄道や光街道が整備された“今の時代だからこそ”

より特殊性と重要性を増している。



◆ 1. 「主要交通路」ではなくなった代わりに


“一般には通られない”という価値が生まれた。


魔導鉄道《東光線》が大陸南部を貫通してから、

東海岸へ向かう物資や旅客の大半はそちらを利用するようになった。


また近年は、軽量魔導車両が走る“光街道ルミナ・ロード”も整備され、

山間部を大回りする形での迂回路さえ確立している。


つまり――


ガルヴァ山脈を越えるために《エルド峠》を使う必要は、もはやない。


しかし、その“使われない道”こそが、いまの帝国にとっては重要だった。



◆ 2. 【機密性の高い移動ルート】としての価値


一般旅客がいなくなったエルド峠は、

人の流れが多い鉄道・街道と比べて、はるかに 監視・管理がしやすい。


そのため現代のエルド峠は、


・影部隊や特務騎士団の“極秘移動ルート”

・皇族や高官の“非公開巡察ルート”

・重要物資の“密輸監視ライン”

・旧王朝派や過激宗教団体の“潜伏・越境路”の検知地点


として機能している。


「通らなくていいからこそ、通る者を確実に見分けられる」


これが、今のエルド峠の最大の価値だった。



◆ 3. 【山郷の生活圏を守る唯一の監視線】


エルド峠の先に広がる《ガルヴァ山郷》は、

多段棚地に形成された半自給自足の特殊集落である。


光街道も鉄路もあの複雑な地形には敷けないため、

山郷へ入る道は今も昔も“峠を通る徒歩・ケルヴァン路”が中心だ。


つまり、


“山郷へ入る者を把握できる唯一の地点”が、エルド峠である。


山郷は地形の防御力が高く、

もし反乱分子が潜伏すると討伐が困難。


ゆえに国家としては、峠を監視し続ける必要がある。



◆ 4. 【大規模災害時のバックアップ物流ルート】


ガルヴァ山系は、季節によって風脈が変わる。


この風脈が大陸全土の天候に影響するため、

時に“鉄道や光街道が広域で封鎖される気象障害”が発生する。


そんな時、山郷を経由する峠道は

「最後に残される陸路」になる。


このため関所には、


・非常用物資庫

・古い魔導発電炉

・山岳救助隊の詰所

・要人避難時の臨時拠点


が備えられている。


“古いけれど消せない場所”。

それがエルド峠だった。



◆ 5. 【地脈・風脈観測所】としての役割


ガルヴァ山系は、ルミナス大陸最大の“地脈収束帯”でもある。


鉄道や街道の維持には地脈の安定が不可欠だが、

地脈の乱れは山脈の深部から始まることが多い。


そのため、エルド峠には古代から連なる


地脈観測室アストラリア


が存在し、国立魔導院の研究者が常駐する。


ここでは、


・地殻振動

・風脈の乱れ

・光脈の減衰量

・魔素濃度の変動


などが日々観測され、

帝都へ送られている。


文明が進歩したからこそ、

“自然そのものを監視する最前線”としての価値は高まっていた。



◆ 6. 【巡礼宿・山郷商人の拠点】としての生き残り


完全に軍事施設ではなく、

かつての名残として“庶民の機能”も残っている。


・山郷の特産品(薬草、霧塩、岩蜂蜜)の取引

・巡礼者向け宿舎

・山の天候情報の共有

・遭難者の保護

・山職人の補給地


文明化した今でも、山に生きる人々にとって

エルド峠は “山郷の玄関” として必要だった。



◆ 7. そして――《現在の最大の役割》


文明が進み、街道と鉄道が発達したことで

大勢の人々は峠を通らなくなった。


だがだからこそ、いまのエルド峠には

もっと別の意味――


「人がいないという事実を利用した、極めて静かな監視線」


としての価値がある。


影部隊や王宮警備局はここを

“非常時の捜索・封鎖ポイント”と位置付けており、


今回のようなイレギュラーな出来事が発生した時、光街道や鉄道と同様に封鎖対象となるのが、こうした《古い峠道》である。


理由は単純。


“本当に逃げる者が使うのは、人目のない道だから。”





「これ……本当に通れるの……?」


ミナは、門を見上げたまま思わず呟いた。


門は古く、雨で削れ、ところどころに剥落があったが、

その質量は圧倒的でたやすく動くようには見えない。


「大丈夫です。見た目よりも機能的ですから。

門の裏側は“風圧軽減機構”が使われています。

大昔の魔導技師が造った仕掛けで……風の流れで重さを半減させるんです」


「風で……?」


「はい。ガルヴァ風脈を利用した古代の技術です。

いまの帝国技師でも、完全には再現できません」


ミナは目を瞬かせた。


(そんなものが、こんな山の上に……?

……ゼン様がここを越えていたなんて……)


胸の奥が、少し震える。


クレアは門の前まで行き、手袋を外して石の表面に手を置いた。

その仕草はまるで、古い友人に挨拶するようだった。


「クレアって……こういう場所、よく来てたの?」


「はい。蒼竜騎士団はこの峠を何度も通りましたから。

……山郷の道ほど、敵の奇襲を受けやすい場所はありませんので」


「敵……?」


「昔の戦争の時期ですが」


クレアは短く言ったが、

その目には、少しだけ過去の影が差していた。


風が吹き抜け、外套が揺れる。

岩に当たった風が、低く唸っている。


遠くから見ると単なる切れ目に見えた峠も、

近くで見ると自然と歴史と戦の痕跡が複雑に絡まり合った“境界そのもの”だった。


ミナはその場で思わず息を吸い込む。


冷たい空気が肺に満ちる。

胸の奥の不安も期待も、新しい緊張へと変わっていく。


(……ここを越えたら、その奥に……ゼン様のいる山郷が……)


クレアが小さく頷いた。


「ミナ様。あと少しです。

――この関所を越えれば、山郷の道に入ります」


風がやみ、一瞬だけ峠に無風の静寂が落ちた。


その静けさの向こうで、山の奥が微かに呼吸しているような気がした。


まるで、峠の向こうの世界が、わたしたちを試すように待っている。


いよいよ、本格的な山道が始まる――。


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