いじめに遭ったらやり返せ?
私が中学生か高校生くらいの時だったと思うのですが、テレビの討論番組に飯島愛さんがコメンテーターとして出ていました。一応、若い人のために説明しますと、この人はAV女優からタレントに転向して人気のあった方です。
で、飯島愛さんはドヤ顔ではっきりと言っていました。
「私、学校ではいじめる方だったし」
これを聞いた私の感想は「そうか。つまり飯島愛はそんな奴なんだな」です。その後、彼女が病死したと聞いても、特に何とも思わなかったですね。
私の感想はともかく、飯島愛さんが言った「いじめる方だったし」という言葉からもわかる通り、当時はいじめる側の方がスクールカーストでは上、というイメージがあったのですよね。いじめられる人間はカッコ悪い、というイメージもまたありました。
さて、これまでにも何度か取り上げてきましたが……いじめの解決方法として「やり返せ」という意見は根強いですよね。そういえは以前、このエッセイにも「いじめられてやり返さないのは納得いかない」というような感想がきたことがありました。
私は、いじめに対しやり返すのは絶対に反対……というほどでもありませんが、両手を挙げて賛成は出来ない、という立場ですね。
そもそも、いじめっ子は「やり返せない」人を選んていじめをするわけです。腕力も体格も劣り、おどおどして気弱で悪口を言われても言い返せないような子がターゲットになりやすいのですよ。
そんな子が、どうやってやり返せばいいのでしょうか。中途半端にやり返せば、かえってひどいことになるだけてす。こういう子が「やり返す」ことでいじめから逃れるには、それこそ殺すつもりでいかないと無理でしょうね。
ちなみに、これは知人から聞いた話なのですが……知人が高校生の時、クラスにいじめられっ子がいました。ある日、そのいじめられっ子は突然ナイフを抜いたそうです。殺傷事件かと思いきや、いじめられっ子はそこから何も出来ず震えていたそうです。
おそらく、件のいじめられっ子は刺すつもりでナイフを持っていったのでしょう。が、土壇場になって心がくじけた……これは、ありがちな話なんですよね。私も同じ立場だったら、くじけていたと思います。
その後、いじめはさらに酷くなり、いじめられっ子は学校に来なくなったとか。「ナイフを出したのに、刺せなかった情けない奴」というレッテルが、件の子をさらに追い詰めたようです。
世の中には、やり返せないタイプの人間が確実に存在しています。「やり返せ」と言われ、やり返せるようなら……いじめで自殺など起きません。
私が「やり返せ」論に賛成できない最大の理由は……その言葉の裏には、自己責任論があるような気がするのですよ。
いじめられたら、やり返せ……その考え方の裏には「やり返せば、いじめは止まる。にもかかわらず、やり返せないのはお前が悪い。いじめられるのは、お前に責任がある」という思想があるような気がするのですよね。
実際の話、かつて少年少女たちを集め討論をさせる番組がありました。江川紹子さんが司会をしていた記憶があります。
そこで、いかにもヤンキーっぽい少年が言っていました。
「俺だって、相手がキレてやり返してくればいじめないよ。いじめられるのが嫌なら、やり返せばいい」
これ、まさに「やり返せば解決する」と言っている人たちと同じ思考パターンですよね。つまりは「いじめられる方が悪い」という考え方が根底にあるのではないでしょうか。
さらに言うと、冒頭に挙げた飯島愛さんの「私、学校ではいじめる方だったし」という発言と同じ匂いがするのですよね。
まあ、これは極論かもしれませんが……「いじめられたらやり返す」と言っている人たちは、相手がドウェイン・ジョンソンやエドモンド・ケンパーのような男でもやり返せるのでしょうかね。
少なくとも、一般的ないじめっ子といじめられっ子の間には、かなりの戦力差があると思うべきなんですよね。精神的にも、かなり差があります。
それもわからず、脳天気に「やり返せ」と言っている人が大半なんですよね。正直、共感能力が低すぎるのでは? と言わざるを得ません。
最後に、一応ですが説明しておきます。エドモンド・ケンパーとは……身長二メートル五センチ、体重百四十キロの連続殺人犯です。FBI捜査官ですら、この男と同じ部屋で一対一になった時には恐怖を感じたそうです。




