表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
112/197

第87話 神の心臓


挿絵(By みてみん)




幾何学的な文様が静かに浮かび上がってゆく。複数の術式層が重なり合いながら回転し、その奥から数列化された魔素データと、立体的な構造図が次々と現れては消える。そしてそこに映し出されたのは、複雑な模様を持つ「量子波形グラフ」だった。


「……これは?」


俺が問いかける前に、リシェルは淡々と応じた。


「ある研究機関から提出された最新の魔素干渉データよ」


リシェルの手の動きに呼応するように、魔導記録層が淡く回転し、新たな層が展開される。そこには、“ある巨大な地形”を中心とした魔導地図と、霊素の流れを示す波形分析が立体的に表示されていた。


「昨年、帝国魔導研究機構の一部が、第六霊境宙帯だいろくれいきょうちゅうたいの観測網の残骸から異常な信号を検出したの。これがその記録よ」


俺たちは目を凝らす。画面に表示されているのは、断続的な霊素パルス。そのリズムは不規則で、どこか生体の脈動を思わせる不気味さを孕んでいた。


「この波形、どこかで見覚えがあるでしょう?」


リシェルの言葉に、胸の奥がわずかにざわついた。そうだ、これは――


「……俺の中の、霊素と……同じ、だな」


「正確には、ほぼ同一。解析結果では、95%以上の一致率を示している。つまり――」


リシェルは言葉を区切り、ヴァインへと視線を移す。


「……発信源は、エル=グラーデの最深部――霊環塔と推定されている」


ヴァインの口からその名が発せられた瞬間、胸の奥に封じ込めていた記憶の底が、わずかに揺れた。静かだったはずの意識の水面に、ひとしずくの波紋が広がる。そこに映ったのは、風に揺れる浮島の輪郭、霞がかった光の柱、そして――終わりを予感させる静寂の塔だった。



エル=グラーデ――それはかつて、“神の庭”と呼ばれた地。


かつて神々は、“秩序の理”として「空」を開き、世界に降り立ったとされる。

火・水・風・土・光・闇・雷――七つの根源属性は、ただの自然現象ではなく、彼ら神々そのものの意思が結晶化した存在だった。

それぞれの神は属性に応じた世界の柱を築き、地脈と空脈を繋ぐ魔導基盤を構築し、“理の層界 (アーケイン・レイヤー)”を生み出した。


その中心に位置したのが――エル=グラーデである。


この浮遊大陸は、単なる空中都市ではない。七属性が交差する世界の“座標原点”であり、神々が最初に形を与えた場所。

神話の文献によれば、エル=グラーデは「始まりの庭」または「神の工房」とも呼ばれ、神々が初めて“形”を試みた場所であり、最初に“時間”を流した場所でもある。


帝国歴以前の古代文献にすら、その全容はほとんど記されていない。数多の宗教・神話体系では「光の門が開かれる聖域」とされ、一部の学派では「この世界が物理的に成立するための原点座標」とも語られてきた。それほどまでに特異で、神秘で、そして――禁忌だった。


だが俺たちは、七年前。終焉戦役の最中に、そこに足を踏み入れざるを得なかった。


理由は単純だった。


“あそこ”で何かが起きていた。


正確には、魔神族の中枢――ヴァル・ゼルグが“セプティマ融合計画”の最終段階を発動させようとしていた。そしてその鍵が、エル=グラーデの最深部にある“神の心臓 (アトム)”に隠されていたのだ。


浮遊大陸エル=グラーデは、構造的にはひとつの自立都市国家に近い。だが、通常の都市とは規模も概念も異なる。


空中に浮かぶ巨大な大地は、幾層にもわたる魔導基盤で支えられ、外周には円環状の居住区域や管制塔が配置されている。都市そのものがひとつの巨大な術式陣であり、風・雷・光の属性魔力を利用した浮力制御と安定化フィールドによって静止軌道を維持している。


