発達障害と自殺と相談について
最近になって知ったのですが、私はどうやら発達障害の可能性が高いようです。
とはいっても、然るべき施設にて医師から診断を受けたわけではありません。ただ、ツイッターにて発達障害に関するツイートを見ているうちに、当てはまる部分があまりにも多いことに気づいたのです。
正直言うと「なるほどな」と思いましたね。今までの人生において、様々な場面に生きづらさを感じていました。ただ、その生きづらさを「甘いよ」「根性がない」などと言われて成長してきたのです。今までは「自分のせい」だと考えて来たのですが……「病気のせいかもしれない」という選択肢が出来たのはありがたいですね。
いずれは、ちゃんとした場所で診察を受けてみようと思っております。
さて、先日のことですが……有名な芸能人の方が相次いで自殺しました。自殺という行為の是非や善悪について、とやかく言うつもりはありません。ただ、一時期テレビでは「つらい時は、ひとりで溜め込まず周りに相談しましょう」などという取って付けたような言葉が乱れ飛びました。ネットでも、したり顔で「貴方の悩みを周りに伝えてください」などという文言が目に付きました。以前このエッセイにも、いじめについて書いた章に「あなたは間違っています。いじめの解決方法は誰かに相談することです」という感想をいただいたことがありました。
個人的に思ったのは、この「相談するのが大切」と主張する人たちは、本当に追い込まれたことなどないのだろうな、ということでした。周りに相談して解決するような悩みしか体験してこなかったのだろうな、と感じましたね。
そもそも相談できるくらいなら、自殺などしていません。例えばの話ですが、多感な十代の時期に、イジメっ子に全裸にされた姿をスマホで撮られた……これは、他人においそれと相談できる悩みではないんですよ。
特に、イジメが原因で自殺するケースの中には「自分の弱さや惨めさが許せない」というものもあるのです。「あんなことを言われたのに、何も言い返せなかった」「あんなことをされたのに、何もやり返せなかった」、そんな自身の弱さ惨めさが許せず自殺するケースもあるのです。それを「相談しなさい」の一言で片付けられる……まあ、相談することが無駄とは言いませんが、子供に対し「悪いことをしたら警察に捕まるから、してはいけません」と言うのと同レベルのアドバイスな気はします。
では、お前ならなんとアドバイスするのだ? と聞かれたら……時と場合と相手によります、としか言いようがないですね。ただ、作家の北方謙三先生は悩める若者に「自殺する前に、まず本を百冊読め。ただし太宰は続けて読むな」とアドバイスしたそうです。また極真空手の創始者である故・大山倍達総裁は、同じく悩める若者に「キミィ、極真空手をやりなさい」とアドバイスしたとか。
あえて私がアドバイスするなら「自殺する前に、好きなことを百回やってみてください」でしょうか。本百冊でも、映画百本でも、アニメ百作品でも構いません。格闘技経験がないけど、一度はやってみたかった……という人なら、極真空手の稽古に百回参加するとか、あるいはボクシングジムの練習に百回行くでもいいでしょう。なんなら、エロ動画百回観るでも、風俗店百軒を回るでもいいと思います。
とにかく、死ぬ前にこれだけはしておきたいと思えることがあるなら、それを百回してみてください。そうすることにより、少しは心が落ち着き嫌なことから気持ちを逸らせることが出来ます。また、心の傷に対する薬ともいえる「時間の経過」を進めることも出来ます。
他人に相談するのは、それからでも遅くないのではないでしょうか。昨今、バカのひとつ覚えのように「周りに相談してください」を連呼してますが、この言葉を聴くと不快な気分になるのは私だけでしょうか。
もうひとつ、テレビなどによく登場する「いのちの電話」ですが、これは本当に繋がりにくいそうです。
話は変わりまして『軍鶏』という格闘技漫画があります。主人公の成嶋亮は両親を殺し、少年院に入れられます。犯座者ばかりの少年院の中で、亮は生き延びるため空手を学ぶのですが……師匠の黒川と、こんなやり取りをする場面があります。
「亮……空手を忘れ、まともに暮らすというのはどうだ?」
「まともに暮らす? だから必要なんじゃないですか」
この言葉、おそらく大半の人には理解できないものでしょう。ただ、私には理解できてしまうのですよね。
冒頭に書いた通り、私は漠然とした生きづらさを抱えた状態で、今までどうにかやってきました。これは本当に厄介なもので、上手く言葉に出来ないものなんですよ。
現在、私は独身です。暇な時間の大半を、筋トレと格闘技の練習と執筆とに当てております。他の人からは「凄い体してますね」と言われたりもします。「ストイックな生活してますね」と言われることもあります。
ここで勘違いされると困るのですが、私はストイックな人間ではありません。むしろ、だらしない人間です。部屋は汚いし、物忘れも多いです。小学生の時は、遅刻と忘れ物の多さが生徒の中でも群を抜いておりました。その傾向は、成長してからもあまり変わっていません。また、面倒なことは一切したくない性格でもあります。未だにLINEをやったことがなく、原始人なみのアナログ人間だったりもします。
そんな人間が、なにゆえに筋トレや格闘技の練習に打ち込んでいるかといえば、そうしないと普通に生きられないから、なんですよ。
筋トレで重いバーベルを担いでスクワットやったり、格闘技ジムで殴り合ったり関節技を極めあったり……肉体を痛めつけることで、やっと己の裡にある生きづらさから発生したモヤモヤを消し去ることが出来ます。
その過程を経て、翌日も普通の人として仕事に行ったり、コンビニで買い物したり出来るのです。
もっとも、当然ながら肉体は休ませないといけません。休む暇なく肉体を痛めつけていては、逆に害になります。その肉体を休める上で必要なのが、私には執筆なのです。
頭に浮かぶモヤモヤを、物語を書くことで解消させる……これは、なろうにて書き始めなかったら永遠にわからなかった感覚でしょうね。
もし、格闘技も執筆もしていなかったら……ひょっとしたら、渋谷のスクランブル交差点あたりで「チックショー!」などと叫びながら刃物を振り回していたかもしれません。まあ、そこまではいかなくても……薬物か何かにハマっていた可能性はありますね。
いつにも増してまとまりない文章を書いてきましたが、果たして理解していただけたか不安です。ただ、私が筋トレだの格闘技だのやる理由は、結局のところ必要だからです。まともに生きるために必要だからやる、それだけの理由なんですよ。さらに言うと、格闘技なんかやらなくてもまともに生きていける人間の方が強いのです。グラップラー刃牙の花山薫ではありませんが、私は弱いからこそ鍛えているのてす。そんなことしなくても、普通に生きられている人の方が強いのは、考えるまでもないでしょう。
私のように、生きづらいモヤモヤを抱えている人は、誰かに相談する前に何かに打ち込んでみてください。オードリーの若林さんは「ネガティブを潰すのはポジティブじゃない、没頭だ」と言っていたそうですが、私もそう思います。




