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第90話 光の姫、山を越える


挿絵(By みてみん)




もう……本当に信じられない。


いえ、信じられないなんて言葉じゃ足りないわ。胸の奥で熱いものと冷たいものが同時に渦巻いていて、怒りなのか不安なのか、それとも別の何かよくわからないものが、胸の中でスープみたいにぐつぐつ煮えたぎっている。ああもう、言葉にすると余計イライラする!


だって――どうして、どうして“私”が結婚しなきゃいけないの?


しかも相手は、会ったこともなければ声すら聞いたことのない、ネプタリア王国の王太子殿下ですって。

……ねぇ、普通はもう少し段階ってものがあるでしょう?

まずは挨拶と文通とか、せめて顔写真くらい渡してくれてもよくない?

でも帝国はそういうところだけ妙に豪胆で、決まったら「はい、あとはお前が従え」の一言。光の帝国って、本当に光の速さで大事なことを決めるんだから。


相手が王太子ってだけでもプレッシャーなのに、その人海の向こう三十カ国くらいと同盟を結んでるっていう超絶有能エリートなんだとか。帝都の噂では「潮流の王子」とか「外交の天才」とか、褒め言葉ばっかり並んでいるらしいけれど……そんなの私にとっては逆効果でしかない。


だってそんな完璧な人と結婚したら、私まで完璧でいなきゃいけないじゃない。


笑顔はこう、声の高さはこう、歩き方はこう、食事の作法はこう……って、絶対めんどくさい未来が見えてしまう。


聞く話じゃネプタリアの宮廷って“海と風と商人のしきたり”がごちゃごちゃに混ざっているらしくて、帝都とは全然文化が違うし環境も違う。私みたいな“皇居でぬくぬく育ちの世間知らず”なんかに馴染めるわけないし、異国の儀礼とか商人の駆け引きとか無茶振りにも程があるじゃない!


……という愚痴を朝から鏡に向かって延々と言っていたら、侍女のリサが眉を下げて言うのだ。


「お、お姫様……あんまり声を荒げると、廊下に響いてしまいます……っ。

もし誰かに聞かれたら……その、また影部隊の方が……」


その瞬間、背筋がゾクッとした。


影部隊――つまり、第六王子カシアン兄様の“監視組織”。

私が宮殿を抜け出した回数や、詩集をこっそり買ったことや、夜にこっそり天蓋から抜け出したことだって、あれもこれも全部ぜんぶ筒抜けなのだ。


「……はぁ〜〜〜……だから嫌なのよ、王宮って。

どうして私が人生の全部を監視されながら生きなきゃいけないの?」


そうぼやくと、リサはさらにしょんぼりしてしまった。

本当に良い子だと思う。罪はないのに、私の愚痴の一番の被害者だ。


でも、怒りは収まらない。


――だってこれは、私の人生でも私の幸せでもなく、「国の政治のための婚約」だから。


今、大陸では雷の国――《エレトゥス大陸連邦》が軍備拡張を始めていて、

その理由がもう笑えないくらい本気というか…、どうしもないくらい現実的な話っていうか。

エレトゥス連邦は今“雷導兵器”という最新兵器を次々に完成させて、帝国の魔導防壁も結界も突破しかねないって話。

七極均衡条約なんてもう紙切れ同然で、いつどの国が最初に仕掛けてもおかしくない“前夜”に片足突っ込んでる状態なのよ。


そうなると、帝国はどう動く?

軍事で対抗するには時間がかかりすぎる。

宗教的威光も、神々の沈黙以降は薄れてしまった。


じゃあどうする?


――そう、“同盟”よ。外交の力。


そこで目をつけたのが、水の大陸ネプタリア。

七洋を支配し、海路を握り、大陸間物流の覇者。

雷の国が武力で攻めるなら、帝国は海で対抗するしかない。

だからどうしても、ネプタリアとの同盟が必要になった。


で、その同盟の象徴として決まったのが――


「七王女フェルミナを差し出しましょう」


……ってわけ。


枢機院で偉そうな貴族たちが机を囲んで、まるで“荷物をどこに運ぶか”を決めるみたいに話し合って、

「末姫なら反発が少ない」「他の王族は重要任務で忙しい」「象徴価値としては十分」

――そう言って、私を外交カードに選んだの。

  