そして、その中心――あの“終焉の塔”。


正式名称を「霊環塔」といい、塔全体が霊素の流動を制御・変換・安定させる巨大な精製機構で構成されていた。


かつての魔導文明期においては、この塔が世界の“魔力循環”そのものを調整していたという。

これは七神の力を分散させず、安定的に世界に供給するための制御装置であり、言わば神々の意志を代行する自動心核だった。

アトムは七つの神殿から送られる属性霊素を霊環塔で受信・変換・調和し、世界全体に再配布するシステムであり、その存在こそが「理の均衡」の根源とされていた。


この装置が存在していたからこそ、世界は“昼と夜”“命と死”“秩序と進化”といったリズムを保っていられた。

だが同時に、それは――“世界を再構築する鍵”でもあった。


つまり、あの塔の機能が完全に停止すれば、世界各地の魔導流が崩壊し、文明レベルのバランスが崩れる。逆に、塔を掌握する者は、世界そのものの構造に干渉できる。


終焉戦役当時、ヴァル・ゼルグがその塔を拠点に選んだのは、まさにそうした世界の根幹に“手を伸ばす”ためだった。



「結論から言うわ。――《神の心臓 (アトム)》は、まだ“動いている”可能性がある」


リシェルの言葉に、応接室の空気が目に見えて変わった。

魔導記録筐体に浮かぶ淡い蒼光が、まるで部屋全体の温度を下げるかのように冷たく揺れる。


俺はその言葉をすぐには理解できなかった。

いや――理解したくなかったのかもしれない。


「……動いている、とはどういう意味だ?」


俺の問いにリシェルは淡々と資料を操作し、魔導記録筐体の表示層を一段、さらに一段と深く潜らせる。

やがて浮かび上がったのは、より細かな霊素波形の観測データと、結界遺構に刻まれた“魔導応答”。

どれも俺には専門的すぎて読み切れないが、ひと目で異常な“何か”が記録されているのは分かった。


「このデータは、帝国旧中央大学魔導研究機構が封印していた記録よ。

本来、あの塔は七年前の崩壊で“完全に停止”したとされていたわ。霊環制御系も、浮遊基盤も、属性循環も――あらゆる系が壊滅状態にあったはずだった。ただ――その深部から、未だに微弱な霊素干渉が観測されている。

しかもそれは自然崩壊による残響ではない。“意図されたパルス信号”に近いものなの」


「意図された、だと……?」


俺の声がわずかに低くなる。


魔導装置や術式は、基本的に“意志”によって起動し維持される。

自然の魔力流とは異なり、一定のパターンで霊素が循環しているということは、何者かがそれを“動かしている”ということだ。


「そしてこれが、問題のコアよ」


リシェルは指先で筐体の中心を示した。そこに表示されていたのは、“霊素同期パターン”の解析図。


「……これは」


「そう。あなたの体内から検出された“霊素干渉波”と、霊環塔から観測された信号波が――ほぼ“完全な同位相”で一致している」


俺は言葉を失った。


「つまり……?」


ヴァインが代わりに口を挟んだ。


「ゼンの中にある“呪い”は、静的な封印ではなく――今も《神の心臓 (アトム)》と何らかの形で“繋がっている”ということだ」


リシェルは頷く。


「つまり、この呪いは“個人の枠を超えた構造体”だということ。

ゼン、あなた自身がいまや、“無意識のうちに心臓と繋がってしまっている”可能性があるの」


リシェルの表情がわずかに曇った。それは感情というよりも、厳密な情報提示の直前に浮かぶ“警告”だった。

彼女が指先で魔導記録層の表示を操作すると、さらに一段深い階層に新たな図面が現れる。そこには、霊素波形と魔導符式の融合図――だが、何より目を引いたのは、中央に大きく描かれた“心臓”を模した術式構造だった。


