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第84話 予定調和の崩壊



彼女はただの“存在”ではなかった。

意志を持ち、言葉を持ち、姿を持ち……そして何より、あらゆる“構造”を理解していた。

この世界の理と、制度と、仕組みと、そのすべての「ほころび」を。


……あの後、各地で不穏な動きが同時多発的に始まった。

大陸間の交易線で不可解な摩擦が起き、条約は破棄され、盟約は一夜で反故にされていった。

最初は小さな衝突だった。水源地の領有権を巡る争い、国境地帯での流民の処遇、鉱山の開発に伴う協定違反……いずれも、外交の場で解決できると信じられていた。


だが、事態はすべて“予定調和の崩壊”のように進行した。


あとになってわかったことだが――

あれらの小競り合いの背後には、必ず《テネブラル皇国》が関与していた。

直接的に軍を動かすわけではない。むしろその逆。

彼らは金を出し、物資を流し、言葉を吹き込んだ。

一部の王侯貴族には「異常なまでに好条件の借款」を、辺境の将軍たちには「独立の名目での武器提供」を。

貧困層や流民には「他国に行けば暮らせる」という偽情報を流し、宗教指導者には「神の啓示」と称して動乱を焚きつけた。


戦争は、戦場から始まるのではない。

瓦礫の上ではなく、机の上で起きるのだ。

ヴァル・ゼルグはそれを理解していた。


テネブラル皇国は、表向きは“高等魔導技術と霊素工学の研究国”として振る舞っていた。

実際、彼らは学術分野でも著名で多くの天才魔導師を輩出していたし、他国の貴族子弟も留学していた。

だからこそ、どの国も“敵対”する理由がなかった。

だが実態は、“戦争のための器をつくる工房”だった。


気づけば、大陸各地で“不自然な一致”が起き始めた。

独立宣言が相次ぎ、それに便乗するように自治軍が蜂起し、そしてその支援元がすべて“霧の中にあった”……。


俺たち帝国も最初は傍観していた。

というより、内政が荒れていて、対外的な介入をしている余裕はなかった。

軍の再編と、辺境州の不満鎮圧、王位継承問題と貴族派閥の対立――

どの問題も、それ単独で政権を崩壊させるには十分だった。

だが今思えば、それすらヴァル・ゼルグの“導線”だったのかもしれない。


彼女は人間社会に紛れ、人の欲望と恐れに火をつけた。

そして、火が十分に燃え上がった時――彼女は“自ら名乗りを上げた”。


「テネブラル皇国 宰相、イヴ・ベルゼブブ」


その名前は、瞬く間に全大陸の諜報網を駆け抜けた。

表舞台に現れた彼女の発言は、すべてが理にかなっていた。

“争いを終わらせるために、新たな秩序が必要である”

“いまの大陸の枠組みは限界を迎えている”

“世界は一度“再構築”されねばならない”