はいはい、光の帝国の未来のためですよね〜〜。

わかってますよ〜〜。

“末姫の私は政治的に使いやすい駒”なんですよね〜〜〜。


……そんなの、納得できるわけない。


私はただの光る飾りじゃないし、人間なのに。


――しかも、問題はそこだけじゃなかった。


婚約が決まったその日の夜、兄様方の会議で“追加決定”がくだされたのだ。


「フェルミナを海外へ向かわせる際は、

第六王子カシアン率いる影部隊を常時随行させること」


これを聞いた瞬間、

“あ、私、自由終わった”って思った。

本気で。


海外に行っても監視され続ける人生。息を吸うのにも許可がいるような日々。

誰とも自由に話せなくて、歌も歌えなくて、笑うことすら政治になる未来。


そんなの、生きてるって言えない。


だからだ。

だから私は、限界を超えた。


「――逃げよう」


口にした瞬間、自分でも驚くほどスッキリした。


リサは真っ青になっていたけれど、私はもう決めていた。


“自分の人生を自分で選ぶ”ために。

“ただの人として生きる自由”のために。

そして――


そもそも――わたしには、もうずっと前から「結婚したい人」がいるんです。


そう。

帝都を救った英雄。蒼竜騎士団の隊長。七年前の戦で光の槍を振るい、魔神の影を斬り払った男――

ゼン・アルヴァリード様。


わたしがまだ幼かった頃、病室の窓から見た彼の凱旋行進。

黄金の夕陽を背に、ボロボロの鎧のまま、それでも誇らしげに笑っていた姿。

あのときの光景がずっと目に焼きついている。

その瞬間に決めたのだ。

「私、将来この人と結婚する!」って。

誰も信じてくれなかったけど、今も本気だ。

そして――運命は、ちゃんと繋がっていたのだ。


今朝の宮廷新聞に載っていた記事。

それは帝都の片隅で出回っていた、旅人向けの小冊子だった。

《幻の食堂――かつての英雄が、山奥でひっそりと店を営む!?》


……うん、どう考えてもゼン様のことだ。

内容がもう、まるっきり彼そのものだった。

「無愛想で頑固そうな店主」「料理は絶品」「予約制」「場所は地図にもない」――はい、確定。


ああ、運命って、ほんとにあるんだなぁ。

だってこれ、神様が「今こそ行け」って言ってるに違いない。

……まあ、神様はもう何百年も黙ったままだけど、わたしの心の中ではまだちゃんと喋ってる。

あの人のところに「行け」って。


とはいえ、問題は山積みだ。

王女が“ひとりで山へ行く”なんて、当然許されるわけがない。

だからわたしは考えた。――許されなければ、バレなければいいじゃない、と。


計画は完璧だった。

正午、儀式の衣装合わせの時間。

皆が神殿でわたしを待っている間に、ケルヴァン(風翔獣)を裏門から出す。

あとは護衛をひとりだけ連れて行けば十分。

軍を動かせばすぐバレるし、女ふたりとなら旅人にしか見えないはずだ。


問題は、“誰を連れていくか”だった。


身の回りの護衛たちは全員、父上の命令で監視役も兼ねている。

つまり“味方がいない”状態。

けれど――ひとりだけいた。

わたしが信じられる、たったひとりの騎士。


帝都軍の元・蒼竜騎士団員。

ゼン様の直弟子。

現在はわたしの護衛を務めている、クレア・ヴァルネリオ。


……彼女に頼むしかない。

そう思ってわたしはその日の夜、こっそりと彼女の部屋を訪れた。


「クレア、相談があるの。」


彼女は寝巻きのまま、無言でわたしを見た。

相変わらず表情が動かない。まるで氷でできた人みたいだ。

でも、彼女が“ゼン様”の話をするときだけ、

ほんの少しだけ頬が柔らかくなることをわたしは知っている。


「……相談、ですか。」

「そう。旅に出たいの。――ゼン様のところへ」


沈黙。

そして、ほんのわずかに動いたまつ毛。

「……本気ですか?」


「もちろん本気よ。私、もう政略結婚なんてごめん。

誰かが決めた未来じゃなくて、自分で選んだ人生を生きたいの。

だから行くの。ゼン様に会って、もう一度話をしたいの」


彼女は数秒の沈黙のあと、溜息をついた。

それは呆れたようでいて、どこか諦めたようでもあり――

そしてほんの少し、笑っていた。


クレアはしばらく黙っていた。

視線はわたしを見ているのに、その奥で何か計算しているような、そんな目。


わかってる。

クレアは絶対こう言うのだ。


「無謀です」とか

「皇宮を抜ければ反逆扱いになります」とか

「あなたの行動は大陸間外交に影響します」とか。


でも私は引かない。


そう思って身構えていると――

案の定、クレアは深い深い溜息をついた。


「……フェルミナ様。

あなたは本気で、帝国とネプタリア双方の外交儀礼を無視して国外に脱出するおつもりですか?」


ああ来た、クレアの“正論爆撃”。

いつもながら容赦がない。