「ゼン、あなたの体内にある霊素の回路……それは、単なる封印構造じゃない。最新の解析では、これが《神の心臓 (アトム)》の“模写”構造であることが分かったの」


「……模写?」


「そう。つまり、あなたの体内には“もう一つの心臓”が形成されている可能性がある。霊素に反応し、同調し、代替として機能する“擬似心臓”が」


俺の眉がわずかに動いた。


「それがどういう意味を持つか分かる?」


リシェルの問いかけに、ヴァインが代わって答えた。


「もし君の中に形成された霊素構造が《アトム》の模写であるなら、封印はもはや“静的な収容”ではない。逆に《神の心臓》と完全に同期し、双方向に魔導情報を“交換し続けている”状態となる。これは単なる呪いではなく、“新たな神経接続”のようなものだ」


リシェルが補足する。


「つまり、ゼン。あなたは今、世界魔導網における《アトム》の“分岐端末”になってしまっている可能性がある。自覚がなくとも、あなたの生命活動そのものが、《アトム》の残骸を“生かし続けている”――そんな構造よ」


俺の喉が僅かに詰まる。

封印とは、封じることではなかったのか。

あの戦場で俺が行ったことは、まさしく“ヴァル・ゼルグの霊素を断絶する”ための最終手段だった。だがそれが逆に、霊素を“移植”し、《神の心臓》と連結してしまった――そういうことなのか?


「模写」とは何か。単なる似せ物ではない。魔導理論においては、“霊素の波形”と“構造形式”が一致すれば、それは「本体と同等の機能を持つ擬似装置」として扱われる。つまり――


俺の体内には、《神の心臓》の代替機関が形成されてしまっているかもしれない、というのだ。


では、《神の心臓 (アトム)》とは何なのか?


それは、終焉戦役の最終決戦の地、《エル=グラーデ》に存在していた巨大魔導装置の動力源であり、世界魔導網の中枢神経にして、霊素の循環を調整する“原初の制御核”だった。言うなれば、この世界の「魔力循環の心臓部」。神々が築いた魔導基盤の中心にして、七大属性のバランスを支える“霊素律動装置”――それがアトムだ。


そして、あの男――ヴァル・ゼルグが目指していたものは、この《神の心臓》を掌握し、自らを第八の神とすることだった。


七大属性を統合し、セプティムの座を超越した“八柱目”を創り出すためには、世界魔導網の書き換えが必要だった。つまり、世界の魔力の流れそのものを変える必要があった。

そのために必要だったのが、《アトム》だったのだ。


「封印によって霊素を絶ったと思っていたが、実際には《アトム》の中核機構を生かしたまま、あなたの肉体に“リダイレクト”された。言い換えれば、あなたの存在そのものが“魔導代替心臓”になってしまっている」


「……それが問題の本質か」


俺は低く呟いた。


「ゼン、このままでは君の“死”がトリガーになる危険がある」


ヴァインが静かに言った。


「君の肉体が完全に“消滅”したとき、君の中にある霊素構造が断絶する。その瞬間、接続されていた本来の《神の心臓》が――神々の意思や霊脈が、数千年の眠りから“再起動”する可能性がある」


「……っ」


心臓の鼓動が一拍、遅れた。


それはつまり、俺が死ねば、あの“終焉の塔”が再び動き出す――

そして、この体に封じられたヴァル・ゼルグの残響までもが、再び世界に影響を及ぼすかもしれない。


「この呪いは、君一人の問題ではなくなった。もはや“封印”の代償ではなく、“生存による延命措置”と化している。君が生きている限り、世界は《アトム》を監視下に置けるが――君が消えれば、すべてが“解放”される」


リシェルは、静かに言った。


「……だから、あなたに死んでもらっては困るのよ、ゼン」


その言葉が、深く、重く、胸に突き刺さった。


――つまり、死ぬことすらできない。

“俺”が生きている限り、世界は静かに回る。

だが、死んだ瞬間に――すべてが再び、回り始めてしまうのだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