ホッちゃんという子
これは、小学校の時の話です。なお、実話を基にしていますが、プライバシーに配慮しあえて事実とは異なる描写にした部分もあります。
当時、私は学校から帰ると公園に皆が集まり、そこで様々なことをして遊んでいました。ほとんどが同じ小学校の友達でしたが……中には、違う学校の子もいたのです。
ホッちゃん(仮名です)も、違う学校の子でした。ひとりで寂しそうにブランコに乗ったり、ベンチに座り我々の遊ぶのを眺めていたのです。
そんなホッちゃんと私が会話するようになったのは、とある人物がきっかけでした。このエッセイの第七話『公園に居た人』の章にて登場するチカちゃんが、公園で遊びに加わりだしたからです。
以前にも書いた通り、私はチカちゃんが嫌いでした。ホッちゃんもまた、チカちゃんには近寄ろうとしませんでした。
そんな我々ふたりは、いつしか言葉を交わすようになっていたのです。
「あのチカちゃんて、変だと思わない?」
「うん、絶対に変だよ」
そんな会話を経て、我々は遊ぶようになっていったのです。やがて、チカちゃんが嫌いな他の子たちも集まり遊ぶようになりました。
ホッちゃんは、とてもおとなしい子でした。自分のしたいことよりも、他人のしたいことを優先していた記憶があります。私のバカ話にも、きちんと耳を傾けてくれていました。実際、ホッちゃんと揉めた記憶はありません。
またホッちゃんは、遅い時間でも遊びに付き合ってくれました。当時は、五時になったら帰るよう教師たちから言い渡されていましたが、ホッちゃんは我々に付き合い七時近くまで遊んでいたのです。
さらに、時おりホッちゃんは顔に痣を作ってくることがありました。私たちは、あえて理由を聞くことなく遊んでいましたが……おそらく親がやったのだろう、と思っていました。当時は、しつけの一環という言葉で親からの暴力を容認していた時代だったのです。また、私の育った地区は職人や工員といったブルーカラーの人間かま多く、子供は殴ってしつけるもの……という考え方の人が多かったですね。
そのため、生傷の絶えない子や痣の消えない子が、各クラスにひとりふたりはいました。そんな時代だったのです。
そのホッちゃんですが、一年ほどしたら公園に姿を現さなくなりました。私は内心「どうしたんだろう」などと思ってはいましたが、学校が違うので確かめようもありません。やがて私は中学校に進学し、ホッちゃんのことは記憶の片隅に追いやることとなりました。それから、いろいろあったのです。私の生活も、中学生になると同時にいろいろ変わりました。
それから、二十年近くが経ったある日のことです。
地元の商店街を歩いていた私は、小学校時代の同級生だったグンジ(仮名です)と出会いました。そこで昔話に花を咲かせているうち、ふとホッちゃんのことを思い出したのです。
「昔さ、ホッちゃんていたじゃん。あいつ、実は座敷わらしだったんじゃねえの」
もちろん、本気で言ったわけではありません。座敷わらしは子供の姿をした妖精のような存在で、子供たちの輪の中にいつのまにか溶け込んでいる……昔、本でそんな言い伝えを読みました。いつのまにか、我々の仲間になっていたホッちゃんと似てる気がしたのです。
すると、グンジの表情が曇りました。
「これな、親父から絶対に言うなっていわれてたんだけど、今なら言っても大丈夫だから教えてやるよ。ホッちゃんの家、相当ヤバかったんだ」
そう前置きして、グンジは語り出しました。
いわく、ホッちゃんの父親と母親はひどく仲が悪く、喧嘩ばかりしていたそうです。しかも、ホッちゃんの母親はホッちゃんにも暴力を振るっていたとか。ホッちゃんは家に帰るのが嫌で、遅くまで外に出歩いてそうです。
そんな家庭に、ついに決定的な事件が起きてしまいます。ホッちゃんの父親と母親が喧嘩の挙げ句、刺した刺されたの傷害致死事件になってしまったとか(父が刺したのか母が刺したのか、そこははっきりしませんでした)。当然ながら警察が動き、ホッちゃんは施設に行くことになってしまったそうです。当時の夕刊にも、小さく載ったそうです。
グンジの父親は、いわゆるアカ系(正式名称は知りません)の団体と少しかかわっており、ホッちゃんの両親も団体とかかわっていたそうなのです。その関係から、ホッちゃんの家庭の事情を知っていたとか。グンジは父親から話を聞いたのですが、「誰にも言うなよ。言ったらぶっ飛ばすぞ」と固く口止めされていたのです。
私は、切ない気分になりました。子供の頃、ほんの僅かな時間とはいえ触れ合ったホッちゃん。今になってわかるのですが、彼は我々のやることに対し、意見めいたことは全く言わず皆の言うことに従っていました。おそらく、自分の意見など言えないような家庭環境で育ったからなのでしょうね。
夫婦喧嘩の挙げ句の殺傷事件や、子供を残して自殺する親といったニュースを見ると、私はホッちゃんのことを思い出してしまいます。今、彼がどんな人生を歩んでいるのかわかりませんが、願わくば幸せになっていて欲しいものです。




