精神と塗り絵の部屋
今回は、私がかつて一ヶ月ほど通った施設について書きます。正直、二十年以上前の記憶なので、間違えているところもあるかもしれません。また、事実ありのままを書いてしまうと、いろいろマズいので変えてある部分もあります。
当時、私は無職透明なニートでした。やることもないので、実家にて犬と遊んだり猫と戯れたりゲームをしたりして、日がな一日を過ごしていたのです。
しかし、そうなると両親からの冷たい視線や「これからどうするんだ?」という小言を浴びせられることとなります。とりあえず、何かしらやっているふりをしなくてはなりません。
そんな時、知人の友人の先輩……みたいな人(ほぼ赤の他人)からの紹介で、とある団体を紹介されました。
その団体は、無職の人や引きこもり、さらには生活保護を受けている人などを対象に、社会復帰のための訓練や技能の習得をするという目的のために設立されたもののようです。一応、NPOの法人格は取得しているマトモな団体とのことでした。
で、そこに通わないか……と言われたのです。
私は最初、乗り気ではありませんでした。面倒くさそうだったからです。しかし、相手はこう言いました。
「何も面倒なことないよ。朝二時間、午後二時間いればいいだけだから。何なら、午後だけでもいいよ。来たい日に来ればいいし、嫌だったら途中で帰ってもいいから。週に一回でも構わないよ」
それを聞き、とりあえずは午後から週に二〜三日だけでも行ってみるか……と思いました。何より、両親に対する言い訳も出来ます。
かくして、私はその団体の運営する施設に通うこととなったのです。
翌週、私はとあるマンションの一室にいました。そこそこ広く、部屋はいくつかに分かれておりました。
受付にて名前と住所を書き、私はその団体の一員として登録されました。その後、作業場へと行ったのです。
そこでは、三人の人間が長机で作業をしていました。全員、当時の私より歳上なオッサンたちです。私も、端に座るように指示されました。
で、職員が持ってきたのが……色鉛筆と塗り絵でした。
私は唖然となりました。これを、二十歳を過ぎた人間にやらせるというのか……などと思っていると、職員は笑いながら言ってきたのです。
「あのね、塗り絵って結構むずかしいんだよ。とりあえずやってみて」
仕方ないので、私は塗り絵を始めました。見たこともないような女の子のキャラに、色を塗っていきます。塗りながら、チラリと他の人間が何をしているのか見てみましたが……もうひとり、塗り絵をしている人がいました。
さらに、もうふたりは紙袋を作っているようでした。内職か何かをしているようです。
そんなこんなで二時間が終わると、職員がニコニコしながら話しかけてきました。
「こういう時間を過ごすことは、君にとって必ずプラスになるから。また、明日ね」
それから三日後、私はまた施設に行きました。
職員が持って来たのは、またしても塗り絵と色鉛筆です。私は、仕方なく塗り絵をしました。
また別の日も、私は塗り絵をやらされました。次の日も、ひたすら塗り絵です。塗り絵以外のことはやっていません。社会復帰のための訓練らしきものなど、一切やっておりません。
正直、ここにいる時間は苦痛でした。それでも、私は通い続けました。働くよりは楽だろう、と思っていたからです。
塗り絵をしながら、私は周囲の人を観察しておりましたが……まあ、しょうもない連中でした。今もはっきり覚えているのは、三人のオッサンです。
ひとりは「俺は昔、むちゃくちゃ悪かった」とワル自慢をするオッサンです。このエッセイにて、よく出てくるようなタイプですね。確実に四十を過ぎているのに、何を言っているんだろうかと思いましたね。まあ、このヤンキーオヤジは私には接してこなかったので良かったです。
もうひとりは「やっぱり、オシャレは足からだよ」「センスは、細かいところに出るんだよね」などと常に気取っているオッサンです。インテリアピールも凄く「何々を読んだ」「○○は素晴らしい」などと、聞かれてもいないのにひとりで言っていました。なろうにも、よくいるタイプですね。
ついでに、若い女性職員を前にすると、気取りまくって大変だったんですよね。俺はインテリだぞアピールが、さらにしつこくなるんですよ。ストーカーになりそうな感じでした。こいつも、私には接してこなかったのが幸いです。
このインテリ気取りオヤジと仲が良かったのが、癖っ毛が特徴的なエプロンオヤジでした。
なぜか毎回エプロン姿で作業場にいて、インテリ気取りオヤジと喋っています。「やっぱりファッションは〜」「ああいうところにセンスが現れるね」などと、こちらも気取った言い方が目立つオヤジでした。
私は、こんなオヤジたちとは話さないようにしていましたし、接点を持たないようにもしていました。ところが、状況が変わったのです。
忘れもしませんが、私が通い出して一月ほど経った日のことです。突然、エプロンオヤジが話しかけてきたのです。
「君は赤井くんだよね?」
「は、はい」
私は答えましたが、内心ではなぜ話しかけてきたのだろう……と思っていました。
すると、エプロンオヤジはこんなことを言って来たのです。
「いや、一応は名前を覚えないといけないからさ。俺はここで一番長いし、上の人から作業場を任されてるからね。よろしく」
要は、俺は偉いんだぞアピールでしょうか。スカした表情でこちらを見てきた顔は、今も忘れられません。
この時、私は……こんなオヤジにだけは死んでもなりたくないし、こんな場所にもいたくないと強く思ったのです。小さな世界でイキり、私のような小者を相手に偉いんだぞアピールをして悦に入る……どうしようもなく惨めで、みっともない人間に見えましたね。
翌日に私は履歴書を書き、就職情報誌を買って電話をかけまくりました。そして片っ端から面接に行ったところ、とある工場に就職が決まったのです。
めでたし、めでたし……というわけにはいきませんでした。その工場は、刑務所にも似たとんでもなくヤバいところだったのです。この工場での生活に関しては、いずれこのエッセイで書かせていただくつもりではあります。
今にして思うと、この団体は無職無就学の引きこもりを集め「社会復帰のための訓練」と称して塗り絵や内職のような適当な作業をやらせ、国から支援金やら補助金やらをせしめていたのではないか……そんな気がします。
もっとも、断定は出来ません。私が知らないだけで、これまでに大勢の人を社会復帰させていた団体なのかもしれません。正直、塗り絵に何の意味があったかはわかりませんが、精神的に何らかの効果があったのかもしれません。
ただ、あの施設に通っていた期間は、私の人生においてもっとも無駄な時間だったな……と思っております。もう一度書きますが、私はここで何の訓練もしていません。




