第10話 まさかこうなるとは…
さて――あとは、予約制であることを明記した文言を付け加えるだけだ。
さすがに“完全に来訪を断つ”ことはできないにせよ、少なくとも「覚悟のない客」には山の手前で引き返してもらわなきゃ困る。
俺は紙に墨を落とし、静かに筆を走らせた。
【予約制店舗】
【週3営業(火・木・土)】
【予約なし入店不可】
【飛び込み歓迎しません】
「……多少、皮肉が過ぎたかもしれないが」
思わず、くく、と笑う。
けれど、このくらい書いておかないと――本当に、山越えて来やがるからな、あいつらは。
ここまで来る情熱は褒めてやりたいが、こちらは温泉旅館でもなければ観光名所でもない。
ただの山奥の飯屋だ。自家製味噌と、山菜の炊き込み飯くらいしか出してないぞ?
もうひとつ。道中に立てるための小看板も数枚用意することにした。
【この先、迷いやすい霧の森】
【地図を信じるな。足元を見ろ】
【ここで引き返せば、命拾いする】
「……このくらいなら、さすがに物見遊山の連中も足を止めてくれるか?」
少しばかり期待しつつ、斧を肩に担いで森を後にする。
木漏れ日の道を抜けて村へ戻るころには、陽が東から高く差し込み始めていた。
「……ふう、これでよし、と」
切り出した木材で作った看板を、村の出入口に据える。
目立ちすぎず、だが見落としもしない位置に慎重に立て支柱を固める。
最後に門前――店の前の石畳の横に、一本だけ“表札”を据え付けた。
そこには力強く焼き印された三文字。
――灰庵亭。
焦げた香りとともに日差しを浴びたその文字は、そこに“在る”というだけでなんとも言えない味を持っていた。
(……これで、少しは静かになるといいんだがな)
淡い期待。それでも、やれることはやった。
さて――次の作業に移るとしよう。
今度は先日出していた便りの続報。
リクス村の商人、ベロック爺さんから返信が届いていた。
《ゼン殿へ
うちの連中に話は通しておいた。
予約の代行、やってやれんこともないが――その代わり、あんたの“例の干し肉”、もう少し多めに頼む。
若い衆が妙に気に入っちまってな。
伝言は、リクス経由でナバレ村にも流せるようにしとく。
使い魔通信はまだ試験段階だが、魔導符ならなんとかなるかもしれん。
近日中に、試作品を一つ送る。
あと、あんたのことを“あの英雄さん”って呼んでる奴もいるが、気にすんな。
年寄りの冷やかしだ。》
ふん。ありがたい話だ。
こうして少しずつでも、俺の目指す“理想の静寂”に近づいていける。
営業の枠を守る。
情報の管理を徹底する。
来店者は選ばないが、来訪手段には制限をかける。
すべては――この静かな暮らしを守るため。
もう世界を救っただの、英雄だのといった過去の栄光に縋る必要は全くない。
欲しいのは平穏と、飯と、ほんの少しの人の温もり。
それがあれば十分だ。
そして今夜もまた、俺は炊き上がった飯の香りを確かめながら黙々と食材の仕込みを始めていた。
その手元には、一冊の帳面。
――“予約帳”。
中にはまだ誰の名も記されていない。
だが近いうちにきっと、そこに最初の名前が刻まれるはずだ。
(……さて。第一号は、どんな奴が来るんだか)
そう思うと、ほんの少しだけ口元が緩んでいた。
――しかし俺は、この“予約制度”というものを甘く見ていた。
いや正確に言えば、“俺自身の知名度”を甘く見ていた。
予約制にすれば、窓口が狭くなって客足も自然に減るだろう。
そこまでして来たいと思う奴なんてそうそういない――
……という、甘ったれた見通しを持っていた数日前の俺に今すぐ説教しに戻りたい。あわよくば、後頭部に味噌玉の一つでもぶつけてやりたい。
公的な手続きで食堂を開くとは、どういうことか。
