子供とスピリチュアル
今回のテーマは、残酷で嫌な気分になるものです。そういうのが苦手な方は、ここで止めておくことをオススメします。
念のためですが、もう一度書きます。今回は、いつもより残酷で暗く嫌な気分になる話です。ノーストレスななろう系作品を好んで読むような方たちは、ここまでにしておいた方が無難です。読んだからといって、得するような話ではありません。
あしたのあさはぜったいにやるんだとおもっていっしょうけんめいやるやるぞパパとママにみせるってきもちでやるぞえいえいおー
いきなりですが、皆さんはこの文章を見て、どう思われたでしょうか。子供の日記か何かだと思い、微笑んでしまう人もいるかもしれません。
ところが、この文章を書いた五歳の少女は、それから間もなくして亡くなりました。親からの虐待が原因です。「こないだパパにおなかをキックされた」という文も書いていたとか。こうした暴力は日常茶飯事だったのでしょうね。
最後に書かれていた「えいえいおー」は、誰ひとり助けてくれる人間がおらず「自分で何とかするしかない」という思いから出たものなのかもしれません。幼い少女は、自分で自分を励まし鼓舞するしかなかったのでしょうか。全ては、私の想像でしかありませんが……
自分が変われば、パパとママも変わってくれる。だから、つらいけど頑張る。最後に「えいえいおー」という言葉で無理やり元気を出す。五歳にしては、あまりにもつらい生活ですね。本来なら、パパやママに甘えている年頃なのに……怒りや悲しみより、やるせない気分になります。
残念ながら、パパとママは変わりませんでした。「自分が変われば世界は変わる」というのは自己啓発本にありそうな言葉ですが、少女を取り巻く世界は変わらなかったようです。
ちなみに、この事件は報道直後は話題になりました。女子アナが、泣きながら原稿を読んでいたそうです。コメンテーターたちも、怒りをあらわにしていたと聞きました。
もっとも今では、この事件は大半の人に忘れられているのでしょう。少なくとも、タイムリーな話題でないことは確かてす。なろうエッセイ界隈では、今さら話題にさえならないでしょうね。しかし、こうした事件の記憶こそ風化して欲しくないものです。
さて、世の中にはスピリチュアルな人がいます。ちょっとオカルティックな立場から、より良い生き方をするための指針を語る人たち――という解釈で間違っていないと思います。霊能力者っぽい人もいるようですね。
スピリチュアル系の人たちは、「神は乗り越えられない試練は与えない」「世の中の全ては神の思し召し」「あなたが遭遇する出来事には、全て意味がある」といった発言をします。正しいかどうかは、私にはわかりません。
ただ、スピリチュアル系の人たちは、上記のような虐待死事件をどう思っているのでしょうか。
まあ、「虐待で死んだ子供は、天国で幸せに暮らせる」「生まれ変わったら幸せに暮らせる」などというのでしょうが、ちょっと待てよと思うんですよ。そっちに話を持っていくのは、反則ではないでしょうか。信者でない人間に、そんなことを言ったところで通じません。それ以前に、これは天国だの生まれ変わりが真実である……という大前提が必要ですよね。私は、それが真実であることをどうやって知ったらいいのでしょう。
はっきり言いますが、虐待死する子供の中には、親ガチャという言葉が生ぬるいと感じるような環境に生まれたケースもあるのですよ。
貧しい国では、自分の子供の腕や足を切断し観光客相手に物乞いをさせる親がいます。その方が、同情を買えるからです。また、頭のおかしくなった親にオーブンレンジで焼かれ亡くなった子供もいたそうです。動機について問われると「悪魔を焼いた」と答えたそうです。先進国であるはずの日本にも、虐待で亡くなる子供の事件は後を絶ちません。これらは、乗り越えられる試練なのでしょうか。
それに、虐待で死んでいった子供たちは、生きているうちは必死で神に祈ったことでしょう。我々が初詣に行くのとは別次元の真剣さで、子供たちは神に祈ったはずです。お願いだから助けて、と祈ったことでしょう。しかし、子供は虐待を受け亡くなりました。必死で祈ったが、叶えてもらえなかった……つまり、虐待死は神の思し召しなのでしょうね。私は、そんな神を必要とは思いませんが。
全ての出来事に意味があるというのなら、虐待死した子供に起きた出来事の意味とは、いったい何なのでしょう。これはね、あまりに理不尽なんですよ。ろくでもない親の下に生まれ、何の罪もないのに虐待され、挙げ句に死亡……我々は、この出来事にどんな意味を見出だせばよいのでしょう。
そして、大半のスピリチュアル系の人たちに共通していると思えるのが「闇から目を背け光だけを見て生きるのが大事」という考え方です。これは、間違いとは思いません。悪いニュースを見て、気分が悪くなったり鬱になる人はいます。
ただ、神だの霊だの人間の幸せだのを語るなら、こうした不幸から目を逸らせて欲しくないのですよ。
世の中から、不幸が消えることはありません。特に、子供の虐待死はあまりにも理不尽な話です。そういったニュースばかり見ていては、気分が悪くなるかもしれません。目を逸らしたくなる気持ちも、わからなくもありません。それに、我々のような一般人は、そうした世の中の闇に対し出来ることはほとんどありません。悲しいことですが、それが現実です。
しかし、目を逸らしたとしても不幸は存在します。理不尽な話も存在しています。スピリチュアル系の人が、本当に神だの霊だのといった超自然の存在と交信できるなら、目を逸らさず闇と戦って欲しいです。私が知らないだけで、弱者を救う活動に従事している方もいるのかも知れないですが。
もっとも、大半のスピリチュアル系の人はそんなことしないのでしょうね。彼らは、大半の人たちがウインウインでハッピーな気分になれるような考え方を説き、世の中の不幸や不条理や理不尽なことを「見なかったことにしましょう」の一言で済ませ、信者を増やしていくのでしょう。
そう、彼らは本当に助けが必要な人たちからは、目を逸らして活動していくのでしょうね。