言葉は正しかった。

だが“意志”が違っていた。

あの女の“再構築”は、あらゆる生と死の等価化――

すなわち、“世界を初期化する”という発想に基づいていた。


帝国諸国は反発した。

軍を動かし、条約軍を結成し、連合軍が組まれた。

だがそのいずれも、“待ち伏せされていたかのように”敗北していった。


兵器が無効化され、魔導が乱され、指揮官が行方不明となり……

情報は攪乱され、記録は改竄され、死者の名は戦史から消されていった。


なぜ勝てないのか、誰も分からなかった。

俺たちは“戦っている”という感覚はあっても、“抵抗している”という実感が持てなかった。


ヴァル・ゼルグは戦わなかった。

彼女はただ、“戦いが自然に発生するように世界を組み替えていった”だけだ。


そして、各国の王たちが彼女のもとに“降伏”ではなく“助力”を申し出たとき――

俺たちはようやく気づいた。


もうこの戦争は、“勝つ”とか“負ける”の問題ではなかったと。


この世界に生きるすべての者が、“いつの間にか”彼女の劇場に立たされていた。


それが、《終焉戦役》の始まりだった。



戦争というのは、剣を振るうだけじゃない。

本当の戦争は、“国家の論理”と“民衆の感情”をいかに操るかの勝負だ。

ヴァル・ゼルグはそこを熟知していた。


《終焉戦役》の本格的な幕開けは、東方連邦国家群の経済連結体制の崩壊から始まった。

もともと緩やかな相互依存を基盤に組まれていた連邦圏は、貿易港の封鎖と輸送路の分断により、あっけなく崩れた。


テネブラル皇国は、最初の矛先を「飢え」に向けた。


食料。

水資源。

医療物資。


戦争の火蓋を切るのに、爆弾は要らなかった。

各国の保管庫が自然災害を装った爆破で吹き飛ばされ、農作物が呪詛に汚染され、主要な井戸が“自動的に”干上がる。

同時に、テネブラル皇国からだけは“なぜか潤沢な物資が供給される”――しかも安価で。


当然、各地の庶民たちは助けを求めた。

敵対勢力に与するのではなく、「生きるために」彼らの秩序を受け入れた。

市民の中には、皇国の“支配”を「救済」とすら呼ぶ者が出てきた。

それがどれだけ危険なことかも知らずに。


いくつかの国は正面から抵抗した。

だが、テネブラル皇国は既に彼らの中枢にまで“黒の種”を撒いていた。


財務官が失踪し、軍需官僚が暗殺され、貴族派と平民派が突如として内乱を起こす。

クーデター、汚職の摘発、そして“市民による統治の要求”――

耳障りのいい言葉が並ぶが、どれもヴァル・ゼルグの計画の中にあった。


彼女は「軍」を動かす前に、「民意」を支配した。

選挙の結果すら操作した。

国家元首が民意に押されて退位し、代わりに就任した若き首長が“テネブラルとの友好条約”に署名する――そんな構図が次々と現実になった。


一方、我々帝国は……遅れていた。

腐敗した官僚機構と、時代遅れの軍制。

将軍たちは“かつての栄光”にすがり、若い兵士たちは“敵のいない戦争”に疲弊していた。

軍上層部はヴァル・ゼルグを“魔導兵器の残骸”と侮り、中央情報省ですら“敵の実体”を掴みかねていた。


俺は前線で、それを痛感した。


戦場では兵は戦わない。民が苦しみ、兵が迷い、指揮官が判断を誤る。

情報が届く頃にはもう陣形は崩れ、補給線は断たれている。


ヴァル・ゼルグは、“人々の反応”を利用した。


敵の攻撃に対する我々の“防衛的措置”が、他国から見れば“侵略”に見えるように情報を工作した。

それが事実かどうかは重要じゃない。

映像と報道、外交声明と噂、そして「記録の改竄」で――歴史そのものが変えられていった。


最も恐ろしかったのは、《虚構の連合》だ。


ヴァル・ゼルグは、テネブラルの直接支配下にない諸国をも間接的に取り込んでいった。

国家間の相互不可侵条約を反故にし、“一時的な共同軍事演習”という名目で兵を動かさせ、

結果として“大陸同盟軍”が誕生した。


だがそれは、大陸間の国際情勢を豊かするために結成された“同盟軍”ではなかった。

本質的には、“反帝国軍”だった。


帝国だけが、“世界の敵”と仕立て上げられた。


俺たちの戦いは、そこから始まったんだ。


大義もなく、明確な勝利条件もなく、

ただ――“終焉の足音”に抗うだけの、果てしない消耗戦だった。



――終焉戦役が始まる前、ルミナ帝国は七大大陸統一を成し遂げる寸前だった。

いや、正確には、“支配構造の上に君臨していた”と言うべきだろう。


聖王と呼ばれた先帝セント=ルクレティア六世は、「神の名のもとに、すべての争いを終わらせる」という名目で各地に使徒と軍団を送り、支配圏を広げていった。

だが実態は、軍事力と宗教を両輪とした“精神的従属”だった。

信仰を掲げれば兵を送り込めた。加護の名で戒律を押しつければ、他宗派や異論は“異端”として処罰できた。

それは光の皮を被った、極めて巧妙な支配構造だった。


当然、それに反発する勢力も多かった。

しかし、彼らは正面からルミナ帝国に抗うだけの力を持たなかった。

だからこそ――《ヴァル・ゼルグ》はそこに“選択肢”を見せたんだ。


「帝国に抗うことは罪ではない。むしろ、“自由への第一歩”である」


こう言いながら、ヴァル・ゼルグは各大陸に散らばる“反帝国的勢力”に触手のように影響を広げていった。


イグニス大陸では、古来から帝国に資源と職人を吸い上げられていた。

戦争が起きれば真っ先に徴用され、技術は中央に搾取される。

鍛冶ギルドたちはそれに怒り、やがて“職人共和国”を結成するに至った。


テネブル大陸では、光による統制そのものを忌避する文化が根付いていた。

ヴァル・ゼルグはそこを“自由の理想郷”として美化し、実際には“闇に潜む手先”として諜報拠点を築いていた。


そして何より、空と海――

アエリアの空商人たちと、ネプトラの海商たちには、帝国の「航路制限政策」が強く恨まれていた。

ヴァル・ゼルグは彼らの貿易利益を保証する“影の契約”を結び、

「帝国よりも自由と利益が得られる世界」を演出してみせた。


裏では巧みに帝国の腐敗と怠慢を暴露し、

表では“思想の自由”や“技術の解放”という魅力的な言葉で各国の若者たちを惹きつけた。


そして、ルミナ帝国の最大の過ちは――


「反帝国勢力=悪」という単純なレッテル張りだった。


民衆の怒りは、信仰や理想では止められなかった。

帝国が信じた“神の名による支配”は、逆に多くの者たちにとって“束縛”に感じられていた。

ヴァル・ゼルグはそれを見抜いていた。

彼女が使ったのは“軍事”ではなく、“民意”だった。


――民が心から信じるのは、剣でも聖典でもない。

「今の暮らしが、よりマシになる可能性」だ。


その真理を使って、ヴァル・ゼルグは七大大陸のあらゆる怒り、不満、疲弊、欺瞞、そして「変わりたい」という渇望を結びつけた。

それが、最初に我々が出くわした《虚構の同盟》の正体だった。


名目上は“帝国の軍事支配に反対する自治連合”。

だが、指導者は不在で、共通理念もない。

ただ、帝国を倒したい――それだけで結ばれた、危うくも圧倒的な“数の力”だった。


その裏に、“女王の顔をした終焉”が座しているとも知らずに。


――そして、戦争は始まった。

正義も秩序もない。信仰も理想も霞んでいった。


生きるために戦い、

生き延びるために殺す。


ヴァル・ゼルグが引き起こしたのは、

単なる大陸間戦争ではない。


それは“信じる力”を崩壊させ、

あらゆる神と国家と、

“人間の絆”そのものを溶かす、

文明そのものの解体だったんだ――。

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