正式に店の情報を開示するとは、どういうことか。
広報誌に掲載され、商人ネットワークに流れ、帝都の“信用情報枠”に記載されたことの意味を俺はあまりにも軽んじていた。
予約開始の通知を出したのは、三日前。
内容は至って簡潔だ。
【灰庵亭・営業告知】
・営業日:週三回(火・木・土)
・完全予約制
・予約受付:帝国商人ネットワーク中継所(リクス/ナバレ)
・受付手段:
▼手紙便(3日前必着)
▼旅商人経由の伝言記録符(前日正午締切)
▼魔導符(ID付き符文票により即時反応)
▼登録済使い魔(距離・個体による)
告知内容の作成には、ベロック爺さんと数回のやり取りを経て、可能な限り“受け手が誤解しない”よう配慮したつもりだ。
書式も統一。
予約件数の上限も明記。
子ども連れや高齢者、体調不良の方への注意書きまで添えた。
それが、まさかこんな事態になるとは。
「……は?」
その日の朝、村の集会所に併設された配達所にて――
「ゼンさーん! 予約のお手紙、今日だけで五十八件ですー!」
軽やかに駆け寄ってきたのは、村の郵便担当の娘、ノーラだった。
彼女の腕には巻物と小包がぎっしり詰まった布袋が抱えられている。
俺は一瞬で思考を止めた。
「こじゅう……なんだって?」
「五十八件。しかも全部、“来週の火曜希望”って書いてありますよー!」
「……待て待て待て、うちは一日三十席限定だぞ?」
「え、そうなんですか!? 書いてなかったですよ? 締切しか――」
「うおぉい……」
やっちまった。
1日に収容できる人数の制限を明記していなかった。
たしかに文面を見返せば、「完全予約制」とは書いたが、受け入れ上限については一切触れていなかった。
いや、まさかそんな大量に来ると思ってなかったんだ。
そもそも、伝言での連絡なんて週に数件あるかないかって規模だろ?
――甘かった。俺は、あまりにも甘かった。
午後になると、今度は魔導符を使った“即時予約”が届いた。
ベロック爺さんが送ってくれた試作符が想像以上に高性能で、予約希望者が自分の魔導通信符に名前と日時を刻むと、こちらの符に情報が記録されるというもの。
「ピピッ」
その音が鳴るたび、俺の心拍数が少しずつ上がっていく。
ひとつ。
またひとつ。
さらにひとつ。
(……なんで、こんな音が十回も鳴ってんだよ)
魔導符に刻まれた情報を確認して、さらに呆れた。
・【予約名】アルビン商会三人組
・【希望日】火曜昼
・【アレルギー】なし
・【備考】商会の視察研修中です。何卒ご配慮を。
・【予約名】ルイーゼ嬢とご友人
・【希望日】火曜昼
・【アレルギー】香草全般
・【備考】前々から気になっておりました!楽しみにしております!
・【予約名】元蒼竜隊第三分隊・OB会
・【希望日】火曜昼
・【人数】五名
・【備考】……親父、元気か?
「……おい、最後のやつ。絶対顔見知りだろ」
呆然としながら、俺は炊飯用の鍋に手を伸ばした。
手は自然と動いているが、頭の中は完全にキャパオーバーだった。
(いったい、何人来る気なんだ)
こうして、たった一日で俺のもとに届いた予約は――総計ニ百十七件。
うち、火曜日希望:八十五件。
対応可能:三十件。
あとの五十五件は、丁重に断るしかない。
(……ライル、あいつの字で返事書かせるか。練習がてら)
その夜、俺は静かな厨房で、ひとり溜め息をついていた。
広報誌の修正。看板の設置。商人ネットワークの整備。
そして予約制度の導入。
どれも必要な一歩だった。
だが、その先には、想像以上の波が待っていた。
(……これ、隠居生活って言えるのか?)
思わず、天井を見上げて問いかけてしまった。
だが、鍋の湯気の向こう――
棚の隅には、今日だけで書き足された“予約帳”のページが風に揺れていた。