「そ、それは……本気と言えば本気だけど……でも、でもね!」


「加えて申し上げますが、

王族の無断離宮は最悪“外交破綻”です。

帝国はあなたの失踪を国家の恥と捉え、

ネプタリアはそれを“婚約破棄”と受け取るかもしれない。

戦争……とまではいかずとも、少なくとも国際会議は混乱します」


クレアは、冷静な声でひとつひとつ論を積み上げる。

まるで帝国軍の作戦会議みたいだ。


「それでも、行かれますか?」


そう問われ、わたしは胸を張った。


「行くわ。わたしは、私の人生を選びたいの!」


クレアの眉がかすかに動いた。


「……どうしても、ゼン様に?」


「う、うん……!」


言った瞬間、顔が火のように熱くなった。

だって、クレアの前でゼン様の話をするのはちょっと勇気がいる。

彼女にとってゼン様は“師匠”であり“救い主”で、そしてもしかすると……。


(いやいや、考えちゃダメ! 恋のライバルとかそんなのじゃないはず!)


動揺する私をよそに、クレアは瞳を細めた。

怒ってない。でも困ってる。すっごく困ってる。


「フェルミナ様。お気持ちは理解します。

……ですが、あなたは王女です。

あなた一人の行動で、帝国も、ネプタリアも――

あの人 (ゼン)すら巻き込みます」


「それでも行きたいの。

わたしの人生に、選ぶ自由がひとつもないなんて、絶対に嫌!」


クレアは目を伏せた。

わずかに揺れた指。


それは、彼女自身の記憶――

“自分が自由を持てなかった過去”を思い出しているように見えた。


だからこそ、クレアは強く言う。


「……あなたは、優しい方です。

自分の選択で誰かを傷つけることを恐れておられる。

それなのに、どうして今回だけこんなに強引なのですか?」


「だって……!」


胸がぎゅうっと締めつけられる。

でも、この想いだけは偽らない。


「ゼン様は、生き方を……教えてくれた人なの。

戦うためじゃなくて、“自由に生きるため、国のための盾になる”って。

わたし、それをずっと忘れられなかったの」


クレアのまつ毛がピクリと揺れた。

ゼン様の話になると、彼女の氷みたいな瞳にほんの少しだけ温度が戻る。


「……フェルミナ様。それは……」


「だから、確かめたいの!

ゼン様の生き方を純粋に見てみたい。

王女としての身分じゃなくて、“わたし”として会いたいの!」


しばらく沈黙。

部屋の中に、夜の冷たい空気が満ちる。


クレアは、静かに息を吐いた。


そして――


「……無謀です。

無謀すぎます。

成功する確率は十……いえ、五パーセントもありません」


やっぱり反対か、と覚悟した瞬間。


「ですが――あなたの想いは、理解できます」


クレアはそう言った。

驚いた。


「え……理解、してくれるの?」


「ゼン様は、私にとっても……特別な方です。

あの人の生き方は、誰かを縛るものではなく、

“誰かを救うためにある”と教えてくださった」


その声は氷のように研ぎ澄まされてはおらず、少しだけ温かかった。


だからこそ、クレアは言い切る。


「だから私は、あなたがただの“逃避”で動いているのか、

それとも“生きる選択”として動こうとしているのか――

それを確かめたかったのです」


「クレア……」


「あなたの言葉を信じます。

愚かでも無謀でも、それがあなたの意志なら」


クレアは、深く、深く息を吸い――


「――ですが、ついて行く以上、私は全力であなたを守ります」


「ほんと!? やったぁ!」


「ただし、条件があります。」


「えっ?」


「王女としてではなく、旅人として行くこと。

荷物は最小限。

……あと、あの人に迷惑をかけないこと。」


うっ。痛いところを突かれた。

でもその真剣な瞳を見て、わたしは頷いた。

「わかった。約束する。」


こうして翌朝。

わたしは王女フェルミナではなく、ただの“旅人ミナ”として、

帝都セレスティアの外壁をこっそり抜け出した。


その瞬間、思った。

――ああ、空気が違う。

光の都の匂いじゃない。

風の匂いだ。自由の匂い。


足取りが軽くなる。

クレアは呆れたように言った。

「……王女がこんなに嬉しそうに脱走するの、前代未聞ですね。」


「うるさい。これは脱走じゃなくて、“恋の巡礼”です!」


「……巡礼という言葉の使い方、間違ってますよ」


でもいい。

間違っていたって、誰かに笑われたって。

今の私は、人生でいちばんわくわくしている。


なにせ、これから会いに行くんだ。

あの“伝説の英雄”であり、わたしの初恋の人であり――

そして、世界でいちばん「静けさを背負って生きている人」に。


……まあ、その静けさをわたしが壊すんだけど。


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