連帯責任という狂気
今からは想像もつかないでしょうが、かつての学校では、体罰がまかり通っていた時代がありました。
私が小学生だった時など、教師が殴るのは当たり前でした。ちょっとしたことで、ばかすか殴っていたのですよね。本当に、狂っていた時代だったと思います。にもかかわらず「しつけの一環」「愛のムチ」などという言葉で、体罰は全て是認されていたのです。
教師も教師で「俺はな、お前らが憎くて殴るんじゃない」「俺が小さい頃は、こんなもんじゃなかったんだぞ」などと言いながら、生徒をバチバチ殴っていました。
この当時の教師が目の前で通り魔に刺され、血だらけの状態で「助けてくれ」と言ってきたとしたら……私は、たぶん見なかったことにして通り過ぎると思います。
さて、この当時に教師たちの間で流行っていた……と思われるものがあります。連帯責任、という単語です。
この連帯責任、まあ凄まじいものがありました。どういった場合に使われるかと言いますと、たとえばハザクラ中学三年B組の生徒・カワトウくんが暴力沙汰を起こしたとしましょう。すると、担任のシャカモト先生は激怒しました。
「何をやってるんですかあ、あなたたちは! なぜカワトウを止めないんですか! 連帯責任です! 先生は今から、あなたたちを殴ります!」
そんな理不尽なことを言いながら、クラス全員を殴っていく……こんなことが、平成の初期くらいまでは当たり前のように行われていたのです。
このエッセイの常連と化している小学生の時の音楽教師・セダン(仮名です)は、たまに無茶苦茶なことを言い出すのです。
小学校三年生のある日、セダンの授業でリコーダーのテストがありました。課題曲を正確に吹く、というものです。クラスのほとんどはクリアしましたが、ひとりだけ吹けない子がいました。コン(仮名です)という少年です。
すると、セダンはとんでもないことを言いました。
「来週、もう一度テストする。もし、コンが課題曲を吹けなかったら、このクラスは夏休み無しだ」
はあ? と思いました。みんなも、唖然となっています。一方、コンは真っ青になっていました。
翌週、コンは見事にテストをクリアしました。ただし、それまでの間コンは針のむしろのごとき状態です。「お前のせいで夏休みが無くなったら許さねえ」というクラスメイトからのプレッシャーはキツかったでしょうね。
今にして思えば、セダンの言葉はただの脅しだったのでしょう。ひとりの音楽教師に、夏休みを潰すだけの権力があったとは思えません。ただ、我々はそれを本気にしていました。クラスの中で「あいつのせいで夏休みがなくなるかも」みたいな話も耳にしました。
このセダンは、似たようなことを他のクラスにもしていたようです。ピアニカを上手くできなかった子がいたら、クラス全員に「あいつが出来ないのは、クラス全体の責任だ!」などと言って説教した挙げ句、学級委員長を呼び全員の前で殴ったこともあったとか。本当に理不尽な話です。
とにかく、私の通う小学校ては「クラスの誰かひとりが規定をクリア出来なかったら、クラス全員が連帯責任を負わされる」という悪しき風習がまかり通っていたのです。
言うまでもないことですが、これはイジメを生む要因にもなります。出来ない子ひとりの為に、クラス全員が怒られる……これで、イジメに繋がらないと思っているとしたら、そんな人間は教師の資格はないでしょうね。事実、コンはイジメには遭っていませんが、この一件以来クラスの中で良く思われていなかったのは確かです。
つまり、この時代はイジメのきっかけを教師が作っていたのですよ。正直、生徒にとっては何ひとつプラスになっていなかったです。
そして時は流れ、今になってこの話を同年代かつ治安の良くない地域に育った人たちに話すと「あー、それあったわ」「ウチの学校もそうだった」と共感されることが多かったです。なので、当時はそんな暴挙があちこちでまかり通っていたのですね。
最後に、何年か前に「今の学校は、運動会で順位を競わず全員が同時にゴールする」などという話を聞きました。それに対し「ひどい話だ」「そんなバカなことをして何になる」という意見も聞きました。まあ、確かに褒められたものではないかもしれません。ただ、私の小学生だった頃の連帯責任システムに比べれば、よっぽどマシではないかと思います。




